希望を生み出す妖怪

海沈生物

第1話

 この世は絶望に溢れている。貧困、差別、紛争、憎悪、エトセトラ。しかし、物事とは解釈によって「絶望」にも「希望」にも成り得るのだ。あまりにも一元的すぎる解釈がこの世を苦しみの底に沈めているのだ。そこで、私は考えた。世界の人々の思想を「希望」に満ちたものにすれば、貧困も差別もなくなるのではないか。

 様々な伝承・口承を探っていくこと、早90年。既に身体にもガタが来て、たった一人の家族からも「これ以上は身体に障る」「どこで野垂れ死するか分からない」と𠮟られたが、それでも捜索を続けていた。

 そして真冬のある日、ついに私は東北の辺境にて一匹の妖怪と出会った。あらゆる記録に名前がなく、同時にあらゆる時代において世界の移り変わりを見守ってきたとの口承だけが残る妖怪。夢か現か分からないようなその存在には名前がなかった。本人が「名前とか忘れちゃったなぁ」と言ったので、とりあえずここでは定番の「ナナシ」と呼ぶことに決めた。


 ナナシは特殊な能力を持っている。それは「人々へ希望に満ちた思想を伝える」というものだ。これを使えば私の九十年越しの野望がついに叶う。そこで自分の人生について全てを彼に話してしまうと、どうにかその能力を使ってくれないかと頼む。

 しかし、この世に対価なき交渉など存在しない。ナナシが要求してきたのは、私の実在性であった。妖怪というのは今時の人間にはもう見ることができず、会えるのは言葉も交わせぬ動物ばかり。彼らは人型のナナシを見ればすぐに驚き逃げてしまう。そこで、私である。


 実在性を失った人間は不老不死になる。それは「神隠しに遭う」ことと同意義であり、家族には心配をかけてしまうことだろう。加えて、不老不死になってしまえば、同じ妖怪や類似した存在である神からしかその存在を認知されなくなる。それを彼は「実在性の喪失」と評しており、その条件の厳しさが故に、今まで会って来た人間からはことごとく断られたそうだ。

 しかし、私にとってはちょうどいい。どうせ老い先短い身であるし、家族に対しての遺言書も残してある。今更、何を恐れることがあろうか。

 私がその交渉に対して「いいよ」と応えると、ナナシは両手を持って私を抱きしめ、「ほ、本当にいいの!?」と耳が割れそうなほどのビックボイスを吐き出した。その声に頭を軽く縦に振る。


 ナナシは私の隣へやってくると、額に手を当て、頭の中から黒っぽい塊を引き出した。次の瞬間、私が二十代の頃の若さを取り戻すと共に、世界に虹色の雨が降ってきた。そんなアニメとかゲームのラストバトル演出みたいなことが起きるんだなと思っていると、やがて世界中が希望に満ちた。

 具体的には全員が笑顔になり、争うための道具は放棄され、武器商人はボコボコにされ、平和な市民たちによって桃の中に封じられた。川を流れていく桃を見ながら、川の先で洗濯をする人間を見た。


「あれは……」


「あの桃はね、いずれ桃太郎となって鬼を退治する予定のものだよ。まっ、今の世界だと討伐するような鬼はいないし、ただ桃の中で幼児に戻ってて、また一から育てられて終わりだよ」


「ナナシは……そういう勧善懲悪が好きなのかい?」


「か、勧善懲悪ではないんじゃないかなぁ? 武器商人が桃になるのは、ただのシステムだよ。出雲大社で大昔に行われた会議で決まっただけ。最初は目新しいかもしれないけど、慣れてきたらつまんないよ。本当、絶望のない世界って退屈だよねぇ」


 醒めた目でそんなことを言ってはいるものの、当の本人はコタツでぬくぬくと蜜柑を食べながら、サブスクの配信サイトで新作映画を見ている。これだけ娯楽漬けの妖怪にだけは「退屈」なんて言葉、言われたくなさすぎる。妖怪の癖に権威もクソもない。ただのダメ妖怪である。


 それでも、彼のおかげで世界が希望に満ちたことは事実である。どうせ今更老人に戻ることもできないので、仕方なく、このダメ妖怪との同棲生活をはじめた。

 しかしこの妖怪、全てに対して悠長すぎる気がある。「蜜柑を取ってくれ」と言ってきたので家の隅にあるものを持ってきてやったのに、結局食べない。そのまま一か月ぐらい机の上に放置した末、腐り白くなって机にへばりついたものを皮も剥かずに食べてしまう。


