【KAC20222】幕末「推し活」事情

石束

或る日、芝居見物で

 ある日の浅草、猿若町一丁目。

 芝居町にひときわの威容と殷賑を誇るその小屋は江戸に名高い「中村座」

 その前で、ばったりというしかない出会い方をした、桂小五郎と武市半平太。

 

 かたや神道無念流斎藤道場の塾頭、かたや鏡心明智流桃井道場塾頭。

 連れも取り巻きもいない気楽な一人同士とはいえ、相応に気位もあれば気負いもある。

「これは」

「どうも」

 などと堅苦しく挨拶をしている――と。


 ふいに明るい声音の土佐弁が聞こえてきた。

 天に向かって吠えるようなあけすけで陽気な、一度きいたら忘れられないその声の主こそは、北辰一刀流、桶町小千葉道場塾頭、坂本龍馬。

 武市と龍馬は同じく土佐を故郷とする古なじみである。


 そして。

 今日の彼は、どう見ても良家の子女と思しき少女をともなっていた。

 年のころは十代なかばか?

 引き締まった印象を与える藍の小紋に深い臙脂の帯。橙の鼻緒に真っ白な足袋が際立つ。

 いや、なにより際立つのはその姿勢だ。

 糸を引くような自然体で内側に弓を引き絞ったような緊張感がある。それでいて力みもなく偏りもなくとは、なまなかなことではない。

 だからといって高くとまって周囲を見下ろす風でもない。半歩前を進む龍馬の顔を肩越しに見上げる様にして、声を弾ませている。


「ほら、あの方もこの方も役者絵をお持ちですよ」

「ほうですのお。団扇(うちわ)にも役者絵がはっておりますのう」

「あれは自分のご贔屓の役者の似顔絵を張って、誰を推しているのかわかるようにしているのです」

「いや、面白い。相撲の番付みたいのものをもってるモンもおりますの」

「あれは役者さんの番付です」

「役者が相撲をとるがですか!」

「そうではなくて、大関とか関取に見立てて芝居の上手の順にならべてあるのです」

「ほう! どんなことが書いてあるのか見てみたいもんです」

「帰りに買って参るといたしましょう。木戸横の仕切場で売っているものですから。近くの店に芝居のスジがわかる黄表紙や、名場面の絵も売ってます」

「そりゃあ、ええ! あしは頭が悪いきに、見終わったらどんな芝居やったかわすれそうじゃ」


 この時代、歌舞伎は庶民の娯楽の中心であり、様々な関連商品が盛んに発売されていた。


「帰ってから、どんな風だったか父上や兄上にも教えなければなりません」

「いやあ、そがいじゃった! いろいろこうてかいらないかんの」


 そんな二人の会話の隙間からぼそぼそともう一人声がした。


「……あしは飯と酒だけあったら、芝居はどうでもええんじゃが」

「コラ以蔵、おまえはせっかく連れてきてやったんじゃき、少しは有難がれ」

「人のねぐらに朝から押しかけて無理矢理引きずり出したんはおまんじゃろが。武市先生が留守で、せっかく稽古が休みやというに。迷惑じゃあ」


 疲れか寝不足か二日酔いか。小柄な体躯をさらに二つに折る様にして、ゆらゆらゆれながら、二人の後をついてくる。


「申し訳ありません、岡田さま。芝居見物の話をしたとたん、止める間もなく坂本さまが走って行かれまして」

「いやいやいやいや! お嬢さんが気にさるんことでは! これはもう一から十までこの龍馬のあほうが――あ゛」


 桃井道場門弟たる岡田以蔵がのどを絞り上げられたような声で呻いた。

 中村座の前に土佐以来の師である武市がいることに、ようやっと気づいたのだ。すると坂本龍馬も気づいて、また、気楽手を振った。


「おおめずらしい! 桂君にアギ――やのうて、武市瑞山! ひさしいのう!」


 桂と、武市は(岡田以蔵をひとにらみした後で)、わが身と、坂本龍馬のとなりをながめくらべて。


「……」


 何故にこやつだけ、女連れ――と、無意味な敗北感に駆られた。


 ◇◆◇ 

 

「ああ、これは。桶町千葉のさな様でしたか」


 桶町千葉道場の主、千葉定吉の娘にして、北辰一刀流宗家千葉周作の姪に当たる「千葉さな子」とあれば、江戸で剣術に関わり相応の立場にいれば知らぬはずもない。むろん桂も武市もその名を知っている。

