第5話 シロクロスミレ
玄関前の噴水の縁で、シロはクロの膝に抱かれて空を見上げていた。シロの白い瞳には青空と白い雲しか映らない。
「ねぇクロ、スミレはだいじょうぶかな」
「大丈夫だよ」
地面につかない足をぶらぶらと揺らすシロの腰をクロは抱き寄せた。
「ケガしてないかな」
「下手なことをしなければ大丈夫だよ。ギャンブルクズだけど、術師としては私と同等だから滅多のことでは負けないさ。だから厄介なのだけれど」
空の色を移して青く輝いていた瞳がクロの顔を覗く。青空が暗雲に飲み込まれる。
「やっかい?」
厄介の言葉の意味を訊かれているのか、スミレがどう厄介なのか説明を求められているのか、どちらにしろもう自分はなにも教えてやれる資格はないと、クロはシロの疑問を無視した。
「もう少し早く君たちに出会っていたら、シロを泣かせずに済んだのかもしれないな」
シロは目元を染めて唇を尖らせた。
「もう泣かないもん」
いつの間にか男の子になっていた。泣くのが恥ずかしいお年頃にまで成長している。もっと先の姿を見たいとも思うが、限界だった。
「ごめんね、シロ」
「クロ?」
脈絡なく謝ったクロにシロは首を傾げた。
クロは小さな体を腹に抱え込む。泣いているのはクロのほうだった。
「私と一緒に死んでくれる?」
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
柱の形に見える力の奔流に向かってスミレは必死に駆けた。周辺にいた術師たちがが遠ざかる中で逆走する術師は自分ぐらいだと思っていたが視認できるギリギリの距離で併走する白衣の影を見た。反射で懐から術式銃を取り出すが戦闘よりもシロとクロの元に急ぐことを優先した。
割り符を持って手順を踏まないと入れないはずの敷地にはすんなり入れた。敷地のど真ん中には屋敷がある。柱の中心もそこだ。二階建ての洋館を飛び越えると噴水は砕け、屋敷の前半分は吹き飛んでいた。噴水があった場所には背後からシロを抱えたクロが浮いていた。クロの右手がシロの左胸に潜り込んでいる。どちらも無表情で、二体の人形が寄り添っているように見えた。
「おいこらクロ! どういうことか説明しろ!」
浮かぶ二人を回り込んでスミレは植木や噴水の残骸が作った小山の上に降り立った。クロの目線と同じ高さになる場所だ。
虚ろだったクロの瞳に少しだけ光が戻る。それでもそこは穴のようで、生気が抜け落ちていた。薄い唇が笑みの形を作る。寒さに震えている。
「速いなぁ、バカのくせに」
「一言余計なんだよ」
スミレは噛みしめた歯の奥から声をひねり出した。フラグは立っていた。出会った当初から。それでもシロと触れあっている間は生きていたから少しずつ暗い願望から遠ざかればいい、なんて願ってしまった。
スミレの後悔を感じ取ってクロは最近覚えた困り顔をしてみせた。
「スミレ、シロ、ごめんね。私、疲れちゃった」
心底疲れたため息と共に言葉が零れてきた。
だらりと下がっていたシロの両手が動いて胸に埋まるクロの腕を掴む。
「クロ……泣いてる?」
まだ自我を保っているシロにクロは目を見開いた。あんぐりと開けた口から声が出る前に笑い声が響いた。
「あっははははは! いいですよいいですよ! この展開は最高です! 明日夜静ご本人が手を貸してくれるなんて!」
スミレが条件反射で一発撃っていたが高笑いしながら翻された白衣に当たってダメージは入らなかった。
白衣男は半壊した屋敷の屋根に立ち、踊るように体をくねらせている。強い癖が付いた栗毛と丸眼鏡の下、狂気じみた笑い声の割には甘い微笑が張り付いた顔がスミレの機嫌を逆なでする。生白い手には試験管が一本握られていた。中身が虹色に揺れる。クロの後ろ姿に笑いかけながら白衣男は中身をばらまいた。空中に散った虹色が二発の弾丸になってスミレに返ってくる。
構えた銃から四発放って撃ち落とした。
「クソ研究員が」
「スミレじゃないひと」
シロにはクロが邪魔になって白衣男の姿は見えないが声だけで自分を弄り回していた「イヤ」な人だと判別した。
