立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花(たてばしゃくやくすわればぼたんあるくすがたはゆりのはな)

珀武真由

  立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 (俺の中で咲いてくれ)


 「おい見ろよ、あそこにいるの。迦楼羅かるら先輩じゃね?」 


 俺は投げられた言葉に、机に伏せていた顔を上げた。

 

 俺の机の前では二人の悪友がスマホゲームをいじくり騒いでいた。一台の机の上を狭いにも拘わらず座る二人。互いが半ケツ状態で落ちそうな姿勢。よくそんなとこでゲームができるな。

 呆れた俺は机に伏せて寝始めていたが、声に起こされた。

 二人はゲームの手を止め、校庭で話すカップルに視線を向けていた。


「あれって、たける従姉いとこやんね。相変わらず美人だわあ」

「ああ、迦楼羅かるら姉な。そうや美人や」


 俺も校庭に視線を落とし、悪友どもに自慢気に返事した。

 そう、自慢の従姉だ。


 俺の席は窓側で校庭がいつでも見通せ、息抜きにはぴったりの場所だ。授業に飽きると校庭を見遣りボーと眺めて過ごせるいい場所。見慣れた景色に、今日はあるモノがえた。

 美人の従姉ねえちゃん。


 相変わらずの綺麗さに、息を飲む。

 その上、彼女は派手な名前として有名で、悪友が先ほど述べた通り『迦楼羅』というキラキラ名前ネーム。この名の由来は迦楼羅かるら姉ちゃんの家の寺の所為だ。

 寺の子と言うだけで名前が叔父さんの好きな、神仏名だ、可哀想に。


 ふうぅうん。ッ!


 俺は従姉を敬うとは一転、ケッと吐き気をもよ押した。吐き気はやがて溜息へと変わる。


(ああ、本当にいいな、姉ちゃんは綺麗で、端整な佇まいに俺は──)


 俺の溜息は、熱い吐息に近かった。一人の悪友が俺の息遣いを冷やかした。

 コイツを今から悪友Aと呼ぼう。

 Aは俺を見るや、顔を引き攣らせてきやがった。


「おいおい、何、エロい声出してんだよ! まさか発情か?」

「ハア?」

「まあ分かんなくはない。お前の従姉の姿は欲情する。細いが出るところは出てボンキュキュという感じやもんな。で、何想像したんや?」


 スマホゲームを中断したAは持ち前の長い腕を俺の首根っこに絡めた。「おりゃ」と喚くと同時に俺の首を絞め上げた。

 俺は首を絞められつつも、視線は校庭から離れなかった。

 そう、悪友の言う通り欲情しているのだ、迦楼羅姉ちゃんに。それも単なる欲情ではない相当な欲情なんだわこれが。


(でも、もう姉ちゃんなんて馴れ馴れしくは出来んやんなぁ)


