第3話 クロ
眠る静は生命活動を最小限にして結界を維持している。だからなるべく屋敷には他人を入れない。寝ているときが一番忙しく、一番穏やかでいられるから邪魔されたくないのだ。なのに、最近、自称野良猫の侵入を許し居着かれてしまった。野良猫は気を遣って主寝室には近づいてこないがそのほかは好き勝手に出入りして遊んでいるようだった。結界の術式に集中しなければいけないのに野良猫の存在に意識の半分を割いていた。
目を開けるとじっとこちらを見つめている白い瞳と視線が合った。
「はよ」
聞き慣れない言葉と声が寝起きの頭に飛び込んでくる。
「はよ? あぁ、おはよう、か」
静が理解するとシロは満足げに笑った。ちゃんと笑えるようになっていることに驚く。白一色ながら存外ハッキリとした顔つきをしていることに静は気づいた。しっかりとした眉とアーモンド型の目は愛らしくもあるが無表情だと野生動物を想起させる。
「そ、おはよう」
「まったく……アレの口調が移ってしまっているじゃないか」
目が覚めてしまったので仕方なしに起き上がった。前髪を気だるげに掻き上げる。それをじっと見ていたシロは「やっぱりクロだ」と小さく呟いた。声は聞こえていた静だったが意味がわからないので無視した。
「あー……シロ? だったかな?」
「そ、オレ、シロ!」
名前を呼んだ瞬間パッと明るく笑った。
機嫌を損ねない程度に相手をして追い出そうとしたけれど、シロの元気のいい返事を聞いて静の気が変わった。面倒事は嫌いだし子供の世話、しかも諸事情のデパートみたいな子供の相手なんてその最たるものだが、それでも、それでも、大人サイズのシャツ一枚に裸足に髪はボサボサ、おまけにロクデナシの口調が移っているとなるとよくわからない衝動が湧き上がってきた。
「あの術師はどこだい?」
「じゅつし? なに?」
首を傾げる仕草には憎めないなにかがある。なるほどこれが子供か、と静は妙な納得をした。
「君をここに連れてきた男だ」
「スミレ!」
刷り込みなのか、スミレに対しての反応が顕著だ。
「そう。どこでなにをやっている?」
シロは視線を斜め上に向けて少し考えた。
「した、で、ぽーかーやってる」
どうやら常識の前にポーカーを覚えてしまったようだ。
「案内して」
静はベッドから出てドアを開けた。追ってくるシロに手を伸ばす。
「あんない?」
シロは首を傾げながら手を伸ばしてくる。ずいぶんと人を信頼している。ロクデナシでも子供の世話はできるらしい。と、思った静だったが、シロの現状とポーカーに興じている情報にプラス査定を取り消した。
「私を術師のところに連れて行って」
「おう! いいぜ!」
元気な返事が決定打だった。あまりにもシロに似合わない。少年に心を許されようがこんな言葉遣いは静的に許されなかった。年月を掛けてできあがった人格ならまだしもなにも知らないうちから真似だけで乱暴な言葉遣いを染みつかせるわけにはいかない。謎の使命感に駆られて静はシロを抱き上げる。
「スミレとちがーう」
そう言いながらもシロはおとなしく抱かれて静の肩につかまった。
「どっち?」
「あっちー」
どこにいるかはわかっているが指さすシロが楽しそうなので角があるたびに尋ねていた。たどり着いたのは一階にある使ったことのないプレイルームだった。中では老執事をディーラーにして静の配下とスミレがカードゲームに興じていた。
「術師」
「スミレ~」
「おう。探検は楽しかったか? 最強様はよ~」
「たのしかった」
静が床に降ろすとシロはスミレの元にまっすぐ走っていった。遠ざかっていく体温は思いのほか温かかったことに静は気づく。
笑顔を作るにもぎこちなかった少年がずいぶんと人間らしくなった。