シロ、クロ、スミレを囲むように数十の白衣姿が現れる。シロを抱えて結界に向かっていたスミレを囲んでいた人影たちだ。白衣男がポケットに両手を入れながらスミレに向かって笑みを深める。
「慈雲たすくさん、あなたにはうっかり驚かされました。まさか結界を越えられる術式があるなんてね。おかげで可能性が広がりましたよ。実に素晴らしい! 返礼として名乗っておきますね。僕は
その場でくるりと回ってポケットに手を突っ込みながら万歳をした。優雅で穏やかな笑みに反してテンションが異様だ。
「ベラベラしゃべりやがって負けフラグだろそれ」
スミレの銃口は鴨下を狙っているが、白衣軍団が持つ数十の銃口はシロクロスミレに均等に向けられている。短銃にサブマシンガン、ロケットランチャー型まで、携帯型銃火器の見本市のようなラインナップだ。夜の中では白衣が目立って同じ格好をした術師の群れに見えたが、白衣軍団の中身は黒い影だった。立ち上る力に煽られ体の輪郭がぼやけている。
必要最低限の機能だけを備えた出来の悪い鴨下の式神だとスミレは見抜くが、シロが自我を保っている絶妙な今のバランスを崩したくなくて攻勢に出られない。それでも最悪シロだけを守って逃げる手は残っていたが、選んだ瞬間シロに泣かれる未来が確定するので実質不可能だった。
「もう術式は展開していますのでここで僕が死のうが関係ありません。本来なら自爆したあなたの力をトリガーに外から結界を崩すはずでしたが、門番ご本人が力を注いでくれたのですからこれ以上僕が手を加える必要はありません! うまくいけば僕の実験体は明日夜静に成り代われる! 地獄から力が流れ込む川を作れる! 百鬼夜行の時代が戻ってきますよ!」
うまくいっていることがよほど嬉しいのか鴨下のしゃべりが止まらない。地獄の川がどんな物か、どうしてこの構図を思いついたのか、人の形を一から作る興奮がどんなものか、息継ぎをしているのか心配になるほどの勢いだった。彼の一番の興奮は、クロを術式ごと取り込んでしまえるかもしれない。そうすれば当代最強を研究し放題、ということらしい。
「おいクロ! てめぇ勝手にキレてんじゃねぇよ! しかもシロを道連れとか構ってちゃんにもほどがあんだろう!」
勝手にしゃべりつづける鴨下を放ってスミレはクロを怒鳴りつけた。
スミレが自分を言い表すとき当代最強術師もただの普通の人間なのだという気になれて好きだったな、とクロは泣き笑う。
「うまくいけばシロは生き残るよ」
「ああん?」
「クロ?」
「おやおや?」
クロの発言にシロとスミレだけではなくしゃべくっていた鴨下まで反応した。
「シロの中にあるのはそこの研究員が使った術式と同じものだね。吸収、そして増幅して反撃に転ずる術式だ。応用して吸収した力を任意の場所へと流し現世と地獄を混ぜてしまおうということだろう」
しゃべり口はいつものクロだった。飄飄として全てを見透かして、そのくせ興味がない。シロの中に突っ込んだ手さえなければスミレは素直に感心できた。
「あぁ、さすが当代最強! 何重にも隠蔽を重ねているのにそこまで理解していただけるのですね!」
代わりに鴨下が感動していた。
「構造としては門番の私とほぼ同じだからね。だから、ね、シロ、この術式は私がもらってあげる」
そう言って、クロはずるりとシロから手を抜いた。握っているのは虹色の液体を満たした試験管だ。試験管が抜けきる前にクロの手をシロが引き戻した。
「だめ」
うめきと共に顔をしかめてシロはクロを見上げる。
小さく非力な手を振りほどけなくてクロの顔は情けなく歪んだ。
「シロ? これがなくなれば君は普通の人でいられるんだよ。こんな馬鹿げた研究やら計画やらに関わらない自由な身になれるんだ」
「クロは? クロはどうなるの?」
「私も自由になるんだよ」
優しく嬉しそうにクロは言う。
その言葉を嘘だと糾弾できない自分にスミレは唇を噛んだ。すでに発動している術式を自分の身に移したらいくら当代最強でも力に耐えきれずに壊れるだろう。死にたがっていたクロの側からすれば、それは「自由」なのかもしれない。
