愛はカツ!
奥森 蛍
愛はカツ!
油弾けるカツの艶やかなこと。揚がるのを待つ間、口に放りこんだ時のあの何ともいえない感動を思い返しそのたびに僕は夢心地になる。小さなころからカツが好き。小さなカッチャンはカツが好き。
昔から家族行きつけのトンカツ屋『カツキチ』には僕の大好きな『スーパー六色カツ定食』があった。一枚の大きなロースカツにスタンダードのソースと五色の変わりダレがついているというまるで王様気分を味わえる至高の料理だ。スタンダードのゴマソース、梅ソース、海苔ダレ、和風味噌、ブルーベリーソース、そして玉ねぎソース。
盛大に十切れ乗った大きなカツをそれぞれのたれにつけながら夢心地で食べる、これが何よりの幸せだった。
注文して家族で座敷でそわそわ待っているとお手伝いをしている幼馴染の仁美ちゃんがトレーを運んできた。丸い小さな両手にはしっかりと六色カツのトレーを掲げている。
「カッチャンお待ちどうさま」
仁美ちゃんがトレーを置く。トレーは机をすべり六色カツは僕の元へ。
ここからが勝負。はしゃぎたい気持ちを押さえて冷静になる。
カツを目前に考えるのは右から食べるか、左から食べるか。そうだ、趣向を凝らして今日は真ん中から食べよう。
箸をそうっと伸ばし、切り分けた一番大きなロースカツをつかむ。まず最初が肝心だ。すりおろしゴマの豊潤なソースにひとくぐりさせて口に運ぶと切に味わう。噛みしめるたびに
「うんまい!」
僕の声が和の古びた店中に響き渡る。幼馴染の仁美ちゃんはとても嬉しそうに笑っていた。
「お父ちゃんのカツは最高よ。今度は梅ソースで食べて」
言葉もなくうなづいて、今度は梅の果肉を切り交ぜたソースをのせる。今日も美味なこと。食欲をそそり、かつ上品な味わいがする。含まれた塩味がはやる気持ちを落ち着かせてくれた。
次の大事な一切れは海苔ダレへ。磯の味わいにまた心が和む。抜群の安定感だ。なにより信頼している。
そして和に続く和もいいと今度が味噌カツを選択した。味噌だれの上に薄く刻んだネギを振り、口へ悠々と運ぶ。まるで皿から皿へカツの空中遊泳だ。溢れだす感動は止まらず、次はブルーベリーソース。途端、純真なカツが気取った洋風のおしゃれ料理になる。
そして、最後の玉ねぎソースにくぐらせたとき最上の感動に心が打ち震えた。
「最高じゃん! カツ超最高じゃん!」
「カッチャンすごいよ、六色カツみんな制覇したじゃん」
「うん、今日も制覇だよ。オレ毎日食べたい」
目をランランさせて無心で頬張っていると仁美ちゃんの背後におじさんが立っていた。
「うちの子になればいつでも食べられるよ」
「おじさん、オレなるよ!」
鼻息荒くしていると一緒に席についていた両親が笑う。
「ヤスノリ、お婿に行くか?」
「オレ行くよ、絶対行く。将来はカツ屋さんになる!」
すると嬉しそうに仁美ちゃんが頬を綻ばせる。
「結婚する、こんなに美味しそうにカツ食べる人見たこと無いもん。わたしもカッチャンと絶対結婚する!」
八歳にして誓った結婚の誓い、カツとの結婚の誓い。それは仁美ちゃんとの結婚の誓いでもあった。
仁美ちゃんとは小・中学校とずっと同じクラスで、したがって小学校の間は給食も一緒だった。同じ班になったこともたびたびある。だから給食でカツが出たときなど、彼女は率先してこういってくれた。
「私のも食べていいよ」
みんながカツをむさぼる中、彼女だけは僕に情を示し、カツを恵んでくれた。そのカツを噛みしめながら困ったもんだなとも思う。僕の中にはもしかするとカツへの愛情イコール仁美ちゃんへの愛情が蓄積されて、約束した将来への道筋をたどっていったのかもしれなかった。