スミレはシロを抱き上げ膝に乗せた。シロの背中を自分の腹に抱いて静の方に正面を向けた。
「すげぇだろ? 次の日には立てるようになったしすげぇしゃべれるようになったんだよ。固形物も食べられるようになったんだよな~?」
覗き込むスミレと見上げたシロで笑い合う。
静は記憶にはない親子像をスミレとシロで学習した。
「すーぷうまい!」
「あ、なぁ、麻雀セット買ってくれよ。あと金貸して? 負けてすっからかんになった」
今日はどんな食事が出るか、と、二人で予想している合間にスミレが思い出したように静を見た。勝手に居着いて衣食住を得ているのに悪びれる様子が一切ない。
「スミレ、またまけた?」
「またとか言うな!」
シロの髪を両手でわしゃわしゃにするスミレの様子に静は心底呆れた。
「君、さてはそれが本命だね?」
どんなに屋敷中を遊び回っていても主寝室だけは近づかなかった二人が今日に限ってシロだけ現れた。さりげなく家主を起こして金を無心するためにスミレが仕込んだのだろうことは想像に易い。結界の外なら気取られないが内部に上級相当の術士がいれば力のバランスが整っていくのは察することが出来る。起きるタイミングを読んだ上での確信犯だ。
静の言葉にシロはきょとんとして首を傾げているが、スミレはニンマリと笑っている。良くも悪くも裏表がなくて静は逆に戸惑ってしまう。
「その前に、シロにこんなだらしない格好をさせているのはどういうことだい?」
「だってここに子供服ねぇって言うんだもん。あんたの服借りるしかねぇじゃん?」
「なるほど、まぁ、その通りだね」
スミレが言っていることはなにも間違っていないので静は素直に受け入れた。しかし、金をせびるために家主を起こすのにサイズの合わない服は気にならない。シロだけではなくスミレが着ている服も静の物だ。細身の静の服では筋肉質のスミレには少々窮屈そうに見えた。優先順位がわかりやすすぎてスミレに対する評価は一向に上向かない。静はディーラーをしていた老執事と視線を合わせた。
老執事は無言で頷き主の傍に寄る。
静は二つ三つ指示を耳打ちした。
「スミレ、じゅつし、なに?」
老執事と話している間にシロがスミレの指を引いた。
「術師? 誰が言ってた?」
「クロ」
スミレがどう説明するか聞き耳を立てていたクロはシロが発した言葉に振り向いてしまった。
「クロかぁ~じゃあ術師ってのはオレのことだな」
「ちが~う。スミレはスミレでしょ? じゅつしはなに?」
シロとスミレを見ながらクロは手を振って老執事を行動に移させた。
「ちょっと待って君たち。クロ? 私のこと?」
術師、というものが人の名前ではないと気づいたシロに「おまえ頭いいなぁ」とスミレが感心してきゃっきゃうふふしている二人にクロは割り込んだ。
二人は同時に振り向いて、クロの顔を見たあとお互いの顔を見合わせた。
「クロは黒くなかったか?」
「くろかった」
「じゃあクロで問題ねぇな」
スミレはドヤ顔でクロを見た。なにに胸を張っているのかクロには理解出来ない。
「シロは色を覚えたんだぜぇ」
それはシロの功績であってスミレが威張るところではない。
「シロは白いの! スミレはスミレいろ! だからクロはクロでしょ?」
二人が純粋に楽しそうだからクロは対応に困った。なにより「クロ」がそんなにイヤじゃないと自覚してしまいじっとしていられないむずがゆさを覚えてしまった。〝最強〟でも明日夜静でもないただの「クロ」という存在になれた気がして嬉しさすら湧いてきた。
「まぁ、なんでもいいよ。最強様よりはマシ」
シロが主寝室に来たのは色を見るためでもあったのか、と、クロは察した。子供の好奇心すら金の無心の道具に使ったスミレの評価を下げる。容姿の色での名付け仲間に入れたことは嬉しいのでプラマイゼロだ。
