【短編】彼女の推し活

春野 土筆

彼女の推し活

「へぇ~、この作家さんが雄介の中で今一番来てる人?」

 そう言って香織は興味津々といった様子で俺のパソコン画面を覗きこんだ。

 時刻は午前十二時。

 残業の休憩中、今俺が注目している作家の話になった。その流れで俺が今一番お勧めする作家さんを彼女に紹介したのだ。最近多いweb小説から有名になった方なのだが、物語の発想といい、展開といい、描写といいどれをとっても繊細で豊かな才能が感じられる。

 自分が書いている小説とは比べ物にならないくらいの差で、初めて目を通した瞬間から彼の小説に心が奪われてしまった。

 気づけば数時間経ってしまっている――それほど夢中で読んでしまうこともしばしば。

「今読んでるこの小説も面白かったよ」

 そう言って鞄の中から一冊の文庫本を取り出す。最近始まったばかりのシリーズもので、朝の通勤中に丁度読み終えたところだった。

「へ~、どんなの?」

「高校生たちが立ちはだかる様々な問題に立ち向かっていくような小説なんだけど。登場人物全員にそれぞれの過去があって、人間味がすごいんだよ」

 そう言って彼女のデスクにその本を置く。

「じゃあ、ありがたく貸してもらおうかな」

 ペラペラペラと軽くページを捲っていると、ふと思い出したかのように香織は顔を上げた。

「そういやさ、雄介は進捗どう?」

「仕事のこと?」

「そうじゃなくて。雄介だって長編書いてるじゃない」

 早く見せて欲しいのに、と香織はいじらしく息をついた。

 先ほどさりげなく触れた通り、実は俺も小説を書いている。

 と言っても、人様に見せたところで高評価がもらえるような大層な小説を書いている訳ではないんだけど。一回投稿したら数PVつけばいいか、というくらいの弱小作家である。

 俺も作家という職業を希望する者の一人として、誰も思いつかなかったようなあっという小説を世に送り出してみたい。しかし現実そう甘くなく、寝る間も惜しんで執筆活動をしてもあまりPV数も増えない日々だ。

 そんな伸び悩みから更新速度も徐々にゆっくりになってきていたある日、俺は件の作家さんと出会ったのである。あの洗練された文体が、俺の作家魂に再び火を灯してくれたのだ。

 出会いというのは本当に凄いもので、小説を読み終えるとともに新たなインスピレーションが次々と湧いて出てきた。久しぶりに、本気で小説を書きたいと思えたのだ。

 その勢いで短編を何作か仕上げ、そして長編も一本書けたのだが。

「まぁ、一応はできたんだけど……」

 そこで俺は言葉を濁した。

 その小説は自分が書きたかったものに近づけてはいるものの、まだ納得は出来ていなかった。「あっ」と驚いたり、涙なしにはみれないような感動だったり……そういった小説自体の奥行きがどこか足りていないように感じるのだ。

 内容的にも表現的にも。

「じゃあまだ見せられない感じか」

 少し香りの声のトーンが落ちる。

 俺が書いた長編は恋愛小説。

 主人公とヒロインが織りなす重厚で切ない青春の一瞬を描こうと腐心しているのだが、どうもシチュエーションといいキャラクターの発言といい陳腐になってしまっている気がする。

 だから今は絶賛この人が書いた小説を研究中。

 それを基に修正していきたいと思っている。

 具体的にどういった感じで話を進めているのかや、どこでどうフラグを立てているのか、はたまた心情の描き方まで小説を注視している感じだ。

 そうすれば、自分の小説が陳腐な理由がはっきり分かるような気がして。

 だが、それを始めてから困ったことになっていた。

 関心が作品だけでなく、作家にまで及ぶようになってしまったのだ。彼はどういう考えの元、小説を書いているのか。どういう考えの持ち主が、このキャラクターにこのような発言を言わせ、このような発想を導く出すのか。

 小説の裏側、その部分まで知りたくなってしまった。

 そのため最近は、小説だけでなく雑誌のインタビューなどに筆者が登場していないか、作家自身も含めて追いかけてしまってる状態だ。

「それ、推し活だね」

「推し活?」

「何でも良いから、特定の好きな人やキャラとかを応援してる人だよ。わざわざ雑誌を買ってるくらいだから、相当入れ込んでるね~」

 確かに今までにないくらい俺は彼に入れ込んでいる。

 彼が書く小説はすべてに目を通したし、インタビュー記事だって、気づいたものや本人がツイ〇ターとかで宣伝していたものは買って読んだ。元々自分が名作を書くためだったんだけど、今ではそれ自体が目的になってしまっているような気がする。

