クールビューティーな江角さんは推し活がしたい

天崎 剣

江角さんと僕の話

 美術準備室に描きかけの油絵を片付け、一息ついていた僕に、クールビューティーと名高い部長の江角えすみさんが険しい顔で声をかけてきた。


上崎うえさき。この後、顔貸して」


 美術室がざわめき立った。


「あ、はい」


 僕は部員の視線を躱しつつ、肩を竦めて返事した。

 江角さんはツンとした様子で僕を見上げ、いいから早くしろと目で合図してくる。

 荷物を持って、そそくさと江角さんの後にくっついて行く僕に、後ろからヒソヒソ声が聞こえてきた。


「ちょっと、部長また上崎君いびるつもりだよ」


「結果出せてないの、上崎だけだもんね……」


 聞かない振りをして、僕は部室を後にした。





 *






「上崎! 見て見て見て!」


 ファストフード店に連れて来られた僕に、江角さんは向かいの席から嬉しそうに本を押し付けてきた。

 さっきまでのクールビューティーはどこに消えたのか、長い髪を左右に揺らしてニコニコしている。

 作りたての期間限定メニューを前に、僕はバーガーを一口だけ齧って、食べるのをやめた。手をウエットティッシュで綺麗に拭いてから、そっと出された本を受け取る。

 まるで森の中に入り込んでしまったかのような、美しい装丁の画集だ。


「これ、前に江角さんが言ってた推し画家さんのヤツ?」


「そうそう。本屋で偶然見かけて、思わず買って来ちゃったんだ。上崎、水彩描くでしょ? 貸したげるよ。ほら、後半に絵の描き方載ってる。画材とか、筆の使い方とか描いてあんの」


「うわっ! ホントだ。……ちょっと見ていい?」


「いいよ。じっくり見て。写真より綺麗じゃない?」


 バーガーもポテトも冷めないうちに食べたいのに、うっかり見入ってしまった。

 本に近付いて見て、腕を伸ばして見て。それからまた、グッと近付いて見る。


「間違いなく水彩なんだけど、写真より、……なんて言うのかな。空気感が凄い。朝靄が見える。そこに差す光が眩しく見えてくる。光の筋だ。何だこれ。凄いな……」


 僕が食い入るように画集を見ていると、江角さんはテーブルの上に手を付いて、グイッと僕の方に顔を寄せてきた。

 顔を上げると直ぐ真ん前に、眼鏡をかけた江角さんの整った顔があって、僕は思わずビクッと肩を揺らした。


「やっぱ、上崎には分かるか! 私が見込んだだけあるわ!」


 江角さんは満足そうにうんうん頷いて、ようやく向かいの席に座り直し、満足げに自分のポテトを食べ始めた。

 ふぅ。

 近かった。

 僕は額の汗を手の甲で拭い、再び画集に目をやった。


「てかさ。この画家さん、何が凄いって、一つ一つのモチーフの存在感だよね。観察力が凄いのかな。丁寧に質感考えて塗ってるし、それが画面いっぱい。隅から隅まで精巧に。江角さんは原画、見たことあるんだっけ?」


「あるよ。前に小さな画廊で個展やってて。筆遣いヤバくない? これさ、印刷でもエグいけど、本物はもっとエグかった。見てると心を持ってかれそうになるの」


 そこまで言って、江角さんはゴクゴクとシェイクを飲み始めた。

 僕はうんうんと頷きながら、江角さんと画集を交互に見る。


「上崎に分かるかな? 画用紙の上に色を載せたときの絵の具の染み込み具合、全部知ってるみたいに見えるんだよね。雲の重なりがエモい。葉っぱの一枚一枚、触れそうなくらい生き生きとしてるでしょ。どうしたらこんなの描けるのかって、試してみたけど、これは直ぐにものに出来る代物じゃない」


「江角さんの画風とは真逆だもんね。油絵の具の重ね塗りじゃ、この透明感は表現出来ないよ」


「油絵でも透明感出せてる画家は多いじゃない」


「あ、ゴメン。江角さんの描き方じゃ難しいって話。別に江角さんの絵がどうのって話じゃなくてね」


「あー、はいはい。上崎、部活の時もそれくらいズバッと言いなよ。実力も見る目も確かなんだから」


「それ言うなら、江角さんも僕の前でだけ態度違うのやめたらいいじゃん。普段は話しかけづらい、近寄り難い、孤高の部長様なのに、僕の前でだけこんなんだから、みんな、僕が江角さんに拉致されたと勘違いしてる。でもまぁ、コンクールで入賞しないの、僕だけだからね。そう思われても仕方ないけど」


 本を閉じて前を向くと、江角さんは口を尖らせて「むぅ」と声を出していた。

 可愛い。


「なんで他の奴らに素顔見せなきゃいけないの。めんどっ」


「だから、そういうとこだって。僕は別に良いけどさ。江角さん、誤解されまくりでしょ」


「良いんだよ、他の奴らなんて。部長だからって変に気ぃ遣ってさ。上崎みたいに何でも話せて、気も遣わなくていい人間は貴重なの」


「褒められてるのか貶されてるのか分かんないな。ま、僕は、江角さんのご機嫌が良くなるなら、幾らでも話に付き合うけど」


 僕はパタンと本を閉じ、「借りるね」と小さく言った。

 美術部のお荷物と揶揄される僕が、スーパーヒロイン級美少女の部長、江角さんに好かれてる理由は分からない。好かれてるとは言っても、便利とか、話し相手に丁度いいとか、そういうレベルではあるんだけど。

