【KAC20223】 野田家の人々:第六感
江田 吏来
第3話 第六感
俺には苦い思い出がある。
夏になると、泣きじゃくる女の子の顔が思い浮かぶのだ。
本当にバカなことをしたと後悔している。
まだ高校生だったあの日、我が家に一台しかないエアコンが壊れて、家の中は蒸し風呂状態だった。
数少ない扇風機はすべてオカンに占領されて、為す術がない。
じっとしていても汗が噴き出すから、日が沈むまで駅前のコンビニで時間を過ごそうと家を出た。
日陰を選んで歩いても暑い。だが、ひと渡りの風が吹き抜けて涼しさを感じたとき、ふと紙風船のような実をつけたホオズキが目に留まった。
ブランコと滑り台しかない小さな公園の片隅で、わずかながら花壇を彩っている。
そっと握ってみると柔らかい。ひと思いに力を込めて握ると、パンッと音を立てて破裂した。
「おおぉ!」
俺は感動した。
紙風船の形をした実が、本物の紙風船みたいに気持ちよく破裂する。その音が爽快すぎて、厳しい暑さを忘れさせてくれた。
もうひとつ握ってみた。
今度はポンッと軽い音を立てて破裂する。
見た目は同じ形をした実でも、破裂音が微妙に違うのだ。
「へえ、おもしろいな」
もう止まらなかった。
次から次へと手をのばして、ポンッ、パンッ、ボッシュとホオズキを割っていく。
気がつけば、すべてのホオズキを割っていた。
「やっちまったな。これはマズい」
見るも無惨な姿を目の当たりにして、ようやくことの重大さに気がついた。
公園の植物は町内会で大切に育てている。こんなところを誰かに見られてはいけない。
俺の第六感がそう叫ぶから、その場を離れようとした。
だが――。
「あれ? 兄貴……。ついに頭がおかしくなったか。このくそ暑い中、公園で遊ぶとは」
口の悪い弟だった。
普段なら一発かますところだが、俺はホオズキを隠すように立つ。それからエアコンが壊れたこと。家の中が蒸し風呂状態なことを伝えた。
「それなら図書館にでも行くか」
弟が背をむけたからホッとした……はずなのに、俺の第六感がまだ騒いでいる。
なにか嫌なことが起こりそうな気配に、ゴクリとつばを飲み込んだ。すると小さな女の子がテクテクと歩いてきた。
そしていきなり、大声で泣きはじめたのだ!
「うわぁぁあん。ホオズキが、全部、割れてるぅーッ」
女の子はホオズキを大切に見守ってきたのかもしれない。紙風船のような実にワクワクしながら。
いや、もしかして俺と同じようにホオズキを割にきたのかもしれない。
それなのに女の子が目にした光景は、見るも無惨に破裂したホオズキの残骸たち。
そりゃ、泣く。俺でも泣く。きっと泣く。
素直に謝るべきか、このまま知らん顔をして逃げるべきか。
タジタジしながら悩んでも、女の子がさらに激しく泣くから答えはすぐに出てこなかった。
こういうときは、鋭く、物事の本質をつかむ心の働きにまかせるしかない。うまく説明はできないけど、様々な状況に応じて勘が冴えていた。
俺はふと閃いた第六感を信じて、最善の方法を導き出す。
「あそこにいる、図書館に行こうとしてるお兄ちゃんが、さっきここのホオズキを割ってたよ」
「ひどい! みーちゃんのホオズキなのにッ」
公園のホオズキは誰のものでもない。
冷静なツッコミを入れようとしたが、小さな子ども相手に野暮な気がしてやめた。
女の子は「許せない」とひと声もらしてから、手の甲で乱暴に涙を拭った。それから鼻息を荒くして弟を追いかけていく。
「コンビニでアイスでも買って帰るか……」
弟は見知らぬ女の子に絡まれて、身に覚えのないことで責められる。だからイライラした様子で帰宅するだろう。
そのときに冷たいアイスでもあれば、第六感に従って罪をなすりつけた罪人から、いいお兄ちゃんへとステップアップする。
「俺って天才」
鼻歌交じりで駅前のコンビニに向かったが、泣きじゃくる女の子の顔は忘れられなかった。
取り返しのつかないことをしてしまうと、いつまでも心に残って消えることはない。
女の子を泣かせた罪悪感は苦い思い出として、今でも深く刻まれている。
あのときの女の子に深く謝りたい。弟には死んでも謝らないが。
そして今日、公園の前を通り過ぎると俺の第六感がピンと働いた。
小学生の女の子が公園で遊んでいる。
少し大きくなったけど、きっとあのときの女の子に違いない。
謝罪するチャンスがやってきたのだ。
はやる気持ちを抑えて声をかけた。
結果は……。
『◆日時:×月×日 午後×時×分頃
◆場所:〇〇市〇〇町1丁目、公園内にて
◆概要:小学生女児が公園で遊んでいると、いきなり近づいてきた見知らぬ男から「ごめんなさい」と声をかけられた。声をかけられた女児は怖くなり、その場から走って逃げたところ、男は南方向に立ち去った。
◆男の特徴:年齢10~20歳代、茶髪、黒色系の上衣着用
不審な人物に出会ったら近くの大人や「こども110番のいえ」に助けを求めてください。
防犯ブザーを携帯させて、必要な場面では迷わず活用するよう指導してください』
どうやら人違いだったらしい。その代償として、地域の防犯メールデビューを果たす。
所詮、俺の第六感はこんなもの。
苦い思い出がまたひとつ、増えただけだった。
【KAC20223】 野田家の人々:第六感 江田 吏来 @dariku
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