第4話 スミレ



 屋敷で一番立派な寝室に眠っているのはシロひとりだった。

 豪華な玄関の前はロータリーになっていて、星物語を象った彫像の噴水が虹色の飛沫を上げている。噴水の縁に座りスミレはボンヤリと虹色の空を見上げていた。内から見る結界はオーロラのように揺らめいている。この絶景が見えるのは術師だけなのかと思うと、すこしだけ得した気分になれた。


「私が生きている限り、地獄塚がなくなろうとこの結界は最期まで揺らがないよ」


 パジャマにカーディガンを羽織ったクロがティーカップを二つ持って姿を現した。片方をスミレに渡し噴水の縁に座って同じように結界を見上げる。外の世界は夜。怪異が活発になる頃だ。


「オレのことは通しちまったけどな」


 隣に座るクロを見もせず、スミレは空を見上げたまま紅茶を啜る。


「不覚だよ。本当に。どんな術式で突破したのかわからないのが一番腹立つ」


 カップとソーサーに八つ当たりして派手な音を立てた。

 スミレはイタズラが成功した子供みたいな顔で笑った。


「オレってば案外できる奴だから。ま、一発本番でかなり分の悪い賭けだったけどな」


「そろそろ答え合わせをしようか。スミレ」


 人を小馬鹿にしていたり臭い演技をしていたり優しかったりと程度の差はあれ笑顔を絶やさないスミレが表情を消してクロを見た。最近表情がよく動くクロも冷めた顔でスミレを見る。


「君は私を殺すためにここに来たんじゃないかい?」


「最強様相手に単騎で挑むバカはいねぇだろ」


「君、バカじゃん」


「え~、オレおまえのことキラ~イ」


「お互いさまだね」


 鼻で笑い合った。軽口がはかどるように喉を潤す紅茶はもうない。


「そこを補うためのシロだ。力量差をひっくり返せるだけの仕掛けをシロに施してあるんじゃないかな。たとえば、カウンター系の術式とか」


 己の力が弱くても相手の力を弾き返せれば、敵が強いほど勝算は高くなる。相手が当代最強ならこの世で一番の有効打になり得る。


「ハズレ。でも、仕込まれてる術式がカウンター系ってのは悪くねぇかもな。研究員の中に中級以上の術師がいる。そいつが使うのがたぶんカウンター系だ。シロが器だっていうなら、オレが死んだときに拡散される力をトリガーにして結界の力を吸い取るか弾き飛ばすかする予定だったんじゃないか?」


 答え合わせと言いながら本人から答えが出るとは思っていなかったクロは少なからず驚いた。

 スミレはらしくもない長い長いため息をついた。


「オレはマジでなにも知らされてねぇよ。今思えば少しぐらい探っておくんだったって後悔してるぐらいだ。シロを抱えて結界に突っ込めって言われただけ」


 言われたからって正気の術師は結界に突っ込まない。しようにも本能が逃げるはずだ。首に縄をくくられてビルから飛び降りろと言われているようなものなのだから。理解不能が顔に出てしまったクロにスミレは拗ねた。


「最初は本当にただの警備だったんだよ。ギャラもいいしギャンブルに行く時間もある割のいい仕事だったんだぜ。連チャンで大負けして首が回らなくなって、肩代わりしてやるから命を賭けろって言われたんだよ。もし生きてたら倍額出すって。」


「本物のクズでドアホで大馬鹿を初めて見た。ありがとう」


「どういたしましてっ」


 スミレ本人にも自覚はあるが屋敷に来てからも賭けゲームで現金を失っているから懲りていないことは明白だ。

 二人は同時にため息をついた。


「君をけしかけた術師も、君を根っからのギャンブルクズだと信じていたんだろうね。事実だし。はぁ~もう本当になんでこんなギャンブルクズが結界を抜けられたんだろう」


「教えてやろうか?」


 ここがベッドだったらクロは転がり回って悔しがっていた自信がある。代わりに拗ねて長い足をブラブラさせ髪をぐしゃぐしゃに乱した。それでも美形なことに変わりないのだから美しさはおそろしい。

