お笑いコメディ殺人事件

澁澤 初飴

第1話


「どうもー、雨野あまのです」

有栖ありすです」

「2人合わせてアマリリスでーす」

「名前だけでも覚えて帰ってくださいねー」


 背の高い男と、ひょろりとした男がマイクの前で声を張る。

 ぱらぱら、とまばらな拍手が起こる。

 それでも、君のためにも頑張らなくては。


「そういえば僕、この前ものすごくお腹痛くなりまして」

「雨野くん貧乏ですからね。拾い食いでもしたんじゃないの」

「拾い食いでは僕お腹壊しませんよ。どのくらいまでなら大丈夫か、もう完璧にわかってますから。有栖くんもこの前の弁当大丈夫だっただろ。あれ僕が集めてきたんですよ」

「拾い物で弁当!僕唐揚げもらってしまいましたよ!」

「な、あのくらい熟成されたところがうまいんですよ」

「うわ、ベテランの発言だな。じゃなんでそんな雨野くんがお腹痛くしたんです」

「それが、僕の美人の彼女が、手料理振る舞ってくれまして」

「ああ、こいつの彼女、本当に美人なんですよ。いいな、ただの食い過ぎか」

「それが、こう。出された瞬間から、僕こう」

「死にそうな顔ですね」

「そこで死ななかったから地獄を見る羽目になりまして」


 そこで有栖が、死んでた方が良かったんかい、と雨野を叩くことになっていた。しかしその言葉も、手も続かない。忘れたのか、と雨野は苛々しながら隣を見た。ようやく俺の拾い食いと彼女のまずい飯ネタで少しは受けるようになってきたのに。


「有栖くん、君どうしたの」

 有栖が腹を抱え、青い顔をしている。

「まるで彼女の手料理食べた僕じゃないか」

 本当にそうなんじゃないのか、と雨野はちらりと思い、心が冷える気がした。

 こいつは絶対俺の彼女に気がある。もしかしたらもう手を出している。

「舞台の間くらいトイレ我慢してくださいよ」

「雨野……」

 有栖は苦しそうに体を折りながら雨野を見上げ、そのまま倒れた。雨野は呆気にとられた。

「有栖くん、迫真の演技だな、本当に死にそうだ」

 客席も何事かとぼんやりしている。

 有栖が倒れたまま吐き出した。体がそのたびに痙攣する。雨野は初めてそこでただごとではないと思った。

「きゃあああ!」

 客席の女性の悲鳴がスイッチだったように、会場はパニックになった。


 有栖の死因は毒物による中毒死だった。


 毒は、有栖が使っていた紙コップにも残っていたので、飲み物に入れられたものと思われる。しかし、有栖のカバンに入っていた飲み残しのペットボトルには、毒は入っていなかった。毒は紙コップに注いだ飲み物に入れられたのだ。


 同じ楽屋を使っていた芸人は他にも何組かいたが、当然最初に疑われたのは、相方で一番近くに座っていた雨野だ。

「知らない、俺じゃない!」

 しかし警察は最近雨野が恋人を巡って有栖と諍いを起こしたことを知っていた。だが、ケンカの場での俺の恋人に手を出したら殺すからな、なんて言葉を殺害予告だとか言われても困る。


 そんなことはあっても大切な相方だ。有栖は明るくて素直で、雨野にはない華やかさがあった。雨野の書くネタも面白いと言ってくれた。得難い相方だった。ケンカすることはあっても、他の相方なんて考えられなかった。殺すだなんて。


 その日、雨野と有栖は楽屋として用意された部屋で顔を合わせ、いつものようにネタ合わせや雑談をして出番までの時間を過ごした。

 楽屋のいくつか並べられた長机には差し入れのペットボトルやお菓子が置いてあり、雨野も有栖ももらって飲んだり食べたりした。

 雨野はペットボトルの飲み物は、飲み残しをもらって帰るために、紙コップを使って必要な分だけ飲むことにしている。有栖もそうだった。

 紙コップは用意してあったものを使った。他の芸人も使っていた。紙コップに毒が塗られていたのだとすれば、誰かを狙ったのではなく、無差別殺人ではないだろうか。


 そこで雨野ははっとした。

 そうだ。俺、有栖と紙コップを入れ替えた。


 雨野はぞっとした。もちろん毒入りとわかってやった訳ではない。有栖が手にしたペットボトルが結露していたから。


 有栖はお腹を冷やしやすいタイプだった。飲み物も冷えたものより常温のものを選んで飲んでいた。

 今日もそのつもりでペットボトルを取ったのだろうが、常温のものに混ざって冷えたものが置いてあったのだ。有栖が何かで席を立った時、雨野はふとそれに気付いた。

 お互いまだ紙コップに口をつけていないし、同じ銘柄のお茶だったから、有栖がお腹を冷やさないようにと思って。


 黙り込んだ雨野に警察が怒鳴り出す前に、ある隠しカメラの存在が明らかになった。


 それは、このあと楽屋を使う予定になっていたテレビでも人気の若手芸人のドッキリを撮影するため、仕掛けられたものだった。画角の確認のため何となく撮影されていた映像に、雨野と有栖の一部始終が映っていた。


