日常の魔女 イブ


 

 4限目の終わりを知らせるチャイムの音が学校中に鳴り響きました。チョークを走らせていた田辺先生の動きがピタッと止まると、終業を呼びかける声が1年B組内に呼びかけられます。今日の日直である松井さんが号令を行い、昼休みを迎えました。


 前から数えて4列目、窓際から数えて3列目という何とも言えないポジションの席に座る唯舞いぶは、クラスメイトのガヤガヤとした雑談の声に合わせて「ふぅ」と息を吐きました。世界史の教科書と板書したノート、そしてもう1冊のノートの端を揃えて机の中にスッと入れました。


 ちょうどそこで唯舞は快活な声色にて呼びかけられました。


「唯舞〜!」


 唯舞の前の席の男子生徒は昼休みに入ると同時に食堂へと行ってしまいました。その空席にドカッと腰を下ろしたのは、唯舞の幼なじみである飯田いいだ さくらでした。


 桜は席に座るや否や、唯舞に対して両手を合わせました。


「……何?」

「お願いっ! さっきの世界史の授業の板書見せて!」


 大方予想通りの内容だったものですから、唯舞はその目を細めました。


「桜、寝てたよね。さっきの時間」

「しょうがないじゃ〜ん! 陸上が朝練だったからさ? 4時間目にクるんだよね睡魔が〜」

「……夜に早く寝たらいい」

「ネトフリ ドラマ」

「理由になってない。 ……ほらこれ。明日返して」


 母が作った卵焼き(ちりめんじゃこ入り)をかじりながら、唯舞は机の中のノートをぶっきらぼうに渡しました。


「さすが唯舞様! 知恵のリンゴを食べただけのことはあるね!」

「面白くない。それ」

「美術館を迷った方?」

「それもいいから」

「えへへ〜」


 ニヤけるように笑った桜は、パラパラとノートをめくりました。すると桜の表情が目に見えるように変わります。


「……どしたの? 別に読める字でしょ」

「ん? んー、わたし的にはもうちょっとオチを考えた方がいいと思うけどな〜」

「……オチ? ――あ!」


 あまりにも重大すぎる事態に気付いてしまった唯舞は、思わずガタンと椅子を鳴らして勢いよく立ち上がりました。目にも止まらぬ速さで桜が読むノートを奪い取ります。


「めっちゃ焦るじゃん」

「う、うるさい!」


 周りを見ると何人かのクラスメイトがこちらに視線を向けていることに気がつきました。唯舞の顔がカァっと赤らみます。


 その様子を見て桜がニヨニヨとした表情で囁くように言いました。


「相変わらず自作小説ですか。『黒猫ノワールの夢散歩』だっけ?」

「こ、ここでは言わないでよ!」

「ごめん、ごめん。マック奢るから許してって」

「……次からは気付いても勝手に読まないで」


 不機嫌な表情を浮かべながら唯舞はふりかけ(のりたま)がかかったご飯を口の中に頬張りました。


 唯舞の趣味の1つは小説を書くことでした。お風呂を上がった後の時間、通学中、板書がメインの授業時間などにスマホや小説専用ノートに書いているのです。


 しかしながらそれは唯舞が隠している秘密でした。周りに絵を描いているクラスメイトは居ましたが、小説を書いている生徒はいませんでした。引っ込み思案な性格も相まって、公言することが出来なかったのです。


 なお高校2年生になる現在、唯舞が書いている小説『黒猫ノワールの夢散歩』は、人の夢の中に入ることができる黒猫のノワールが、色んな人の夢の中に入り冒険するという現代ファンタジー小説でした。web小説サイトに掲載しており、数件のブックマークをもらったりしています。


 そんな秘密の小説は唯一、幼なじみの桜には知られていました。血迷った唯舞が小説を見せた時があったのです。


「はい、これ!」


 今度はしっかりと世界史のノートを確認した後に唯舞はノートを桜に渡しました。近いうちに小説ノートを目立つ色に変えたことは言うまでもありません。




※※※※※





 桜が陸上部に所属している一方で、唯舞は帰宅部でした。しかし授業が終わってもすぐには下校しません。普段は部活終わりの桜と合流して2人で帰っているのです。


 桜の部活が終わるまでの2時間程度の時間を、唯舞は図書室にて小説を書くか宿題をするかで過ごします。今日は前者の方でした。世界史の時間にノートへと書いた小説を、スマートフォンへと打ちます。それが終わり次第、スマートフォンにて小説の続きを書き記していました。


「ファイト! オ〜! ファイトオ〜ファイトオ〜!」


 2階の図書室からはグラウンドを一望することができました。陸上部、サッカー部、野球部が練習に励んでいます。ひと段落するところまで夢散歩(唯舞の自作小説『黒猫ノワールの夢散歩』の略称)を書き終え、彼らが部活をする姿をボーッと眺めていた唯舞でしたが、そこにある光景を目にしたのです。唯舞にとっては何とも興味深い光景でした。


