みんな知ってるけど、誰も知らない

鳥辺野九

極限の緊張と究極の緩和


 銀河連邦への加入を打診された地球人類に選択の余地はなかった。


 ある日突然、圧倒的科学力を保有した知的生命体に銀河連邦加入を勧誘され、宇宙進出に関してあまりに未熟な地球人類はそれを断れるはずがなかった。


 労せず超宇宙科学力を手に入れる一世一代のチャンスであり、拒絶すれば地球が消し飛ぶ空前絶後のピンチでもある。


 そして、地球人類にとって宇宙生命体とのファーストコンタクトでもある。




「で、ほんとにうちの主任でいいのか?」


 宇宙航空研究開発機構、JAXA。地球、日本国、宮城県角田市、角田宇宙センター。実物ロケットエンジンの展示室。


「人類の未来は主任に託されたわけっすよ」


 宇宙への門出。それに相応しい背景はここしかない、と息巻く主任が選択した展示室に急遽スタジオを設置。


「僕たちに明日はあるのだろうか」


 大型モニターやら自撮りカメラやら、オンライン会見のセッティングを任された僕と白石はしばし見つめ合った。メタルフレームの眼鏡をキラリと光らせて白石は言う。


「あたしは火星に行きたいっす」


 地球の連邦加入が決定すれば、銀河連邦は火星に大規模な最新宇宙港を構築し、連邦星圏と太陽系とを結ぶ定期便を就航させると約束してくれた、らしい。


 地球火星間のワームホール航法と食糧無限増殖技術の無償提供、恒星炉発電衛星の設営、銀河連邦星圏への移民許可などなど、人類は一気に宇宙のネクストステージへ羽ばたくこととなる。


「築館さんは? あたしと火星行くっすか?」


「僕はヒューストンでいいよ」


 白石の甘い誘惑を受けている余裕はない。何てったって、もし加入が合意に至らなければ地球の命運は尽きるのだ。連邦星圏は今後地球を完全無視し、人類は太陽系から出ることなく寿命を迎えて消滅する。


 すべては大崎主任の連邦加入インターネットライブにかかってる。


「ヒューストンって。地球規模でモノを考えると大崎主任みたくみみっちくて見窄らしい男になっちゃうっすよ」


 鼻に乗っかったメタルフレームをくいっと持ち上げる白石。上司に対してそれは言い過ぎだぞ。


「主任は主任の責務を全うしている。たとえ見窄らしくても」


 国連やG7でも意見はほぼ統一されている。銀河連邦への即時加入だ。一部の独裁系共産圏では「これは宇宙侵略行為である」と反対する声も上がっているが、そういう国には宇宙最新技術を一切供与しない取り決めとなっている。銀河連邦の意向だ。


「責務って、ただハイって頷いて連邦の方々を接待して気持ちよく帰ってもらうだけじゃないっすか」


 そう。地球側の答えはもう決定事項。うちの主任はいわば番宣接待番組のMCみたいな役割だ。


 国際的重要人物、宇宙事業関係者、環境物理学者。銀河連邦の存在はまだごく一部の地球人しか知らない。まさしく地球規模での最大のサプライズとなる。


 そんな地球史上最大級の事件を、すでに決定されている案件として上手にプレゼンテーションして、あとは連邦加入解説をあちらさんの代表から円滑に聴き出すだけ。


 それだけ、だが。


「何でうちの主任が選ばれたんだろな」


 国連事務局でもなく、G7代表会議でもなく、各国首脳の連名でもなく、NASA関係者でもなく、歴代宇宙飛行士でもなく、宮城県角田市のJAXA宇宙センター宇宙文化交流室主任に地球の運命は託されたのだ。


 これで緊張するなって方が無理だろ。


「あと15分でライブが始まるってのに、主任どうしちゃったんすか」


 主任は20分前にトイレに引き篭もったまま音沙汰ない。宇宙人を前にして現代版天の岩戸は閉ざされっぱなしだ。


「いざとなったらあたしの推しの築館さんが代役で宇宙デビューっすね」


「断固断る」


 地球人類への重要なお知らせ、と銘打ってこのライブは予告されている。それこそ地球人八十億人のみならず銀河連邦も注目しているのだ。さすがにそろそろ引き摺り出さないとまずいか。


 そう思った頃、ようやく主任が姿を現した。


「大崎主任、遅いっす、よ……」


 さすがの白石も絶句した。


「死なば諸共、だよね」


 国勢調査によるネガティブベストテンに入るワードを口にする主任。顔色は、どうだっていい。白色リングライトでいくらでも飛ばせる。トイレでどれだけ吐いたのだろうか、痩せこけた頬も見ようによっては精悍さに見れなくもない。防波堤に打ち捨てられて三時間が経ったフグのような濁った瞳も、まだ目薬で誤魔化しが効きそうだ。


「もう胃液も出ないよ」


 些細な問題は大崎主任の頭部に発生していた。


 その名状し難き毛髪のようなふさふさした塊が、ずるり、ズレていた。


 僕も白石も思わず視線を逸らしてしまった。


 大崎道徳。角田宇宙センター宇宙文化交流室主任。38歳、妻が一人、子が一人。一般的社会人として平均的な暮らしを営んでいる彼には一点だけ宇宙センターの誰にも打ち明けていない秘密があった。


