お隣さんの魔法使いと

秋空 脱兎

大爆発と逃走

 バイトを辞め、同時に大学が春休みに入って、かれこれ十五日が経った。

 一人暮らしを始めてからずっと顔を合せた事も無かったお隣さんとも知り合えて良かっ……良……いや……どうなんだろう?


「うーん……」


 新しいバイトの雇い主がそのお隣さんなので、良い事のはずなんだけど……。

 そんな事を考えながら伸びをして、やや遅めの朝食を作ろうと──

 

 ドガァァーーーン!


「うわーっ⁉」


 爆発音と共に部屋の壁が崩落し、何かが家に飛び込んできた。何かはテーブルに落下し、それを真っ二つに叩き割ってしまった。


「げっほげほ……嗚呼、いったァ痛いよぉ……」

「…………。何やってんスか璃々りりさん⁉」


 壁を破壊した何かは、匝瑳そうさ璃々りりという名の女性。職業は〝開業魔女〟だ。

 年齢不詳、精悍な顔立ち。身長は私より高く、百七十センチ後半はある。部屋着らしきシャツとズボンの上から黒に近い濃紺の白衣を羽織った、いつもの服装だ。


「ああ、おはよう少年。今日はバイトだったね。時間より少し速いけど」

「は、はあ……」


 最初に少年呼びされた時、私は生物学的にも女だって伝えたんだけどな……ていうかこちとらそろそろ成人扱いなんだぞ。


「……じゃなくて! 壁とテーブル! 何て事してくれるんですか⁉」

「ああごめんごめん直すから」


 璃々さんはそう言いながら下敷きにしたテーブルだった残骸から離れ、懐から魔法の杖代わりにしている指し棒を取り出して──へし折れてる、指し棒が。

 私と璃々さんは絶句し、指し棒と互いの顔を交互に見合わせ、


「まあ大丈夫なんだけどね」


 璃々さんが何事もなかったかのように折れた指し棒をテーブルと壁に向けて振った。


「ダイジョブなのかい」


 私がツッコミを入れる間に、真っ二つになったテーブルも、完全に破壊された壁も、少しの欠けもなく元に戻った。


「ヨシ!」

「いや『ヨシ!』じゃないんですよ、定期的に家を破壊される身にもなってくださいよ! これで四回目ですよ⁉」

「まあまあ、こうして毎回直しているだろう?」

「そうですけど……」

「コラァ! アンタ達だね!」


 続きを言いかけた瞬間、激しいノックと共に御年八十四歳の老婆もとい大家の怒号が外から聞こえてきた。

 

(ああほら、大家さん来ましたよ!)

(やべ、ここは居留守だ少年)

「居留守すんじゃないよ! さっきまで大声で話してたの聞こえてたんだからね!」

(何で聞こえてるの⁉)


 小声で話してるのに、このアパート防音性それなりに高いのに⁉


(ほう、地獄耳と来たか。やるではないか)

(言ってる場合ですか⁉)

「開けな! いい加減にしないとマスターキー使うよ!」

(OK、窓から逃げるぞ少年)


 いつの間にか靴を履いていた璃々さんが窓を静かに開ける。


(えぇ私もですか⁉ 二階ですよここ⁉)


 そう言いつつ押し入れにしまっていたスペアの靴を穿く。

 私達はすぐに窓から地上へ飛び降りた。幸いな事に、地面は芝生が生えてる上に柔らかかった。


「待ちな!」


 刹那、上から大家の怒号が降ってきた。

 見ると、私の部屋の窓から大家が顔を出していた。


「逃げるぞ少年!」

「ホント何でこうなるんですか!?」


 走り出したその直後、何かが落ちてくるような音が背後から聞こえた。璃々さんを追って曲がり角を右折してから背後をちらりと見る。

 大家が! 大家が地上に降り立っている! 窓から飛び降りたんだ!


「逃がさないよ」


 しかも何事もなかったかのように立ち上がり、数歩歩いてから走り出した! 何なんだこの老婆ひと!?


 焦燥感と恐怖に駆られ、必死になって璃々さんを追いかける。二手に分かれたら私は秒で狩られる、しかも先に。そんな確信があった。


「こっちだ少年!」


 璃々さんが叫び、家の塀に飛び乗り、勢いのままに屋根に飛び乗る。


「えぇ!?」


 いや、やらないとられる。大家に!


 璃々さんが飛び乗ったのと同じ塀の上によじ登り、雄叫びを上げながら屋根へ飛ぶ。軒先に手が届き、何とか屋根に上る事が出来た。

 屋根を走る璃々さんを追って私も走る。


「待ちな!!」


 大家の声が背後から聞こえた。

 ──え?


 見ると、大家が屋根に上っているではないか! えぇ何で!?


「地の果てまで追いかけるからね!」

「いや嘘でしょ!?」


 もう殆ど悲鳴な声を上げながら逃げる。誰か助けてくれ。


「あっはっはっは!」


 璃々さん笑いながらしれっと隣の家の屋根に飛び移ってるけどンな場合じゃないですよ!?


「くっ!」


 走る速度を上げて、璃々さんに追い付くべく同じ屋根に飛び乗る。

 同じ事を繰り返し三度、璃々さんが声を上げた。


「少年、川だ! 左手の方!」


 言われた方向を見ると、確かにアパートの近所を流れる川が見えた。いつの間にかそれなりに走っていたらしい。


「渡るぞっ、とうっ!」

「えぇっ⁉」


 言いながら、璃々さんが屋根から飛び降りた。慌てて後に続き、更に走る。背後から大家が迫り来る音が聞こえる。怖い。

 でも、川を渡るってどうやって──、飛んだ⁉ 立ち枯れしてるセイタカアワダチソウを引き抜いて箒代わりにした⁉


「え、えぇっ……」


 私は一瞬迷って、


「こ、こなくそーっ!」


 走って川に入り、深さが腰の辺りになった瞬間に泳ぎ始めた。クロール的な何かで死に物狂いで川を泳ぎ切った。服が、重い。

 大家さんは──


「どこまで行くんだい!」


 川の水面を走っていた。


「急げ少年!」

「────。はっ!」


 何とか我に返り、逃走を再開する。

 本当に地の果てまで追ってくる気だ、この老婆は。


 どうして私、璃々さんと逃げる選択を取ったんだろう。

 こうなったら、県境だろうが海の向こうだろうが走っていってやる!


 相反する思いを抱きながら、私は璃々さんと走り続ける。

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