「なんだ照れてんのかよ」
スミレの言葉に頷くのは癪なので無視した。
「とりあえず二人とも来なさい。せめてシロには人間らしく健康で文化的な生活をさせるべきだよ」
スミレの「あんたがそれ言う?」も無視した。人間らしく生きられる道があるなら見過ごすべきではない。それでなくてもこの屋敷にはロクデナシしかいない。外見だけでも真っ当にしなければ、と、クロは真剣だった。そんな強い心の動きはクロにとって初めてのことだが本人は衝動に突き動かされて気づいていない。
空っぽだった衣装部屋に子供服が大量搬入されていて、「これが金持ち……」と、スミレが引いた。
「シロ、好きな物を好きなだけ選びなさい」
「いや、まだ服とかわかんねぇだろ」
立ち尽くすシロの手を引いてスミレは服のジャングルに突入した。
クロは傍らに設置されていた椅子に座って二人の様子を見学する。
服は選んでいる間にも運び込まれる。ジャンルは多種多様だ。クラシカル、ストリート系、アメカジにゴシック、民族調。男性体だと確認出来ているがドレスやスカートも揃えられている。
「ええ~、シロおまえ、お坊ちゃんみたいな格好似合っちゃうよ?」
ハンガーに掛かっている服をシロの体に当てて見繕っているスミレが妙な騒ぎ方をする。
「君と違って品のある顔をしているからね」
後方からクロが茶々を入れた。
今選ばれているのは、白いボタンシャツに黒いチェックの半ズボンだ。気取った服に負けない作りの顔と賢そうな表情が引き立っている。
「オレってばワイルドがウリだからなぁ」
悪い表情を作ってみせるスミレの仕草が芝居がかっていてクロは鼻で笑った。
「オレ、スミレとちがう?」
ウケを狙ったつもりの言動にシロがしょんぼりとしたものだからスミレは慌てて小さな両肩を撫でた。
「シロ、同じ奴なんていねぇんだよ。みんな違ってみんないい。だからオレはカッコイイ。シロもカッコイイ」
「オレ、カッコイイ?」
「そ、シロはカッコイイ」
目元を赤く染めてシロは感動しているようだった。スミレの言動は、シロに対してはまともなのでクロはうっかり流してしまいそうになった。
「シロ、自分を指す言葉は「オレ」だけではないよ。私、僕……ああ、教えることが多すぎる。とにかく自分に似合う言葉を身につけなさい。服と同じだ」
シロはクロの方を向いて固まっていた。言われたことを理解するのに時間がかかっているのだ。クロもスミレも黙って待った。
「それは、カッコイイ?」
判断の基準がスミレの言葉に左右されていることにツッコミをいれたくなったクロだがぐっと我慢した。
「ああ、とてもカッコイイことだよ」
シロがこくんと頷く。
「カッコイイ、する」
「それでこそ男だシロ」
「おとこ?」
また二人で騒がしく会話をしながら服選びが始まった。スミレはこれでもかというほど渋い顔をしながらシロに一番似合う服を着せた。ボタンシャツにチェック柄の半ズボン。ズボンはサスペンダーで吊り、黒のソックスはソックスガーターで止め、柔らかい革靴が小さな足を包んだ。とても御曹司である。服選びの当初、スミレはしきりにアメカジやストリートスタイルを推していたが、シロの資質の前に我を通さないところがクロは面白くなかった。真っ直ぐにクズであれ、とすら思ってる。
服が決まったのでクロは配下を呼びシロの髪を整えさせる。
初めての体験の連続にシロは人形のように固まって動かなくなっていた。
「どんなお坊ちゃまカットにされるかとおもったけどすげぇカッコイイじゃん。シロ、イケメ~ン」
品があるハッキリとした顔立ちにアーモンド型の目はどこか狼を連想させる。白い毛並みの気高さは残しつつ毛先を遊ばせたショートカットは仄かな野性味を含んでいて美形を際立たせた。貴族然として冷ややかな流し目の似合うクロと、目元は優しげなのにヒモ男の危うさを持つスミレが並ぶと美形博覧会の様相を呈する。圧巻だ。