 頭部に名状し難き毛髪のようなモノをかぶっているのだ。


 無論、みんな知っている。周知の事実だ。でもみんな、優しく何も知らないふうに接している。彼の社会に忠実で生真面目な勤務っぷりは高く評価されるべきだと思っているからだ。頭部の状況なんて業務に関係ない。


 人類初の宇宙人とのライブ放送に極度の緊張を覚えてトイレにこもり、胃袋が裏返るほど吐きまくったんだろう。もう己の頭部がどういう環境に置かれていおるのか注意を払えないのだ。


「大崎主任、ズレて──」


 潤んだ瞳を伏して、白石が言いやがった。僕は咄嗟に右手でその唇を塞ぎ、左手で白石の首をこちらに向けさせた。事実を告げるには、あまりにナイーブな状況だ。


「むかし、ズレータって野球選手いましたよね」


「……それがどうした?」


 いちかばちか。白石の暴言を補ってみた僕を、じろり、下からねっとりと睨め付ける大崎主任。


「すぐ乱闘する荒削りな選手でしたが、そのホームランセンスは抜群でした。主任もこのライブでホームラン打てば、もうそれだけで宇宙で認められるんですよ」


 主任の頭部の名状し難き毛髪のようなモノが少し浮き上がった、ように見えた。どうだ?


「だよな、だよな! 考えてみればこれはチャンスなんだよ。打ち上げてみよう、大きな花火を」


 レッツ、ポジティブシンキンッ。大崎主任の顔色が少し回復する。


「あたしの唇を塞げるのは築館さんの唇だけっす」


「ふざけてる場合か。今は大崎主任の気持ちを持ち上げることだけ考えろ」


 白石のぷっくりとした唇が何を言うか。


「大崎主任、少し頭を柔らかくした方がいいっすよ。頭皮マッサージするっすか?」


「そ、そうか? 頭皮より柔軟な思考は確かに重要だな」


 白く細い指をわきわきと動かして主任の頭部に迫る白石。こいつ、この極限状況を楽しみ始めやがった。


 それに対して、さりげなく頭部から話題をズラす主任。いや、ズラすな。諸々ズラすな。


 大崎主任の秘密の花園に迫るわきわき蠢く指を全部捕まえる。とにかくセンシティブな問題なんだ。もっとオブラートに丁寧に梱包しろ。


「じゃあ、鏡っす、鏡。鏡見ながら『おまえは誰だ?』って自分を落ち着けるんすよ。頭に話しかけるっす」


「またトイレ行くと吐いてしまいそうだよ。頭より心に語りかけよう」


 白石よ。おまえは主任をゲシュタルト崩壊の荒地へ追放しようというのか。


 主任も主任だ。あくまで話題を頭から逸らそうというその一貫した姿勢を僕は尊敬します。はい。心からじゃなくて頭から。




 そして、無情にもインターネットライブの時間がやってきた。


 地球人は未だ知らない。これから外宇宙より来訪した宇宙知的生命体とのファーストコンタクトが始まることを。


 見たこともない生物がテレビやPCの画面に現れて、地球の発展と人類の繁栄を語るのだ。頭部に名状し難き毛髪のようなモノをかぶった人類代表と。


 そう。銀河連邦宇宙人の外見は発表されていない。僕も白石も、大崎主任だって知らされていない。宇宙人という先入観を持たせないためだ。


 インターネットライブが始まった。


「地球にお住まいの人類の皆さん、こんにちは。このインターネット放送が皆さんに何をお伝えしようというのか、様々な憶測が飛び交っていることと思います」


 頭がズレた大崎主任は少し裏返った声で語り始めた。もう、傍目にも緊張してるのがわかる。緊張なんてものじゃない。極度の異常緊張だ。


「この放送の主役を紹介しましょう。実際に皆さんの目で、この地球の歴史が変わる瞬間を目撃した方がいいでしょう。銀河連邦外相代表、スァンカ・フィレデリ・スァンク・フルルルさん。スァフィスァフさんです」


 画面が二つに分割され、右手側に大崎主任。左手側に銀河連邦代表のスァフィスァフさんが映し出された。


 初めて目撃する宇宙人。外宇宙知的生命体。


 その瞬間、大崎主任の頬は弛緩した。口角が緩み、目尻が下がる。頬に血の気が戻り、瞳が潤った。ああ、微笑んでいる。大崎主任は、安心しているんだ。


 地球人はこの広すぎる宇宙にひとりぼっちじゃなかった。仲間がいたんだ。


 大崎主任がこのライブのMCに選ばれた理由が、今、理解できた。


 大崎主任はこの広すぎる宇宙にひとりぼっちじゃなかった。仲間がいたんだ。


 大崎主任は頭部の名状し難き毛髪のようなモノを脱いだ。生まれたまんまの、育ったまんまの自分を曝け出した。


 そして、画面に映ったスァフィスァフさんもまた、頭部に装着していた名状し難き毛髪のようなモノを脱ぎ去って──。


「ハロー、マイフレンド」


 歴史に残る温かい一言を。

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