きみ限定のシックスセンス

紫月音湖*竜騎士様~コミカライズ進行中

オレンジサイダー

「あぁっ、もう! だからそっちじゃないって」


 しんと静まり返った深夜の住宅街。団地の一角にある公園の隅っこで、チラチラと揺れる懐中電灯の灯りに向かって、あたしは思わず大声を上げてしまった。


 草木も眠る丑三つ時。あたしの声に反応したのはベンチの下にしゃがみ込んだ黒い塊だけで、幸いにも他の家に灯りが付いた気配はない。一応ぐるりと辺りを見回して誰も起きていないことを確認してから、あたしは奥の黒い塊へと近付いた。


「ねぇ、聞こえてる? ヴラド三世はそっちじゃなくて、あっち。ゴミ箱の隣にあるベンチの下に逃げちゃったってば」

「あれ? そうなの? サヤカの第六感は今日も冴えてるね」


 ベンチの下を覗き込んでいた黒い塊――ほっぺたに乾いた砂を張り付けて笑うのはカズキだ。懐中電灯の白い光に照らされた笑顔はのほほんとしていて、深夜の暗がりをひっそりと捜索している緊張感がまるでない。


「いや、第六感とかじゃなくてさ。カズキが覗き込んだ瞬間に、ヴラド三世逃げてったでしょ? 見えてなかったの?」

「うーん、そうかも? ヴラド三世って黒猫だから、闇に紛れるのがうまいんだよ」

「そのわりには、しっかりカズキの目の前を通り過ぎていったけどね。前髪が邪魔して見えなかっただけなんじゃないの? 面倒くさがって伸び放題じゃない」

「そこまで伸びてないと思うんだけど……」


 眉毛も覆い隠して、カズキの前髪はもはや目にかかる状態だ。それでも苦にならないのは、度数の強い黒縁の眼鏡をかけているからだろう。眼鏡がいい感じに防波堤になっていて、カズキの面倒くさがりな性格を後押ししているのだ。

 おまけに服にも無頓着で、いま着ているのは兄のお下がりだという灰色のパーカーとジーンズ。ショッピングセンターで大量に売られているようなスニーカーは、いつから履いているのか年季の入ったヨレヨレ具合だ。背は低い方ではないのに、猫背のせいで、並んで立つと私とたいして変わらない。


 素材は悪くないのに、正直もったいないと思う。

 長い前髪と眼鏡に隠された顔の造形。自信なさげに見える猫背。サイズの合っていないパーカーの袖からのぞく指は、いわゆる「萌え袖」状態。

 教室の隅っこで、「そう言えばアイツ、今日学校来てた?」とか言われちゃうような外見は、だらしないというより、頼りない男の見てくれだ。

 現にいまも迷い猫ヴラド三世捜索のために訪れた公園で、カズキは何もいないベンチの下を必死に覗き込んでいる。


「あれ? ヴラド三世、いないな。サヤカ、わかる?」

「どうしてあたしに聞くのよ」

「サヤカは、いつもちゃんと周りを見ててくれるから」


 そうやって無自覚に、カズキはいつもあたしの心を簡単に貫いていく。ハートをトゲトゲにして、この甘い気持ちがこぼれ出さないようガードしてるのに、涙ぐましいあたしの努力なんてお構いなしだ。

 赤くなる頬を隠すようにカズキからぷいっと顔を逸らして、あたしは公園の端っこを指差した。


「……あっちの茂み」


 懐中電灯で照らされた茂みの奥では、枝に引っかかって身動きの取れないヴラド三世が、でっぷりと太ったお尻を向けたまま「にぎゃぁ……」と切なく鳴いていた。



 ***



 カズキは、おじいさんが残した雑居ビルの事務所を引き継いで、そこで(顔に似合わず)占い師の仕事をしている。「ほどほどに人生相談承ります」という胡散臭い宣伝文句の書かれた看板の隅っこには、「解決できない場合もあります」という注釈つきだ。

 明らかにふざけた看板を掲げているにもかかわらず、なぜか依頼はそこそこ入ってくるので不思議だ。たぶん、亡くなったおじいさんの顔が広かったのだろう。今夜の猫探しも、おじいさんの知り合いだという上品なマダムからの依頼だった。


