【KAC20223】特別な男

肥前ロンズ

特別な男

 ボブカットの茶髪が、スカートのように翻った。その髪から、無防備に人の心を覗くようなうるんだ目が見えた。

 後ろに並ぶ街路樹やビルがぼやけ、名前も顔も知らない彼女だけが、鮮明クリアに映る。

 ――もうこの人以上に、好きになる相手はいないだろう。

 一目惚れは、今までの私を壊してしまうほど革新的だった。そしてすぐに、「この人の心がこちらを見ることも無い」とも確信した。

 まだ彼女のことなど何も知らなかった。好きになった理由も、フラれると思った理由も、具体的には何も言えない。だが、今後の展開を期待する気にはなれなかった。他人には「臆病風に吹かれた」と言われるだろう。

 しかしその確信は、正しかったのだとすぐに思い知る。

 出会った時には既に、彼女には恋人がいたからだ。






 朝起きれば、大量の雪が積もっている。春にはまだ遠く、季節が移り変わったようには思えない。だが商業施設は、季節の訪れを一か月まえから知らせてくる。茶色とピンク、赤色のハートやリボンで飾り付けられたテナント店の棚には、ブランドもののチョコレートがずらりと並べられていた。

 その棚の前で、顔の半分がマフラーに隠れた彼女が、うーんうーんと悩んでいる。

「なんでチョコレートって、こんなにも種類があるのかなあ。ピスタチオって何? 観光地?」

「……マカオ?」

「あ、そうそう。マカオ」

 傍でチョコレートを見ていた女性が、ぎょっとした目で私たちを見ている。気持ちはわかる。オしか合ってないのに、我ながらよく言い当てたものだ(どうでもいいが、マカオとカカオは似ている。本当にどうでもいい)。

 昔から勘がいい、とよく言われた。新クラス担任公表の時、発表される前から私のクラスの担任を言い当てた。子供時代は親や教師の嘘や欺瞞をかなり正確に言い当てていたらしく、大人からはよく分からないまま気味悪がれた。

 口にする時は私なりに確信を持っているものの、根拠になるものは殆ど存在しない。私的には「テキトーを言ったつもり」のそれは、人の目に困惑と動揺と恐怖が浮かんだ時、適切だったのだと答え合わせしてしまう。困ったことに、歳を重ねれば重ねるほどデータが蓄積され、最早経験と言う「根拠」になりつつあった。

 男からは「女なんじゃねえの」とからかわれた事もある(一応述べておくが、私は生まれてこの方男であり、外見は180センチ越えの髭面である)。恋愛についての本を読んだが、一般的に女は男より勘がいいらしい。だが、「勘の良さ」に性差があるのだろうか。その証拠に、今恋人のためにチョコレートを選んでいる彼女は、私が向けている思慕にこれっぽちも気づいていない。


「うーん……今までこんなイベントに縁がなかったからなあぁぁ……」

 ……彼女が特別鈍いとも言えるが。


 彼女はしきりに値段とネットでの口コミを見比べていたが、耐え切れなくなったのだろう。最終的に、「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」で決め、二つのチョコレートの箱をレジに持って行った。

「待っててね、すぐ戻るから!」という言葉通りに、一番目立つ棚の前で待つ。それなりに身長がある男が立っていると、バレンタインチョコを買い求めにやって来た女性の視線が痛い。

 所在なく視線を落とした先に、とあるチョコレートの箱があった。彼女がしきりに見ていたが、結局選ばなかったものだ。

 私はそれを手に取った。






「今日はありがとうね! 付き合ってくれて」

 休憩するために入った喫茶店で、向かい合って座る彼女は笑った。マフラーは外され、椅子の背もたれにぐだぐだに掛けられている。彼女の性格が垣間見える。

「それは構わないが、一緒に来て良かったのか?」

 外から見れば、私と彼女は男女の仲に見えるだろう(男と女が並ぶことを、そのような関係だと関連付ける表現もどうかと思うが)。いくら彼女がそのつもりがないとは言え、浮気現場に見られかねない。ここに彼女の恋人が通りかからなくても、当人の関係者からねじ曲がって伝わる可能性は十分にある。私はあくまで彼女の友人であり、そのスタンスを崩したくはなかった。