 それはさなの方も同様だった。

「お二方のお名前はかねがね伺っております。父も兄もよくよく話しておりました。当代無類の使い手のみならず、経世の才覚ある有為の人材であると」

「千葉先生が。それは過分のお言葉、恐縮です」

 如才なく桂が言って、武市は軽く目礼をする。

 と。

「おう。おまんら。わしゃあ今日はさな様の護衛じゃけぇ。失礼したら刀にかけてゆるさんぞ」

 などと龍馬がいいだした。

「……」

 そして、その瞬間、さなの気配が変わった。


 その変化を、いずれも若手随一といえる剣客たちは見逃さなかった。


 さすがに気分を害したと見えて桂小五郎が

「坂本君、それは君、失礼だろう」

といった。

 武市の方はと言えば、少し離れたところに立って手招きして以蔵を呼んだ。


「以蔵。これはもしかしてアレではないか」

「はあ。たぶんアレです」

「お前知っておって、二人についてきたのか!」

「芝居見物なんぞと聞いておらんかったのです! わけもわからぬうちに引きずられていったら……このありさまで」

「だめではないか!」

「だめでした。あとはもうできるだけ気配を消しておろうかと」


 岡田以蔵。気配を消してこっそりするのは結構得意。


「うぬ。――しかし、あれが名高い千葉の剣術小町とは。烈女ときいておったが」

「普段はかなりこわい方なのですが、龍馬と一緒の時だけあんな感じになるがです」

「なんということだ。ふびんな」 

「龍馬は自分で攻める時はぐいぐい行くがですが、人の気持ちにはとんときづいちょらんことがあるがです」

「そうじゃ、そうやった」


 さなと相対している桂はといえば、いろいろ話題を転じながらわだかまりをとき、会話を続けている。

 だが、こめかみから、あごにかけて一筋あぶら汗が流れ落ちた。

 さすがは桂小五郎。直感だけで、現状の危険度合いをはかったらしい。もはや彼の頭にはこの場からいかに逃げるかということしかなかった。


「ともかくも、よいころあいです。小屋に入らねば」

「ほうじゃの! みなで芝居見物じゃな!」

「え? 『みなで』?」

「おい、龍馬そりゃあ……」

「……あしは、もう酒だけあったら」

「……………」


 その後、みんなで芝居見物をすることになった。


 ◇◆◇


 芝居見物の後、なぜかぐったり疲れた様子の桂、武市、以蔵は

「三人で飲みに行く」

と言って、去っていった。

 龍馬が「ほいなら、あしも」と言いかけたら、

「護衛の役割はどうする!」

とものすごい勢いで怒られたので、龍馬は行きとかわらずに、さなを先導しながら、浅草を背に桶町の千葉道場へむかって歩いている。


「すごい方たちとお芝居見物になってしまいました」

「まっこと気持ちのいい連中です」

「いずれ」

 芝居見物の余韻がのこっているのか、どこか夢見るような口調でさなが言った。

「いずれ皆様、大きな仕事をなさるのでしょうね」

「そうですな。桂小五郎、武市瑞山。まずはこの二人は間違いなく」

「坂本さまと岡田さまは?」

「あしと以蔵ですか?」

 からからと龍馬はわらった。

「そりゃあどうも、見当がつきませんなあ」

「あら? そんなことはありませんよ」

とさなは袂で口元を隠して笑った。

「きっと皆さま、大活躍されますとも。後世黄表紙やお芝居になるくらいに」

「そんなことが、あるはずが――」

 いいかけて、龍馬がすこし言葉をきって考え込んだ。

 それから「さな様」と口調を改めた。

「桂は凄い人物です。誰もがあの男についていく。武市瑞山もそうです。言ったことは必ずやり遂げる。まあ、あいつは味方と同じだけ敵もつくるので、そばに以蔵かあしが一緒におらんと……」

 いや、と首を振る。

「あしも以蔵も人を補佐するのにはむいとらんか」

 とため息をついた。

「どちらにせよ。桂や武市ほどの人望も後ろ盾もない自分は、最後の血の一滴、骨のひとかけまで使い切らんと、人並みの事も成し遂げられんでしょう」

「…………」

 さなは数日前、兄と龍馬が何処かへ行っていたことを思い出さずにはいられなかった。二人は厳重な警備をかいくぐって、浦賀に停泊している「黒船」を見に行ったのだ。

 その時の何か「大きなもの」を抱え込んでしまったような龍馬の顔を、さなは忘れられない。


「きっと畳の上では死ねますまい」

「さなは、坂本様のお役に立てませんか」

「……黄表紙や芝居の世界なぞろくなものではない。そんな場所にあなたを連れて行きたくはありません」


 夕暮れて闇が迫る中、川岸の柳をかすめて蛍が飛んでゆくのが見えた。


「……」


 二人はそのまま言葉を無くしてあるきつづけた。


 次男坊の龍馬には、土佐に帰ったところで実家に居場所はない。

 ならば江戸で小さな道場を構えて、桶町の道場を継いだ重太郎と協力して、小千葉の剣流を盛り立てる道もあったかもしれない。

 だとすれば彼のとなりにいるのは彼女に違いなかった。なるほどその道ならば、さな以上に頼りになる同行者はいなかったろう。

 誰よりも彼の助けになれるだろう。


 ――だが。おそらくは時代のうねりがこの男を放っておかない。


「ではさなは、坂本様の似顔絵をもって団扇をもって、大向こうから叫びます。坂本様の名前を叫びます」


 ああ、と、龍馬は藍色に染まった空を見上げた。


「不思議といま舞台の上の役者の気持ちがわかったような気がしました」


 誰かが自分の生き方を肯定し、いいぞと、声をかけてくれる。

 きっと困難が待ち構える道行きにそれがどれほど心強いことか。

 目の前から声がするのに、なぜか温かい手で背中を推されているような……


「さな様が推してくださるならば、この坂本龍馬、百人力ですなあ」


 龍馬はほんとうに愉快そうに笑い声をあげた。

 その横顔を二度と忘れないでおこう、と、さなは思った。

 男はきっと天馬をも超えて駆けてゆけるだろう、そう思えた。


 ◇◆◇


 嘉永6年の黒船来航から慶応3年大政奉還までのわずか十四年。

 この日本史上における一大転換期を、「幕末」と呼ぶ。

 その男はその真っただ中を最初から最後まで全力で駆け抜け、時代が終わると同時にその役割を終えた。


 完


 


 



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