「無事に見つかってよかった。サヤカのおかげだね。ありがとう」

「っていうか、あたしがいないとカズキ、何にもできないじゃない。それでよく今まで仕事ができたわね」

「うん。だからサヤカが来てくれて、本当に助かってるよ」


 嫌味も何も通じない。ふにゃりと柔らかな笑顔は鍵をかけた心の扉をいとも簡単にすり抜けて、カズキはまたしてもあたしの胸を騒がしくさせる。

 ほんと、嫌になっちゃう。

 敵意のないその笑みも、嘘偽りのない優しい言葉も。カズキのすべては眩しくて、その光を直視できない自分が時々恨めしいとさえ思ってしまう。


 頼りないけど、放っておけない男の子。いや、たぶんあたしよりも年上なんだけど……いつもふわふわしていて、何だか綿菓子みたい。

 その甘くて優しい綿菓子に、あたしはあの雨の夜、確かに救われたのだ。


「あ、お礼にジュース奢ってあげるよ」


 少し先に、夜を煌々と照らす自動販売機の灯りが見える。青色の自動販売機に売られているのは、あたしの好きなオレンジサイダー。こういうところが、ホント……顔に似合わないんだから。


「オレンジサイダーでいい?」

「聞くな、ばか」


 軽く笑いながらボタンを押すカズキの横で、ふっと黒い影が揺らめいた。さっきから自動販売機の横で蹲っていた奴だ。ジュースを取るカズキの真横でぐぅーっと背を屈めて、視線を合わせようと必死に覗き込んでいる。

 でも残念。お生憎様。カズキに第六感なんてものは、これっぽっちもない。霊の気配も存在もまるでわからないカズキの代わりに、あたしがその役割を引き受けているのだ。


 カズキが見えないぶん、あたしが見える。あたしが祓える。

 あの雨の夜、カズキがあたしを救ってくれたように、今度はあたしがカズキを守るんだ。


「それにしても、ホントに見えないのね」

「え? 何、いたの?」

「いたいた。カズキに気付いて欲しくて、ずーっと覗き込んでた」

「何だか悪いことした……の、かな?」


 ちょっとずれた発言をしながら、カズキがオレンジサイダーの蓋をぷしゅっと開ける。口をつけないまま渡されたペットボトルを、あたしはその嗅いで楽しんだ。


「ホント、何で霊感ゼロなのにあたしが見えたんだろ」


 飲むことのできないオレンジサイダー。しゅわしゅわと弾ける音は、あの夜の雨音と重なって――。



 どうしてここにいるのか。いつからそうしているのか。世界は人で溢れかえっているのに、誰ひとりあたしに気付かない。

 さみしくてさみしくて。降り出した雨に、濡れるはずもないのに体が冷えて、凍えて、蹲っていたあの夜。

「どうしたの?」と、傘をさしてくれたのは――優しい目をしたカズキだった。


 あの時の、カズキの顔が忘れられない。ぬくもりなんか感じないはずなのに、掴まれた手首が火傷しそうなほどに熱くて。それがとてもあったかくて。あたしは子供のように、わんわんと声を張り上げて泣いてしまった。


 あたしの世界に、ただひとり存在するカズキ。

 あたしという存在を、たったひとり見つけてくれるカズキ。

 傘をさしてくれたあの夜から、あたしの一番はカズキになった。けれどこの思いが叶うことは決してない。カズキと共に歩いて行く未来なんて、既に「一生」を終えたあたしが望めるはずもないんだから。


 カズキしかいないあたしの世界を壊したくない。だから、あたしは今日も、この思いを誰にも告げられずにいる。



「ぬぁーご」と鳴いた、野太いヴラド三世の声であたしは過去から目を覚ました。目の前にはあの夜と同じ、優しい目を眼鏡の奥に隠したカズキが笑っていた。


「僕の第六感が働くのはさ、きっときみ限定なんだよ」


 そんな恥ずかしいセリフ、どこで覚えたんだか。それでもあたしは単純だから、嬉しくてつい顔を背けてしまう。


 しんとした夜の空気が、ほんの少しだけあまく香る。

 しゅわしゅわと弾けるオレンジサイダーは、あたしが迎えられなかった青春の味なんだろう。

 レモンほど酸っぱくもなく、いちごほど甘くもない。子供でもなく、大人でもないあたしの「時」を表すのは、オレンジの爽やかさがちょうどいい。



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