姫はピエロで笑わない

辺理可付加

姫はピエロで笑わない

 カスティーリャ王国出身のペトロ・ペドロ、本名ガルシ・ペドロ・デ・トレドは若いながら欧州一のピエロだ。

始まりは六つの頃に人買いに売られ、流れ着いたフランス王国のサーカス団で客寄せのパントマイムをさせられた程度の話だった。

しかし才能があった彼はあれよあれよと人気を博すと、まずはフランスの宮廷道化師に、それからたくさんの国や貴族の元へ請われては出向く、欧州を股に掛けた有名人にまで上り詰めたのである。


そんなペドロは今、ナポリにあるお屋敷に来ていた。



「さて、ペドロ君。君を呼んだのは他でもない。欧州一のピエロたる君に頼みたいことがあるからだ」

「何なりと」


ペドロを呼んだ張本人、貴族のガリバルディ伯は窓の外を見た。美しいナポリ湾が広がっている。


「私の兄夫妻が流行り病で亡くなって半年になるのだが、それ以来遺児であるアレッタが一度も笑わないのだ。精神的ショックだろう。それでこのナポリの別荘で療養させているのだが、現状それすらも甲斐無い」

「それで私の出番というわけですな?」

「そうだ。姪っ子の笑顔を取り戻してくれ。あれは笑うと本当に清らかな微笑みで、草原を撫でる微風そよかぜのようにクスクスと鳴るのだ」


ペドロは一旦下がると、衣装に着替えて化粧を施す。白塗りに眉毛はくっきり、真っ赤な鼻と唇に青いアイシャドウ、そして最後に涙のマーク。教科書通りのピエロだ。

ペドロは意気揚々とアレッタの部屋に向かった。誰も見ていなくてもピエロらしいおどけた動きを忘れない。



 コンコンコン、とノックをすると、


「どうぞ」


と綺麗な声が返ってきたので、ペドロは扉を少しだけ開いて隙間からニュルンと入るように登場した。

いきなり変な動きでピエロが現れたものだから、アレッタ嬢はポカンとしていた。齢は十の後半といったところか。確かにこの歳で両親を失っては心の傷も深いだろう。

ペドロは彼女のために十八番、『蜂の巣を突いた庭師』を始めた。可哀想な少女のために気合いを入れ、クライマックスの「ズボンに蜂が入ってしまって尻を刺される」シーンなんかもいつもより大仰にやってみせた。

よし、俺の人生でも指折りの出来だな、一通り終えたペドロは自画自賛しながらアレッタにお辞儀をしたが、


彼女はクスリともしない、どころかこっちを見てすらいなかった。窓の外の海を見ている。


「おぅ……」


ペドロが思わずため息を漏らすとアレッタは美しい所作でこちらに向き直り、静かながら意思のある声で告げた。


「私はピエロでは笑いません」


その日からペドロのプライドをかけた戦いの日々が始まった。



 ある日は二番人気の『金持ちと盗人』を。

ある日は最近始めたがなかなか好評の『漁師兄弟』を。

ある日はここに来てから新たに作った『ワインのコルクが抜けない男』を。

ある日は、ある日は、ある日は……。

しかし一度としてアレッタが笑うことはなかった。



「成果が上がらんようだな」


一月ひとつきも経てば次第にガリバルディ伯にも冷たい視線を向けられるようになり、万策尽きてきたペドロは今日もしょんぼりアレッタの部屋に向かった。

 彼がいつもの様に部屋にお邪魔すると、そこには椅子が一つ置かれていた。アレッタは優雅な所作で椅子を指す。


「本日の芸は結構です。お座りになって下さい」


いつもは全く笑わないながらもアレッタがペドロの芸を拒否すること自体は無かった。予想外の展開にペドロが戸惑っていると彼女は念を押すように続けた。


「お話しましょう」


ペドロはおずおずと椅子に座った。



「あなたは何故ピエロをしているのですか?」


アレッタは静かにペドロを見据える。


「オイラは……」

「虚飾は取り払いませんか?」


アレッタの瞳が真っ直ぐペドロを貫く。彼は少女が何を求めているのか理解した。


「……俺は、六つの頃に妹と一緒に人買いに売られて、その後バラバラに別の所へ売られて、そこでピエロをやらされたから……。それだけだ」

「そうですか」

「でも才能があったみたいでな。メキメキ腕を上げて一角ひとかどのピエロになった。カスティーリャからフランスに流された小僧が、こうしてナポリでお姫様と身の上話出来るくらいには」

「それはよろしかったですね」

「どうかな。確かに俺は世界に出たかった。それは他所に売られた妹を見つけたかったからさ。その為ならピエロをすることが自分は売られた、誰からも愛されていないことの象徴だとしても我慢出来たんだ。それが近道なら。しかし、だ」

「……」

「妹は既に死んじまってた。売られた環境が悪過ぎてすぐに肺をやっちまったらしい。墓すらなくて、再開出来たのは死んだ時のベッドだけだ」


ペドロは、ガルシ・ペドロ・デ・トレドは頭を抱えた。


「『何故ピエロをしているのですか』か……、何でだろうな。もうとっくに世界に出て、妹見つけて、全部無駄だったのにな。なんでこんな負の象徴みてぇなこと続けてんだろうな。分かんねぇよ。アンタが改まって聞くからアイデンティティの危機だ。何してくれる」


