推し活と書いて生きがいと読む

君弥

第1話

零士れいじくん、アニメとか漫画の話になると、何かすごい早口になるよね」

 それは他意のない、素直な感想だった。

 整った顔がにわかに赤くなるのを見て、すばるは隣に座る友人を見る。雨月うづきは昴の視線を受けながら、ニヤニヤと笑って零士を見つめていた。

「なに赤くなってんだよ、ほんとのことだろ」

 零士は恥ずかしそうに、口をへの字に曲げると、ベッドに並んで座る二人から顔をそらした。

「あーあ、拗ねた」

「拗ねてないです」

 その声は不機嫌そうな響きを持っていて、発端となる発言をしてしまった昴は申し訳ない気持ちで眉を下げながら、誤魔化すように部屋を見回した。

 放課後。高校から、制服のまま友人の家へ遊びに行くなんて、昴にとっては憧れすら持てない夢のような出来事だった。それも、零士と知り合ってからは何度も繰り返して、この広い部屋も見慣れたものとなっている。

 零士の部屋は、すらりとした高身長と端正な顔立ちを持つ部屋主に相応しく、綺麗に整えられている。しかし、本棚には漫画や文庫本がずらりと並び、テーブルの周囲にはフィギュア、脇のラックにはゲーム機がいくつも置かれているのを見れば、いくら整理されてはいても「オタクなんだなぁ」という感想が湧いてくるというものだ。今は閉ざされて中の見えないクローゼットには、コスプレの衣装が仕舞われていることも、昴は知っていた。

「ほら、可哀想だろ。耳まで赤くなってる」

 すっかり面白がっている様子で、雨月は昴の脇腹を小突く。

「それは、雨月くんが馬鹿にしたようなこと言うから……」

「俺か? オタクを馬鹿にしたようなことを言ったのはお前だろ」

 雨月は意地の悪い顔で、鼻を鳴らした。さっきまで、零士と一緒になって、昴には分からないアニメやゲームの話をしていたのに。途中から零士がヒートアップしたのを、面白がって眺めていた。喋らせるだけ喋らせてから、急に一歩引いて、梯子を外すように冷笑してみせる。雨月のそういうところは、本当に良くないと昴は思っている。

「馬鹿になんてしてないよ。俺は趣味とかないから。零士くんみたいに、多趣味で……それに、そんなに話せるくらい好きなことがあるの、ちょっと羨ましい」

 最後は少しはにかみ気味に言えば、零士がちらりとこちらを振り向いた。頬を緩めてこちらに歩いてくると、目を合わせられる。

「昴くんは本当に無垢で、素直ですよね。君の言葉を聞くと、心が洗われる気持ちになります」

「大袈裟だなぁ」

 何かの台詞のように言って、恭しく大仰な仕草で手を取られる。そうして手を引かれるがままに立ち上がれば、ダンスにでも誘うように腰に手を回された。

「なに、踊るの?」

「そうですね、俺たちの仲の良さを雨月くんに見せ付けるために」

 零士が冗談めかして言いながら、ベッドの方に流し目を向ける。雨月は鼻で笑いながら、面白くなさそうに言い捨てた。

「なんだよ、ミュージカルの練習か? コスプレはしなくていいのかよ」

「君も混ざりますか?」

「見てるだけで腹いっぱいだっての。つか、彼女も見てないのに、男同士でベタベタして何がしたいんだよ」

 “彼女”とは、零士の恋人のことだ。男同士の恋愛する様を好んでいるとかで、零士は彼女へのサービスのためか、よく雨月や昴との過度なスキンシップの様子を見せ付けている。昴には理解できない嗜好だが、友人が恋人を喜ばせるためにしていることでもあるし、別に零士に触られるのも嫌ではないので、好きにさせていた。雨月の方は、恋人同士の趣味に巻き込まれるのに、辟易しているようだったが。

「別に俺は、彼女へのサービスだけで君たちに触れてるわけじゃないですよ。特に、可愛い昴くんに触れたいと思うのは、自然な欲求じゃないですか?」

「ちょっと、変な触り方しないでー……くすぐったい」

 頬を撫でられると、体を回転させられて、後ろから抱き締められる。シャツの上から妖しい手付きで胸から腹まで撫で下ろされて、昴は首をすくめた。

「おい、なに浮気してんだよ。彼女に言い付けんぞ」

「浮気じゃないです。推しを愛でてるだけですから」

「わ、わ、そこで息しないで……っ」

 首筋の辺りに顔を埋めて呼吸をされると、息がかかって、ますますくすぐったい。昴は笑いながら身をよじり、零士の腕を叩いた。

「猫吸いみてぇにスーハーしてんじゃねぇよ、きっしょいな。何が推しだよ」

「君みたいに酷いことばかり言う人と話してると、心がささくれ立つじゃないですか。昴くんといると、チクチク言葉に傷付いた心が浄化されるんですよ」

「……そいつも天然でグサッとくるようなこと言ったりするけどな?」

「いやまぁたまの一撃は結構キますけど、痛恨の一撃というか……でもそれもご愛嬌でしょ、君みたいに相手を傷付けようとして言ってるんじゃないんだから」

 昴を間に挟んで、昴の話をしているらしいのに、その会話に昴は含まれていない。険悪ムードになったかと思えば、昴そっちのけでテンポの早い会話をし始めるのはいつものこと、仲がいいなぁと昴は他人事のように二人のやり取りを眺めていた。