 普段気取っているクロが子供っぽい仕草をするものだからスミレは上から目線で笑った。


「それはイヤ」


 食い気味にクロが言い放ち半目で睨む。


「もしかしたら君は私と同等なのかもしれない。こんなにわからないのは初めてなんだ。もっと悩んでみたい」


 かなりひねくれた駄々っ子だった。拗ねたクロと吹き出して「んだそれ」と、楽しそうに笑うスミレは兄弟に見えなくもなかった。

 生活態度も生き様もクズ認定されているスミレだが、クロの隣にあっては圧倒的に光だ。穏やかな光だ。

 クロは眩しい笑顔を眺めた。まぶしさに目を細めていたら笑いが収まったスミレに優しげに見つめられていて恥ずかしくなった。


「負債を肩代わりするって言われて実行したわりには、君は殺されもせず、自ら爆発四散することもなくここにいるよね。怖くなって逃げたってこと?」


「死ぬのはいやだろ」


 照れ隠しで皮肉ったクロに対してスミレは茶化すこともなく真面目な顔で返してきた。


「そう?」


 当然だろ? と、陽気な常識を見せつけられて、クロは本心を漏らす。


「拗らせてんなぁ」


 スミレは、クロが「世界がどうなろうと知らない」と、言ったときと同じ困り顔を見せた。諭すでもなく、己の常識を押しつけるでもなく、ただその答えに至ってしまったロクデナシをそのまま受け入れるしかない己への表情だ。


「君のギャンブルクズほどじゃないよ。それで、本音は?」


「シロがオレの幸運の神様だから」


 クロはスミレの困り顔を自分の扱いに困ってのものだと解釈して話題を戻す。間髪入れずに返ってきた言葉が即座には理解出来なかった。


「なに?」


 きょとんとして首を傾げる仕草はシロにそっくりだった。見返すスミレの顔が真面目だから、クロはその心をちゃんと理解しようと努めた。シロに対しては誠実なスミレである。もしかしたら、そうなるに値する出来事を遠回しに表現しているのかもしれない、と、少し期待した。


「ボロ負けして命で払わされるくらい運に見放されてたのに、シロと話すようになってからめちゃくちゃ当たるんだよ! シロがいれば借金返して一儲けできんのに死んでる場合じゃねぇだろ! シロってばたぶん天才だぞ!」


「このクズ!」


「ひゃうっ」


 クロは生まれて初めて腹から声を出した。スミレに期待した自分への後悔とどこまでもギャンブルクズっぷりがブレない怒りに脊髄反射で怒鳴ったら噴水の反対側から悲鳴が上がった。二人は同時に振り向く。水の飛沫の向こうに白く小さい人影が立っていた。


「シロ!?」


 スミレが立ち上がって回り込む。パジャマ姿のシロは両耳を押さえて固まっていた。言葉遣いは乱暴だが大声は出さないスミレに慣れていたシロだ、初めての怒りを含んだ大声に失神寸前の小動物のようになっている。


「驚かせてしまったね。ごめんね、シロ」


 スミレに抱かれたシロにすがりつくようにしてクロは謝った。「だいじょうぶ」と返してくるシロに胸をなで下ろし、羽織っていたカーディガンで小さな体を包む。

 シロは人肌に暖まったカーディガンとスミレの服をぎゅっと掴んだ。


「どうした、シロ」


 シロを気に掛けるのはギャンブルクズという事実をかき消すほどの優しい声だ。クロは「こいつの固有術式ってヒモ男なんじゃね?」ぐらいには思った。


「おきたらクロいなかったからさがしにきた」


 スミレの腕の中で俯きながらクロを覗ってシロは言う。寝るときに「いっしょにいて」と頼んだクロ本人がいなくなっていたから探しに来たのに怒声に出会ってしまってちょっとしたパニックだ。


「シロ、探してくれてありがとう」


 シロに罪悪感を覚えたがクロに溢れたのは嬉しさだった。人に探してもらえた。お役目から逃げたところを連れ戻すためではなく、ただ傍にいるために探してもらえたことが嬉しかった。シロに笑みが戻るとクロは自然に笑えた。しかしシロの笑顔はしぼんでいく。


「あのね、ぼく、しってたよ」


 つぶやく声はクロまで届かなかった。スミレがシロの顔を覗き込む。


「なにをだよ?」


 服を握る手に力を込めたシロはスミレに体を押しつけた。顔を上げて二人を見る。


「スミレじゃないひとがいってた。ここにくればスミレは死ぬんだって。あのときはなにをいってるかわかんなかったけど、いまならわかるよ。ぼくはアナになるために作られたって。でもぼく、外にでてみたかったんだ。スミレが死んじゃうってきこえてたのに、それでもあそこからでてみたかったの。ごめんなさい」


