故郷の記憶 フェリウス・スープ
涼月
古の民の記憶
アニスはふーっと息を吐き出した。バクバクの心臓を鎮めるため。
王宮の庭。いくつも用意された焚き火と鍋だけのシンプルな調理場。
居並ぶ有名料理人たちに混ざって、まだ少女の面影が残るアニスも手早く調理を開始する。ギャラリーは、料理人達を監視する衛兵の鋭い視線のみ。
緊張するなと言われても無理であった。
貧しい辺境地域出身のアニスが、なぜこんなところで料理をしているかと言うと、王宮の庭で開催されている『珍味コンテスト』に参加しているからであった。
時の王、ハリコフ王は兎に角新しい物好きで、今まで食べたことの無い驚きの料理を求めていたのだ。それを聞いた時、アニスはある料理を思い出した。
故郷のおばあちゃんから教えてもらった古くから伝わる料理。
なぜか故郷でしか栽培されていない『フェリウス』という植物で作ったスープ。
『フェリウス』は発芽の時に寒暖差が必要だから、温暖な王都やその周辺では栽培できないのかもしれない。そんなことを思いながらも、故郷を出るときにこっそりと荷物の中に忍ばせてきた種を、自室で育てていたのが、今こそ役にたつと思ったのだ。
もちろん栽培は簡単では無かった。寒くするために眠い目をこすりながら真夜中に外に出したり、温かくするために雛のように抱きかかえて寝たり。
アニスの頭で思いつく限りのことをやって、ようやく芽吹いた種。
その紫色の根を使った料理は、とても美しい色の美味しいスープだった。
舌先に残っている記憶を頼りに、アニスは必死に調理する。
失敗は許されない。だって、『フェリウス』の根は、たくさん収穫できたわけでは無いから。だから、一回こっきりの挑戦になる。
ハジャル国王都のメリバには、出稼ぎで働きに来ていた。貧しい辺境地域では家族がいくら働いても食べることが大変だった。だから自分が王都に働きに出て、いずれは家族も呼び寄せてあげたい。そんな夢を胸に故郷を後にしたのだった。
今働いている食堂のウルムおばさんは厳しい人だったけれど、誰よりも料理を愛し大切に作っている尊敬できる人だった。だから、アニスはそんなウルムさんを尊敬していたし、真面目に一生懸命学びながら働いていたのだった。
今回の『珍味コンテスト』は、王都での食堂経営証明書が無いと参加できなかったから、ウルムおばさんに土下座してコンテストに参加させてもらった。
「わかった。がんばっておいで」
普段はニコニコしないウルムおばさんが、珍しく笑いながらかけてくれた言葉。その温かい言葉に背中を押されて、アニスは今ここに立っている。
焚火に鍋をかけて、刻んだ『フェリウスの根』と『テルポモ』と『チャパジ』を炒める。
具材はそれだけ。
他の料理人は貴重なお肉をたくさん使って、とても豪華な料理を作り上げていく。香ばしい香りが辺りに漂い始めた。
でも、アニスは落ち着いて野菜をじっくりと炒め続ける。弱火でじっくり炒めると、野菜のもつ旨味や甘みが出てくる。優しく優しく。
『美味しくなあれ。美味しくなあれ』
心の中で、そう唱えながら炒めてから、朝一で汲みに行った清らかな湧き水を入れて煮込む。これも弱火でじっくりと。
そうしないとフェリウスの紫色が鮮やかにならないから。
決められた調理時間が終了すると、担当者が料理を毒見に来た。
鮮やかな紫色のスープに、最初は戸惑ったような顔になる。
「こんな色のスープは初めてですね。本当に食べて大丈夫なのですよね?」
心配そうにアニスに尋ねる。
「とりあえず、あなたが食べてみてくれませんかね」
調理人本人が食べて無事なのを確認してからにしたいらしい。
「わかりました」
もちろんアニスに異論はなく、さっさと口にする。
うん、美味しくできた。おばあちゃんの味だわ。
心の中でそう思って思わずにっこりすると、ようやく安心したように
「おや、これは!」
思わず綻んだ顔を見て、アニスの喜びも倍になる。
「お預かりします」
どうやら合格したようで、一皿王様のところへ献上できることになった。
王様直々の試食タイム。
料理人一同が集められ、床に膝をついて見守る。
ハリコフ王は気になった物を一口ずつ食べていった。
どうか、見過ごされずに食べてもらえますように!