「シロとクロ、これは運命だったんだね。君と私は表裏。自由を手に入れた君と自由になりたい私。生ゴミの蓋として息をしているだけなんてもう耐えられないんだよ。私に自由をちょうだい?」
ずるい言い方だ。生き始めたばかりの子供にトラウマを植え付けようとしているロクデナシだ。
「シロクロだけじゃねぇ、スミレ色もあること忘れんなよ?」
今すぐクロをどつき回して説教してやりたいスミレだったが、今はシロのターンだと自己主張だけに留めた。
「あぁだめですよ! 穴と塚は同じ血で繋がっているんです! せめて二体一緒に壊れてください!」
数十の銃がシロとクロを狙って一斉に発砲した。弾速の違う弾が四方から襲いかかる。どこからともなく現れたスミレの花びらが触れると千々に散る代わりに銃弾の形を取っていた力を飛散させて二人を守った。一発残らず弾を防ぎ、それでも残った花びらが渦巻いて降り落ちシロとクロの足元の空中に円を描く。
「誰の術式……まさか……」
鴨下が動揺を隠すために丸眼鏡を押し上げた。眼鏡が虹色を反射する。そこに映っているのは、クロの背に背を向けて自分に対峙する男だった。
褐色の肌にスミレ色の髪と瞳。右手に白の扇。左手に黒の扇。紫黒の袴に白練りの着物、スミレ柄の羽織。羽織からチラチラと花びらが舞って円に加わる。サイズの合わない服を平然と来ていた男が優雅に立っていた。
「ずいぶんご立派な換装体に顕現武器ですね」
本質に由来する術式を自身に固着させ力を増幅させる衣装術式を換装体と呼ぶ。
個人特有の術式を自在に操るための武器術式を顕現武器と呼ぶ。
シロが「変身してカッコイイ武器をだす」と、言っていた上級術師に許された高等術式だ。この術式には術師の力量と格が現れる。
怯む鴨下をスミレは扇で顔半分を隠しながら睥睨する。扇の裏では舌打ちを漏らしていた。
「ったくよぉ、術式にまで干渉しちまいやがった。世話し甲斐のある奴らだよ」
スミレに「スミレ」の名前が付いたのは屋敷に来てからだ。着物と扇の色と柄にここに来てからのスミレのありようが現れている。
「クロは自由になったらぼくとスミレから見えなくなっちゃう?」
スミレが敷いた円の中で、シロがクロの言う自由の意味に気づいた。
「……そうだね」
「じゃあだめ。イヤ。ぼく、スミレとクロといっしょにいたい。もっといっぱいおしえてほしいことある」
「言ってやれ言ってやれシロ。クロの好きにさせんじゃねぇぞ」
シロの問いに嘘がつけなかったクロに、スミレは希望を見いだした。
「僕の研究の邪魔をしないでください!」
白衣軍団が鴨下に狙いを付けて発砲した。鴨下の白衣に次々と弾が命中する。弾を受けきり白衣をさばいた鴨下の手には八本の試験管があった。中身を一気にぶちまけると数百発の弾丸になってスミレに襲いかかった。
スミレが空中で足を踏み鳴らす。円を描いていた花びらが一斉に舞い上がって弾丸を受け止め千々に消える。扇を振れば羽織から花びらが溢れた。スミレの固有術式は防御だ。主を守り抜く守護の力。絶対防御の結界を抜けられたのは同じ防御術式が干渉し合ったおかげだ。
「こっちは家族会議中なんだよ!」
「一緒にいられないよ。だって、君たち眩しいんだもん。好き勝手生きてるスミレと生きるのを楽しんでるシロを見ていると自分の惨めさが際立ってしまう。私はずっと死んでいたんだ。生きていなかった。だからこれはあるべき場所に還るだけなんだよ」
駄々っ子だ。皮肉屋の大人ぶってはいたけれど、クロの本音はまだ幼い。
シロが震えるクロの指を握った。片手を伸ばしてこわばる頬を撫でる。
「あのね、スミレの声が聞こえたからぼくは生まれたの。だからね、クロももう一回生まれればいいよ。ぼくといっぱいおはなししよう?」
「もう一度、生まれる?」
空虚なクロに白い光が灯る。
「脳みそも空っぽに作っておけばよかったですかねぇ!?」
白衣の内側からおびただしい量の試験管が出てきた。虹色で満たされた試験管が全て宙に放られた。一斉に割れる。
クロが振り返った。
「これは――シロ!」
