第六館の殺人

kattern

第1話

「エントランスはどこだ?」


 古びた民宿の前で勝手くんが言った。


 僕たち角詠大学ミステリ研究部は夏休みを利用して東北を訪れた。

 和製ホラーを語る上で避けることのできない遠野を巡り、宮沢賢治ゆかりの花巻市で風情ある民宿をとる。明日は平泉かそれとも気仙沼かと談話室で語らったミス研部員六名の男女は、二人部屋にそれぞれ別れて早々に眠りについた。


 畳に染みついた煙草の香りが鼻につくぼろい宿だった。

 だからこそ、目覚めてすぐに僕は違和感を覚えた。


「……どこだここは?」


 気がつくと打ちっぱなしのコンクリートの上に僕は寝ていた。

 正面に見えるのは白塗りの扉。くすんだ銀色のレバーハンドルが眩しい。

 天井には球型のLEDライトが垂れ下がっている。


 だが、なにより異質なのは部屋の形状だ。

 扉がある正面の壁から手前に折れた左右の壁は、僕の方に近づくにつれてじょじょに距離を狭め、ついには僕の背後で完全に交わっていた。


 部屋は三角形になっていた。


 窓は三方どこにも見当たらない。

 まるで前衛的な牢獄のようだ。


 視覚的な恐怖と尻を撫でるコンクリートの冷たさに、慌てて起き上がると正面の扉から部屋の外に出た。部員達が結託してしかけた悪い冗談であってほしい。そんな僕の願いは、扉の向こうに広がる灰色の中央ホールに無惨に打ち砕かれた。


 ホールは正六角形。

 各壁には僕が今まさに引いたのと同じ形の扉があった。

 真ん中に置かれているのはガラスでできた丸いローテーブル。


 そして、まるでこの館の構造を図示するように――天井を這う照明のケーブルが頼りない筆致の六芒星を描いていた。


 天井を見上げて突っ張った僕の喉を生唾が滑り落ちる。


「なんなんだここは」


「典正。よかった、無事だったか」


 昨晩、民宿で部屋を共にしたはずの伊能先輩の声がする。

 左手に視線を向ければ、サマーテーラーにVネックの白シャツという格好をした長身の男が立っていた。


 伊能学。ミス研の部員で大学三年生。僕の先輩だ。

 本来であれば部長を務める立場なのだが、「シナリオライター」のアルバイトが多忙なことを理由に、まんまと役目を逃れた調子のいい男だ。


 だが、いつもは鼻につくほど顔に溢れている調子の良さがない。

 僕は自分達が置かれた状況の異常さをその顔によって客観的に思い知らされた。


 恐怖をかき立てるように次々と扉が開く。


「どうなってるんですか? 私たち、民宿に泊まったはずじゃ?」


 伊能先輩の左隣の部屋から出て来たのは後輩の花戸百合。

 少女文学をこよなく愛するミステリ研究部期待の新人は、パーマのかかったショートヘアーを揺らすとひどく狼狽えた。


「くっそ! いったい誰だ、こんな気味の悪いことをしやがったのは!」


 花戸の隣の部屋。

 乱暴に扉を引いて出て来たのはミス研副部長の晴武だ。


 男性向けラブコメディを好んで読む不真面目なミステリ研究部の年長者は、生来の気難しさを異常な状況に爆発させた。

 黒色のタンクトップは冷や汗に濡れ、筋肉という名の繊細な心の鎧を浮き上がらせている。そんな恐怖を誤魔化すように乱暴に扉を叩けば、花戸が「ヒッ!」とか細い声を上げて身を引いた。


「晴くん、落ち着いて。百合が怖がっているじゃない」


 晴武の隣の部屋からは、美貌で人を黙らすような女が出てくる。

 ガラス細工のような冷たくも滑らかな身体のライン。一本一本、丁寧に椿油で梳いたような長い黒髪。切れ長な瞳はその形から受けるクールな印象と異なり、情熱的な熱をその奥にくゆらせていた。


 女子大学生であり、ミス研の部員であり、今をときめく女優でもある。

 美しいその女の名は渡蓮祢(わたりれんね)。


 彼女は落ち着きと気配りにいささか難のある同い年の男をキッと強く睨みつける。それはミステリ研究部の活動の中でたびたび目にする光景で、日常の象徴のはずだったのだが――もうその姿に安堵をすることはできなくなっていた。


 晴武が渡に殺意の籠もった視線を向ける。

 体重100㎏の身長2mという巨漢が凄むと獰猛な獣のような圧があった。

 また、手負いの獣のような痛々しさも。


「この状況で落ち着けっていうのかよ!」


「騒いでも仕方ないでしょ。今は、冷静になって状況を整理するべきよ」


「整理したってなんになるっていうんだ!」


「少なくとも、君のヒステリックに付き合うよりはるかに意味があるわ」


「なんだとこのアマ!」


「……ちょっと待って?」


 渡が何かに気がついたように言い争いを止めた。


 その視線が向かうのは彼女の左隣の部屋。

 つまる所、僕から見て右手。


 最後に残った六部屋目の住人。

 そして、ミス研の最後のメンバー。

 この学生旅行の主役――WEB開催の小説コンテストで賞を獲り、近日大手出版社から商業デビュー予定の男が、一向にホールに姿を現わさない。


 そんな異変に渡が気がついたのだ。


「勝手くんは?」


 勝手恵良(かってめぐる)。

 大学二年生。僕の同期。陰気かつ陰湿な性格で、放っておくと川で自分から溺れ死のうとする、どうしようもない危うさのある男だ。


 文章も稚拙で華もなく、独りよがりな世界観をなんの抑揚もない構成で語り続ける【典型的な勘違い物書き】。なんのために文学をしているのか分からないような男が――何をまちがったか賞を獲ったこと、しかも曲がりなりにも「ミステリ」を含む部門でその実力を認められたことは、ミス研メンバーを大いに狼狽えさせた。