「……で? 今日の目的は果たさなくていいのかよ」

「そうでした」

 零士はパッと昴を放すと、クローゼットの扉を開ける。そこには様々な衣装やコスプレ用品と思われるものが収納されていて、

「相変わらずすげぇな」

 雨月が呆れと感嘆が半々の声で言うのに、零士は微笑み、一着を取り出した。

「これ、可愛いでしょう? ハンスのメイド衣装!」

 零士が手にしたのは、まさに想像通りのメイド服。

「何で通常衣装じゃなくて女装の方なんだよ」

「ハンスのメイド姿って、普通の女キャラより可愛くありません? こう、別に男の娘ってわけでもない、普通体型だし平凡顔なんですけど、だからこそ絶妙な可愛さがあるというか」

「まぁ言わんとしたいことは分からんでもないけどな……?」

「このクラシカルな感じ、本当のメイドさんが着るような丈の長さとか、地味なのがいいですよね」

 何のキャラクターなのかも分からないが、どうやら男キャラなのにメイド服を着るようなキャラクターのようだ。

「それ、俺が着ればいいの?」

「Exactly」

「……何で英語?」

 ともかく、渡された衣装を受け取ると、二人から離れて着替えを済ませた。

「着たよ」

 そう報告すれば、零士がサッと寄ってきて、髪や服を整えられる。

「ああ、化粧なしでこのクオリティー……! ねぇ、見てください、ハンスが漫画から出てきたみたいじゃないですか?」

「モブ顔だもんなぁ、似合ってんな」

 なんだか失礼なことを言われた気がするが、零士のキラキラ輝く瞳に見つめられては、照れ笑いを浮かべることしかできなかった。

「いい感じになってる?」

「ええ、ええ、完璧です! 推しが推しの服着てるって感じですね」

「お前の推し、ハンスじゃねぇだろ」

「最推しはレインですけど、ハンスだって推してますよ」

 言いながら昴の格好を整えさせると、零士はスマホを構える。

「撮りますね」

 零士の満足するまで、言われた通りのポーズを取り続ける。

「今度、イベントにも行きましょうね……その時はちゃんとウィッグとかカラコンも用意しとくんで。俺はレインの格好して……」

「彼女はクラウディア?」

「はい。それで、君にはヒサメをやってもらおうかと」

「お前らだけでしてろよ。写真なら撮ってやるから」

「レインとクラウディアがいるのに、もうひとりがハンスってアンバランスじゃないですか?」

「ヒサメがいても変わんねぇだろ。ハンスのニコイチはウピールチカだし、ヒサメのニコイチはムツキだし」

「そこはほら、メインの男三人にヒロインっていう組み合わせで……」

「何でお前の彼女引き立ててやんなきゃいけねぇんだよ。姫扱いとかしねぇからな」

 また二人で何やら楽しげに言い合いを始めてしまった。昴はそんな二人を見て、話の内容はよく分からないながらも、微笑ましく思って頬を緩める。

「推しってさ、好きな人のことなの?」

 二人の話が途切れたタイミングで、そう聞いてみる。

「そう……か?」

「まぁ、そうですね。元々はアイドル用語なので、人におすすめしたい、推薦したいっていう存在に使う言葉、ですかね」

「ふぅん」

 昴は零士の説明に頷くと、次いで首をかしげた。

「おすすめしたい……だと、ちょっと違うのかな。単純に、好きな人、って意味だったら、友達も入るのかなって思ったけど」

 難しい概念だ。そう思いながら呟いて口を閉ざすと、零士が雨月の肩を揺さぶった。

「ねぇ、あれ、今の、俺たちのことが推しだって言ってます? は? 可愛すぎでは?」

「揺らすな。お前が昴のこと推しとか言ったから、勘違いしたんだろ」

 雨月は半眼で零士の手を振り払うと、昴を見やる。

「友達と遊ぶのと、推しを愛でるのとは違うからな」

「どう違うの?」

「双方向コミュニケーションなのか、一方通行なのかって話。推し活って、要は自己満の信仰みてぇなもんだろ」

 お互いにやり取りをするのか、一方的に祈りを捧げるのか。

「だから、お前らは推しじゃない」

 言い切る雨月に、昴が二の句が継げないままでいると、零士が嬉しそうに笑った。

「……雨月くんがデレた」

「あ? うるせぇよ。デレてねぇから」

「俺は信仰がないと死ぬし、友達がいないのも死ねますね。推し活しながら君らとも遊ぶのが最強ってことで」

 淀みない口調で宣言する零士を見て、昴も考える。

「確かに、神様も友達もいたら、最高だよね」

 それがずっと続いたらいいな、と淡い願いを持ちながら。昴は目を細めて、友人たちの会話に耳を傾けるのだった。

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