「あぅ――!!」
呻いて仰け反ったシロの瞳から光が消えていく。
吸収した力を増幅させる試験管を一気に解放して局地的に力を飽和状態にすれば行き場を失った力は隙間に流れ込む。どうにか自我を維持していたシロを内側から壊す算段だ。
「穴は穴らしく力を通していればいいんです!」
自分を撃たせて倍増させた弾丸で鴨下がスミレを狙う。白衣軍団の半分が直接スミレに発砲して十字砲火を浴びせた。
それに対してスミレは絶えず花びらを出し一発たりとも通さない。有効範囲はシロを中心に半径三歩程度の球状だ。固有術式は強力だが使っている間は他のほとんどの術式が使えなくなる。無敵の防御を敷いているスミレは、壊れかけているシロには手出しが出来ない。
ひび割れていくシロにクロが叫ぶ。
「シロ! 手を離して! 速く術式を渡して!」
ただ指を握られているだけなのにクロの手は力を込めても動かなかった。
「やだ。三人で麻雀するの」
虚ろになった瞳が懸命にクロを見る。
「三人じゃ麻雀できないよ……」
壊れかけているシロよりクロのほうが泣いていた。
「クロがいなくなったらもっとできない」
「まだ自我があるんですか? しぶといですね」
「どっからツッコミ入れればいいんだよ」
駄々っ子同士のケンカと研究狂に挟まれているスミレは一瞬だけ遠い目をした。
「わかった。わかったから。もう死ぬなんて言わないから」
「あのね、わかんなかったらとりあえず生きるんだよ?」
会話だけ聞いているとどちらが年上かわからなくなる。素直で陽気なスミレを見習っていたシロのほうが、ひとりぼっちで育ってしまったクロより大人なのかもしれない。
「わかったよシロ。生きる。約束する!」
目を見て頷いたクロにシロは仄かに笑った。上向いた口の端からひびが広がる。
「うそついたら、ぼく、おこるからね」
肘が欠け指の関節が崩壊する。糸の切れた操り人形のように腕が下がった。
クロはシロの中から手を完全に抜く。崩壊が止まったシロの体を抱き上げて振り向き、同時に振り向いたスミレに渡した。三歩下がって試験管を胸に抱える。
「ごめんね、シロ」
最後にもっともついてはいけない嘘をついたクロにスミレは呆れ顔をする。
「マジでロクデナシだなあんた。シロに言いつけてやる」
ロクデナシとして扱われることも、クロはちょっと嬉しかった。構われるのが嬉しかった。
「シロに怒られたら、私泣いちゃうかも」
すでに泣きながら笑って、クロは自分の胸に術式を埋めた。力の柱が細くなってクロに集中する。クロの体にひび割れが走った。
「なんということでしょう! ああでも大丈夫! ズタボロの器が二つ、壊して一つにしてしまいましょう!」
鴨下の狙いがクロに変わった。
スミレの術式は主と己を護るものだ。主の証を持っているのはシロだけ。シロから離れたクロを護る術はない。
上級術師の体に術式銃など本来なら意味がない。しかしクロの体は崩壊が始まっている。容赦なく弾丸は体にめり込んでいく。
「おいこらクロ! 勝手にくたばんな! 特別報酬も戦闘報酬ももらってねぇぞ!」
守護の有効範囲にクロを入れるため踏み出したスミレが手を伸ばす。その手を追い越した白い手が虹色に光った。虹色から伸びた白い帯がクロを囲む。帯の直前で弾丸が止まった。クロの首に巻き付いた白帯が白革の首輪に変化し、そこから繋がるリードが白革手袋を装着した小さな手に握られた。虹色から抜け出したシロはスミレの腕を離れ自ら空に立つ。白に銀縁の軍帽。白地に銀ボタンの軍服。腕章にはスミレの紋様が刻印されている。太ももの膨らんだ乗馬ズボンに白革の編み上げ長靴。リードとは反対の手に黒い乗馬鞭が握られている。まごう事なき換装体と顕現武器だ。高等術式は本質に由来する。要するに、シロはガチギレしている。無表情にクロを見つめる姿は群れを睥睨する狼のようだ。
「おこるって、ぼく、いった」
「一か八かのお守りだったのにマジで術師になりやがった」
