第44話 桜舞う丘
異国の煌びやかな衣を纏う女たちが二胡の演奏に合わせて優雅な舞を披露している。華やかな色で染め上げた絹の布は、光の加減でときに七色にも見えた。
女たちの艶めかしい舞踏に、朱鴎は杯を傾けながら口許を緩める。今日の酒は格段に美味い。
「朱鴎様、どうぞ」
杯が空になる前に、脇に控える女が酒を注ぐ。そのしとやかな仕草に機嫌を良くした朱鴎はすぐに杯を空けた。女の肩を抱き、艶やかな黒髪に指を滑らせる。髪が揺れるたびに、エキゾチックな香りが鼻腔をくすぐる。
「朱鴎様、いけませんわ」
女が恥じらいながら顔を背ける。目鼻立ちがくっきりした品の良い顔立ちの女だ。薄紅を引いた小ぶりの唇も好みだった。朱鴎は耳まで赤くした顔を女の頬に近づけて、囁きかける。
「なにがいけないものか。私は近く皇帝になる男だ。お前を気に入った。後宮に置いて可愛がってやろう」
朱鴎は女の髪に指を絡めながら卑しい笑みを浮かべる。
「そんな大それたことをおっしゃって、ずいぶん酔っていらっしゃる」
女は困ったような表情を浮かべる。
「これは勝利の美酒だ。俺はもうじきすべてを手に入れる」
女は杯に酒をなみなみと注ぐ。朱鴎は機嫌良くそれを飲み干す。
「すばらしいですわ、朱鴎様。でも一体どのように」
朱鴎は上機嫌で自分を褒めちぎる女の膝に手を這わせる。
「紫遠将軍が暗殺されたのはお前でも知っているだろう。西域に派遣された二〇万の兵は指揮官を失い、混乱している。都の警護は手薄だ。今、玄兎族が侵攻すれば、都は容易く陥落する」
「それでは、朱鴎様にも危険が及びますわ」
女が心配そうに朱鴎の顔を覗き込む。
「私は抜かりの無い男だ。すでに玄兎族と密約を取り交わしている。私が皇帝に即位した暁には充分な領土と特権を与えるという条件に飛びついた。関所を開け放ち、奴らを都に導き入れるのも策のうちよ」
宗王朝を滅ぼし、祖先の汚名を晴らすことができる。朱鴎はおかしくてたまらないという様子で高らかに笑い声を上げる。
朱鴎はひとしきり笑い、手を軽く振った。二胡の演奏がぴたりと止まり、演者はしずしずと広間から出て行く。舞を踊っていた女たちも頭を上げたまま滑るように退場した。
「さて、私がどういう男か分かっただろう。お前は運が良いぞ」
朱鴎は女の手を持ち、無理矢理押し倒そうとする。女はいやいやをしながら抵抗する。
「いけません、おやめください」
女の抵抗が思いのほか強く、朱鴎は気分を損ねる。長い髪を掴み、引き回そうとする。女の髪がすっぽりと抜けた。手の中にある黒い髪の束を見て、朱鴎は驚いて目を見張る。
「なっ、こ、これは」
女の髪は作り物だった。短髪の女がこちらを睨み付けている。その意思の強い顔には見覚えがあった。牢に繋いだはずの紫遠の従者、青蘭だ。
「お前、何故ここに」
朱鴎は台の下に隠しておいた剣を抜き、青蘭に突きつける。その顔は怒りと焦りで醜く歪んでいる。
「お前の悪事を暴くためだ」
青蘭の凜とした佇まいに、朱鴎は思わず怯む。その目は朱鴎を厳しく断罪している。国家転覆の陰謀を企てたことが明るみに出たら、自分の命は愚か三族が滅ぼされる。紫遠暗殺の濡れ衣を着せ、公開処刑の予定だったが、ここで殺すより他はない。朱鴎は抜き身の剣を振り上げる。
キィンと金属がぶつかる音がして、袈裟懸けに振り落とした剣が何かに弾かれた。
「き、貴様、月影」
目の前には黒装束を身に纏う銀髪の暗殺者、月影が月輪を手にして立っている。ここに居るはずの無い男の姿に、朱鴎は激しく取り乱す。
「貴様、やはり裏切ったか。ここまで育て上げた恩を忘れたのか」
朱鴎は月影を指さし、口汚く罵る。
「お前は最初から俺を信用していなかった」