「うん。君の意見も参考にしたかったから」

 そう言って彼女は、まだ注文が来ていないテーブルの上に置いた。

 それは、赤いリボンの柄の包装紙に包まれた箱だった。


「ハッピーバレンタイン! 友チョコです」


 私は目を丸くする。予想外のことだった。


「いつもお世話になっているのに、皆に一斉に配る義理チョコじゃ申し訳ないな、と思って。でも、好みがわからなかったから」

 だから私に尋ねていたのか。今回の彼女の思惑に、散々鋭いと言われた第六感は働かなかったらしい。それとも彼女に誘われて、柄にもなく浮かれていたのか。

 だがこれは、誘われた以上に嬉しい。

「…………ありがとう」

 私はそれを受け取り、代わりに先ほど買ったチョコレートの箱を置く。



「……これ」

「買うのを悩んでいたようだったから」


 あの中で一番値の張るチョコレートだったが、確かに一番綺麗な形をしていた。未練が立ちきれなかったようで、随分悩んでいた。恐らく自分のチョコレート用に悩んでいたのだろうと思っていたが、まさかもう一つのチョコレートが、私への贈答品だったとは。

 そう言うと、「うわあ~……バレてたかあ」と頭を抱える。


「友チョコ、だろうか。これも」

 彼女の目の前にいる友人わたしは、友情以外の感情を持っているが。


 気付かない彼女は無邪気に笑って、「立派な友チョコだよ! ありがと~‼」と受け取る。だが一度、手を止めた。

 どうしたのだろうか。さすがに受け取ってもらえないだろうか、と内心焦った私に、彼女はふふ、っと笑った。






「男の子にプレゼント貰うのなんて、初めて」





 ありがとう、と口元を包装紙で隠して、照れくさそうにはにかんだ。


「……どうしたの?」


 黙ってしまった私に、心配した彼女が顔を覗き込む。そして、あ! と小さく叫んだ。

「もう『子』って歳じゃないよねお互い⁉ ごめんね⁉」

「いや……大丈夫だ」

 目を伏せ、口元を抑える。変な笑いをしそうになったからだ。

 あたふたしている彼女のスマホに、着信音がかかる。更に彼女はあたふたした。私は、「出ていいぞ」と促す。彼女は「ごめんね」と言って、電話に出た。

「もしもし? どうしたの? ……ごめん、聞こえないから、ちょっと待ってて!」

 彼女は一旦電話を耳元から離し、困ったように私を見る。彼女が言う前に、私は電話先の相手の名前を口にした。すると彼女は、「相変わらず勘がいいなあ」と言って、人気の少ない方へ向かっていった。

 喫茶店から、彼女の背中を視線で追いかける。騒がしい人混みはぼやけ、真っすぐ走っていく彼女の姿だけが鮮明に見える。


 相変わらず鈍感で、着眼点がどこかずれた彼女は、やることなすことが予想外で、しかしどこまでも素直だ。

 わからないはずがない。

 恋人と話す彼女の笑顔は、他の誰にも向けない感情から発するものだ。



 彼女の背中が見えなくなってすぐ、お待たせいたしました、と店員さんが頼んだコーヒーを持って来てくれた。トレイの上には彼女のコーヒーとチョコケーキもあったので、そこに置いてください、と私は答える。

 そして自分が頼んだコーヒーに口をつけながら、考える。


 ――私が他人に言われるように、本当に女であれば、彼女の恋人になったのだろうか。


 そう自分に問いかけてみたが、無意味な問いかけだと思い至った。何故なら私はどこまで行っても私であり、彼女はどこまで行っても彼女だった。彼女の鈍さは変わらない。そして私は女であっても、恋人のいる彼女に告白することは決してないだろう。

 振り向くことのない相手の友人になることは、バカげているかもしれない。これだけ執着しておきながら、振り向かないことにいら立ちや嫉妬を覚えることもなく、いっそ安堵の念を抱いている。振り向かなくていいなどと、彼女の気持ちを無視した自己満足だ。

 けれど彼女は、私を「初めて」と言った。

 ただの事実であり、そこに彼女の恋慕や性欲は存在しない。


 それでもその事実は、確かに彼女が私に向けてくれた感情があり、今後一切塗り替えられることがない、私だけのものになった。

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