なにを教えなくても成し遂げてしまったシロにスミレは冷や汗を掻いた。もしトリガーが作動した時に気休めになればと、主従契約に合わせてシロに付けていたお守りが空っぽのシロの体を護り、膨大な力を己の物として術式に昇華させた。
「!?」
シロはリードを引っ張りクロを跪かせた。俯いた顔を顎に鞭を当て仰向かせ、腰を折って至近距離で冷たく見つめる。威圧が様になっているのは誰の真似なのかスミレは不安になる。
「それはダメって、言ったよ、クロ」
クロの胸で試験管が粉々に砕けた。術師として覚醒したシロだけでなくクロのひび割れも治っている。
白い光が宿った黒い目を見開いたクロは次の瞬間顔を真っ赤に染め上げた。
「……やだ、私のシロかっこいい」
調教は完了していた。
顔の輪郭を鞭先で撫でられクロは背筋を震わせる。
「誰がてめぇのもんだ! まぁ、カッコイイのは認めるけどよう」
換装体の威圧感もさることながら威風堂堂っぷりが板に付いている姿にスミレは惚れ惚れとする。
白衣をわさわささせて鴨下が身を捩った。
「空の器が換装!? どういうことでしょう! ああ研究したい研究したい研究したい解剖したい!」
テンションが上がりすぎて発狂気味だ。白衣軍団の中身が陽炎のように揺れて形が崩れている。
クロを従属させたシロは真っ直ぐ立って鴨下を見上げた。その顔に幼さはない。上位の術師たる風格に満ちている。
「クロ、スミレ、ぼくのそばにいて」
クロは跪いたまま胸に手を当て自分を繋ぐリードに口づけた。
「恐悦至極。この生と死をシロに捧げよう」
愉悦に目元を緩めるクロの声にはシロに対する愛しさが溢れている。凍てついた土のように硬かった声に熱が宿り内側に真っ赤なマグマを閉じ込めた鉱物のようだ。ほったらかしにしていた感情が噴火を起こしてクロに新たな産声を上げさせている。
そんなクロのシロを挟んだ反対側、和装のスミレは扇を閉じて優雅に深く一礼した。
「おまえの首輪ならよろこんで」
シロの左耳にある紫水晶が輝きを増した。元よりすでに主従の契約は成っている。今のシロならお守りがなにを意味しているのか理解出来るだろう。スミレが顔を上げる際、上目遣いでにやりと笑ったことにシロも柔らかい笑みで返した。ほろほろとこぼれる砂糖菓子のような笑顔はいつものシロだったがスミレから視線を外せば狼の本性を見せる。
「最強を従える器。是非とも研究させてくださぁぁぁい!」
調子外れの高音で叫んだ鴨下は無数の試験管を放った。
「死んでから勝手にやれ」
スミレが扇を開く。黒扇を左に祓い、白扇を右に祓い、足を踏み鳴らして花びらと共に舞う。
白の隣に立ち上がったクロは虹色をまとった。黒シャツに黒のネクタイ。黒の三つ揃えスーツに黒革の手袋。肩に掛けた黒の外套。真っ黒な換装体の中、首輪の白が際立っている。両手に持つのは黒い柄に渦巻く刃紋を持つ黒刃の薙刀だ。
「地獄に堕としてあげる」
流し見る視線に抗いがたい誘惑を乗せて甘美に囁く。
雅な花の精と背徳の悪魔を従えた小さき白の王が勅令を下す。
「跪け」
シロが鞭を振ると音が高く響いた。三人を囲む白衣軍団が膝を突いた。鴨下は膝から崩れたが無様に這いつくばるのをなんとか堪えた。もう一度シロが鞭を振ればクロを狙って止まっていた弾丸が持ち主に返った。跪いて身動きがとれない影の頭を打ち抜く。虹色の塵になって消えていった。鞭の一振りで敵の数が三分の一になる。
「かっこよすぎて痺れる~」
鴨下が放った試験管から数百の弾丸が生まれ三人に向かって飛んでくる。
「当代最強の換装をこの目で見られるとは! なんと流麗! なんと禍々しい!」
クロは一歩前に出て薙刀を構えた。右下から刃を上に向け左上に払い、風をかき混ぜるように軌跡を残して八の字を描く。弾幕が絡め取られた。たなびく黒い残像に引き連れられた弾丸は、クロが頭上で薙刀を水平回転させると残っていた白衣軍団に襲いかかりそれを一掃した。
「オレのこと目にはいってねぇだろあいつ」
クロの一挙手一投足に感動して身もだえている鴨下をスミレが呆れ顔で見つめる。配下が消されても喜んでいる姿にはさすがに引いた。
「スミレ、きれいだよ。カッコイイ」