 一年の時、部活で初めて完成させたのが、桜のスケッチ。江角さんは僕のスケッチを見て言ったんだ。


『ヤバい。……ビビっと電気が走った』


 みんなが鉛筆画で終えていたスケッチに、僕は透明水彩絵の具で色を載せていた。せっかく上手く描けたから、桜の淡い色まで表現したかった。それが、江角さんの目に止まった。

 当時から既に江角さんは別世界の人間だった。クールでめちゃめちゃカッコいい雰囲気で、凛として、目立ってた。

 江角さんは桜のスケッチを見るなり、僕を屋上に引っ張った。かと思うと、目をキラキラさせて、僕の両手を握ってきたんだ。


『君、近い将来、私の推しになる気がする……!』


 唐突な告白に戸惑った。

 以来、江角さんは僕の前でだけ本性を表す。


「コンクールなんて、その時の審査員の好みにどれだけ寄せて描けてるか競ってるようなもんでしょ。本当に力のある上崎が評価されないで、他の奴らばかり入賞するのは、何かの陰謀だと思ってる」


 本をバッグにいれながら、江角さんがブツブツ言っているのを聞いていた。

 もちろん、江角さんが変に気遣っているわけじゃないのを、僕は知ってる。


「いくら江角さんが推してくれても、それ以上需要がないんだから仕方ないよ。今描いてる絵も、コンクールに出すために完成だけが目標だし。描き始めたからには、完成させないと」


 ようやくポテトをつまみ始めた僕は、モグモグしながらため息をつく。

 そりゃ、評価されたいと思ってる。

 誰だって、評価されたい。

 褒めてもらいたい。

 誰かの推しになりたい。


「上崎は水彩が向いてる」


「ありがとう。でも、油絵コンクールの絵だからさ」


「慣れない油絵じゃなくて、水彩描きなよ。私には描けないけど、上崎ならこの本参考に凄い絵が描けると思う。誰も知らなくても、私が知ってる。上崎の凄さ、丁寧さ、ひたむきさ。決して派手じゃないけど光るものを持ってることも」


 江角さんは、僕の前では平気で恥ずかしいセリフを言う。

 僕が、そんな江角さんを決して笑わないと知っているから。


「……ありがとう。気持ちだけ受け取ってく」


 少し冷めたバーガーに齧り付いた。

 江角さんの、ポテトを摘む速度が鈍る。


「どうでも良いけどさ。江角さん、僕とこんなとこでハンバーガーなんか食べてて大丈夫? 誰かに見られて誤解されない?」


「誤解?」


「……まぁ、誤解? 一応、男女だし?」


「男…女……?」


 江角さんは眼鏡の奥で目をぱちくりさせた。

 長い睫毛が上下して、可愛さを助長させる。


「『クールビューティーな江角さんの彼氏は地味男』なんて吹聴されたら、困るでしょ」


 江角さんの動きが止まる。


「誰がクール……で、誰が地味男?」


 キョトンとする江角さん。

 ちょっと貴重なその表情に、僕は思わず頬を緩めた。


「みんな言ってるよ。自覚ないのは江角さんだけかもね」


 しばらくの間、店内BGMと僕の咀嚼音だけが聞こえていた。

 他にも客は居たけど、なぜだか僕らの周囲だけ切り取られたかのように、変な空気が流れていた。

 コーラを飲んで、ふぅと息をつき、江角さんを見る。

 江角さんは口をあんぐりさせて、耳の先まで真っ赤だった。


「じじじじ地味男?! 上崎が?? 地味じゃないし! 困らないし!!!!」


 声がデカい。

 江角さんの変な声に、店内の視線が一斉にこっちを向いた気がした。けど、気にしないことにする。


「困らない? どういう意味?」


「え? いや、こま……困る! 困る困る!!」


 顔を両手で隠して、身体をブンブン左右に捻ると、江角さんの長い髪が小気味よくポンポン跳ねた。


「困るの? 困らないの?」


「ああっ! 意地悪だな、上崎はっ! 推しに貢いでこその推し活じゃないかっ! わわわ私は、うえ、う、上崎の絵に惚れてるんであってだな。絵師として大成するだろう上崎を、今のうちから全力で推したいと色々貢いだり、貢いだり貢いだりしてるのであって!!」


「うんうん。で?」


「おおおおお推しが、かかかっかかかか彼氏になってしまったら、だな、それは推し活ではなくて、ただの」


「ただの?」


「いや、あの、その。上崎との距離が、ここここれ以上縮まると、その、あの、ええと。……うわぁん! 最低だっ! 上崎が私を虐めるっ!!」


「あはは。可愛い可愛い」


 声を出して笑ってしまった。

 江角さんは益々真っ赤になって、背中を丸めて顔を隠した。


「……上崎とは、こういう距離感が丁度良いって言うか、気持ちいいって言うか。ま、まだもう少し、こういう関係でいたいなって」


 恥ずかしそうに口元を歪めながら、江角さんはゆっくりと顔を上げる。


「一年後、部活を引退したら、部長と部員じゃなくなるでしょ。そしたら、かかか考えてやっても、いいよ」


「ホント? じゃ、一年後。僕も江角さんに相応しいって思われるくらい、上手くなってなくちゃね」


「そうだよ。絵、描けよ。私は上崎の描く絵が好きなんだから」


 恥ずかしそうな江角さんを見ながら、僕は最後のポテトを摘まむ。

 江角さんの推し活は、もうちょっと続きそうだ。



<終わり> 

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