 今回の旅行は彼の受賞祝いだった。


 彼がかねてより望んでいた遠野の地へ研究部のみんなで赴く。

 そんな形をとらなければ、僕たちミステリ研究部のメンバーは、心の中で忌み嫌い侮辱し続けた彼を祝福することができなかった。


 残された部屋のドアを見つめていた渡が僕に視線を向ける。

 視線には、勝手の心配よりも恐怖が滲んでいた。


「いつもだったら、こういう時に彼が真っ先に騒ぐはずよね?」


 弾かれたように僕と伊能先輩がその扉の前へと駆け寄った。

 伊能先輩がレバーハンドルを握りしめて部屋に向かって押す。けれども、すぐに彼は僕に助けを求めるように視線を投げかけた。


 伊能先輩の隣に立ち、扉に肩を寄せる。ぐっと脚を踏ん張って体重を乗せて扉を押すのだが――さきほど自分が通ってきたものと同じとは思えないほど重たい。

 まるで【何か】に扉が突っかかっているようだ。


 いや、【何か】もクソもない。


「勝手くん! 無事か! 返事をしろ!」


 生きているなら、という言葉を口にする勇気は僕にはなかった。

 息を切らせ、リズムを取り、何度も扉へと体当たりする。数十回に及ぶタックルにより徐々に開いた扉。人一人分が通り抜けるのに十分な隙間ができると、僕は先輩に任せて部屋の中へと滑り込んだ。


 そこはやはり窓のない三角形の部屋だった。

 灰色の部屋に白いLEDライトの光が反射する殺風景な部屋。


 違うところを強いてあげるならば――。


「……勝手くん!」


 ドアのハンドルにネクタイをくくりつけ縊死した真新しい死体だけだろう。


「いやぁああああっ!!!!」


 花戸の悲鳴がコンクリの壁越しに僕の耳に届いた。


◇ ◇ ◇ ◇


 勝手恵良の死について疑わしいものは何もなかった。

 ミステリ研究部メンバーにアリバイはないが同時に彼への殺意もない。嫉妬や嫌悪の感情があるのは認めるが、彼のようなろくでなしのために自分の人生を棒にするほど、僕たちも愚かではなかった。


 なにより彼は密室で死んだのだ。

 彼自身が錠前となることで三角形の部屋に人が入ることは不可能になっていた。

 扉以外に出入り口のない部屋にいったいどうやって出入りするのだろう。


 物理的に不可能だった。


 あるいは彼を首つり自殺へと誘うトリックがあるならば別だが、所詮は地方大学のお気楽物書きサークルの学生たちに、そんなものを思いつけるはずなかった。


「勝手くんは、なんで死んでしまったんだろう」


 亡骸を前に手を合せながら伊能先輩がそんなことを口走った。

 先輩であり「シナリオライター」という肩書きを持っている彼は、どうやら後輩に対しても気楽な立場でいられるらしかった。


 こんな時だというのに妙に子供じみた気分になった。

 居心地の悪い壁に背中を預けると腕を組み「さぁ、どうしてでしょうね」と、いささか冷たい言葉を先輩に返す。口元の寂しさに、ズボンのポケットから煙草のケースを取り出すと、手巻き煙草を一本抜いて口に咥えた。


「死ぬ、殺される、生きていたくない、が口癖のような奴でしたから。おおかた、ついにその本望を遂げられたって所じゃないですかね」


「それでも、これからっていう時に」


「これからだからこそでしょう。人生の大一番に挑む勇気がなかった。だからここぞという機会を見つけて逃げ出した。どうかしていますね、そんな軟弱者に目をかけて檜舞台に上げようとした出版社も。もてはやしたWEBの連中も」


 死人に口なしとはよく言ったものだ。

 無言でこちらを睨みつける伊能先輩から逃げるように視線を逸らす。

 乾いた煙草のフィルターを犬歯で噛んだ。


 ふと、視線の先に気になるものが転がっていた。


「……本?」


 文庫サイズのそれは本。しかし、いわゆる店頭に並んでいるものではない。

 淡い緑色をした岩肌の表紙。カバーはなく背表紙に文字もなかった。

 なにより薄い。文芸部の合同誌や学校の文集、同人誌の類いの本。


 勝手の私物だろうか。

 気になって拾い上げると、表紙には箔押しで六芒星とタイトルが刻まれていた。


?」


 綾辻行人御大の小説のパロディだろうか。

 趣味が悪いとあざ笑いながら遊び紙をめくる。


 そして、冒頭一行目を読んだ瞬間――僕はようやく気がついた。









「『はどこだ?』」








 僕たちはミステリの館に迷い込んだんじゃない。

 ホラーの館に迷い込んだのだと。


 三角形の部屋には窓がなく扉は正六角形のホールに続いている。

 どの部屋も同じならばのだろう。




【了】

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