中学になると給食がなくなり弁当になった。すると仁美ちゃんは毎日タッパーにカツをたくさん詰めてきて、
「お店で余ったの持ってきたから食べてくれる? お父さんがカッチャンにあげるなら持って行っていいよ、っていうから」ときた。
カツはタッパーごと預かり、僕はバスケ部だったのだが部活終わりにそれを毎日食べた。エネルギーチャージの意味合いもあったのだが、ほとんどは嗜好品。テンションぶち上げで幸せいっぱいに頬張っていた。
ただ、思春期特有の悩みというか、このころから周囲に仁美ちゃんとカツとの関係をからかわれるようになり僕も若干気まずいものを感じていた。
「よう、お前らまた夫婦でカツ食ってんのか?」
「カップル、カップル、カツップル!」
次第に僕らの関係は食傷気味になり、無言でタッパーを渡す日々になり。仁美ちゃんは変わらず愛情豊だったが僕はそれを示せなかった。僕の目前に横たわるのは男女という気まずさだ。そして卒業を控えた秋の日、とうとう僕はいってしまったのだ。
「もうさ、カツいらねえから」
「えっ……」
あの時の仁美ちゃんの悲しそうな顔は忘れられない。なんと恩知らずをしたのだろう。
成長とともに家族での外食も減り、カツキチへの足も遠のいた。高校は仁美ちゃんと別の学校に進学した。それゆえカツもほとんど食べることがなくなり、僕はみるみる痩せてイケメンになった。ちょっぴり自慢するが彼女も出来て順風満帆。仁美ちゃんのことも六色カツのことも忘却の彼方だった。
が、再会の時は訪れる。初めてのデートで気を抜いて僕はうっかり仁美ちゃんちのカツキチに入ったのだ。それが間違いだった。カツ繋がりの気まずさから仁美ちゃんに会いたくなかったので別の所にしようといったのだが彼女がどうしてもカツが食べたいという。入店するとやはり仁美ちゃんがいた。
「いらっしゃいませー」
頭に三角巾を巻いた仁美ちゃんは店の給仕をしていて忙しいことも手伝い、はじめは僕にはまったく気づいていなかった。久しぶりに見る仁美ちゃんはますます太って店の女将さんに間違えそうなほど貫禄があった。指も変わらず丸い。あっけにとられ見つめていると注文を取りに来た時ふと目が合った。
「アレ? もしかしてカッチャン? カッチャンじゃない? うわぁ、久しぶり!」
バンバンと肩を叩かれ気まずくて僕は思わず目を反らす。
「知り合いなの?」
華奢な彼女は少し引いていた。
「小中学校のクラスメイト」
仕方なく僕は答える。
「あんまり男前になってたから分からなかったわ」
「なんでカッチャンなの?」
彼女が不思議そうに聞く。当然の疑問である。そう僕の名前はヤスノリ、一字もかすりはしていない。
「カツが好きだからみんなにカッチャンて呼ばれてたの。カツ好きカッチャンって」
「へえー」
何の感動も含まぬ声で彼女が相槌をうつ。
「注文いい?」
こんなに気まずいことがあるものか。早く離れて欲しくてメニューを持つ。
「どうぞ」
「私、梅カツ定食」
「と、ヒレカツ定食」
「梅カツとヒレカツね」
メモを取って離れると思いきややっぱり声をかけてきた。
「前は六色カツが好きだったのにヒレで本当にいいの? 脂身ないよ」
ジーザス! なんということだろう。とんでもない爆弾を落としていきやがった。世のイケメンは脂身を好まない!(と偏見だが) さっさと目の前から消えてくれという思いをこめて「お客さん来たよ」と伝えた。仁美ちゃんは何も言わぬまま来店客の所へと向かった。
色々と気持ちの整理をしなくてはいけないが、懐かしの六色カツを頼めなかったのは完全に僕のわだかまりだ。それは分かっている。カツに対しても仁美ちゃんに対しても失礼で。でもそれを認める度量は高校生の僕にはなかった。
――うん、今日も制覇だよ。オレ毎日食べたい!
