最終話 そして道はまた重なり合う

「お姉ちゃん、中学の時に須田先輩と付き合ってたこと、あたしに教えてくれなかった」

 二十代の半ば、雛乃と菜々未は実家から離れてふたり暮らしをしていた。そして雛乃が後の夫となる理史と付き合い始めたとき、菜々未にそう言われたのだ。雛乃は意外な言葉に菜々未を見た。

「えっ……、なんで菜々ちゃんが知ってるのよ」

 驚きながら雛乃が答えると、菜々未は「昔、噂で聞きました」と取り澄ましたように言った。

「お姉ちゃんが中学で私と一緒になったのが嫌だったのは知ってるけど、彼氏まで秘密にされてるとは思いませんでした」

 つんけんした菜々未の言い方に、雛乃はしどろもどろとなった。

「いや……、別に嫌だったわけじゃなくてさぁ」

 だが、さすがに菜々未に鳴沢を取られそうだったからとは言えない。雛乃は「須田くんのことは私の黒歴史だったから……。結構すぐ別れちゃったし……」と言い訳をした。

「すぐってどれくらい?」

 意外そうな顔をして菜々未は聞いた。

「四か月半くらいかな」

 雛乃は指で付き合った期間を数えた。

「すぐ別れちゃったって言うのは……」

 菜々未の目が何かを捉えたように、雛乃には見えた。

「ホントは鳴沢先輩のことが好きだったから?」

 そう尋ねた菜々未の表情は女そのものだった。雛乃は(うわ、この子でもそんな顔するんだ!)と思った。しかし、自分の鳴沢に対する気持ちは須田にしか話したことはない。まさか菜々未が須田から聞くはずはない。

「それも噂……?」と尋ねる雛乃に菜々未は首を振った。

「それは何となく、見ててわかった」

 雛乃は冷や汗をかいた。と、同時に菜々未が鳴沢に対して持っている気持ちも理解した。鳴沢が菜々未を助けたのはもう何年も前だが、菜々未の中ではまだ過去のものになっていないのだ。それに反して、自分の鳴沢への気持ちはもう全くない。懐かしい中学時代の思い出だ。雛乃は菜々未に言った。

「そう。須田くんに告られて付き合ったんだけど、当時、本当は鳴沢が好きだったんだ。だから、すぐ別れちゃったの。あの頃は、須田くんのいいところをわかってなかったんだね」

 鳴沢が菜々未をどう思っていたのか、菜々未に言う方がいいのかどうか雛乃にはわからなかった。

「鳴沢はほかの子が好きだったの。……誰かは知らなかったけど」



 十数年も経ってから、鳴沢の消息がわかったときには本当に驚いた。菜々未の勤めている会社に鳴沢の履歴書が送られてきたという。電話越しに菜々未はかなり興奮していた。その気持は雛乃も同じだった。あの強盗事件の後、どうしているかいつも心配していたのだ。

 そして面接があった日の午後、菜々未はメッセージで「ほんとに鳴沢先輩だった! 元気そうだったよ。どうしよう、私明日から同僚なんですけど! 先輩って呼んだら変かな?」と送って来た。夜になってまた電話がかかってきて「なんかね! すっごく渋くなっててね!」と、まるでイチ推しのアイドルに会ったかのようだった。電話越しに聞く、鳴沢に再会した菜々未のはしゃぎようを雛乃は微笑ましく思った。菜々未から気になる男性についての話を聞くことはついぞ無かったからだ。

 さらに二週間もしないうちに、二人で雛乃の家まで遊びに来ると言う。雛乃は菜々未からの電話をスピーカーフォンで受けた。ちょうど授乳の時間だった。

「お姉ちゃんに会いたいって。どうする? お姉ちゃん、だいじょぶ?」

「何? アキちゃんがってこと?」

 彰之は七ヶ月前に生まれた雛乃の初子だ。

「それもあるけど……。えと、昔好きだった人が現れたらぐらってなっちゃわない?」

 雛乃の鳴沢に対する反応を今だに気にする菜々未の発想が乙女らしくて笑った。

「ははは。今ぐらっと来るのは眠気だけ。夜泣きでそんな余裕ないよ。母脳真っ最中で女性ホルモンないし」

 無心にミルクを吸う彰之の顔を見ながら雛乃は言った。

「そうそう。だから俺もほったらかしだし」と雛乃の隣で食事中だった理史が電話に向かって声を掛けた。

「えっ、理史さん居たんだ! ごめんなさい! こんな話して」

 菜々未は慌てて言った。

「こんな話も何も遊びに来たら顔会わせなきゃなんないしねー」

 雛乃は理史に向かってにやにやと笑った。そうしながら、片手を伸ばして、理史の左腕をなでた。理史も軽く笑って、伸ばした雛乃の手の甲を右手で軽く叩いた。

「鳴沢はどうなの? 結婚してんの?」

 理史は食事を続けながら菜々未に聞いた。

「履歴書では独身でした」と菜々未は答えた。そして、「あっ、個人情報漏れ……。すみません、先輩」と早口で言った。

「彼女は? いるって?」

 今度は雛乃が聞いた。

「えっ、わかんないよ、そんなの」と菜々未は言ったが、「……まあ……、いないっぽいけど……」と続けた。

「じゃ、ぐらっと来るのは鳴沢じゃねえの?」

 理史が笑うと、雛乃がしーっと唇の前で指を立てた。そして声を出さずに「知らないの」とスマホを指差した。理史が肩をすくめながら指先で口を隠すと、電話の向こうで菜々未が「あっ、なんかコソコソやってる!」と抗議した。

 雛乃は笑いを噛み殺しながら、「来週、土曜日に来た時に教えてあげる」と言った。

「……ふーん……。お昼は買っていくから」

 話をそらされた菜々未の声は少し不服そうだった。

「うち汚いって言っといてね。睡眠時間を確保するためにほかのことはなおざりにしてるから」

 雛乃は赤ん坊の布団やおむつが積まれた部屋の中を眺めた。

「お姉ちゃんたちのことはなんて言う? サプライズにしとこうと思って、まだ『結婚して赤ちゃんが生まれた』ってしか言ってないんだけど」

「来ればわかるんだからサプライズにしておいて」

 雛乃は彰之の口元をガーゼで拭った。

「でも会ったらなんて説明しようか?」

 そう言って雛乃は理史を見た。

「『好感度ポイントが百万超えになったので結婚をゲットしました』」

 雛乃は笑い出した。理史と菜々未もつられて笑った。その笑い声は雛乃たちのマンションの廊下でも聞こえた。二人の家の表札には「須田」と書いてあった。




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もうひとつの再会 イカワ ミヒロ @ikamiro00

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