推しということをまるで理解できない宇宙人のこと

酸味

第1話

 人間と言うのはなにからなにまで意味不明な生物である。

 自らが作り出した科学技術によって自らの星を汚染し、自らの星を生存不可能に仕掛けているというのにのうのうと汚染を続けている破滅主義が細胞に詰め込まれているらしいおかしな生物である。しかしそんなバカみたいなことをしている割にある程度の科学技術を持っている。核兵器なる星を滅亡しうる過剰戦力を開発して、その癖忍耐力やらはあるらしく世界の終末が訪れたことはこの星ではないらしい。

 文化的と言えばあまりに馬鹿すぎるし、度し難いほどの馬鹿と言うにはすこし知能が多すぎる。そんな不可解な人間たちの住まう星、地球。


 だからボクは一度地球の中に潜り込んで、彼らがどうしてこんな意味不明な進化を遂げたのかを見ることにした。そしてこの星で一番平和であり、人間という生物の中では賢い人が多そうな日本と言う辺境の島国に降り立つことにした。高校生という中等教育を学ぶ学生としてボクは現在地球を主観的に体感している。

 そしてそれで万事が解決すると思っていた。結局人間なんて言うほとんど単細胞生物のことだから、複雑なことなど一切そこにはないと考えていた。しかし人間は生意気なことにボクに不可解を更に押し付けてくるのである。

 その最ものものが人間の愛情に関してである。


 □


「ふふ、ふふふ、なんてアカネちゃんは可愛いんだろう」

 ボクの隣の席に座っている明らかに体格のおかしい人間は、スマートフォンなる液晶端末を眺めながら若干発情している。人間というのは豚との雑種がいる不思議な生物らしい。人間の中でも差別的な扱いを受けているらしいその豚人間は公共の場であるというのに何となく不快な笑い声をあげて液晶端末に顔を押し当てていた。

 いやおそらくこの豚人間の行為は一般的な純粋人間にとっても不快なのだろう。だから豚人間の周囲には誰一人として人間がいない。人間にとっての不快という感覚はボクらと大して変わらないようで、この気色悪い豚人間を見ると不快になるらしい。


「ふひっ、ふぉぉぉぉ!? アカネたん!」

 なにか感情が高ぶったのか急に大声で鳴きはじめた豚人間。あまりに唐突なことであったので思わず身体が震え、その衝撃で手に持っていた教科書という本が大きく飛んでいく。しかもそれはどこかで水浴びをしてきた豚人間にぶつかってしまう。

 なんという災難だ。ぐしょりという音が鳴って悍ましさを覚えた。


「んあ、寝ぼけていたのですか小豆あずき氏」

「ひぇっ」

 その上豚人間は非生物染みた行動をしてくる。豚人間は落ちた教科書を見てからこちらに顔を向けたのだが、その時豚人間はなんの予備動作なくぐるりと首を回した。そして向けられるぶつぶつとした顔と、あふれ出ている豚脂。あまりの悍ましさに軽く悲鳴が飛び出した。本当に無意識的に。

 どうにも人間は以前から恐ろしい物語や絵を作り上げるものだと思っていた。しかしもしやあれらはもともと何かの実話を寓話的に改変した物語なのかもしれない。この名状しがたき豚人間を眺めつつそれを深く思う。


「ありがとう」

 しかしこういう時には感謝か誠意を見せぬと、のちに食い殺されるのだと人間たちの作り上げた文章や絵物語に描かれている以上感謝をせねばならない。あまりに莫大で把握の出来ない恐怖感に襲われながら感謝する。なにせボクがこんなほとんど単細胞生物である人間に比類ならぬほどの高等生命体だとしても、ボクは生身だ。あんな巨体に押しつぶされでもしたら即死すること間違いなしだ。


「ここに置いておきますぞ」

 腕から伝い手に滴ってボクの教科書に落ちるラード。ほんの少し前、ボクが握っていた時は全く湿っていなかったのに、机に置かれた教科書はびしょびしょになっていた。一体身体のどこでその液体が生成されているのだと泣きそうになる。


「ね、ねえ、なにしてたの?」

 しかしここで挫けてはいけない。ボクは人間の調査のために着たのであって道楽のために地球に降り立ったわけではない。その上目の前にいる人間らしき生物は、おそらく今まで誰も発見したことがないだろう人間と豚の交雑種。この悍ましさを煮詰めたような生物は未知の塊であり、その生態を知らずに故郷に帰ってしまえば絶対に馬鹿にされる。その上貴重な機会さえ無駄にしてしまう。

 だから豚人間に果敢に話しかける。途端豚人間は顔を更に醜くする。梅干しというヤツみたいに顔をしわくちゃにして、威嚇しているのかもしれない。


「ふっ、これは”オシ”のVであるアカネたんを見ていたのですぞ」

 しかしその声に歓喜の感情を見いだして、これが喜んでいることに気付く。そして一体なんの意図があるのかもわからないポーズを取り始めた。そのお腹についた巨大な脂肪がぶるんと大きく揺れた。いや、わからないそういえば人間の笑いという行為は一種の攻撃的要素をはらんでいるとどこかで見た。