両手に拳を作って褒めてくれるシロに抱かれてもいいとスミレは思ってしまった。
クロが第二波第三波の攻撃を受け流しながら唇を尖らせる。
「中身に反して雅なのが気に入らないけどね」
術師の誇りでもって「きれい」と「カッコイイ」は否定しない。
受け流した攻撃が三人の横を通り背後に着弾して大爆発を起こした。流水模様の石畳を木っ端微塵にする。
「オレがシロに褒められたからって妬くなよ」
うなっ!? と、クロは図星を指されて逆ギレし石突を足元に打ち付けた。足元に地面はないが衝撃は宙に波紋を描いて広がり、周囲の木々をなぎ倒し、屋敷の上にいる鴨下を吹き飛ばした。
「私は当代最強だよ!? あとでシロにはいっぱい褒めてもらえるもん!」
屋根の端に捕まって戦線離脱を免れた鴨下が屋根に上るのと同時に、クロが照れ隠しに片手で薙刀を左下に払った。黒い斬撃が刀身を離れ鴨下に襲いかかる。咄嗟に白衣を翻して吸収するが、込められた力が大きすぎて白衣がほつれ、生身の本体に無数の切り傷を刻む。それでも吸収した分を試験管に込め増幅させてばらまいた。弾丸ではなく三日月の形に成った斬撃がクロに返る。
「その前にてめぇは説教されんだよ」
スミレは扇を閉じて十字を切った。花びらが十字の形に連なり斬撃を相殺する。
吸収しきれなかったとはいえ最強の斬撃を増幅して返しているのに片手間で相殺される。ここに至って鴨下は、自分が器のトリガーとしか認識していなかった術師が最強と肩を並べられる存在であることに気づいた。
「シ、シロ……私、メンタル紙だからお手柔らかにお願いしたいんだけど」
しかも三人で和やかに会話をしながら、攻撃を一切通さない守護を張り、不動のまま受け流し、流れを変え、吸収しきれないほどの斬撃を飛ばしてくる。
「スミレ、ぼく、クロがなに言ってるかわかんない」
「そんな~」
「格が違う……チートじゃないですか」
挙げ句、うまく展開していたはずの術式も効力をなくし力の流れがいつの間にか止まっていた。高密度の力が充満していたからこそ試験管を無尽蔵に作り出せた鴨下だったが力の供給を絶たれては術師の素の力量で勝負するしかない。そしてその勝負は、目に見えている。
「オレもクロがなに言ってるかわかんな~い」
「ぼく、またクロに嘘つかれたらキライになっちゃうかも」
「ヤダヤダヤダヤダ!」
鴨下の最大の誤算は、ただの道具として作った実験体が自我を保ったまま膨大な力を取り込み術師として覚醒したことだ。その元実験体が、すがりつく当代最強のリードを引きながら鴨下を見た。
「ぼく、あなたのことキライ。スミレを殺そうとした。クロを殺そうとした。キライ」
周囲の色を反映させる白い瞳が格下を射貫く。獲物を狩る狼の静かな目だ。
「でもスミレとクロに会えたのはぼくが人の形をしていたから」
シロの右手がゆっくりと挙がる。握られた鞭が鴨下を指す。否、指しているのはその背後だ。
「だから、あなたがほしがっていたもの、あげる」
下から上に軽くしならせシロが手招いたのは地獄塚に流れ込んでいたはずの力だ。
背後からの圧迫感にたたらを踏んだ鴨下が振り返る。虹色が洪水を起こし空を埋め尽くしていた。
「逆流!? なんとなんと! 僕はなにを生み出したのでしょう! なんたる副産物! なんたる僥倖! これだから研究はやめられない!」
地獄塚はシロと同じ血で穢されていた。要するに、地獄塚もシロの体の一部だ。呼び戻された力が圧縮され鴨下に直撃する。
先に崩れたのは半壊していた屋敷だ。塵すら残さず消し飛び地面に大穴を開ける。鴨下の白衣が千切れ、虹色の中に姿がかき消えた。
有り余る力はしばらくの間降り注ぎ、地獄屋敷であった場所に巨大なクレーターを作りどこからか流れ込んできた水をたたえて湖を作り出した。
宙に浮いていた三人はふよふよと空を歩き湖畔に降り立つ。シロがクロのリードを離すと、リードは虹色に散っていったが首輪はクロの首に残った。白革の感触を撫でて確かめるクロは安堵に細く息を吐く。シロの目の前で片膝を突き小さな手を両手で握った。涙をためた黒い瞳が見上げる。
