第45話 エピローグ 

 煤けたガラス窓から差し込んだ朝日が埃っぽい床を照らしている。眠い目をこすりながら一度寝返りを打って、冬波はベッドから半身を起こした。昨夜は柊都映画城はずれの洞窟に月影を連れていった。紫遠を殺すと息巻いていたが、青藍の話によれば、紫遠と共に彼の時代へ帰ったということだった。


 これが最後の別れかもしれないと予感はしていたものの、あまりにもあっけなくてまるで夢を見ているようだ。月影は一回り年嵩で、偉そうだったが自分を一人の人間として接してくれた。現代のことを教えるたびに驚いてくれたのも楽しかった。学校にも行かず、叔父の手伝いをしながらゴロツキのような大人たちとの付き合いしか無かった冬波には新鮮な体験だった。


 冬波は古い机の引き出しを開ける。巾着袋を取り出し、紐を緩めた。中には金細工の装飾品や宝石がいくつも入っている。夢じゃ無い。月影が冬波のためにとくれたものだ。同じ引き出しにしまっておいたくしゃくしゃになった白い封筒を手に取った。幽風が丸めてゴミ箱に捨てたものだ。


 紫遠は生活と病苦に苦しむ青藍の母のために身につけていた装飾品を金に換えて渡して欲しいと依頼した。紫遠が去ったあと、青藍の母の住所か書いてある封筒を幽風は躊躇いも無く捨てた。きっとまるごと着服する気だ。紫遠はもういない、誰も幽風を断罪できない。


 冬波は巾着と封筒を掴み、一階の春秋堂店舗へ階段を降りていく。幽風は狭いカウンターでいつものようにタバコを吹かしている。冬波は幽風の前に立ち、巾着袋を突きつけた。

「おう、何だこれは」

 幽風は怪訝な顔で冬波を見上げる。巾着袋を乱暴に奪い、逆さにして中のものをカウンターの上にぶちまけた。ごろごろと金細工の装飾品や宝石が転がる。幽風は冬波の顔と見比べる。

「月影が寄越したものか」

「そうだ」

 冬波は唇を強く引き結んで幽風を見据える。幽風はこれはとんでもない価値があると直ぐさま鑑定を始めた。


 冬波は幽風にくしゃくしゃになった白い封筒を差し出す。幽風はそれを見て手を止め、冬波の顔を見た。

「おめぇ、何でそれを持ってやがるんだ」

 幽風は眉間に皺を寄せている。見つかって都合が悪いのだ。その様子から紫遠の思いは青藍の母に届いていないことが見て取れた。

「叔父貴、これを売った金をここへ届けておくれよ」

 冬波の有無を言わせぬ強い眼差しに、幽風は一瞬気を呑まれた。しかし、フンと鼻で笑い灰皿で燃えかすになりかけのタバコを揉み消す。


「その必要はねえ」

「青藍はお母さんが病気で苦しんでいるから大学を辞めようとしているんだ。お母さんのために必要な大事なお金なのに、叔父貴は人でなしだ」

 冬波は目に涙を溜めて叫ぶ。幽風は額に血管を浮かせて冬波を睨み付ける。

「お前、育ててもらってその言い草はなんだ」

 売り言葉に買い言葉、幽風と冬波は睨み合う。叔父はやはり強欲なろくでなしだ。

「もういい、出て行ってやる」

 冬波は涙を乱暴に拭い、ドアにかけ出した。ちょうど店に駆け込んできた青藍とぶつかって尻もちをつく。


「青藍」

 思わぬ再開に、冬波は青藍を見上げてぽかんと口を開けている。

「冬波、君はこの店の子だったのか」

 青藍も意外な場所で冬波に出会って驚いている。冬波は青藍に申し訳無くて、俯いた。青藍は冬波を立たせてやり、カウンターにいる幽風を見やる。

「座れば良い、そこの椅子を使いな」

 幽風はまたタバコに火を点けて紫煙をくゆらせ始めた。青藍は紫遠の依頼を知って、ここへ乗り込んできたのだろう、冬波は叔父がどう出るか表情を強張らせて立ちすくむ。


「あなたが春秋堂の店主ですね」

「そうだよ」

 青藍の問いに幽風はぶっきらぼうに返答する。

「ありがとうございました」

 青藍が深々と頭を下げた。冬波はその様子を見て、目を丸める。

「チッ。店の名前は出さなくて良いと言ったんだがな。俺はお前さんの友達からの依頼を仲介しただけだ。相応の手数料はもらったがな」

 幽風は悠々と煙を吐き出す。


「叔父貴、どうして、封筒は捨てたのに」

 冬波は手にした封筒と幽風を見比べる。

「今の時代、インターネットがあるだろうよ。俺は仕事が早いんだよ」

 幽風は自慢げに胸を張る。紫遠からの依頼を受けたあと、すぐに宝飾品を鑑定して値段を出した。品物を金に換えるのを待たず、青藍の母に送金手配をしたという。

「ごめんよ、人でなしなんて言って」

 幽風は申し訳ななさそうに項垂れる。

「そうだ、俺はろくでなしだが、人でなしじゃねえぞ」

 そう言って幽風は笑う。


「これで母を説得して病気の治療ができます。柊都にアパートを借りてそこに住まわせようと思います。大学病院も近いから、無理なく通えるはずだ」

 青藍の顔は明るい。

「青藍、大学は辞めずに済むの」

「ああ、母のことも、住まいの心配も無くなった。俺は今まで通りアルバイトをしながら大学に通える」

 冬波はそれを聞いて涙ぐんで頷いた。

「俺は紫遠と約束した。彼の生きた時代を研究して後世に伝えていくと。今は教育学部で学んでいる、歴史を教える教師になるよ。教師をしながら大学院で歴史学を学ぶ。紫遠との約束を果たすんだ」

