機械少女と突撃

5月10日、午前10時。

私と秋斗は楓のアパートに向かって歩いていた。

目的は、

彼の隠し事を暴くための材料を集める事だ。

歯ブラシとか、布団とか、匂いとか。

何か女がいた形跡が残っているかもしれないし、

もしかしたら女そのものがいるかもしれない。

今頃、楓は真面目に授業を受けている事だろう。

私達は体調不良を理由として学校を休んだが、

彼は私の事を少しは心配してくれているだろうか。

「秋斗、女、いるかな?」

隣の秋斗に話しかけてみる。

「どうだろ」と彼は首を傾げた。

「まあ、行ってみれば何か分かる。

それは間違いないな」

「うん」私は頷く。

「昨日の態度もおかしかったし」

「なにより、見たんだろ?

知らん女の子と2人で歩くアイツをさ」

「たまたま、ね。見ちゃった。

仲良さそうに笑っててさ、嫉妬しちゃうよ」

そうかそうか、と秋斗は笑ってくれた。

少し気が楽になる。

その時の光景を思い返してみると、

酷く胸が苦しくなった。

「私、もう1つ気に入らないことがあってさ」

「へえ?」

「その子、人形みたいに綺麗だったの」

それを聞いた秋斗は口角を上げ、ニヤリとした。

「いやいや竜胆さん。あなたもお綺麗よ?」

「ふふ、ありがとね」

私達は十字路を曲がった。

ここから楓のアパートまではすぐだ。

1歩、また1歩と足を踏み出す度に

あの女の正体に

近付いているような感覚がして緊張する。

「着いたな」

「ドキドキするね」

そうして、

私達はあっという間に目的地へ到着してしまった。

階段を登ってすぐのドアの前に立った。

私は1度深呼吸をする。

その後にポケットから楓の家の合鍵を取り出し、

秋斗に見せた。

「これ、楓の家の合鍵。

もし出なかったら中入るよ」

彼は驚き

「は?え、いつの間にそんなの貰ったんだ?」

と聞いてきた。

私は人差し指で自分の唇を押さえ、

「秘密」と言って笑った。

「じゃあ、行くよ」

意を決して、インターフォンを押した。

隣で秋斗が唾を飲み込む音が聞こえた。

ゆっくり、ゆっくりとドアノブが回った。

中から、小柄で、髪の長い女が出てきた。

例の、人形みたいな女だった。

彼女はこちらを一瞥し、訊いてきた。

「こんにちは、何の御用ですか?」


ここに来てから5日目の朝だ。

私は今朝も楓君のベットの上で目覚めた。

一人でベッドを占領しているので、

多少の罪悪感はあるがその分寝心地は良い。

居候の立場にある自分のやるべき行為ではないが、

やはり質のいい睡眠の気持ち良さには勝てず

彼の優しさに甘えているのだった。

私達はそれぞれ違う場所で夢を見ている。

ふと、

楓君は私が来てから何処で寝ているのだろうか?

という疑問が浮かんだが、

まあ、ソファとかだろう、

とその疑問を打ち消した。

私が起きてくる頃には、

楓君は既に起床し朝食を作っている事が

ほとんどなので

彼が寝ているのを1度しか見たことが無い。

その時は、彼は机に突っ伏して寝ていた。

「ふぁーあ」

大きなあくびをして、背伸びをした。

今日も快眠だった。

ここにきた当初は、

新しい環境に慣れずろくに眠れない日々が

続くと思っていたのだが、そんな事はなかった。

私はすかさず二度寝の体勢に入る。

良く考えたら私ってただのニートなのでは?