月影は冷ややかな瞳で朱鴎を見据えている。朱鴎ははっと気付いて頭を振る。全てを見透かすような月影の怜悧な瞳に内心いつも怯えていた。紫遠暗殺の指令を与えることで異界へ向かわせ、体よく追い払うことができたと思っていた。
「何を言う、お前には全幅の信頼を置いている。だからこそ紫遠暗殺の大役を与えたのだ。そうか、成功して戻ってきたんだな。嬉しいぞ」
朱鴎は慌てて取り繕う。
「お前の大それた陰謀はしかと聞いた」
帷幕から姿を現わしたのは宗の皇子、紫遠だ。朱鴎は驚愕のあまり、あんぐりと口を開け動きを止めた。額から脂汗がたらたらと流れる。なぜ消えたはずの紫遠がここにいるのか。朱鴎は信じられないという顔で血走った目を見開く。
「私利私欲のために蛮族と裏取引をして、我が国、そして民を危険に晒した大逆の罪でお前を捕らえる」
紫遠が手を上げると、廊下から続々と兵がやってきて朱鴎の身を拘束した。朱鴎はなり振りかまわず暴れ、無様を晒している。
「往生際の悪い奴だ」
紫遠はその様子を見て呆れている。沈黙を守る月影も冷ややかに朱鴎を見下ろしている。兵の一人が槍の石突で朱鴎の頭を殴りつけた。朱鴎は白目を剥いて気絶した。
朱鴎の屋敷から玄兎族との密約を示す竹簡と貢ぎ物が見つかり、国家転覆の陰謀は白日の下に晒された。紫遠の命で北東からの侵攻ルートに速やかに軍を配備し、玄兎族の侵攻を防ぐことができた。そして、朱鴎の管理下にあった関所の防備を皇軍直轄とした。
紫遠は今後、玄兎族とも和平交渉を進めていく考えを示した。
今回の件は朱鴎の独断と証明されたこともあり、朱鴎のみを終身刑とした。この先一生牢獄に繋がれることになる。
月影以下、朱鴎の私設暗殺部隊は宗王朝の正規軍に組み込まれた。紫遠は月影をその長に立てた。
皇帝は紫遠の功績を称え、正式に後継者として指名することになる。紫遠は弟の燈迦に文化、芸術の発展と保護を司る役割を与えるよう進言した。後に燈迦は、彼自身も優れた詩人として名を残すことになる。
***
目を開ければ、どこまでも高く澄んだ青空が広がっている。柔らかい芝生に寝転んだ紫遠は、ひとつ大きなあくびをする。いたずらな風が桜の枝を揺らし、薄紅色の花びらが降り注ぐ。
「へっくしょい」
鼻の頭に落ちた花びらを紫遠のくしゃみが吹き飛ばした。その様子を横見ていた青蘭はふふっと笑う。
「陛下がお呼びというのに、呑気なものですね」
「ここ最近、働き過ぎだ。たまには休息も必要だ」
それについては青蘭も異論は無かった。昼は優秀な師の元で学び、夜は軍の編成に頭を悩ませる。ここ最近、紫遠はよくやっている。
朱鴎の陰謀を暴き、玄兎族の侵攻を防いで以来、皇帝はこれまで以上に紫遠を政に参加させるようになった。手始めに、朱鴎の直轄領で苦しい生活を強いられていた少数民族を保護する施策を打ち出した。
「おい、調練はどうした」
月影が呆れた顔で腰に手を当てて紫遠を見下ろす。陽の光に輝く銀色の髪が風にそよぐ。紫遠は調練の監督を抜け出してきたところを見つかって、バツの悪い表情を浮かべる。
「口うるさいのが増えたな」
面倒臭そうに半身を起こし、伸びをする。月影は紫遠の横に腰を下ろした。
「ここは良い場所だな」
月影は穏やかな表情を浮かべる。
「そうだ、俺のとっておきの隠れ場所なんだ」
紫遠は誇らしげに胸を張る。ここからは壮麗な柊都の風景が見下ろせる。この国が1800年先も、その先も繁栄し続けるよう、民が安寧に暮らせるよう守りたい。紫遠はその想いを胸に刻みつける。
「見てくれよ、俺の生きた証を」
桜吹雪舞う青空を見上げ、紫遠は誰にともなく呟いた。
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