あの日の感動は鳴りを潜めたまま、僕は店を出る。
帰り際、会計を済ませると仁美ちゃんがぺったんこの顔で「また来てね!」と器用にウインクをした。
「あの子超ブスだったねー」
彼女が空に向けて高笑いを放つ。否定はすまい、と思う。
「てか脂身好きとか超デブじゃん」
「っるせー」
「美味しかったしまた来たい」
「二度と来ねえよ」
僕の言葉通り二度と彼女と訪れることはなかった。彼女の浮気が原因で僕たちは程なく別れたからだ。その後何人かと付き合ったがイマイチしっくりこず、恋愛自体が向いていないのだと思うようになり高校三年になると受験もあるからと女の子と付き合うこと自体を放棄した。
大学は地元の国立に進学した。入ってびっくり同じ学部に仁美ちゃんがいた。これは運命か。以前よりは少しほっそりとしていたがやっぱり太く、でも化粧をしていて何だかあか抜けていた。
「あれえ、カッチャンじゃない! すっごい、こんなとこで会うとは思わなかったわ」
知り合いがいなかったことも手伝い彼女とはすぐ親密になった。一緒に課題をこなしたり、グループワークで組んだり。男女の関係ではなかったけれど、これは親密な友情だと思う。そういうものがあってもいい。なにより屈託なく笑う彼女の人柄が好きだ。あの日から変わらないんだな、そんなことも思う。そして彼女はやっぱり僕が好き。カツを大好きだったあの日の僕が好き。
それから三年間、彼女からは一方的なカツのアプローチを受け続けた。油物だけにしつこくむつこいアプローチだったと思う。
ある日、僕はカツキチに呼び出されて特別接待を受けた。
「カッチャンはウチのカツ好き?」
「うん、美味しいよ」
口に運ぶのは六色カツ。彼女は勝負下着ならぬ、勝負料理と思っているのか。こうなればもう思春期特有の照れも恥じらいもない。食いたいものはどうどうと食えばいい。
「ウチに永久就職する気ない?」
「ぶふっ!」
視線を送ると向かいに座る彼女は真剣だ。
「お父ちゃん気合入れて今日の六色カツ作ったのよ」
「……うん、美味しい」
「私、結婚するならずっと前からカッチャンって決めてた」
とうとう、この瞬間が来たかと思った。
「……」
「私はカッチャンとこの先も美味しいカツ作っていきたい」
「幸せな家庭作りたいとかじゃないんだ」
「うん、美味しいカツ作れたらそれでいい」
思わず笑ってしまう。仁美ちゃんはカツが好きなのか、カツが好きな僕が好きなのか。梅ソースをくぐらせながらじっと彼女のくりりとした目を見つめ頬張る。返事をせずにもう一切れ。今度は海苔ダレ。迷っているのか。こんな幸せがあるのに迷っているというのか。
空の皿を見つめ僕はこれまでに食べてきた数えきれないカツを思い返した。彼女と育んだ思い出の数々を。箸を置き、真剣に。やっぱりこう答えざるを得ないだろう。
「……分かりました」
「嬉しい! そうだと思った」
素直に喜ぶ彼女をなんというかまあ、可愛らしい人だなとも思う。彼女は何より愛に溢れたひとなのだ。きっとこんな朗らかなひとといると僕の将来は安泰だろう。一生幸せ、幸い永遠のカツもある。
こうして僕らは大学卒業後、結婚した。彼女の親父さんに弟子入りして料理の『り』の字も知らなかった僕は徹底してその技術を基本から学んだ。
その後、店を継ぎ晴れて店主になった。今では子供も三人出来て夫婦円満な生活を送る。毎日毎日カツを揚げては訪れる客にふるまう日々。幸せの二文字はきっと揚げ油の中にあったのだろう。
三十五歳の若輩者が小生意気に人生訓を言わせてもらうと「愛はカツ」ということだ。
愛はカツ! 奥森 蛍 @whiterabbits
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