 俺は考え更けると共に心も暗くしたんだ。

 俺はAの腕を口に当て、溜息をついた。ゆっくり吐く息に、悪友は驚き気持ち悪がった。


「おいい、今度は溜息だな。キモいな何だよお前は腕を離せ! ヨダレ!」

「あっすまん。思うことがあって」

「あぁああ、拭くなよ。バッチイな、なんなのよお前」


 Aは俺の頭を叩き、ようやく腕を首から離した。そりゃあ、涎を垂らされれば誰もが離れるわな。


「見れば芍薬だっけ? 本当に綺麗な上にあの細身。そそるわ」

「プッ、『立てば芍薬』な。聞いているのが俺らで良かったわ。ハズゥ」

「ええ、少し間違えただけやん」

「まあねぇ、でもなぁあ後ろの女子やそこな眼鏡には笑われるやろなぁ」


 コイツは悪友Bとしよう。

 Bは俺の言うことに照れ、周囲を見た。くすくすと後ろの女子は笑っている。俺は悪友曰く恥ずかしくなって目を逸らした。視線を落とした先には芍薬の花がたおやかに笑う。


  立てば芍薬 座れば牡丹

        歩く姿は百合の花


 迦楼羅姉はそれこそ相応しくいい女だと俺は思う。いや、Bも思うからぽそっと口にしたのだ。誰もがたぶん、思うていたのだろう。

 俺は、そんな芍薬を手折り、散らしたのだ。

 大輪に咲く綺麗で艶やかな芍薬、歩く姿は本当に百合のような高嶺の花を——。

 艶めかしく映る姿を俺は飽きもせず、眺めた。

 唾を呑むとともに襟元のボタンを外し、ぶら下がるネクタイをさらに弛めた。Aが俺の喉元に視線を置いた。


「あれ、お前首筋にそんな傷あったか? 爪で引っ掻いたよう、おおっ? どこの女よ?」

「ゲスイ言い方すなや」


 俺はAの言うことを否定するように突っぱねたが、内心この傷は消えないでほしいと思った。

 首に残る爪痕、これは確かに女の爪痕で、俺には二度と手に入らない「代物」だから。

 俺は首筋に残る爪痕を優しく撫で、カッターシャツのボタンを留めず、ネクタイをつめた。

 そうこの傷は……

   ─── 先日のことだ。


 家に帰ると姉ちゃんが俺の部屋にいた。ベッドの上で漫画を読んでいる姿は実にそそられた。

 俺の喉は自然にゴクリと唾音を鳴らした。姉ちゃんは俺のワイシャツに身をやつす。髪からは水滴を垂らし、肩にタオルをかけては時折、胸の谷間を晒す。

 下は俺のボクサーパンツ。丸みを帯びた美味しそうな尻に綺麗な脚がすらりと伸びている。

 訳がわかんねー。

 俺はあまりの衝撃に脳が裂け、「どうも」と一礼して部屋を去ろうとした。


「健、健。ここはあなたの部屋、私がお邪魔」


 姉ちゃんに引き留められ、我に返る。

 そうやん俺んち、俺の部屋やん。では姉ちゃんは?

 姉ちゃんに事情を聞くと母と菓子作りの最中で小麦粉をばら撒き、全身を粉にまみらせて仕方なしにシャワーを浴びたとのことだ。だからって何も俺の服を着なくても、おまけに下着まで。

 つうか、姉ちゃんの家はすぐ横じゃないか!


「母ちゃんは?」

「おばさん、私を置いて旅行にいっちゃった。作ったケーキを持って」


 姉ちゃんのぼやきを聞いて思い出した。旅行の日程を零す、母の小言を。


 ああ、言ってたわ。今日や言うてた。

 旅行に持ってく菓子がどうとか、どうしようって。

 だからって、何も……


 こんなあわれない姿の姉ちゃんを置いていく母にも苛立つが、半分は感謝。

 グラビアおあつらえ向きの姉ちゃんの姿を、拝められるとは……。

 実を言うと俺は、姉ちゃんに恋慕している。

 姉ちゃんはたぶん気が付いてはいないだろう。

 だってコイツ、人の気も知らずに彼氏が出来ると嬉しそうに俺に報告をするんだ。

 俺はコイツにとってたぶん『弟』なんだ。

 半分嬉しく半分切ないが我慢するしかない。と、ずっと腹くくっていたのに、眼の前にある心挫かれる景色。いやでも、今までにもあった事だ。慣れてるはず。我慢、我慢。

 俺は制服を脱ぎ、私服に着替えることにした。


 冷静沈着、不動お不動烈火の如し、動かざること山の如し、寿限無寿限無後光の……。


 雑念を祓うべく色々な言霊が頭を過る。

 俺が着替えたら出て行けばいい話、それまでは喰わばらクワバラ。

 姉ちゃんは人の気も知らず、俺のベッドで漫画を読み漁り、ページをめくる音と笑い声をさせていた。

 迦楼羅。煩悩を喰らう霊鳥として信仰されているが、俺にとっては煩悩そのものだ。


 はあ、勘弁してほしいなぁ、俺も一応男やで?


 着替え終え、出て行こうとする俺の背に柔らかい弾力がぶつかった。


「ねえ、健。これ続きがないよ?」


 俺に寄り縋る姉ちゃんは、平然と胸を押しつけてきた。

 途端、何かが弾けた。


「ごめん。姉ちゃん」

「?」

「もう限界……」


 俺は不思議がる姉ちゃんを、押し倒した。ベッドの上に……。

 同意も合意もない。無理やり重ねた肌は愉悦を誘う。俺には理性の欠片も、道徳の欠片もなく、ただ背徳だけが微かにあった。

 姉ちゃんは抵抗を見せ、俺の首筋に猫のように爪を立てる。俺の首から赤い鮮血が、姉ちゃんの白い柔肌に舞い落ち、綺麗に映える。

 俺にはそれが牡丹のように見え、欲望を掻き立たせる。


(狡いよ、姉ちゃん。白い肌に花を浮かすなんて、摘み取れと言われてようでそそる)