「イケメン?」
「イケメンっていうのはぁ」
「シロ、スミレ」
クロが呼びかけると振り返った二人の目の前に配下が絵本を大量に積み上げた。
「まずは正しい言葉と一般的な常識を身につけよう。スミレ、この本をシロに読み聞かせてやって。シロ、自分で読めるようになったら私に読み聞かせてほしい」
シロはすでに絵本に興味を示して瞳を輝かせている。スミレはへの字に口を曲げて表情を歪めた。
「はぁ? なんでオレが――」
スミレの文句はクロとの間に札束が現れたことでかき消えた。いつの間にか現れた老執事からクロはファイルを受け取る。二人の間にテーブルが用意され、アタッシュケースに満載された札束とペンが置かれる。
「スミレ、私と契約しよう。現金日払いで」
途端にスミレは笑み崩れた。
「それを早く言ってくださいよご主人様ぁ」
元々優しく柔らかな声をしているのに、泥水で砂糖を煮詰めたような醜悪な猫なで声が媚びを売る。
「契約書だ」
クロが差しだしたファイルを正座の姿勢で滑っていったスミレが引ったくるように受け取り熟読を始める。シロはそんなスミレの隣に絵本を抱えて正座をする。真似をして絵本を開いて読む振りをした。
契約書を読み進めるスミレの表情が険しくなる。疑惑の目でクロを見上げた。
「……これ、シロがオレの主人って読めるんだけど?」
クロはこともなげに頷いた。
「そうだよ。君はシロに奉仕するの。シロのお仕事は成長すること。成長に対して私はシロにお金を支払う。そのお金の管理を君がする。お小遣いはシロから貰いなさい」
「お小遣い……」
クロのスミレ評は「ロクデナシ」から変わっていない。金を与えれば仕事はするが大金を与えればギャンブルにつぎ込むことは目に見えている。シロに対しては誠実ぶっているので、シロを主人にすればバカなことはしなだろうといクロの計略である。もちろん、シロを丸め込んで全額を懐に入れて逃げることもできるし、契約書にわざと抜け穴をつくってある。それならそれで本物のクズだったと諦めがつく、と、クロは予防線を張っていた。
ふぐぐぐぐぐっと、血の涙でも流しそうな表情でスミレは札束とシロを交互に見た。
「遊戯室に雀卓を入れておくように手配したし使用人に君と賭けをする用の予算もつける」
「サインさせていただきまーす!」
手の平をクルックルさせるスミレにさすがのシロもなにかを察したらしい。
「よーし、絵本読もうぜ、シロ~」
「う……うん」
スミレに向ける笑顔が寝起き以来のぎこちなさだった。それでも椅子に座るスミレの膝に座り絵本を広げると固まっていた表情は溶けて穏やかな笑みになる。
「私は一眠りしてくるよ」
「りょ~か~い」
気が済んだクロは椅子から立ち上がってドアに向かう。数歩歩いたところで膝から力が抜けて老執事に支えられた。咄嗟にスミレを振り返るがシロを構っていてこちらの様子には気づいていなかった。
「クロ、すみ」
代わりにシロが顔を上げて手を振ってきた。
体勢を立て直したクロは不機嫌を装って声を出す。
「スミレ~?」
「シロ、寝るときはおやすみなさい、だ」
飼い犬になった野良猫はすぐさま飼い主に耳打ちする。主人は素直に頷いて改めてクロに手を振った。
「クロ、おやすみなさい」
「おやすみ、シロ」
シロを構う振りでずっと視線を外したままだったスミレに後を任せ、クロは衣装部屋を出た。
誰かと「おはよう」や「おやすみ」を言い合うのは初めてだった。たかが挨拶は、煩わしさよりもほのかな安心感を呼び込んだ。