 青藍は夢に向かって志を新たにした。


「見上げた根性だ、そうだ。にいちゃん、こいつに勉強を教えてやってくれないか」

 幽風の提案に、青藍はもちろんと頷いた。

「お願いします、俺、学校に行きたいんだ」

 冬波は青藍に深々と頭を下げた。基礎教育を一通り教えて、受験に合格できれば高校へ通うことができる。

「バイト代は弾むからよ、こいつ金持ちだからな」

 幽風はカウンターにバラ撒かれた宝飾品を巾着につめて冬波に返した。

「月影に言われたんだろう。これは学校に行くためだ、大事に持っておけよ」

「叔父貴、ありがとう」


 ***


 三年後、都北図書館併設の資料館で、小さな展示会が開かれていた。狭い展示スペースにはたくさんの観覧客が入っており、真剣にパネル展示や資料を眺めている。宗王朝時代の文化、芸術というテーマで、小さな資料館の収蔵品とは思えない見事な展示品が赤いビロード地の上に並ぶ。

「すごいわ、素敵なデザインね」

「こんな大きな宝石、見たこと無いわ」

 磨き上げられた金細工の装飾品の数々に、観覧客はため息を漏らす。

「燈迦の詩が好きだわ、とても繊細で情感に溢れていて」

「彼は宗皇帝の弟で、政治を支えた優秀な人物でもあるんだよ」

 若い学生カップルは歴史を学んでいるようだ。


 大盛況の展示室の片隅で、青藍と冬波はその様子を見守っている。

「ひとつ小さな夢が無かったよ」

 青藍は感慨深く呟く。

「うん、とてもいい展示になったね」

 冬波も満足そうだ。背も伸びて、顔立ちも凜々しくなった彼は、今年から高校生になる。


 高校で歴史を教える傍ら、青藍は宗王朝の研究に没頭した。宗の歴史はそれまで知っていた悲惨なものから華々しい記録に塗り替えられていた。

 紫遠が無事に古代に戻り、朱鴎の陰謀を阻止できたのだ。彼は後に皇帝となり、国の発展に尽力した。有能な将軍月影と大臣青蘭の名前も有名で、紫遠とともに歴史ゲームキャラクターにも登場するほどの人気だ。


 青藍は都北図書館の管理者に宗王朝に関する研究発表の場を貸して欲しいと企画を持ちかけた。管理者はそれは是非に、と賛同してくれた。埃かぶって閉鎖されたままの資料館を綺麗に掃除し、パネルや展示物を青藍と彼の生徒たちで準備した。冬波もそれを手伝った。


 格子窓の外には桜の花が満開だ。紫遠と過ごした短い日々は鮮明に覚えている。彼と出会わなければ、夢の実現に向けて行動しようと思わなかっただろう。

「へっくしょい」

 混み合った展示室の中で大きなくしゃみが聞こえた。どこか懐かしい、聞き覚えのあるくしゃみに青藍は振り返る。

「紫遠」

 そこには紫遠がいた。青藍は思わず目を見張る。いや、紫遠のはずはない。彼は古代に戻ったのだから。青藍はゆるゆると首を振る。紫遠に似た青年は不思議そうな表情で青藍を見つめている。


「この展示とてもいいね、俺の祖先は宗王朝の子孫って言われているんだけど、誇らしいよ」

 紫遠に似た青年は鼻を啜りながら笑う。その笑顔は紫遠にそっくりだ。

「もっと詳しい資料があるよ、時間はあるかな」

「ぜひ見せて欲しい」

 紫遠に似た青年は興味を示した。

「おい、紫音何やってんだ」

 背後から銀髪の切れ長の瞳の青年が声をかける。

「彼は友達なんだよ、一緒の大学で月永っていうんだ」

 バンドをやっており、髪は銀色に染めているらしい。青藍と冬波は顔を見合わせて笑う。


「そう、じゃあ彼も一緒に。お茶を淹れよう」

 青藍と冬波は展示室の奥の準備室へ二人を案内した。

「この鏡、見たことがあるかい」

 青藍は大判のファイルを広げて辟邪鏡と天禄鏡の写真を示した。

「これは、久遠の魔鏡というんだ。これには面白い物語があってね」

 青藍の話に紫音と月永は鏡に興味津々だ。

 開いた格子窓から気まぐれな春風が吹き込んでカーテンを揺らした。澄んだ金色の茶に風に運ばれたひとひらの桜の花びらが浮かんでいた。

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久遠の魔鏡−古代の皇子と現代の大学生バディが王朝の運命を握る魔鏡の謎を解く 神崎あきら @akatuki_kz

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