うちの女神はやっぱり微笑まない

羽間慧

うちの女神はやっぱり微笑まない

 お笑いが好きだ。テスト勉強の合間に見ると、生き返った気がする。腹を抱えて笑った後で、暗記したはずの単語が全部消えてしまうけど。一日中、机に向き合っているよりは、十五分の息抜きを挟む方が集中力アップに繋がると思う。リズムネタに合わせて覚えた古典文法は、テスト中に頭が真っ白になっても記憶の復元ができるようになった。思い出し笑いという代償を払えば。


「ぶふぉっ!」

「先生。本間ほんまくんの体調が悪そうです」


 模試の時間中、俺は腹を抑えた。やばい、笑いが抑えられねぇ。

 後ろの席で俺の体調を案じてくれたのは、彼女の映美えみだった。


「本間、保健室まで付き添うぞ」


 教卓にいた先生が、心配そうに歩み寄ってくる。

 ただの思い出し笑いでテストを放棄したくない。俺は震える声で大丈夫ですと告げ、込み上げる笑いの波を沈めた。


 迫る騎士しか丸が、ツボに入っちまった。何だよ、しか丸って。ネーミングセンスのなさが、脇腹に刺さってくるだろうが。どんな騎士だよ。ふふふっ、く、あっはっは、はぁ~。


 俺は手の平をつねる。気を抜けばビッグウェーブに乗り上げそうだ。過去の助動詞「き」の活用表を思い出す語呂合わせが、自分の腹を苦しめることになろうとは。


 教室中の視線を集め、冷や汗をかいた。これは問題をさっさと解いて寝るしかない。さすがに夢の中で笑い転げるハプニングは起きないだろう。


 あーあ、どうして俺の笑いのツボは浅くなったんだろうな。


『映美を絶対に大爆笑させてやる。少女漫画以外のネタで。……俺だけ笑ってばかりいるの悪いしさ』


 一年前、そんな啖呵を切った自分を殴りたい。どんな面白動画を見せても、映美は失笑しか聞かせてくれない。年末特番の「笑い納めスペシャル」では、四時間のうち三分のみ微笑したようだった。同じ番組を見ていた俺は、年越しそばを吹き出して怒られていたというのに。それぐらい彼女の笑いのハードルは高すぎた。


 いつも無表情で。

 眉はぴくりとも動かなくて。

 淡い桃色の唇が、美しい輪郭を崩すことはない。

 

 今だって、映美の視線が怖い。絶対怒ってる……よな。この後の計画に支障が出ないといいけど。





 模試が終わった教室には、俺と映美しかいない。厳密に言えば真剣に自己採点をする映美と、彼女を見守る俺の構図だ。そろそろ模範解答ではなく彼氏を見つめてくれないかな。


「映美。見せたい動画があるんだけどさ、ちょっといい?」


 返事ではなく、ピキっという音が聞こえた。映美のシャーペンの芯が折れる音だ。


 わぁーい。教室には暖房がかかっているはずなのに、俺の周りだけ冷たいぞー?


 映美はふっと息をついた。


「そんな動画を発掘するから、祥くんの笑いのハードルが下がるのよ。少しは真面目にして。本番で失格になってもいいの?」

「妨害したつもりはないよ。でも、集中力を切らしたことについては、申し訳なく思ってる。一学期も二学期もやらかしているしね。笑い上戸がテスト中に発動して。せっかく映美と同じクラスになったのに、二年生は『すまんの本間』のイメージが、ついてしもーたし。ほんま、すんません。本間だけに」


 俺が一言だけおちゃらけると、映美は目を細めた。心なしか、まつげに霜が舞い降りているように見える。


「この動画だけは見てほしいんです。映美さま、お願いします!」


 ⏯️


「どうもー!」

「コットンキャンディー綿田です!」

「ちげーよ。それ、俺が言うやつ。お前は飴村だろ」

「まぁまぁ、綿田。もうすぐホワイトデーだね」

「俺はチョコなんてもらえなかったから、関係あらへん。お客さんもそうでしょ?うんうんって頷いてくれとる。義理チョコ、感謝チョコって世間はゆーてますけどね、もらえる男子は少ないですよ」

「くふぉう」

「何やクフ王みたいな笑い声出して。気色悪すぎやろ」

「綿田、実は僕……」

「神様は不公平や。相方がチョコもらっていたなんて信じられへん!」

「もらわなかったよ。おふくろからチリソースもらったけど」

「チョコじゃなくてチリソースって。『チ』しかおうてないやん。お前のおかん、何考えとるん?」

「まぁまぁ、そんなことよりホワイトデーのシュミレーションに付き合ってよ」

「いや、お前はお返しする相手おらんやん。チョコもらってないんやろ?」

「おふくろにはアボカドとトマト送ったしな」

「トルティーヤのソース作ってもらうんかい。おかんのプレゼント、どんだけ気に入っとるん」

「おふくろの話はいいの。気になってる女の子がいてさ」

「まさか、お前から渡したんか?」

「デパートの数量限定品。返事はホワイトデーに贈るもので察してくれって」

「なんやそれ」

「マシュマロは、あなたが嫌い。クッキーを渡されたら、友達止まりなんだ」

「フラれる確率が高すぎる。じゃあさ、お前がもらって嬉しいものって何?」

「キャラメルかな」

「そんな安上がりでいいんか?」

「いいの。だってキャラメルの意味は『あなたは安心できる』だから」

「思っていたよりガチ恋やないかっ!」


 ⏸


「これの、どこが、面白いの?」


 映美の口調には怒気が含まれていた。

 俺はめげない。こうなることは予想できていた。本当は笑いながら見てほしかったんだけどな。「クフ王みたいな笑い声」とか「チョコじゃなくてチリソース」のくだりとか。


「はい。バレンタインデーのお返し。去年はマシュマロをあげちゃったから、今回は意味を調べたよ」


 映美の手にキャラメル箱を乗せた。鬼気迫る表情だった彼女は、ふにゃあと頬をとろけさせる。


「ハッピーホワイトデーだにゃ」


 そこで噛むなよ、俺。言い慣れないセリフを言ったのがバレるじゃんか。

 俺が頭を抱えると、映美は顔を輝かせた。


「うちの彼氏が、かわゆすぎりゅううう!」


 どうなってんだ。うちの女神の笑いのツボは。真面目属性ではなくツンデレだったのか?


 俺の選んだ動画で爆笑してくれる日は、まだまだ遠そうだ。

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