真夜中の逢瀬は終わりを告げる

無月弟(無月蒼)

第1話

 ……山の奥には鬼がいて、迷い混んだ人間を捕らえては食らう。


 ……鬼は時折都に降りてきて、食料や物を奪って行く。


 ……西の町は鬼に火を放たれ、焼け野原になったそうだ。




 鬼は恐ろしいもの。鬼は悪しきもの。

 人間は私達鬼のことを、そんな風に噂します。

 けれども私はこれが、心外でなりません。


 私は鬼。頭に角の生えた、正真正銘の鬼の娘でございます。

 けれど人を食ったことも、物を盗んだこともありません。


 それは何も私に限ったことではなく、人に仇をなさない鬼は、数多くいるのです。

 確かに中には、噂通りの怖い鬼もいますけど、鬼の多くは山の中で狩りをしたり、畑を作って耕したりと、人と変わらぬ生活を送っているのです。

 なのにどうして悪者にされなければならないのか。幼い頃から不思議でなりませんでした。


 人間は私達を嫌い、恐れる。会えばきっと、争いが生まれる。

 だから鬼達は山の奥に隠れながら、ひっそりと暮らしていたのですけど。


 私が十五になったに頃。山菜を取りに山の中を歩いていた時の事。

 崖の下で気を失っている、男の方を見つけたのです。

 歳は私より、少し上くらいでしょうか。着ている物から、身分が高い人であることが分かりました。

 大方狩りをしている途中で、崖から足を滑らせてしまったのでしょう。


 しかし困りました。

 仲間の鬼達からは、人と関わるなと言われていたのですもの。本当なら何も見なかったフリをして立ち去るべきなのでしょうけど。


 私はその男を、助けてしまいました。

 楽な姿勢になるよう寝かせて、足を怪我しているようだったので薬草を塗ってあげました。

 するとそうしているうちに、男は目を覚ましたのです。


「う、う~ん。ここはいったい……はっ!?」


 目を覚ました男は、私を見るなり身構えます。

 きっとこの男にとって、角の生えた女は忌むべき対象だったのでしょう。

 しかし男は何を思ったのか。目を見開き、私をまじまじと見つめてきました。


「……美しい」


 男の口から溢れたのは、予想外の言葉。

 そして男は私が手当てしていたことを知ると、頭を下げてきました。


「ありがとう。そなたのおかげで助かった。それで、その……そなたは鬼なのか?」

「はい、鬼にございます。ですが貴方に、危害を加えるつもりはありません。道がわからないのでしたら、私が麓まで送ります」

「う、うむ。それは助かる」


 麓までの道すがら、私達は話をしました。

 彼は頼秀様と言い、思った通り高い身分のお方。

 お供と共に狩りをするため山に入って、途中で一人はぐれてしまったそうです。


「そなたがいてくれなかったら、俺はあのまま死んでいたかもしれん。そなた、名は?」

「楓と申します」

「楓か、良い名だ。この恩は、いつか必ず返すからな」


 こうして、頼秀様は麓の町へと帰っていきました。


 これが、頼秀様との縁の始まり。

 その後頼秀様は幾度となく山を訪れ、私に会いに来てくれたのです。


 頼秀様が来られるのは、いつも真夜中。夜の山道は危険ですが、私に会っている事が知られないよう人目を避け、夜に来ているのだそうです。

 そしてそれは、私にとっても好都合。仲間の鬼達が寝静まった頃こっそり住み家を抜け出して、頼秀様に会いに行きました。


「楓、このかんざしをお前にやる。きっと似合うぞ」


 手渡された簪は、それはそれは綺麗で。だけど私がこんなものを着けても、似合うでしょうか? 何せ簪よりも目立つ、角が生えているのですから。

 しかし、頼秀様は言います。


「何を言うか。その角すらも美しいと言うのに。そなたは鬼だが、その美しさは本物だ」


 満面の笑みを浮かべながら仰る頼秀様。

 彼がなぜこんなにも山へと通うのか、気づいていないわけではありません。

 そして私自信も、頼秀様に惹かれていきました。


 だけどもしも頼秀様と会っていることが仲間の鬼達に知られたら、きっと止められるでしょう。

 だから私は頼秀様のことを誰にも言わず、二人だけの逢瀬は続いていきました。


 何度も重ねた、真夜中の逢瀬。

 そしてある晩のこと。いつものように頼秀様と会っていたら、しとしとと雨が降り始めました。


 幸い近くに洞窟があったので、中へともぐり。頼秀様は私に寄り添い、濡れて冷えた体を暖めてくださいました。


「楓。お前の全てを、俺にくれないか」


 熱い吐息が、耳元に掛かる。

 私は頼秀様が言わんとしている事をわかった上で、こくりと頷きました。