クロとシロ。皮肉な名前を得たのかも知れない。挨拶すら初めて同士の人間のようで人間ではない存在。クロを殺すかもしれないシロ。シロを身代わりにすれば楽になれるかもしれないクロ。ゴミ箱の上には真っ当なものは集まらないのだろうか。つかの間の平穏を絶望で塗りつぶし、クロは気絶するように眠りに落ちた。
地獄塚が穢されてもすぐに結界がなくなるわけでもなければ、結界がなくなってもすぐに蓋が開くわけでもない。ただ、千年もの間地獄塚ありきで運用してきたのでアンバランスのしわ寄せはクロの身を苛んでいる。地獄から出てこようとする力と現世のバランスを保つために地獄に送られる力を滞りなく流し結界を維持する。これが出来るのは世界でもたった一人。そのために育てられそのために生き、そのせいで死ぬ運命の明日夜静だけであり、それ故に当代最強と言われている。彼自身はその運命を諦めと共に受け入れているが面白くはなかった。
シロとスミレを拾った日から数日、さらに二基の表塚が穢された。報告書が上がってこなくて崩れたバランスをその身で感じるクロにはわかっていた。千人の術師が知恵を出し合って編んだ術式を数日の内に連続して壊された。犯人はよほど術式の扱いがうまく才能のある術師だろう。大半の術師は地獄の存在を伝説のように扱っているけれども、その本質は無尽蔵とも呼べる力そのものだ。数十年に一度の割合でエネルギー資源に目を付けた地獄復活論者が活動を活発化させちょっかいをかけてくる。そのたびに明日夜の術師と結界に阻まれ本願を達成できないでいた。無尽蔵の力の器が人間の形をして生きて目の前に現れたのは歴史上初めてのことだから事態は深刻である。結界内の地獄屋敷は今のところ平穏だが、外は大騒ぎだろう。上級術師を総動員して地獄塚を守り、犯人捜しに奔走し、場合によっては術師同士の戦いがそここで発生しているはずだ。一番厄介なのは、肝心要の器に自我があり、素直でいい子であることだと、クロは奥歯でかみしめるように痛感した。
「むか~しむかしはオバケがいっぱいでてきてわるいことをしたから術師がいっぱいあつまって地獄にオバケをとじこめたの」
しかもおそらく頭もいい。
「そうだね。術師はどんな人がなれるかわかる?」
「ケンリョクシャ」
スミレの読み聞かせの腕とシロの素質もあってか、クロが起きたとき、シロは絵本に書いてあることを自分の言葉で説明出来るまでになっていた。
ベッドヘッドに背中を預けるクロの隣に座り絵本のページを指さしてシロは一生懸命クロに聞かせている。
クロはシロの肩を抱き寄せて質問しながら耳を傾けた。
「正解。顕力者だね。力を見て、力を使える人を顕力者って呼ぶんだよ」
「スミレは術師で、クロも術師だって言ってた。オバケとじこめた?」
術師をヒーローかなにかと思ってキラキラしている瞳にクロは苦笑を零す。
「私もスミレもそんな昔には生きていなかったよ。今の術師の役目は、地獄を守りながら新しく出てきたオバケを退治すること」
そして時に術師同士で戦う。権力者と同じ音の顕力者。力が強いほど権力を持ち、術師としての役目から離れていく。権力を持たず力を持つ術師は人として扱われず、化け物か使い勝手のいい道具として使い捨てられる。
「オバケ退治! じゃあつぎはこれね。術師が術式をつかってオバケ倒すの。さいごはね、地獄からでてきた鬼を倒すんだよ」
「モモタロウだね。シロはモモタロウ、好き?」
モモタロウのモデルになった術師の記録をクロは読んだことがあった。腕試しに地獄の蓋に穴を開けた戦闘狂のトンデモ術師だが、あまりにも強烈なために尾ひれがつきまくってヒーロー物語として語り継がれてしまっている。
「すき~。カッコイイでしょ? ぼくも術師になれる?」
絶対くると確信しつつもこないでほしいと心底思っていた質問にクロは用意していた答えを返した。
