第43話 青蘭との再会

 そのまま二人、座り込んだまま月が照らす蒼い砂漠を見つめている。紫遠と月影は互いに全力でぶつかり合い、力を使い果たした。月影は心の奥で渦巻いていたどす黒い怨念が砂に溶けていくような気がした。

「お、そうだ」

 紫遠が胸元から串に刺した赤い実を取り出した。大ぶりの飴玉ほどの実が八つ連なり、艶々と光り輝いている。柊都大街で青藍にねだって買ってもらった山査子飴だ。紫遠は一本を月影に手渡す。月影は躊躇いながらもそれを受け取った。山査子の実は食べたことがあるが、飴でコーティングされているのは初めて見る。


「へへ、これうまいぞ」

 紫遠はぱくっとかじりつく。飴の甘さと山査子の酸味が疲れた身体にじんわり染み渡る。山査子の実をぷっと飛ばした。

 月影は艶やかな実をじっと見つめていたが、ひとつ口に含んでみた。飴の素朴な甘さに思わず口許が緩む。紫遠に倣い、種を飛ばした。

「お、やるな」

「フン、貴様に負けるものか」

 月影は鼻を鳴らして笑う。八つあった実はあっという間に無くなった。


「これからどうするんだ」

 紫遠は膝を抱えて遠くを見つめる月影を見やる。

「俺は同胞を殺した男にそうと知らず、忠義を貫いてきた。己の愚かさを心底呪う」

 朱鴎に騙されていたことを知り、月影は奥歯をギリと噛みしめる。朱鴎の私利私欲のため、多くの命を奪ってきた。朱鴎の命は絶対だ。これまで疑問を抱く余地など無かった。身よりのない若者を集めて洗脳し、恨みの矛先を王家に向け、自分の意のままになるよう飼い慣らしてきたのだ。月影もその一人だった。


「なあ、俺を助けてくれないか」

 思わぬ提案に、月影は眉を顰める。

「この国に危機が迫っている。それに、青蘭を救いたい。そのためには月影、お前の力が必要だ」

 紫遠はまっすぐな瞳で月影を見つめる。その真剣な眼差しに月影はひどく心を揺さぶられた。紫遠は自分を心底必要としている、そう信じられた。月影は目を閉じて頷く。

「ありがとな」

 紫遠はにこりと微笑む。月影ははっと顔を上げた。そんな言葉、言われたことなどなかった。頬が紅潮しているのが分かり、思わず顔を背ける。


 東の空が明るみ始めた。砂丘の彼方に光が差す。眩しさに目を細めていると、一頭の黒毛の馬がこちらへ向かってくるのが見えた。月影の愛馬だ。彼が消えて、仲間が砂漠に放ったのだろう。

「戻ってきてくれたのか」

 月影は艶やかな黒い肌を慈しむように撫でる。

「紫遠、青蘭は宮殿の地下に投獄されている。お前を殺害した罪を着せ、処刑するつもりだ」

 朱鴎は将軍である紫遠が死んだことにして、軍を混乱に陥れようとしている。そのデモンストレーションに青蘭を利用しようというのだ。どこまでも卑劣な男だ。紫遠は唇を噛む。


「李州城への襲撃は偽りの情報だな」

 紫遠は厳めしい軍人の顔になる。

「そうだ、軍の大半が李州城へ向い、都の警護が手薄になった隙をついて北東から遅う算段と聞いている」

 歴史博物館で見た柊都襲撃のミニチュアの通りだ。

「俺は都に戻る。朱鴎には俺が生きていることはまだ秘密にしておきたい。月影、早馬で伝令を頼めるか」

 月影は直属の部下、幽風に紫遠の密命を持たせ、李州城に進軍する将の元へ走らせることにした。李州城の守りは最小限の兵を残し、全軍すぐに柊都へ引き返すよう命じるものだ。

 紫遠は表舞台には立たず、腹心の部下を通して各将に炎の壁を越えて侵攻する玄兎族に備える配置を敷くよう指令を出した。


「青蘭を救い出す」

 紫遠は月影を連れ、宮殿地下の牢獄へ赴いた。門番を買収し、地下へと降りていく。鼻をつく黴の匂いと湿気、そして時折暗闇に響く呻き声。こんな場所に青蘭が閉じ込められているとは。紫遠は悔しさに唇を噛む。

 鉄格子の向こうで、青蘭は壁の小さな隙間から微かに漏れる月の光を見上げていた。ひどくやつれているが、その表情は凜としている。

「青蘭」

 紫遠は思わず檻にしがみつく。ここにいるはずの無い友の声が聞こえる。いよいよ幻聴が聞こえるようになったのか、とぼんやり考えながら青蘭はゆっくりと振り返る。目の前にぼろを纏った男が立っていた。その背格好、隠しようのない瞳の輝き、紫遠だ。


 青蘭は目を見開いた。もつれそうな足取りで檻に近付いていく。

「ああ紫遠、これは幻ではないのか」

 青蘭は震える手を伸ばす。紫遠はその細い指を強く握りしめる。青蘭はその温もりに、肩を震わせて双眸から大粒の涙を流す。

「髪を切ったのか」

 紫遠は青蘭の美しい髪がばっさりと切られていることに衝撃を受けた。

「はい、これから暑くなるから、ちょうどいいでしょう」

 青蘭は穏やかに微笑む。


「囚人に馴れ馴れしく近付くな」

 守衛が厳めしい顔で紫遠に槍を突きつける。月影が音も無く守衛の背後に立ち、首筋に月輪を当てる。刃の冷たさに守衛はヒッと声を上げる。

 紫遠は立ち上がり、外套の頭巾を脱いだ。松明の光に照らされるその顔を見て、守衛は反射的に膝を折り深々と頭を下げた。

「紫遠様、どうかご無礼をお許しください」

「いいんだ、立ってくれ」

 紫遠は恐れ多いとひれ伏したままの守衛の腕を取り、立たせてやる。

「これは王朝を転覆させようとしている朱鴎の陰謀だ。協力してもらえるか」

 紫遠は守衛に命じて牢の鍵を開けさせた。青蘭の身体を支えて地下牢を出る。青蘭がここを抜け出したことを知られぬため、牢には換え玉として青蘭と背格好の似た月影の部下を残した。


「私の伝言を見つけてくれたんですね」

「ああ、お前のおかげで俺はここへ戻ってくることができた」

 青蘭は嬉しそうに良かったと何度も頷く。

「俺は1800年も先の時代を見てきた。そこにはお前にそっくりな奴がいてさ、すごく生意気で、口が悪くてさ」

 紫遠は楽しそうにおどけながら話す。未来での冒険譚は尽きることはない。その様子を青蘭は微笑ましく見つめている。

「よし、役者は揃った。これから朱鴎の奴に仕返しだ」

 紫遠は月影を見てニヤリと笑う。月影は腕組をしたまま静かに頷く。



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