そんな考えが頭をよぎるが気づかないふりをした。

無職でも許されるほどに私は可愛いのだ、

いや違う、私は楓君を癒す仕事をしているのだ。

言い訳を並べて現実から少し逃げる。

ここで、私は思い出した。

今日は月曜日だ。

いつも曇った表情をして

学校へ行く楓君の顔の霧を、

私の可愛い「いってらっしゃい」

で晴らしてあげなくては。

ベットから降りて彼のもとへ向かおうとした時、

私は時計を見て肩を落とした。

時針が9、分針が12の数字を指している。

2つの針の頂点を結ぶと

美しい直角三角形になるような綺麗な9時だ。

大寝坊だ。

溜息をつき、私はキッチンへ向かった。

「あった、朝ごはん」

テーブルの上に、

トーストやスクランブルエッグなどが

盛り付けてある皿が

ラップをされて置いてあった。

本来料理は私がやるべきものだ。

それだけでなく、更に色んなオプションを付け、

その対価として

面倒を見てもらう契約をしたはずだった。

が、あまりの料理の下手さに

楓君は呆れてしまったらしい。

昨日、私が早起きして詰めた彼のお弁当。

それに入れた砂糖と塩を間違って作ってしまった

卵焼きが決め手だったと思われる。

私は電子レンジで朝食を温め直し始めた。

それから少し経って食事を終えると、

インターフォンが鳴った。

ここに来てから初めての音に驚く。

玄関に行き、ドアの覗き穴を見ると

2人の男女の姿が見えた。

楓君と同い年くらいだろうか。

背の高い茶髪の男の子と

髪の長い可愛い女の子がいる。

まあ、開けても問題は無いだろう。

多分、楓君の友達とか、そこら辺だ。

私は自分がパジャマ姿であることに気づくが、

仕方ないと割り切った。

ドアノブを回し、言った。

「こんにちは、何の御用ですか?」


「こんにちは、何の御用ですか?」

楓の部屋から、本当に女の子が出てきた。

それもパジャマ姿で、だ。

まさか、一緒に住んでいるのだろうか。

俺らはすっかり驚いてしまい、

少しの間沈黙が流れた。

女の子は不思議そうな顔をしながら、

「えっと、どうしましたか?」と聞いてきた。

竜胆の様子は、と思い横を見ると、

彼女は目を見開き、女の子を見つめていた。

何を思っているのかは分からないが、

かなりの衝撃を受けているのは分かった。

俺は現役演劇部の力を発揮し、

精一杯“好青年”を演じてみる。

人懐っこい笑顔を作り、ハキハキと話し始めた。

「こんにちは、僕らは楓の友達です」と言うと、

「やっぱり!ほらほら上がってくださいよ。

ゆっくりお話しましょう?」と手招きされた。

素性も分からない人間を

あまりにあっさりと

中に入れてくれようとするので、

彼女はいつか犯罪に巻き込まれるのではないか、

と不安になる。

部屋の奥へ進もうとする彼女を呼び止め、

「余計なお世話だと思うんだけど、

もうちょっと人を疑ってかかった方がいいですよ」

と忠告すると、

「だって1人って寂しいじゃないですか。

話し相手が欲しいんです。許してくださいよ」

と笑われた。

「それとも、あなたは悪い人なんですか?」

「いや、そういう訳でも無いんだけど」

「じゃあ、いいじゃないですか」

彼女は微笑み、「とりあえず上がってください」

と言って奥へ消えていった。

そういえば全然喋らないな、

と思い隣の秋奈を見ると、

彼女の目から涙が溢れ、頬を伝って流れていた。

まだ決まった訳では無いが、

俺から見ても、先程の女の子は

楓と近しい関係である事は疑いようが無かった。

平日の昼間に、一人暮らしの男の家にいる

パジャマ姿の女性なんて

家族か彼女くらいなものだが、

彼には妹も姉もいない。

竜胆は今、失恋の痛みに襲われているのだろう。

「まあ、話をじっくり聞いてみようぜ」

と声をかけ、俺は彼女の背中をさすってやった。

俺は竜胆をなだめながら、

「お邪魔します」と言い部屋に入っていった。

リビングのドアを開けると、

「そこ、座ってください」と声がした。

女の子がテーブルの向かいに座っているのが見え、

俺らもテーブル付近の椅子に腰を下ろした。

彼女は人懐っこい笑顔で話し始める。

「改めて、私は初芽 薺っていいます。よろしくね」

「ああ、こちらこそよろしく」

手を差し伸べ握手を要求すると、

彼女は嬉しそうに手を握り返してくれた。

見ると、彼女は作り物みたいに綺麗な子だった。

それでいて笑顔は可愛らしさがあって、

竜胆が嫉妬するのも分かる気がした。

ふと隣を見ると、彼女はまだ泣いていた。

俺は極力、明るい好青年を演じ続けた。

「俺は水仙秋斗でこっちは竜胆秋奈。

気軽に名前で呼んでくれな」

「分かりました。それじゃあ、秋奈さん」

彼女は悪戯な笑みを浮かべた。

「よく聞いてくださいね。実は」

ここで薺は竜胆の表情を上目遣いで見た。

彼女は竜胆の反応を楽しんでいるようだった。

竜胆は、