「なれる可能性はあるよ」
「ふふふっ」
クロが寝ている間にシロはまた表情が豊かになった。世話係の影響でとくに笑顔が多彩だ。未来に希望を抱いて楽しそうに笑っている。
無邪気な子供の将来を思い、クロは初めての罪悪感を覚えた。それでも言ったことは嘘ではない。空っぽの器は力を入れるために作られた。体にどれだけ多くの力を流せて操れるかが術師のレベルに直結している。圧縮された地獄の力を流すことを想定して作られたシロは、その点においては素質が十分すぎるほどある。ただし、膨大な力に自我が耐えられない。なにかきっかけがあれば結界内に充満している力が雪崩を起こしてシロの中に流れ込み彼をただの道具にしてしまうことだろう。器としての仕掛けがあるはずだがそれを探すための術式を使うこともできない。なにがトリガーになるかわからない。むしろここで生活していて今まで無事でいたことが奇跡なのだ。
「ぼくがケンリョクシャになれたらスミレが術式おしえてくれるって。おまもりもくれたの」
「お守り?」
「うん。これ」
頬を染めて嬉しそうにシロは自分の左耳を指した。クロの死角になっていた小さな耳たぶには紫の粒がついていた。紫水晶のような輝きを放つそれに金具は見当たらず、耳たぶの裏にもなにもない。術式で出来た宝石だった。
「スミレは、これをお守りだって言ったの? ほかになにか言ってなかった?」
シロがなんのために作られたのかすら考えていなかったスミレがまた考えなしにシロを甘やかしたとも考えられる。けれどそれはクロの中ではありえなかった。
シロはクロの質問に、当時の会話を一生懸命思い出した。
「術師になりたいっていったら、たくさんかせいでやしなってくれって」
安定のクズ発言でクロは逆に安心してしまった。
「ぼくがスミレをやしなえればずっといいしょにいられるっていうから、いいよってヘンジしたの。そしたらこれくれた。ケンリョクシャになれるおまもりだって。スミレのおめめみたいでしょ?」
「そうだね。キレイだね」
褒めて微笑む裏でクロは眉をしかめた。。十中八九術式での契約かないかだ。顕力者であり術師なら術式が読み取れるが同等以上の力量差で隠されると詳細が見えなくなる。読むためには術式を使わなくてはいけないが、シロのトリガーを引く可能性があるので使えない。正体不明のトリガーを避けてスミレは術式を施したことになる。
「ぼく、術師になってモモタロウみたいに変身するの。カッコイイ武器もだしてオバケとたたかう! クロもやしなってあげるね」
あまりの無邪気さに笑いがこみ上げてきたが一周回って涙が溢れた。クロはシロを抱きしめた。小さな肩に泣き顔を隠す。
「うん。ありがとうシロ」
「やしなえたら、ぼくとスミレとクロ、ずっといっしょでしょ?」
まだ世界をしらない子供の夢。きっと自分がなんのために生まれたのかも知らない。シロの中の無限の希望と可能性にすがってしまいたくなる。顕力者としても権力者としても上位にいる大人の自分が泣いて助けを請いそうになる。
「うん。そうだね」
涙に掠れた情けない声が出た。
小さな手が側頭部の黒髪を撫でる。間接的にスミレにも撫でられている気がして、でも思わぬ体温の心地よさに、内から沸いてくる温もりに、クロは動けなくなった。
「クロ、ねむい?」
「……うん。すこし」
「おやすみなさい」
「シロ、そばにいてくれる?」
「いいよ」
シロを抱き込んだクロは掛布を引き上げた。高めの体温と穏やかな心音は、初めてかも知れない安らかな眠気を連れてきた。少しだけ、と、自分に言い聞かせて、クロは平和な眠りを味わった。
「おやすみ、シロ」
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