 怯える姉ちゃんの瞳は綺麗で、震えた唇も可愛くて……。

 タガが外れた。


 俺はもの心ついた時から姉ちゃんが好きだった。愛していた。でも姉ちゃんは違った。俺の前で彼氏の紹介を平然とするし、俺には見せない笑顔をあんな奴に見せていた。彼氏の自慢を聞く度に俺は、他の女で気を紛らわせた。あわよくば他の女を好きになれると思っていた。何度も姉ちゃんと重ね抱いていたが、結局は俺の心は埋めることができず、ただ虚しいだけだった。お陰で女を悦ばすことには慣れてしまった。

 そんなものいらないのに……。

 ただ、俺が欲しいのは……。


「ごめん」


 謝罪の一言だけ告げてから、後のことは覚えていない。

 姉ちゃんの抵抗は最初だけだった気がする。

 許容されたのか、あるいは諦観なのか。肌を重ね合わす心地よさや充足感を、俺はこの先得られるだろうか。


 ──と。

 惚ける俺の頭は突然叩かれる。

 痛がる俺は、悪友二人を直視した。俺の頭を強く小突いたのはAだった。Aの顔がニヤつき、何かを察したように話し出す。


「おい、どうした。キモい笑顔だが、良いことでもあったか」

「まあ、良いこと言うたらそうやけど、教えられんわあ」


 俺の回答に、悪友A、Bは口を揃えて理由を尋ねた。

 俺の表情は何かに憂い、満足していたらしい。俺の手は首を撫でた。


 パシーン。


 空をつんざく響きが聞こえた。音の原因は校庭にいる姉ちゃんが、男を引っ叩いた音だった。開け放たれた窓から反響音が入ってきた。

 俺ら三人は驚くも、眼を合わせ笑った。男に同情するように。

 俺は視線を姉ちゃんに戻した。

 校庭から去って行く姉ちゃんと眼が合った気がした。


 気のせいやんなぁ?


「じゃあ、明日」

「じゃな、健また明日」

「うん、明日」


 放課後、悪友二人と別れ、帰宅をした。

 俺は耳にデカいヘッドフォンをはめ、音楽を聞きながら自転車置き場へ向かう。

 俺が自転車の鍵を外していると耳にあるヘッドフォンが無造作に外された。俺は咄嗟のことに驚き、転けた。自転車もガシャッと倒れた。


「痛ぇなあ、誰だよ」


 地べたに手を付き、眼に入る足を見遣る。上を覗き見る前に声が響いた。

 見知った声が耳をくすぐった。

 綺麗な百合を思わす澄んだ声を聞くなり、甘美な背徳に襲われた。


「藪から棒になんや、姉ちゃん」

「健。あんたの所為やかんね」

「はあ?」


 俺は転けた身体を起こし、姉ちゃんを睨んだ。睨まないと俺は背徳感に負ける。そんなことは在ってはいけない。

 あの記憶は良い思い出なんだから。

 良い思い出として終わらせたい。


「で、なんや姉ちゃん、俺耳痛いしケツも痛いねん」


 俺の一言に姉ちゃんは口を尖らせ謝った。俺にヘッドフォンフォンを渡すも離さない手があった。

 俺は訝しく迦楼羅を見た。頬が赤く、艶っぽい姉ちゃん。


「友達が言うには最近の私はっているらしく……」

「? なんや」

「だからここ最近告白が多いのもその所為だと、友達が」

「なんやねん。意味不やわ。自慢?」


 眼の前の姉ちゃんが子どもっぽく拗ね、潤んだ瞳で俺を見つめた。


「あんなことされたのに、気になって、気になって。なのに、健はあの後全然姿見せへんし、来るのは関係ない男子ばっかり」


 姉ちゃんの口調はいつもより荒く、俺には可愛く感じるものの、吐かれる言葉はとげとげしい。

 非道い言われようだが、興味なければ単なる男子だよな、確かに。

 ん? 興味……?


「なあ、俺のことが忘れられヘンの」


 姉ちゃんは耳まで赤くなり、ヘッドフォンを持つ手が震えていた。


「あんな目に合わせた」


 姉ちゃんはピクッと反応した。


「しかも処ジョ」

「ああぁぁああああ、あかんてぇこんなとこで!」


 俺は叫び照れる姉ちゃんの口を、強引に塞いだ。


「俺、独占欲すごいよ」

「え!?」

「年下だし」

「一つ……」

「従兄弟だよ」

「関係ないよ」


 俺は微笑み、迦楼羅姉ちゃんを強く抱きしめた。


 立てば芍薬 座れば牡丹歩く姿は百合の花。

 手折ったはずの芍薬が、俺の腕で再び大輪を咲かせた。


 



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