 くしゃりと歪んだ顔がスミレの肩に押しつけられる。泣き顔なんて誰も教えていないのに、大人たちの胸を締めつけるように子供は泣く。死を学んだのは屋敷に来て絵本を読んでからだ。それなのに意味がわからなかった時の自分の判断を悔やんで謝る。

 賢さが悔やまれる少年をスミレはきつく抱きしめた。


「謝るなよ。あんなクソつまんねぇところ、出たくなって当然だ」


「でも、ぼくがいっしょにいくっていわなかったらスミレはここにこなかったでしょ?」


 図星だった。スミレの問いかけにシロが手を伸ばさなければ、スミレは一人で逃げ出していた。だが、それが今より幸せだとは誰も思えない。


「なんだよ、出てきたら楽しくなかったか?」


「たのしい。スミレとおはなしできる。じぶんでうごける。ごはんたべられる。クロもいる。えほんきいてくれる」


 スミレの寂しがる声にシロは額を肩に擦りつけながら楽しかったこと、嬉しかったことをどんどんあげていく。「おやすみ」「おはよう」「こんにちは」「いただきます」「ごちそうさまでした」挨拶することすらシロにはかけがえのない幸福だ。


 スミレはそのひとつひとつに頷いて返す。


「シロが一緒じゃなかったらオレはひとりで死んでたよ。幸運の神様が一緒だったからここで生きてんだ。一緒にいてくれてありがとうな」


 一緒、を何度も繰り返す。頭を撫でて顔を上げさせ袖で涙を拭ってやった。

 シロのことを「金ヅル」と言ったその口でキレイな本音を吐くから質が悪いとクロは思う。


「ぼくもありがとう。おはなしできないぼくにずっとおはなしきかせてくれて。たぶんね、ぼく、あのとき生まれたの」


「生まれてきてくれてありがとうな」


 羨ましいとクロは思った。心からただただ存在を愛おしんでくれる人が自分にいただろうか。役目のために生まれて育ち死ぬだけの自分に「生まれてくれてありがとう」と、愛が向けられたことがあっただろうか。スミレとシロの様子に嫉妬している自分にはきっといなかったんだろうとクロは勝手に納得した。


「盛り上がっているところ悪いけど、シロ、君さっき自分はアナになるって言っていたね。どういうこと?」


 水を差した挙げ句バケツをひっくり返して場の空気を押し流したクロにスミレは呆れ顔を向ける。


「あんた、キレイな顔して本当にロクデナシだな」


「ギャンブルクズには言われたくないね。シロ、話せる?」


 口をひん曲げたスミレを背景にしてシロが目元を擦りながら頷いた。


「スミレが死んだらぼくはアナになるの。アナをとおって地獄がまざると術師はもっと自由になるって」


「アナってのは穴か」


 意味のわからない音の並びをシロは覚えていた。音の意味するところを知って悲しくて悲しくて仕方なくなった。それは生まれて間もない子供が抱くべきではない罪悪感だ。自分がいるからスミレは危ないことをしたのだという後悔だ。


「術師ってスミレとクロでしょ? 自由になったらたのしいことできるでしょ? ぼく、もういっぱいたのしいことしたから、スミレとクロがたのしくなれる――」


「ガキがイキってんじゃねぇ」


 シロの言葉を遮ってスミレが低く唸り怒りをぶつける。シロは怯えて声を詰まらせた。


「ああ、そういうことか、わかったよ」


 場違いに明るい声を出したのはクロだった。


「ああ!?」


 シロに向けた調子のままスミレがクロを睨み付ける。クロはスミレの不機嫌などどこ吹く風で、すっきりした顔で手を打ち合わせた。


「私はてっきり、研究所は地獄がほしいんだとおもってたんだけど、違うんだ」


「自分だけ納得してんじゃねぇ」


 説明をねだっているのに喧嘩腰のスミレにもクロは気前よく応えてやる。


「地獄を独り占めしたいんじゃなくて地獄が表に出ていた時代に戻したいんだよ。術師が権力を持ちなによりも尊ばれていた術師の時代に。だから穴と同じ血で地獄塚を穢し力の通る道を作ったんだ」


「それが自由だぁ!? 仕事が増えるだけじゃねぇか! 仕事するために生きてんじゃねぇぞ!?」


 元々怒りにゲージが振れていたのでスミレから出てくるのは陽気さの欠片もないただの悪口だ。正面にいるクロまでビリビリと震える怒声が箱庭に響き渡る。抱かれているシロは全身痺れているだろう。