「いいな~、私も推し活したい」

「すればいいじゃん」

「いないんだよ」

 それくらい気づいて、というように唇を尖らせる。

「じゃあ一緒にその作家さんを応え……」

「まぁそろそろ再開しよっか」

 勧誘しようとするが、切り替えるように言葉を遮られてしまう。

 時計を見ると十二時半になっていた。

「ご、ごめんっ。話しすぎた」

 自分でも驚くほど時間が経っている。

 まだまだ話し足りないと思っていたのだが、結構喋っていたようだ。

「いいって。雄介、楽しそうに話してたし。私も聞いてて楽しかったよ」

 少し気を使わせてしまったかもしれないと、申し訳ない気持ちになりながら自らも作業を再開する。

 もちろんこんな時間なので終電ももうない。

 静寂が二人を包み込む。

 しばらくパソコンを打つ音だけが空間に響いていたが、突然一声がその緊張を切り裂いた。

「あっ、そうだ。私、来月でここの会社辞めるんだよね」

「そうなんだ~……って、ええっ⁉」

 唐突な発表に思わず隣の席を見る。

 フランクすぎてそのまま流しそうになってしまった。瞠目する俺に対し、彼女は「驚いた?」とでも言いたげな微笑を浮かべている。

 香織がこの会社を辞める……⁉

 信じられない一言を口内で反芻する。

 彼女が隣からいなくなる。

 だが、慌てる俺とは裏腹に彼女は意外にも淡々としていた。

「も、もう……言ったの?」

「まだ言ってないけど、明日にでも言おうかなって」

「で、でも、なんで急に……」

「実は、知り合いが会社立ち上げることになって、スカウトされたんだよね。ここより絶対労働環境良いし」

「そ、そうなんだ……」

 俺はそれ以上の言葉を紡げなかった。

 切磋琢磨してきた唯一の同期。仲間が次々と辞めていく中、最後と言っても良い心の支えだった。心おきなく好きな話ができる貴重な存在。

 彼女に対して特別な思いを抱いていた俺であったが、ただの事後報告を済ませる香織。

 その認識の差に思わず拍子抜けしてしまう。

 彼女とは仲良くやってきたつもりだ。隣ということもあり、日頃から他愛もない話をしてきたし、小説を書いていることをカミングアウトするぐらい心を許していたのに。

 だから、急な彼女の告白に固まってしまうのも無理はなかった。

 オフィスに重たい沈黙が満ちる。

「なに?私が辞めると聞いて寂しくなっちゃった?」

「そんなこと……ないけどさ」

「へぇ~」

 強がってはみるが、女々しく俯いてしまう。

 明らかに声のトーンが落ちた俺に対して面白そうにしている。

――お前は淋しくないのかよ。

 そう言ってやりたいが、目の前で余裕そうな彼女にそう言ったところで帰ってくる答えは見えていた。こうやって残業で二人しかいないオフィスで、二人だけの時間を過ごす特別感。吊り橋効果を感じていたのは俺だけであったことが分かり、より一層やる瀬無い淋しさや虚しさがこみ上げてくる。

 彼女はそんな俺の個性的な反応を楽しそうに見つめて、ニコッと笑った。

「まぁ、またどこかで会ったときは仲良くしてよね」

 それから一カ月後、彼女はこの宣言通りこの会社を辞めていった。


     ※


 ――自らの経験をもとに書くと、奥行きのあるリアルな描写が描けるんですよ。

 これは俺が推し活(?)をしている作家さんがインタビューで語っていたことだ。

 会社勤めをしたことがない学生が仕事にまつわる小説を書くと陳腐なものになりがち、という話を聞いたことがある。それと同じことなのだろう。

 やはり、何事も経験することが大事なのだ。

「――で、先生は経験を生かせてるんですか?」

「そ、それはっ……」

 鋭い眼差しを向けられ、パソコンの前で委縮してしまう。

 場所は都内の某カフェ。

 目の前には香織が座っている。

「締め切り、もうそろそろなんですが」

「わ、分かってます……分かってますけど」

「ふふっ」

 しょんぼりと項垂れる俺を目の前にして、流石の香織も笑いが堪えられなくなってしまったようだった。元々同僚であった俺がヘコへコしている姿が、彼女的には面白かったらしい。

「そんな人前で笑うなよ」

「すみません、先生っ……」

 と言いつつ、まだ笑っている。

 ちなみに、「先生」とは俺のことだ。

 というのも、転職した彼女に俺はスカウトされた。実は彼女が転職した友人が立ち上げた会社というのが、新興の出版社だったのだ。

 やはり新興ということもあり、十分な作家を集めきれていなかったところ、知り合いで小説を書いているということで俺に白羽の矢が立ったということらしかった。まさか作家になれる日が来るなんて夢にも思っていなかったから、まさに棚から牡丹餅。

 すぐに会社を辞めて小説家としてデビューした。

 会社を辞めるなんて見切り発車じみているが、作家として生きていく――それくらいの覚悟を形で示したつもりだ。

 香織とは編集者―作家、そういう立場で今も仕事を共にしている。

「で、今日香織を呼んだのはこれなんだけど……」

 そういって、大きめの封筒からプリントアウトした小説を取り出す。

 それは、いつぞやに彼女に見せると言っていた長編だった。

「見せてくれるんだね」

「まぁ、また暇なときに読んでみてくれ」

 陳腐な内容を少しは直せたと思うが、それでもまだまだ俺の推しには遠く及ばない。

 だが彼女は、ダブルクリップで止められた小説をパラパラ捲ると。

「じゃあ、ありがたく読ませてもらおうかな」

 そう言って彩り豊かな眼差しを向けるのだった。

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