3万円拾ったんだけど

fujimiya(藤宮彩貴)

注意一秒

 金曜日の会社帰り。競馬のPATに入金したくて、駅近くのATMコーナーに寄り道をした。


 ぼくは東京の高円寺に住んでいる普通のサラリーマンだ。趣味は競馬。彼女はいないけど、週末は競馬がぼくを待っている。だから不自由ではない。あ、強がりでもないよこれ。デートする時間とお金があったら、血統研究したいだけ。


 高円寺から東京競馬場までそれほど遠くはないものの、こういう時代なのでレースはもっぱら家で観ることに決めている。TVとネットと、前日に買う競馬新聞。それだけあれば不自由しない。

 何度も言うけど、強がってなんかないからね。

 でろんとした部屋着で、お菓子を食べながら、だらだら過ごすの最高。はー、快適快適。天気が良くても知らん。たまに宅配のお兄さんが来て、慌てるけど。


 ぼくは、ATMの自動ドアをくぐった。


「あ……お、おぉう」


 中は無人である。

 しきりに、いやな警告音が鳴っていた。見れば、取り出し口に現金が吐き出されている。ぱっと見、複数の諭吉がいるではないか。

 おいおい、誰か現金を引き出して、取り忘れて行ったんかい! どこぞのジジババか。ぼくは周囲を見渡した。ATMコーナーが面した通りには夕方の人通りがあるものの、ぼくのほうを振り返る人なんていない。


 どんなうっかりさんなんだ……


 そのままにしておけなくて、ぼくはなんとなく現金を引き出した。警告アラームがようやく止まった。ATMは一台しかないので、そうしないと次の動作に移れない。数えてみたら諭吉は三枚ある。3万円のシンデレラ、どちらにいらっしゃいますか? 


「ふざけている場合じゃない」


 ぼくは3万円を手にしてしまった。なんとなく、ジャケットのポケットに入れてしまった。3万あったらなにができるかなと、ぼんやり思いつつ。


 とりあえず、3万円はおいといて、自分の操作を全うする。明日明後日の軍資金をPATに入金。これをしておかないと週末競馬が楽しめない。

 ……よし、OK。いつもの金曜日の仕事、完了。あとはコンビニに寄って競馬新聞を買おう。贔屓にしている記者の印をチェックしないと。


 努めて、ぼくは普通の思考をしようと、がんばった。でも、だめだった。


 ぼくのポケットの中には、3万円がある。


 本来、あっていいものではない。

 これはぼくが正当に働いて得たお金じゃない。そう考えると、ポケットが、じわじわと、とてもつなく重くなったように感じた。

 大金のようにも思うけど、使おうと思ったらすぐに消えそうな泡沫の金額なわけで。

 不本意に、不当に得たという印象が拭えない。


 そして、重大なことに気がついた。


「監視カメラとか、あるよね……!」


 思わず、声に出して呟いていた。

 これ、なんとなくポケットへインしていい案件ではなかった、と。


 現代は監視社会だ。

 ぼくが3万円をゲットした情報は、すでにどこかで記録されている。盗った、とも言える。

 さ……、3万円で、たったの3万円で、ぼくは犯罪者になってしまった。


 3万円でも、逮捕されたら罪を償わなければならないし、今の会社にだっていづらくなる。今の部屋にも住めなくなるかもしれない。今すぐではないにしても、いずれは結婚もしたいし、マイホームだって持ちたいのに。田舎の親も悲しむだろう。3万円で人生破滅、終了かよ?


 やばい


 やばいよこの案件! 忌まわしい、この3万円め。


 ぼくは心の中で叫んだ。

 いやだ。なんとなくの3万で終わるなんて冗談じゃない。壮大な野望なんて持っていないし、平穏で静かな日常が欲しい。波乱は競馬のレースだけでじゅうぶんだ。


 つーか、3万円取り忘れて行ったヤツ、あんたなに? って問い質したい。お金が必要だったんよね。なのに取り忘れていくとか、まじ笑止の極み。

 ぼくにこんな悩みを植えつけるなんて、どうかしてんの?? あ、引きだした現金を放置する時点でお察し案件かぁ……それともぼくは試されていたとか??? どっきりカメラ的な。そして誰かに嘲笑されているってオチ????


 ぼくは、駅前の交番に直行した。自宅とは逆方向、歩いてきた道を戻ることになるけれどそんなの構っていられなかった。この一時間のロスが人生のロスを防ぐことになる。早く、交番へ。両眼を開いて歯を食いしばって、大股で歩き出した。交番が恋しい。


 無事、3万円は預けることができた。


 ほっとした。

 なんとなく、って怖い。恐ろしい。常に思考を働かせないと。次は絶対にポケットなんかに入れないぞと誓う事件だった。


 ***


 翌日、いつものようにテレビで競馬番組を観ていると、レギュラーの競馬芸人が『3万円なくした話』をしていた。あれ、お前だったんかい! 拾った身にもなってみろ。笑えないぞ。まあ、なくしたほうも気が気でなかっただろうが。

 交番に届けた人、つまりぼくのことをやけに崇め奉っているので、この芸人を今後はちょっと応援してやろうかなという気持ちに包まれる週末の午後だった。


(了)











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3万円拾ったんだけど fujimiya(藤宮彩貴) @fujimiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