 また、そんな食生活から察することができるが、料理の方も壊滅的である。一度近くの山の神様から山菜を分けてもらったことがあり、調理を頼んだ。ちょうどその時は別の神様の元へ挨拶に行く用事があったので調理を頼んだが、家に帰ってくると、家共々が黒焦げになっていた。軽い山火事になりかけて大事になったが、結局、人間たちの手によって消化がなされた。結局、森が復活するまでの数百年もの間、隣の神の土地の端にある家で暮らすこととなった。

 ただ、それよりも驚いたのが性事情である。さすがに上位存在ともなると生殖行為なんてしないのかと思ったが、そうでもない。気まぐれに私が寝ている時などに服を脱がすと、勝手に人の肉体の性別を変えたり自身に性器を生やして、ぺこぺこと腰を振りはじめる。

 最初はあまり気持ちよくなかったのだが、段々と繰り返していく内に上手くなってきて、今では攻めでも受けでもそれなりにできるようになった。その成長を見守り性の相方を努めてきた人間としては誇らしいが、それでも、その努力を別の方向に活かせなかったのかというのは思ってしまう。


 ちなみに、子どもは生まれないのでそこは安心してほしい。そもそも私もナナシも実在性がないに等しいので、子どもという実在性のある存在が生まれることはない。これが神相手なら、何かとあらゆる行為で子どもが生まれがちらしいが、日本神話的に。


 そんな日々が続いていたある日の事だ。二人で市販のカップラーメンをすすっていると、突然、外から大きな物音が聞こえてきた。一体何がやってきたのかと思って窓の向こうを見ると、外に巨大な円盤型の船がいくつかあった。


「えっと……宇宙戦争でもはじまるのかい?」


「さ、さぁねぇ? 私はただの妖怪だし、宇宙のことには詳しくなくて」


「でも希望を操れるのだろう? だったら、何か……上手くできないのか?」


「上手くって、あいつらを殺せってこと? 無理無理。私はあくまでも実在性のない存在だから、あくまでも操ることができるのは、人間の集団的無意識だけ。そんな心があるのかないのか分からない宇宙人の心なんて操れるわけがないよ」


 静かな絶望だ。下にいる人々は笑顔で楽しく生きているというのに、私の手は決して届かない。実在性のない肉体というものを憎んだのはこれが初めてだった。


「人々を絶望させて、どうにか逃がすことはできないの?」


「無理だよ。私は人間の実在性を対価にして、世界に影響を与えている。そのバランスをキミが崩しちゃったんだから、もう一度絶望を取り戻すためには、また新たに私の元へ祈りに来る人間がいないと」


 どうにもならない絶滅に打ちひしがれる。私たち神や妖怪の世界の側には、こんなにも豊かな感情ぜつぼうが存在するのに。一方の希望だけに満ちた世界の方では、笑顔という形だけが残っていて、その他は何もなかった。私の祈りが、世界をこんな酷い展開に向かわせたのだ。

 自分の行いに絶望していると、ナナシは私の目に視線を合わせてきた。


「解釈を変えれば簡単に世界は変えられるし、世界はどこまでも希望に満ちたものになる。……でもね、あまりにも希望が多すぎると、それは"滅び"すらも希望であると容認されてしまうんだよ。これで十分に分かったでしょ? そろそろ、帰ってあげて」


 ナナシは懐から黒っぽい塊を出してきた。あまりにも遠い昔のことすぎてその早退をいまいち思い出せなかったが、やがてこの世界が変わる直前に引き出されたものであることを思い出す。ナナシは微笑み、小さく手を振る。私の「あっ」とも「えっ」とも声が出せないままでいると、その塊は脳の中に吸い込まれていく。それと同時に激痛が走ってきて、気を失った。


 目が覚めると、私は老人の身体に戻っていた。あの山の中ではなく藁葺き屋根の家の中に寝かされており、そこには朝餉を食べる老婆がいた。久しぶりの感覚になんだか頭痛を感じていると、ほっほっと笑う。


「ほれほれおじいさん、私は先に川へ洗濯に行きますからねぇ。おじいさんもご飯を食べたら、芝刈りへと行ってくだされ」


 あぁそうだった。私は自分の正体を思い出す。私はそんな妄執を持った老人ではない。桃太郎として生まれ、鬼を倒し、そして良い奥さんをもらって。その末に、こんな郊外で暮らしているだけの"おじいさん"なのだ。

 あれは夢だったのが、現だったのか。それとも、私の解釈の果てにあるものだったのか。その答えが分からないまま、今日も芝刈りへと向かう。

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