「シロ、私を許してくれる?」
生まれて初めて必死になって願った。
王の威容で見下ろしたシロは閉じたまぶたをゆっくりと開いた。
「え~どうしよう」
クロは後頭部を鈍器で殴られた後刃物で胸を刺された顔をした。
「え……私、どうしよう」
シロの一言に滅多刺しにされてクロはうっかりスミレに助けを求めてしまった。
「ガチで泣きそうになってんなよ。嘘ついたおまえが悪い」
正論で突き放され奈落に落ちる。全てを失ったクロにできることは頭を下げることだけだった。
「反省してます」
「ほんと~?」
信用なぞ地獄屋敷より木っ端微塵だが諦めるわけにはいかない。
「本当」
長身を縮こまらせて怯えているクロに引いているスミレだが、シロの砂糖菓子のような声はすでに彼を許していることを知っていた。なにより、クロにはシロの首輪が付けられている。術式というのは形や見た目が存外重要なものだ。もうクロはシロに逆らえない。
「ぼく、もっといっぱい知りたい」
「うん」
「いっぱいおしゃべりしたい」
「うん」
「クロとスミレと楽しいこといっぱいしたい」
「うん。私も楽しいこといっぱいしてちゃんと生きたい」
シロはクロの手を引いて立たせた。小さな手で大きな子供の両手を包む。
「うん。ぼくといっしょに生まれよう。生きよう。わかんないことはスミレが教えてくれるって」
聖母の微笑みに美形が顔をくしゃくしゃにして笑った。
「それはいいね。外を知っているのは私たちの中でスミレだけだし」
「シロの世話はともかく、クロの世話もかよ。割り増し請求すんぞ」
盛大に顔をしかめて見せたスミレだがもう覚悟は済んでいた。シロがクロを離さないと言うのなら、スミレはそれに従うだけだ。
「うんうん。割り増しでもなんでもいいから…………ベッドまでよろしく」
かろうじてシロを避けてクロは倒れた。地面と仲良くなる前にスミレが抱き留める。虹色が散って換装が解けた。
「クロっクロ!?」
シロが抱きついて揺するがピクリともしない。
「おわわわっ」
スミレが慌てて仰向けにするとぐっすりと眠っていた。
空にオーロラが掛かる。惨憺たるありさまの箱庭を虹色のドームが包んだ。混沌としていた力が秩序を持って流れ始める。スミレも換装を解いた。
「すみ、クロ」
「おやすみなさい、クロ」
シロはクロの乱れた前髪を丁寧に撫でた。
「つか、ベッドどこだよ……」
見渡す限り瓦礫の山である。一時全てを諦めたクロが配下を残しているわけもない。この箱庭には三人しかいない。
「ねぇスミレ、変身ってどうやってもどる?」
かわいく首を傾げるシロはいきなり軍服が似合わなくなった。クロを抱え上げ、シロの手を引き、使える物を探してスミレは歩き出した。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
ビル街の真ん中に穴を開ける緑地はつい先日までまるで地獄のように荒れた箱庭だった。今は以前よりも鬱蒼と木が生い茂りこんもりと里山の風情まで備えている。堀に囲まれたその場所への入り口は一カ所だけだ。色合いだけは地味な楼門に割り符を掲げると門扉の真ん中にある明日夜の家紋が反応して開く。跳ね上げ橋が降りて堀を渡ると木々のトンネルに入る。鬱蒼と茂る木々の間からは狼の彫像が侵入者に目を光らせている。トンネルの先には噴水を要した庭園が広がり、正面に二階建ての洋館が現れる。重厚な造りの洋館ではあるが、外見だけの見かけ倒しの建物だ。玄関や応接室など、客が入る場所はそれなりの意匠が施されているが、他は空っぽで人が住むようには整えられていない。住居は洋館の裏、池に架かった橋を渡り日本庭園を越えた先にある茅葺き屋根の日本家屋である。さらに奥には里山風の庭園があり、その中に隠れるように茶室ともう一棟日本家屋がある。
茅葺き家屋の玄関を素通りして、スミレは縁側に倒れ込んだ。障子も襖も開け放たれ、囲炉裏を擁する居間にゆったりと風が流れ込んでいた。
「おかえりスミレ」
風を従えて奥から出てきたのは和服姿のシロだ。両手に茶器を乗せた盆を持っている。