アニスは必死で祈り続けていた。
「これは……凄い色ですね。肉も入っていませんし、ずいぶんと貧相な……こんなものを王へ供するとは、
給仕役を自らこなしている大臣の眉間に皺が寄った。叱られた
「は、すみません。見た目は毒々しい色ですが、味は良かったので。でも直ぐに下げます」
「あっ」
アニスの顔が真っ青になる。王様に味見してもらえないなんて……
「待て!」
その時、王が声をあげた。
「お前たちは、そうやって勝手に判断する。私は珍しい物が食べたいわけで、いつも食べているようなものでは満足できないからこのコンテストを開いたんだろう。そのスープ、綺麗な色じゃないか。こちらへよこしなさい」
慌てて頭を下げた大臣、恭しくアニスのスープを王へ差し出した。
紫色のスープを面白そうに見つめてから、一口。
口の中で転がすように味わった後、王は次々口へスープを運び、飲み切ってしまった。
「これは美味しかった。いつも食べている脂まみれの食事と違って、素朴でさっぱり。だが、旨味豊かで最高だ。これを作った者は誰だ?」
胸を震わせながら手をあげたアニス。「こちらへ」と促されて、王の前に進む。
「この紫色はどうやって出しているのだ?」
「おそれながら申し上げます」
カラカラの舌を必死で動かす。視線を上げることもできずに下を向いたままに答えた。
「フェリウスという私の故郷でしか採れない野菜です」
「フェリウス……」
その言葉に、王がわずかに反応した。
「それは、古の国の名前では無いのか?」
「え?」
驚いて思わず顔をあげると、王様の穏やかな瞳と合う。
「えっと……私は辺境地域のマールズの出身なのですが、無学ゆえそのような国のことは存じ上げておりませんでした」
「そうなのか」
ハリコフ王はちょっと考えるように沈黙すると、静かに言った。
「そなたの故郷では、この料理は今でも食べられているのか?」
「はい。貧しいけれど、このフェリウスだけは良く畑で採れるので、私たちの家庭の味です」
「そうか」
王との会話はそれきりだったが、アニスの料理は王宮料理としてこれからメニューに加えられることになった。
奇跡が起きたとアニスは神様に感謝したのだった。
その後、故郷のマールズは『フェリウス』の一大産地として発展。王都へ定期的に届けることで豊かになっていった。
もちろん、アニスが働いているウルムおばさんのお店でも、元祖として売り出している。アニスが付けた命名は『故郷の記憶 フェリウス・スープ』
今日も王宮で『フェリウス・スープ』を飲みながら、ハリコフ王が感慨深げにつぶやいた。
「大臣。お前は知っていたか? 古のフェリウス国は大国だった。だが、後の世でわがハジャル国の方が強大になりこうして今は支配下に置いている。長い年月の中で、人々も交じり合い、文化も混ざり合い、記憶も薄れてしまったが、人々の小さな生活習慣の中に、今も古の記憶が微かに息づいているのだな。アニスの家族が生きるために続けてきた生活は、『フェリウス国』の文化を今日に繋げてきていた。まことに古の記憶が生き残る姿はしぶとくも面白いものだな」
「まことでございますね」
「大臣、我が国にも、そんな文化が育つようにしたいものだな」
「は! 及ばずながらわたくしも尽力させていただきます」
大臣の目に誠実さが宿るのを確認して、ハリコフ王は満足そうに頷いた。
完
故郷の記憶 フェリウス・スープ 涼月 @piyotama
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