期待と不安の混じったような表情をしている。

ひそひそ話をするかのように、薺は囁いた。

「私、楓君の彼女とかじゃないですよ?」


 「薺ちゃん、これ信じられないほどまずい」

秋斗君は私の淹れたコーヒーを飲み、そう言った。

私は首を傾げる。

「おかしいな、楓君と同じようにやったのに」

苦笑する秋斗君の隣に座る秋奈さんもそれを飲み、

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

介護用の機械人形は普通、

家事や料理は得意なものなのだが、

どうやら私は例外らしい。

「じゃあ、お詫びにこれ、飲んでください」

私は冷蔵庫から楓君の缶ジュースを3本取り出し、

苦しむ彼らへ1本ずつ差し出した。

それを受け取った2人はジュースを

すごい勢いで飲み始め、

なんとか笑顔を取り戻した。

秋斗と、秋奈さん。

彼らと出会ってから小一時間しか経っていないが、

楓君は素敵な友達をもったものだと思えた。

秋斗は明るくて楽しい人で、話しやすい。

秋奈さんは可愛くて、女の子らしくて、

何より面白いのが、

楓君に恋をしているらしいことだった。

私を見て泣き出してしまった秋奈さんに

私が彼の恋人ではない事を伝えた時、

彼女は「良かった」と言いながら号泣していた。

楓君も案外、隅には置けないらしい。

秋斗君は咳払いをし、言った。

「じゃあ、そろそろ話を聞こうか」

話とは、私についての事だった。

彼らにとって、

私は突如、

楓君のアパートに住み着いた居候である。

私はどんな人間で、

どんな理由で彼の家に住み着いているのか、

聞きたいということだった。

楓君の友達である2人からすれば、

彼の生活が心配になるのは当然だろう。

私は自分が人間では無いことは隠し、

嘘を混ぜながら事の顛末を伝えた。

私は、家庭の事情で家出をし、

冷たい雨に震えているところを楓君に拾われた。

家事や料理などの労働の対価として、

居候を認めてもらった。

ところが、家出を決行した日の翌日。

私がいなくなって家に1人でいた

“お父さん”が何者かに殺され、

血縁関係のある家族がいなくなってしまい、

私は帰るべき場所を失ってしまった。

それで、私はここに住み着いている。

いつか自立し、彼に恩を返したい。

という内容を話した。

当然、私に血は流れていないので

血縁関係については真っ赤な嘘である。

しかし改めて考れば考えるほど、

私の話は穴だらけだった。

間違いなく私は何かしらの

保護施設の世話になるべきで、

楓君のアパートに住まわせてもらう、

というのは本人の合意があれど

法律的にはアウトなのではないだろうか。

それに、そもそも家族を全て失っても、

住む場所を失う訳でもない。

付け入る隙はいくらでもあった。

が、彼らは納得した。

まだ高校生ということもあり

世間知らずなところがあるのか、

それとも見逃してくれようとしているのかは

不明だが、

私の話を聞いた後、

何か言及してくる事は無かった。

少しして、

「何があっても、楓には手を出さないでね」

と秋奈さんから忠告を受け、

「楓に何かしたら俺らが容赦しない。

普通に暮らす分にはいいけど、

変なことはするなよ」

と秋斗君に念を押された。

私は深く頷き、「約束は守るよ」と言った。

すると、

「よし、話は済んだな。何かして遊ぼうぜ」

と秋斗君が陽気に笑った。

それからは、日が落ちるまで彼らと遊んだ。

ゲームをしたり、みんなで昼食を作ったり、

楓君のスケベな本を探してみたり。

その中で、私は彼らから仕舞いこんであった

ごついカメラの使い方を教えてもらった。

秋斗君は私達同様に使い方が

よく分からないようだったが、

秋奈さんがカメラについて異様に詳しかった。

彼女から使い方を教わり、

記念に1枚、3人で写真を撮った。

その後、

おまけに発見された楓君の秘蔵のエロ本も撮った。

よく分からないが、写真屋さんに行かなければ

私のよく知る形の写真にはならないそうだ。

帰り際、

「じゃあね」と言い私は彼らに手を振った。

「じゃあな!」「またね」

と手を振り返し、2人は帰っていった。

さっきまで3人でいたからか、

いつもの部屋がやけに広く感じて、

少し寂しい気持ちになる。

暇を持て余していると、

ガチャ、と鍵が開く音がした。

楓君が帰ってきたのだろう。

私はカメラを構え、悪戯な笑みを浮かべる。


夕陽が道を照らしていた。

その中を、

僕は颯爽と自転車に乗って駆け抜けていく。

今日も2人と会うために学校へ行ったのに、

珍しく両方とも休みだった。

ただ退屈なだけの、

何の意味も無い時間を過ごしてしまった。

貴重な一日を無駄にした実感が沸々と湧いてくる。

僕にはあと、1年も時間がないというのに。

それにしても、2人は何故休んだのだろうか。

普段から距離の近い彼らの事だし、