ペドロが力無くアレッタを見据えると、彼女はゆっくり息を吸った。


「私も、アイデンティティの危機、なのでしょうね」

「どういうこったい」

「私は父と母が大好きでした。しかし箱入りゆえに他にこれといって好むものも求めることも知らず、両親と家だけがこの世の全てでした」


アレッタは少し開いていた窓を全開にした。海風がふわりと流れる。


「しかしその両親を失い、家も自分では背負うべくもない……。叔父に家督を継いでもらってから、本当にもう何も、私の人生には残っていないのです。どう生きたものか、どうするべきか。私には分からないのです」


遠く、水平線より遠くを見るようなアレッタに、ペドロは時に王すら皮肉ることを許された宮廷道化師の経験からなる、独特の言葉を伝えたくなった。


「そりゃそうさ。せっかく親も家も無くなっちまって今こそ身一つの自由になったチャンスで心が引き籠もってるお嬢様にゃ、太陽と月と毛ジラミしか会いに来てくれないぜ。俺だって売られても腐らずに妹探しを目標に頑張ったんだ。あんたも襟を正して心を開いて、おっと、混ぜこぜにして襟を開くなよ? 男として我慢が出来なくなる。さておき今窓を開けたみたいに、新しい風を呼び込みに行かないとなぁ」

「心が、引き籠もっている……」

「笑わないってのはそういうことだ」


それから二人は、今度は他愛の無い会話をずっと続けた。そしてその日からペドロは芸を披露しなくなり、ピエロの格好もせずひたすらアレッタと話をし続ける日々になった。



 ナポリに来て二月ふたつき目になろうかという頃、ペドロはガリバルディ伯に呼び出された。


「貴様! 一流のピエロとして呼んだのにあれを笑わせられないばかりか、最近は芸をせずお喋りばかりだと聞いたぞ! 金を払って呼んでいるのに何をしに来たのだ! 貴様はもう今日限りだ! いいな!」


ペドロはクビになってしまった。

彼は最後のお別れに、もう一度ピエロの衣装と化粧をしてアレッタの部屋に向かった。



「どうぞ」

「ハァイお姫様」

「あら」

「オイラは今日限りでクビになっちまったんでな! 最後に笑わせに来たぜ!」

「まぁ!」


そしてペドロは会心の新作『ピエロと笑わない姫』を披露した。笑わない姫を笑わせようと四苦八苦するも上手く行かない滑稽なピエロの姿を描いた、彼の最高傑作だ。

渾身の力で走り回り、踊り、すっ転び、跳ね回るペドロだったが、一通り芸が終わってもやっぱりアレッタはニコリともしなかった。

そんな様子を見てペドロは肩で息をしながら呟いた。


「オイラの、負けだな……」

「えぇ」

「オイラは、いや、俺は、遂にアンタを笑わせることが出来なかった。ピエロとして完全敗北だ」

「その通りです」


容赦無いアレッタ。ペドロは鼻から大きく息を吸うと、高らかに宣言した。


「よしっ! 吹っ切れた! 俺はピエロなのに人を笑わせられなかった能ナシだ! というわけで本日をもってペトロ・ペドロは廃業とする!」

「なんと」

「ありがとうなアレッタ。アンタのおかげだぜ。俺は、やっと自分の苦しみの象徴から解き放たれるんだ。アンタと話して、アンタが笑わなかったから決めれたんだ」

「それはようございましたが、これから如何いかがなさるのですか?」

「そうさなぁ、俺はもう愛してくれる者がいない独り者。身軽に何処へでも……。まずはピエロとして呼ばれたことの無いヴェネツィアにでも行ってみるかな」

「素晴らしい考えかと」


すると今度は、アレッタがペドロをじっと見据えた。


「貴方は、私が『ピエロでは笑わない』と言ったのを覚えていますか?」

「おうとも、ありゃ参ったぜ」

「私がピエロで笑わないのは、その化粧です」


アレッタはペドロの涙を指差した。


「これか?」

「ピエロは己の滑稽さを人に馬鹿にして笑ってもらうもの。しかし表では笑顔で振る舞っても、その裏で傷つき泣いているからそのような化粧を施すのです」

「お嬢ちゃん、そりゃ釈迦に説法ってもんだぜ」

「だから私はピエロでは笑わないのです。泣いている彼を傷付けて笑いたくなどないから。苦しみを背負ってピエロをやっている貴方を、笑うことなど出来ないから」

「!」

「もしよろしければ、私もヴェネツィアに連れて行って下さいませんか? 貴方に言われた通り、新しい風を捕まえに行きたいのです。貴方という新しい風に乗って。もちろんタダとは言いません。貴方に、愛してくれる者が誰もいないというのは間違いだと教えて差し上げましょう」

「! どうしてそこまで!」


アレッタはペドロの手を取った。


「私はとても嬉しいのです。貴方は私の人生を開かせてくれた。だから私も貴方を過去から解き放ってあげたかった。そして今、貴方は涙を流すピエロは止めると言った。それがこの上なく嬉しいのです」


その時、ペドロの目から化粧ではない涙が流れ、頬を伝った。


「あら、涙の化粧が滲んで落ちてしまいましたわ」


姫は初めて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姫はピエロで笑わない 辺理可付加 @chitose1129

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