 図書室という空間でしたが、思わず口に出してしまいます。


「あれって桜と……北見くん?」


 ちょうどグラウンドを出たところには校舎の外周道があります。そこで発見した桜の姿を見て唯舞の口元が思わず吊り上がりました。


「へぇ……」


 まるで三日月のような形をした口元は「魔女のようだ」と言われても仕方のないほどに不気味なものだと、唯舞本人は全く気がついていません。




※※※※※




「ねぇ桜。一つ訊きたい」

「ん? どしたの?」


 唯舞は、バンズ2倍とピクルス抜きのオプションを加えたダブチを口一杯に頬張っていた桜へと唐突に声をかけました。


「C組の北見くんのこと、好き?」

「ん!? ……ゴホッゴホッ!!!」


 単刀直入に唯舞が尋ねると、目に見えて桜の表情が変わりました。危うく口の中のものをぶち撒けてテーブルの上が地獄絵図に変わってしまいそうになりましたが、寸のところで桜はこらえました。


 何回か咳こんだ後に桜は大きな声で言いました。


「な、何のこと!?」

「やっぱり図星。分かりやすい」

「クッ…………あぁぁぁ〜〜〜〜〜」


 まあまあの声量にて桜は項垂うなだれましたが、それほど大きな問題ではありません。唯舞と桜が訪れたマックは立地上の問題で客の多くはドライブスルーがメインでした。ゆえに2F席の端っこを陣取る彼女たちでしたが、周りの席には誰も座っていません。ここは適当に雑談をしたい彼女たちが集まる穴場なのです。


 どこか悔しそうな声で桜が言います。


「な、何で知ってるの? わたしそーゆーのって結構隠してる方だったんだけどさぁ〜」


 程よく溶けてきたシェイク(バニラ味)を吸った唯舞が淡々と答えました。


「……図書室から、桜が北見くんと話をしているの観えたから。すごい楽しそうに喋ってた」

「そういうことかぁ〜」


 再び項垂れた桜はダブチと同時にもらった水入りの紙コップを一気に飲み干しました。そして、唯舞の小説を指摘したときのように小声で話すのです。


「唯舞! この際知られちゃったことは仕方ないから、折り入ってお願いがあるの!」

「……どしたの藪から棒に」

「そのさぁ、唯舞の“力”を使って……その……わたしと北見くんの距離を近づけて欲しいっていうか……」

「…………」


 歯切れが悪く言葉を紡ぐ桜は、普段の桜らしくありませんでした。それは表情からもうかがえます。申し訳なさそうに唯舞のことを見ているのです。


 そして、なぜ桜がこのような態度をとっているのか唯舞には容易に察することが出来たのです。それは決して幼なじみゆえの以心伝心ではありません。桜が口にした“力”という言葉のことです。




 そう、唯舞は――




「桜。悪いけど、私のは使わない」




 ――魔女なのですから。




 唯舞には先天的に持っている能力がありました。それは他人の心の中の声を聴くことが出来るというものです。


 その方法は心を読み取りたい対象の目を5秒間見るだけなのですからとても簡単です。たったそれだけで唯舞は他人がひた隠しにする秘密も、本音も、本性も何もかもを理解できてしまうのです。


 しかし、唯舞はこの魔法をほとんどの場合使おうとはしませんでした。たとえそれが大好きな幼なじみからの頼みでも、です。


 唯舞に断られた桜は、その表情に笑みを浮かべました。


「……そっか。ごめんね、唯舞。ちょっとズルしようとしちゃった」


 柄にもなく謝罪の言葉を口にする桜を見て、唯舞の中で一つの感情が膨れ上がります……罪悪感です。


 唯舞はシェイクを吸い切った後に、出来る限り淡々と答えました。


「……別に、桜のためにならないからなんてそういう思いやりで断ったわけじゃない。桜が北見くんのことが好きならほんとに付き合って欲しいと思うし、私に出来ることなら何でもしたい……とか、そう思う」

「うん」


 桜は全く茶化すことなくただただ頷きました。


「これは、私の問題なの。無闇に魔法を使いたくないっていう私の問題。 ……もし簡単に魔法を使っちゃったら、きっと私は桜に嫌われてしまうから」

「……え。ど、どうして?」


 当然のようにそう訊き返した桜に対して、唯舞はずっと胸の内に秘めていた思いをポロポロとこぼすように伝えます。


「もし私が普段から魔法を使っていたら、私が魔法を使えると知っている人はきっと、“もしかして魔法を使ったのかな”なんて疑うと思うの。そしたらね? たぶん私の周りからは人が居なくなる。 ……それが、私は嫌」


 唯舞はストローに付いていた紙製のカバーをくしゃっと丸めました。


「私は、私の“日常”が好き。学校に行って、小説を書いて、幼なじみと他愛のない話をする日常が好き。魔法なんて非日常が無い日常が、好き」


 唯舞はけっこう大きな勇気と共にその言葉を口にしました。内気な少女、唯舞が幼なじみにだけ語ることが出来る精一杯でした。


 唯舞はまともに桜の顔を見ることが出来ませんでした。曲がりなりにも唯舞は魔女です。普通の人間とは少し異なる自覚がありました。ですから唯舞の本音が否定されることはつまり、唯舞が“非日常”であることを突きつけられることに相違ないと考えたのです。


 永遠とほど近い数秒が過ぎた後に桜は口を開きました。


「……唯舞」


 おそるおそる唯舞は顔を上げました。そこに居たのは……満面の笑みの桜です。


「ありがと!」


 全てを認めてくれる幼なじみしんゆうの笑みに、唯舞は極めて日常的と言えるささやかな幸せを覚えたのです。決して魔法では叶えることが出来ないささやかな幸せです。




 ――魔女矢平やだいら 唯舞いぶが送った日常の1ページでした。

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生きとし生ける魔女たち より。 しんば りょう @redo

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