アンニョイな君を笑顔にするたったひとつの冴えたやりかた

虎山八狐

寿観29年6月14日水曜日

 清美きよみ君がアンニョイになっちゃってた。

 窓に向けられた眼差しは冷たかった。唇は柔らかくへの字を描いちゃってた。それらを外から隠すように一定の動きで窓を拭いていた。窓から差し込んだ曇り空の曖昧な午後の光が彼の不機嫌さを際立たせていた。

 正直、絵になっちゃってる。

 清美君は自分の顔を強面と認識していて、笑顔でいないと怖く見えると話してくれたことがある。

 僕はそんなことは思わない。

 勿論いつものにっこにこの清美君を愛しく思うけれど、今日のような物憂げな顔も美しさが研ぎ澄まされて良い……と今思っちゃった。話しかけると表情が変わっちゃうから惜しくなっちゃって、無言で右隣に立ってみた。でも、清美君はすぐに口角を上げた。

「何よ?」

 声も笑みも弱々しい。

「君が何かあったでしょう。心配だなあ。嫌な事あった? お話してみて!」

 そやねえと言いながら、清美君は左側のサッシを拭きだした。頑固な汚れがあるようでそっちに顔を向けて、荒っぽい手付きをした。

「名古屋の友人が電話くれたんじゃよ。突然中退したけん、心配かけとったらしい。それでまあ……近況を尋ねてくるんじゃが、はっきりとは言えんじゃろ」

 清美君はついこの前まで名古屋の大学院にいた。その道は此処京都府匣織出身で愛媛住みの父親からの逃避でもあった。つまり、名古屋の友人は清美君のバックボーンをあまり知らないのだ。

 僕も情報屋として裏社会で生きていることを隠す場合もあるので、問い詰められた時の嫌な感じはよく分かる。

 相槌をうつと、清美君は言葉を続けた。

「ぼかしてたら喧嘩になってもうたわい」

「仲直りできてないの?」

「したわ。……でも、これから先、同じような事起きるんやろなと思ってもうて、気が重うなったんじゃ」

「そっか。カタギの人との付き合い方は優作ゆうさくさんが得意だから相談してみると良いよ。上手い嘘……というかカタギ向けの設定を考えてくれるよ。僕も昔お世話になったよ」

 清美君がぱっと僕を見た。不思議そうに目が見開かれていた。

安藤あんどうは何て言うことにしてんの」

「僕はねえ、探偵だね」

「無理ない?」

 清美君の目線が僕の目から髪へと移った。緋色のアシンメトリー。まあ見た目だけならヴィジュアル系バンドの人だよね、僕は。

「尾行とかする場合はカツラで変装しているの。不倫とか人の暗いとこばっかみちゃうんだもん、弾けた髪型の一つや二つしたくなっちゃうよ」

「お、おお、それっぽい」

「でしょ。こういうマニュアル、優作さんとつくるの楽しいよ」

「マニュアル化してるん?」

「便利だよー。だから、そっちは上司で若頭な優作さんに任すとして……僕はどうしよっか」

 清美君の表情がビターになっていっちゃってるから、急いで言葉を継ぐ。

「君を笑顔にしよう」

 清美君は瞬いた後、引き攣った笑顔を浮かべた。

「かっけえわい」

「心の底から楽しくなって笑わせてあげよう。面白い話でもしてあげよう」

 清美君の知り合いの人のネタを脳内で並べていく。どれがセンセーショナルで面白いかな。

 清美君が僕の脚に脚を当てた。半眼が冷えた目線を送ってくる。

「新情報は無しや。誰々が実はなんとホニャララは今は聞きとうない」

 なんてこったい。僕の得意技が封じられちゃったじゃないか。

「君の話は?」

「無し! そんなんに頼らずおもろい話でもしてみいよ」

 無茶ぶりじゃん。でも、此処で無茶をしちゃうのが僕だよ。

 覚悟を決めて自分の手を握った。

「どうもどうも。暗渠でーす。うちは安藤、こっちは清美君。うちら漫才やらしてもろてるんやけども」

「漫才」

 清美君が困惑した。当然と思いながらも、彼の腕をチョップする。

「緊張で台本どころか仕事まで忘れるなや! おまんまくいっぱぐれるやろがいっ! まあということでねえ漫才するんやで」

「関西弁」

 清美君のノリが悪いがめげない。

「いくらうちが東京生まれ東京育ち言うてもね、いうて十年くらい関西おるさかい、喋れるねん。まあ大阪人は怖いさかい、大阪人の前でやるとどつきまわされますわ。清美君もねえ、大阪人の前で堂々と関西弁の真似したあかんでえっ。かっこいいお兄さんからのありがたあいアドバイスや」

「俺、そもそも関西弁と広島弁と愛媛弁混じっとるんじゃが」

「じゃあ、大阪人と広島人と愛媛人にどつきまわされますわ」

「関西弁は大阪人のもんなんか」

「大阪人はそう思ってるんや。面倒やろ。あっ、真実を言うてもうた。しまったしまった島倉千代子」

「ええ……」

 清美君がひいてきちゃってる。やばい。腕にチョップ。

「はよ仕事モードならんかい!」

「そんなん言われても違和感凄くてのられへんわ」

「じゃあいつもの感じでいくよ。時間も無いから本題行くね。僕、落ち込んでる子を笑顔にしたいのね。それのシミュレーションしよう。漫才といえばシミュレーション、シミュレーションといえば漫才だからね」

「お、おう。やろか」

「じゃあ僕が落ち込んでる役、君が笑顔にする役ね」

「それでええんか?」

「駄目だったら交代しよう」

「漫才でようあるやつ」

「まあね。じゃあ、やろっか」

 体をうねうね左右に大胆に揺らして姿勢を正す。清美君も真似してきた。よしよし、良い感じだね。

「ぐすん、僕落ち込んでるのお」

「大変じゃあ。笑顔にしたいわあ」

「ええー。じゃあ、面白い話でもしてよ」

「わあ」

「ねえ、面白い話してよ」

 清美君が肩を大袈裟に竦めて、俯いて唸る。

「ねえ、面白い話でもしてってばあ」

「……できん! 面白い話って言われたらハードル上がりまくって何話しても面白くなくなるもん!」

「君が言ちゃうんだー!」

 もう一度腕にチョップ。関西弁じゃないこの流れは違和感があるけど、止めることはできない

「もういいよ! ありがとうございましたー!」

「ありがとうございましたー!」

 二人して存在しない客席にお辞儀をする。ゆっくりとあげてみれば、清美君は軽く笑っていた。

 窓を手で示す。

「さあ、ご覧。笑顔になってるでしょう」

「わあ、うん、笑顔になってもうたね」

 ビルが立ち並ぶ風景と混じりながら映る窓の中の清美君は益々笑みを深めた。

「安藤は凄いなあ」

「君がごっこ遊び好きだって分かってたからね」

 清美君は肯きながら言った。

「いや、関西弁も喋ろうと思えば喋れるとこ」

「そこなの?」

「漫才ごっこよりも関西弁と普段の安藤喋りの切り替えで面白くなったかもしれん」

「そこかあ。難しいなあ」

 ああーと大袈裟に顔を覆ってみれば、清美君のご機嫌な笑い声が聞こえてきた。

 じゃあ、僕も笑っちゃうよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンニョイな君を笑顔にするたったひとつの冴えたやりかた 虎山八狐 @iriomote41

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