 これは豚人間独自の威嚇の方法であるのかもしれない。


「ふっ、これはオシのVであるアカネたんを見ていたのです」

「オシ?」

「……小豆氏は香川県の生まれなのですか?」

 香川というのはこの日本の中で、うどんという白く太くこしのある食べ物ばかりを食べている酔狂な風習のある地域の名前。しかし若干ボクを奇怪に見ている豚人間に言われる意味が分からない。どうにもボクのあまりの無知に驚いているように見えているが、香川という地域はそれほど栄えていないとはいえ非文明の地域ではないし。


「オシというのはアイドルとかをお客の目線から心の底から愛し応援する事、といったらいいでしょうか。言葉にするのは難しい趣味ですね」

 ふむ、よく理解はできなかったがとりあえずこの豚人間に愛されてしまった可哀想な人がいるということは分かった。しかし人間は他者を愛すことを趣味というのだろうか、すごく不思議なことだ。


「アカネたんはもはや私のアイデンティティなのですぞ!」

「……人間はほかの生き物にアイデンティティを差し出すの?」

 いつかは絶対消えてなくなるのに、なんでアイデンティティを渡してしまったのか。やっぱり人間は馬鹿すぎて救いようもない。


「いつか苦しくなるだけじゃないの」

「はっは、卒業の時は笑って送り出すだけですぞ」

 そう言ってその日の豚人間との会話は途切れた。


 □


「うぉぉぉ! どうしてだ、どうしてなんだアカネたん!」

「ひゅぇっ!」

 それからしばらくの月日が経ったころ。もはやオシ云々という話すら忘れていたころに豚人間は突如大きな鳴き声を上げた。思わずボクも悲鳴を上げて手に持ったスマホを勢いよく机に叩きつけてしまう。奏でてしまった大きな音と無様な悲鳴に教室にいたクラスメイト達がまず先にボクに向かって目を向けた。

 クソったれの豚人間め。こんな辱めを受けるなんて。


「い、いきなりどうしたの」

 おいおいおいと泣きじゃくっている豚人間を恨めしく思いつつ声をかける。

 すると豚人間は小さな声で口を開いた。


「アカネたんがいってしまった」

「……あぁ」

 アカネというのはこの豚人間がオシているアイドルの名前。それがやはりいなくなってしまったらしい。狂信者豚人間はそれに嗚咽混じりに泣いている。


「生き物に自分のアイデンティティを見いだすのはどうしようもないことになるって。そんなことも分からなかったの」

 呆れ果てる。そんなことも分からなかったのかと。

 ボクは人間のこういった意味不明な行動が分からなかったのだ。だからこの地球にわざわざ降りてきた。だからちょっと好奇心が刺激された。


「どうせ生き物はいつかどこか遠くへと言ってしまうんだよ。分からなかったの?」

 なにをどう考えても相手が生物である以上、自分たちの目の前から突然消えてしまうことがある。それは死んでしまったりであるとかなにか問題を起こしたとか、職業でやっている手前退職したとか。それなのに豚人間は泣いている。

 不可思議でたまらない。


「ふ、ふふ、幸せだったのです。アカネたんの姿に勇気づけられたのです」

 その疑問に答える様にぽつりぽつりと豚人間はしゃべり始めた。


「引き籠っていたアカネたんが、努力して夢を叶えて有名になった。そんなサクセスストーリーに夢を見ていたのです」

「――それがアイドルなんでしょ?」

 キャラ付けという言葉があるように、そんなものは所詮後付けだろう。なのになんで豚人間はそんなことを心から信じていたようだ。なんて愚かなのだろう。


「それだったら人間関係も同じでしょう、出会いと別れがあって人間は成長する。でなきゃ一期一会なんて言葉は生まれません」

 そう言って豚人間はどこかへ行ってしまった。


「小豆氏は可哀想な人だ」

 最後豚人間はそんな悟った風なことを言って教室を飛び出した。

 その日、豚人間は早退したらしい。


 すごくむかついた。単細胞のくせに。


 □


「ふふ、ふぉ! モエギたん!」

「ね、ねえ、それは、なんだい」

 翌日、朝。平然とした顔をして席に座っていた豚人間はスマホに顔を押し当ててなにかをフゴフゴ叫んでいる。気持ち悪さに声を掛けた。


「これは新たな推しであるモエギたんですぞ! 小豆氏!」

「……アカネというのはどこにいったの?」

 そしてわかるのは豚人間の薄情さだろうか。


「この心に空いた穴を埋めるためにはまた押しがいなければなりませんからな!」

「……えぇ?」

 あれほど狂信していたのに今ではモエギなるものに恋している。


「人生と言うのは山あり谷ありであるからこそ楽しいのですよ、きっと」

「……わからないよ」

 これは自分が心から愛していた人が消え去っても、また次の人を見つければ満足するのだろうか。人間にとって愛情と言うものはこんなちんけなものか。


 人間に対する疑念はさらに深まる。

 ……いや、これは単に豚人間がサイコパスなだけかもしれない。

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