 それで事件は解決した。

 毒を入れたのは有栖本人だった。


 有栖は自分の紙コップにこっそり毒を入れ、雨野がネタ合わせ後に修正部分をノートに書き込んでいる隙に、紙コップをすり替えていた。

 雨野は全くそれに気付かず、有栖が誰かに呼ばれて席を立った後、有栖のペットボトルをしげしげと見、自分のペットボトルを見て、まずはペットボトルを入れ替え、次いで紙コップを入れ替えていた。

理由は雨野が言った通りだろう。

 有栖はじきに戻ってきて、2人で少し何か話し、紙コップの飲み物を飲み干して楽屋を出て行った。


 毒の入っていたビンは有栖のカバンからすぐに見つかった。中に付着していた成分も一致した。


 有栖は雨野を殺し損ねて死んだのだ。


 雨野は呆然として警察署を出た。

 夢の中を歩くようにして帰ると、彼女が荷物をまとめていた。玄関の扉を開けたまま、雨野は立ち尽くした。


 彼女は雨野を見て凍りついたように手を止めた。

「どうしてあなたが帰ってくるの」


 雨野が意味が理解できずにぼんやりしていると、彼女は突然パソコンのネットニュースを見せた。


 そこには、底辺芸人アマリリスの「じゃない方」、中毒で死亡か、と書かれていた。


 底辺芸人、じゃない方。どちらも厳しい言葉だが、それで彼女は俺のことだと思ったのだろうか。ネタは俺が書いているのに。彼女は俺の一番のファンなのだと思っていたのに。


 彼女がまとめていたのは雨野の荷物だった。ゴミ袋に無造作に突っ込んである。

 確かに住むところも維持できず、彼女の住まいに転がり込んだのは雨野だ。叩き出されても文句は言えない。しかし、このニュースを見て、彼女が早速そんな行動に出るなんて。


「死んだのは有栖だよ」

 雨野がぼんやりと告げると、彼女の顔が蒼白になった。

「何で、そんな」

 雨野はカッとなり、怒鳴った。

「やっぱり有栖とできてたのか。有栖がそうしろって言ったんだな!」


 彼女はゴミ袋を雨野に投げつけた。

「ネタを書くとか言ってろくにバイトもしない、いつまでも売れもしない、お笑い芸人なのに面白いことをひとつも言わないあなたなんか、もううんざりなのよ!」

 いつも優しく微笑んで支えてくれた彼女の変貌に、雨野は唖然とした。


「お取り込み中、失礼しますよ」

 立ち尽くす雨野を押し退け、男性が数人玄関に入ってきた。

「誰よ!」

 激昂したままの彼女が喚く。彼らは警察手帳と紙を見せた。

「お笑い芸人の殺人と殺人教唆の件になるのかな、まあそんなことで、署でお話を伺いたくて」

「それは、有栖の自殺……みたいなことになって」

 何の行き違いがあったのかと雨野が慌てて説明すると、警察は違います、と彼女を見た。

「あなたではなく、あちらの女性ですよ」

 雨野はまさか、と呟いた。

「有栖さんの持っていた毒を用意したのは彼女です。こんなやり取りが残っていて」

 携帯電話の画面を印刷したものを見せられる。


 ——彼、最近元気がなくて、辛そうなの。

 ——そうなんだ。でも俺、あいつに勘違いされてるみたいだから、今はちょっと相談に乗れないよ。後輩の女の子を紹介するから、その子に相談してみたらどうかな。

 ——お願い、よく効く薬を持ってきたの。明日、彼の飲み物にこっそり混ぜて。彼を元気にしてあげたいの。あなたにしか頼めないから。


 彼女が大きな目をつりあげて、肩で息をしている。

「君が俺を殺そうとしたのか」

 雨野は掠れた声で呟いた。有栖は何でもない、ただの最高の相方だった。


 彼女が連れられていく。雨野は何か言葉をかけたくて後を追ったが、彼女がパトカーに着いても、何も言えなかった。

「……無言で固まるって最低よ。あなた、やっぱり才能ないわ」

 彼女が映画の悪女のような完璧な笑みを浮かべ、颯爽と去っていく。雨野は立ち尽くした。


 お笑い芸人が舞台を去るオチとして、最高なのか最低なのか。

 最後の最後にカメラのフラッシュとインタビューマイクを降るように浴びることができた。全く望まない形で。


 雨野は田舎に帰ることにした。舞台のような華やかな場所は雨野には向かない。


 それでもきっと、全て終わってそっちに行ったら笑い話にしてみせるよ、有栖。

 コメディはこれからだ。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お笑いコメディ殺人事件 澁澤 初飴 @azbora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