枯れた初恋

御角

枯れた初恋

 それは麗かな日差しが心地よい春の日。満開の桜並木の下で、うっとりと花吹雪に見とれる彼女に、私は初めて恋をした。花びらにそっと触れるその姿は可憐で、儚くて、とても愛らしくて。私は思わず話しかけてしまった。

「ねぇ、遅刻、しちゃうよ?」

 それが彼女と交わした初めての言葉だった。

「本当だ。早く行かなきゃね」

彼女はそう言うと私の手を優しく握った。

「一緒に、行こうよ。ね?」

 その仕草があまりにも可愛くて、心臓を撫でられているようにくすぐったくて、私はただ頷くことしか出来なかった。


 それが入学式の唯一の思い出だ。3年間同じクラスだった私達は、昼休みも、放課後も、休日もいつも一緒だった。それだけで十分すぎるほど幸せだった。

 だから、彼女に好きな人が出来たと聞いた時、私は「ばちが当たった」と思った。

「3年間クラス一緒の……わかるかな? 佐川君。実は1年生の時からずっと気にはなってて」

「うん」

「この前委員会で遅くなりそうな時に手伝ってくれて」

「うん」

「そこから段々話とかもするようになって……優しいし、かっこいいし、一緒にいると楽しいし、これってさ」

「うん」

「好き……ってことだよね?」

「……うん」

 上手く答えられたか自信がない。きっと私の声は震えていたに違いない。3年間一緒で、話もして、一緒にいると楽しくて、でも私はせいぜい彼女の親友にしかなれない。その事実が今更になって身にしみた。でも、いや、だからこそ、親友として彼女の助けになりたい。自分なりに彼女を幸せにしてあげたいと思った。

「きっとさ、相手も好きなんじゃないかな。だって、そうじゃなきゃわざわざ自分の時間削って委員会に付き合ったりしないよ」

「そう?」

「話だって……向こうから話しかけてくるんでしょ? それって相手が一緒にいたいって思ってる証拠だよ」

「そうかな?」

「そうだよ! だから……」

 告白、しちゃいなよ。そう言おうとした。ちゃんと言うと、背中を押すと決めたのに、言葉が喉につっかえて息が出来ない。心臓が握り潰されそうなほど痛い。自分がこの状況でも、まだ彼女への気持ちを捨てられていないことに心底腹が立った。

「そう……だよね」

 彼女は何かを決心したように立ち上がる。

 待って。行かないで。

「決めた! 私、佐川君にこの気持ち、ちゃんと伝えてみる」

 私を、おいて行かないで。

「話したら何かスッキリしたよ、ありがとう!」

 じゃあね、マイベストフレンド。その去り際の台詞が、潰れかけの心に重くのしかかった。


 私は、最後の最後まで彼女の親友でいられるのだろうか。同窓会で久々に再会するというのに、未だに私の喉には何か得体の知れないものが詰まっている。

 重い足取りで会場の前まで来ると、皆もう中に入ってしまったようだ。人一人いない入場口に、散り掛けの桜がひらひらと舞っている。地面を埋め尽くす萎びた花弁。踏みつけられ、泥にまみれ、最後は色を失う。私もいつかは……。

「ねぇ、遅刻、しちゃうよ?」

 鈴の音のように透き通った声。昔呆れるほど聞き慣れたその声に思わず振り返る。

 少し大人びた雰囲気で、美しさに磨きがかかっていたがその面影はあの頃のまま。私の好きだった彼女のままだ。

「久しぶり、元気だった?」

 かろうじて出た言葉に、彼女はいつものように微笑む。

「勿論! あ、そうだ。あなたにまず、一番に報告したいことがあったの。これ」

 そう言うと彼女は一枚の紙を差し出した。

「実はね、覚えてる? 佐川君。同級生の……その、彼と今度、結婚することになって」

 紙をそっと広げると、様々な文字列が目に入る。式場や日程、出席、欠席、結婚のご報告……。そうか、彼女は、幸せになったのか。滲む。文字が、景色が、積もり積もった後悔が。

「それで、一番の親友だし、キューピッドだし、あなたを招待したいと思って……え、ちょっと何で!? 何で泣いてるの?」

 招待状をぎゅっと握りしめる。我慢しようとしても涙が、思いが溢れてしまう。

「ごめん……あんまり嬉しくて、つい」

「まぁ確かに年取ると涙腺弱くなるよねー。私もこの間恋愛映画でガチ泣きしたもん」


 違う、違うよ。私のはそんな純粋なものじゃない。これはきっと、5年越しの、失恋の涙だ。

「おめでとう。本当に、おめでとう」

「へへ……ありがとう!」

 つられて涙ぐむ彼女の目を、私は真っ直ぐ見ることが出来なかった。


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