揃って熱でも出してしまったのかもしれない。

考え事をしていると時間を忘れてしまうもので、

気づけば見慣れたアパートに到着していた。

自転車を停め、

階段を上がりながら少し先の未来を想像する。

きっと今日も、部屋のドアを開ければ

薺は「おかえり」と声をかけてくれて、

いつもの笑顔を見せてくれるのだろう。

そして僕は「ただいま」と返事をして、

どうでもいい世間話でも話し始めるのだ。

ドアノブを回し部屋に入ると、

何故か秋奈の使っている

香水の匂いがわずかにした気がした。

靴を脱ぎ、リビングのドアを開けると

「楓君、おかえり」

と上機嫌そうな薺の声がして、僕はその方を見た。

すると突然、視界が白く、強く光った。

目の前が真っ白になって何も見えない。

だが、光る前、あのごついカメラを構える薺の姿が

一瞬見えたので僕は「何してんの」と笑った。

「びっくりした?」

「ああ、びっくりした。

まさかそのカメラ、壊れていなかったとはね」

「私の起こしたアクションに驚いてほしいな」

話していると、少しずつ視界が元に戻っていき、

不満そうな表情の薺の姿が見えてきた。

彼女は唇をとんがらかせ、訊いてきた。

「楓君、ただいま、は?」

促されると

なんとなく恥ずかしい気分になったが、

「ただいま」とそれを悟られないよう返した。

「うん、おかえりおかえり。

ところで、君に質問なんだけど」

薺は僕の目をじっと見つめてきた。

「人は何のために、行ってきます、

って言うと思う?」

それを聞いて、

そういうものだから、

という答えが第一に浮かぶが、

答えになっていないことに気づいた。

改めて考えてみると、人は外出する際

なぜ挨拶をするのか分からず、

適当に答えを言ってみた。

「外出しますって伝えるため?」

「行ってきます、って

言う意味を聞いてるんだけどな。

それだけだと何でもいいじゃん」

再度、考えてみてもやはり何も思いつかなかった。

「分かんない」

「そっか、そっか。それは残念だ楓君。

仕方ないから、正解を教えてあげよう。

正解は、ただいま、って言うためだよ」

「へえ」

答えを聞いても意味がわからず、

力の抜けた声が出た。

薺は溜息をつき、説明を始める。

「あのね、行ってきます、

って言葉には二つの意味があるんだよ。

1つは、外出してくるよ、って意味。

もう1つは、またここに帰ってくるよ、って意味」

「なるほど」

薺について、普段のわがままさから

頭の悪い印象があったが、

意外とそうでもないのかもしれないと思い返した。

行ってきます、はただいま、を言うためにある。

頭の片隅に置いておくことにした。

リュックを下ろし、学生服を脱いでいると、

薺がカメラをいじりながら話し始めた。

「そういえばさ、今日、君の友達がうちに来たよ」

急に背筋に冷たいものが走るのがわかった。

「え?友達?」

「うん。今日ね、2人、ここに来たんだよ。

楓君のお友達。面白い男の子と可愛い女の子」

今日、彼らが学校を休んだのは

この為だったと悟った。

だが、2人は何故そんなことをしたのだろうか。

僕の疑惑を暴くことに興味を持って、

手がかりを探しに来たのか。

合鍵なんて誰にも渡してないし、

そんな馬鹿げたことをする意味を

あまり感じなかった。

本当にあの2人だったのか、念の為確認をする。

「もしかして秋斗と、秋奈?」

「正解。いい友達いるね、楓君」

やはりあの2人だったか。

「どんな風だった?薺のこと見て」

「初めは私のこと、不審がってるみたいだった。

でも、すぐに仲良くなれたよ。

ちゃんと話したら、納得してくれた。

あ、私が機械ってことは隠したよ。

それでもまだ、君を心配してると思う」

「なるほどね」

どうやら薺の存在は

明るみになってしまったらしい。

明日、この事について

彼らに何と話せばいいのか考えると

頭が痛くなってきた。

もし上手く話せなければ、

僕らの関係性に亀裂が入ってしまうかもしれない。

そう思うと、明日を迎えるのが怖くなった。

たった一度、捉え方が変わるだけで、

人間の見え方は簡単に歪んでしまう。

そうなれば、

2人との楽しい時間は、

二度と過ごせないかもしれない。

いつもの幸福を失ってしまうかもしれない。

僕の日常が、回り続けていた幸せが、

音を立てて崩れていくのが分かった。

僕は溜息をつき、薺を指さし言った。

「とりあえず、薺」

「なに?」

「絶対に今後は、

知らない人を家に入れちゃダメだよ」

「約束する」

「うんうん、危ないからね」

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機械少女と怪物 九頭坂本 @Tako0419

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