「……ぼ……ぼくが穴になっても、スミレとクロはたのしくない?」


 泣きそうな声でシロはスミレのご機嫌を伺う。白い瞳と視線を合わせたスミレはそれ以上に泣きそうになっていた。


「シロ、まだよくわかってねぇかもしんねぇけど、穴になるってのは死ぬっていってるようなもんだ。シロが死ぬって言うたびにオレは悲しくなる。覚えといてくれ」


 怒声から一変してしずかにゆっくりと言い聞かせる。

 緩急をつけるのがうまい奴だとクロは細い顎を撫でた。

 シロはスミレの首に抱きついた。


「……ごめんなさい」


「今日は謝ってばっかだな」


 小さな頭を褐色の手がポンポンと撫でる。シロの呼吸が落ち着いてきたのを見計らってスミレは口を開いた。


「なぁシロ。生きるか死ぬかで悩んだらとりあえず生きろ。それで他の誰かが死ぬってんなら生きておまえが助けてやれ。死んだらもう誰とも会えねぇ、しゃべれねぇ。麻雀も競馬もボートも自転車もカードゲームもできねぇ、カジノにも行けねぇんだぜ」


「例えが最低だよ」

 

 でもそれがシロには効いたようだった。


「それはイヤ」


「だろ?」


 うなずき合って抱きしめ合って、シロとスミレの間は取り持たれた。

 自分の癖で自分を殺しかけて、生きることを選択して全力で生きて懲りていない男の説得力は違う。


「しかし、外はどうなってもかまわないけれど、その方法だと私の睡眠も邪魔されてしまうなぁ。あまりよろしくないよ」


 キレイさっぱり吹き飛ばして門番をお役御免にしてくれるならいいのに蓋は残しつつなるべくゆっくりと現世と地獄を混ぜてしまおうという話だ。他人事ではなくなってしまった。


「さてスミレ、私たちの平穏のために特別報酬の仕事をしてみない?」


 シロといちゃついていたスミレはクロと視線が合うと悪い顔で笑った。


「気前のいい仕事は好きだぜぇ」


 シロは早くスミレのロクデナシぶりに気づくといいと、クロは切実に願った。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 明日夜秘伝の術式で作られた割り符を持って結界の外に出たスミレだったが、さすがに一歩目は冷や汗を掻いた。簡単にやられたりはしないつもりだし自信もあったから仕事を請け負った。なにより、クロが「今さら待ち伏せしてまで君の命を狙う理由がない」と、小馬鹿にした顔で言うのが妙に頼もしかったので信じたのが大きい。考えてみれば、シロと一緒にいない術師を殺したところで術式の無駄遣いにしかならない道理だ。実際、堂々と歩いているにもかかわらずスミレが襲われることはなかった。

 スミレがクロから受けた仕事は、穢された地獄塚の調査だ。シロの体内にある術式を直接調べられないなら繋がっていると想定される地獄塚側から調べようというものだ。


「最強様の目として信用してもらってると考えれば悪かねぇな」


 箱庭から出てくるときシロにちょっと泣かれたことが、スミレのやる気に火を付けていた。そして自分の命にすら無関心だったクロが動いたことも、スミレはちょっと嬉しかった。生きているのか死んでいるのか曖昧な顔でふらついて、全部一人で背負い込んで孤独に過ごしている姿が寒そうでたまらなかった。

 地獄屋敷に住んでいる人間は三人だけだ。使用人の正体はクロの術式で作り出された式神だ。式神を、意思を持った人の形で作り出し独立して動かすことはかなりの力が必要だ。それをわざわざ何十人も作ってろくに起きない主人を待たせている。スミレはあの屋敷の空しさが苦しかった。


「もらった小遣いでお土産買ってってやるからな~」


 自分に他人の世話なんてできると思っていなかった。それなのに今では離れているのが寂しいとすら感じている。ギャンブルクズの自覚はあるし碌な死に方はしないだろうと予想していたが、とりあえず生きてみるもんだな、と改めて思った。帰る場所があるのは悪くない、と、しみじみしていたその時――――バキンッ!

 ひびが入っていた地獄塚が目の前で真っ二つになった。


「んだ!?」


 頭上から圧力が襲ってくる。膨大な力の塊が降ってきた。飛び退いたスミレの足先で地獄塚が粉々になり大穴が空く。そこに空から降ってきた力が柱を立てた。振り返った地獄屋敷の結界が消えていた。本来結界が巡らされている円周と同じ巨大な柱が立ち上がり、上空で四つに分かれて空に虹を架けている。穢された地獄塚に力が流れ込む。


「シロ! クロ!」



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