「頼秀様、楓は嬉しゅうございます」


 己の全てをさらけ出し、頼秀様を受け入れる。

 それまるで、夢のような一時。

 肌を合わせ、幸せを噛み締める私の耳元で、頼秀様は囁きました。


「楓よ、お前は美しくて優しい。まるで人間のようだ」


「お前は穏やかで、一緒にいると心癒される。他の鬼達とは全然違う」


「お前は鬼でも、心は清らか。人間と同じだ」


 それらの言葉を聞いて、私は涙を流しました。


 お慕いしていた頼秀様に、まさかそのような事を言われるだなんて。





 その後も私達は人目を忍びながら、逢瀬を繰り返しました。

 しかしある晩、頼秀様が血相を変えてやって来たのです。


「楓、今すぐここから逃げろ」

「逃げる? いったい、どうしたと言うのです?」

「山に住む鬼の討伐が決まった。間もなく鬼狩りの軍制が、ここに押し寄せてくる」

「何ですと!?」


 なんと言うことでしょう。

 山の奥には何人もの鬼達が、ひっそりと暮らしています。中にはまだ、幼い小鬼もいると言うのに。


「い、今すぐ皆に知らせないと」

「待て。どこへ逃げても、連中は必ず鬼を見つけ出す。鬼を討つまで、決して狩りを止めはしない。他の鬼達と一緒にいたら、お前も殺されてしまう!」

「ならば、どうすれば良いのです?」

「お前だけでも、俺と一緒に逃げよう!」

「そんな!?」


 言葉を失いました。

 頼秀様は私に、仲間を見捨てて自分だけ逃げろと仰るのですか?


 私の仲間達。鬼の命などどうでも良いと、お考えなのでしょうか?


 熱かった胸の奥が、まるで氷のように冷たくなっていく。

 ええ。いずれこんな日が来ることは、分かっていましたとも。

 貴方と一夜を共にしたあの日から。


 私は無言で、頼秀様に背を向ける。


「楓?」

「頼秀様、お帰りください。私は、仲間の鬼達と共に行きます」

「待て。お前まで行く必要はない。死ぬと分かっていて、鬼の生き方をすることはないんだ!」


 引き留めようと手を伸ばしてくる頼秀様。

 しかし、私はそれを振り払う。


「鬼の生き方とは何ですか? そもそもどうして、理不尽に殺されなければならないのです? 私達は殺しも盗みもせずに、ただひっそりと暮らしていただけなのに」


 確かに、人に仇なす鬼も中にはいます。

 ですが多くの鬼は争いを避け、山の奥で身を潜めて生きてきました。


 私にしてみれば穏やかに暮らしている鬼よりも、平穏を壊そうとする人間達の方が余程恐ろしい。


「悪い鬼もいますけど、そうではない鬼もたくさんいます。そしてそれは、人間も同じなのではないですか? 良い人もいれば悪い人もいる、違いますか?」

「それは……」

「貴方は前に、私に言いました。私の心は清らか、人間と同じだと。ですが鬼も人も、心に違いなどございません。それなのにどうして、人間の心は優しくて清らか。鬼はそうではないとされるのです?」


 このように考えるのは頼秀様が胸の奥底で、鬼は悪しき者と思っているからに他なりません。

 頼秀様は私を愛してくれましたけど、鬼を受け入れてはくれなかったのです。私が鬼であることを、認めてはくれなかったのです。


『楓よ、お前は美しくて優しい。まるで人間のようだ』


『お前は穏やかで、一緒にいると心癒される。他の鬼達とは全然違う』


『お前は鬼でも、心は清らか。人間と同じだ』


 頼秀様と結ばれた夜。囁かれた言葉を聞いて、私は涙しました。

 悲しくて悲しくて、涙しました。


 鬼と人間の違いなんて、角があるか無いか。ただそれだけのことで、どうして私達が悪とされなければならないのでしょう。


 あの夜、私は分かってしまったのです。

 どれだけ愛そうとも、愛されようとも。この人とは相容れることはないと。

 それでも離れたくなくて、今日まで長々と関係を続けてきましたけど、それも今宵限りです。


「さようなら頼秀様。私のことは、どうかお忘れになってください」

「待て! 頼む楓、行かないでくれ!」


 頼秀様がいくら叫ぶも、私は振り返ることなく、闇の奥へと去って行く。

 危機が迫っていることを、仲間の鬼達に知らせないと。


 真夜中の逢瀬は、これで終わり。

 どこか遠くへ、できるだけ遠くへ。人の目が届かない所まで逃げて、そこでまたひっそりと暮らすのです。


 そして願わくば。

 心を焦がすほど愛したことも、胸が張り裂けそうなほど悲しかった夜のことも。

 その全てを、いつか忘れられますように。



 了


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