「ただいま~。あの引きこもり、マジで人使い荒すぎだろ」
横になったまま手を上げてシロに応えたスミレは、座布団を引き寄せ靴も脱がぬまま脱力する。
シロはスミレの頭の横に盆を置いて裾を払って正座した。
「クロもお庭直して前のお家作ってたよ」
寝ながら盆にのった茶菓子を食べようとするスミレの手をシロがはたき落とす。渋々起き上がって靴を脱いだ。
「自分でぶっ壊したんだから自分で直すのは当然だろ。なんでオレが明日夜の書状持って地獄塚巡りしなきゃなんねぇんだよ」
箱庭にとどめを刺したのはシロなのだがそれについては散々話し合ってクロが全面的に悪いということで決着がついているのでシロは黙った。
結界が一時的に消えた日から数週間、丸三日寝ていたクロが起きてから、スミレは明日夜静の名代として地獄塚の整備に駆け回っていた。明日夜家他、秘伝を受け継ぐ家の術師が集まって地獄塚の術式を組み直すのだが、その一部をクロはスミレに預けて全てを一任していた。門番が結界から出られないことはあんな大騒ぎをしたあとでも変わらない。
「しかたないじゃない。私、術師の友達いないんだもん。本家の人間なんてずっと会ってないし」
それでも門番自身はずいぶんと変わった。退屈に表情を殺して地獄が見せる幻のように彷徨っていた男が、今は寝る間を惜しんで三人の家造りを楽しんでいる。家どころか、箱庭全体を作り替えている始末だ。
シロとお揃いの和服を着たクロが優雅な仕草で歩み出てきてスミレを上から覗き込んだ。
「もんじゃねぇよ。友達でもねぇし」
スミレの言葉に、誰も異論を挟まなかった。スミレは、シロにとっては父だしクロにとっては兄のような存在になっている。友達というより家族だ。
「それより見て見て、じゃ~ん」
シロの隣に座ったクロは懐から半紙を取り出して広げて見せた。オモチャを自慢する子供の顔だ。
「おまえ幼児化してないか? ってマジでやったのか。シロ、本当にこんな名前でいいのかよ」
クロが掲げた半紙には「明日夜
「ぼくは二人がシロって呼んでくれるならなんでもいいよ。かっこよくない?」
「カッコイイよ。シロが納得してんならそれでいいんだけどよう」
首を傾げるシロに応えるスミレに嘘はない。けれど名前を決めるにあたってクロがだだをこねまくり、「シロ」以外の名前にこだわりのないシロが押し切られている場面を見ているから諸手を挙げて祝う気分にはなれないスミレだった。
胡座に頬杖を突くスミレにクロは得意げに胸を張った。
「私とシロが同じ名前を持っているから拗ねているんだろう? そうだ、君も改名して明日夜スミレとかになれば? あ! 私と結婚してシロを養子にするのはどう?」
構ってもらってわがままもきいてもらえたクロは上機嫌だ。白革の首輪も誇らしげに輝いている。
クロの首輪はシロが換装を解いても消えなかった。寝ているクロを矯めつ眇めつ、シロに術式の基礎から短時間で叩き込み順を追って換装したり解いたりを繰り返したのにどうあがいても首輪の術式だけは解けなかった。要は半端な覚悟では解除できない契約だと言うことだ。当時のシロのガチギレ度の高さにスミレは一人戦慄していた。
シロは気まずそうだったが目覚めて首輪が残っているのを確認したクロは喜んでいたので一応は丸く収まっている。
「シロはともかくてめぇと結婚は死んでもゴメンだ!」
「え~、ぼく、二人の息子になってみたかったなぁ」
シロが至極残念そうに言うものだから、スミレは目も口も開いたまま閉じられなくなった。
シロとスミレを両手で抱き寄せクロが間に挟まる。
「まぁ気長にいこう。ずっと一緒なのだし」
本当に生まれ変わったような陰りのない笑顔にスミレは苦笑しシロは嬉しくなって抱きついた。
地獄の上に作られた檻のような箱庭にたった三人。寄せ集めの歪な形と色ながらほんのりと輝き始めた幸せがあった。
モノクロガーデン~箱庭のシロクロスミレ~ 織夜 @ori_beru_ya
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