生きる糧が今日も尊い

櫻葉月咲

推しと恋人、紙一重

 色とりどりのスポットライトが、五人の青年たちを照らす。

 その全員がきらきらとした、溢れんばかりの笑顔で観客──ファンたちを魅了している。


 Kiss&Crown──通称「キスクラ」は、今をときめくアイドルグループだ。

 デビューから一年足らずで武道館での公演を果たし、その翌年には全国ツアーを開催した。


 平均年齢が二十歳と若く、主に十代から二十代、果てにはマダムまで世の女性たちをとりこにして離さない。

 賃貸マンションのとある一室で、そのライブ映像を観る者が一人。


 ボサボサとした茶髪頭をそのままに、黒縁メガネを掛けた女性──紗恵さえも勿論、キスクラファンの通称・貴族だった。


 「あ゛〜〜〜〜〜! 今日もヒロト君がさいっっっっこうに尊い!!!! 何そのお顔! 天使か? いや天使だったわね。……ほんと可愛い私の推しが今日も尊い」


 一人暮らしをしている女性にしては、だいぶ大きめなテレビ画面にヒロトの姿が映る度、紗恵はこうして語彙力の低下した言葉を次々と吐く。最後のセリフに至っては早口でまくてる始末だ。


 今観ている内容も、つい先日倍率が高い受注戦争から勝ち取った、数少ない特典付きのDVDだ。

 そのライブにも紗恵は参戦し、何度となく号泣した。


 「はぁ。ヒロト君が家でも拝めるなんて……日本に生まれて良かった」


 嗚咽おえつ混じりの声音で鼻を啜る。

 紗恵がヒロトのファンになったのは、まだキスクラが地上波デビューする前の事。

 その時の紗恵はというと、俗に言うブラック企業に勤めていた。


 毎日の残業で心身共に疲れきって「死のうか」と鬱になっていた日だった。

 何気なく見ていたバラエティ番組のCM中、ヒロトその人を見た途端、目の前が輝いたような錯覚におちいったのだ。


 爽やかな清涼飲料水のCMには、キスクラメンバー全員が出演していた。

 十五秒ほどの、見た者によっては至って普通のCMだったが、なかでもヒロトの太陽のような笑顔は、この疲れきった世界で唯一の恵みかと思ったほどだ。


 そこから紗恵は一瞬のうちにヒロトの虜になり、今となってはライブが地方であろうと県外であろうと、どこまででも着いていくファン──ガチ勢オタクと化していた。


 「紗恵さーん? ちょっとは遊びに来た愛しい彼氏にも目を向けてくれません?」

 「へ?」


 紗恵が一人で騒いでいると、後ろからやや拗ねた声音が耳に届く。

 声の主を振り向くと、たった今急いで家に来たであろう恋人である尊臣たかおみが、部屋のドアにもたれかかっていた。


 心做こころなしか薄らと額に汗が浮かんでいる。

 尊臣とは、今の会社に転職した後の友人の紹介で出会った。


 アイドル顔負けの容姿、引き締まった身体、何よりジャンルは違えど同じオタクというのが、紗恵に好印象を与えて意気投合した。

 多忙を極める尊臣の仕事の合間を縫って何度かデートを重ね、そして告白されて今に至る。


 「あ、おみ君。いらっしゃい、適当にくつろいでて」


 一度ちらりと尊臣の方を見ると、何事もなかったように紗恵はテレビに視線を戻す。

 唐突に恋人が家に来たら取り乱すものだろうが、紗恵にとっては瑣末事さまつごとでしかない。


 それよりも、ヒロトの姿を余すことなく目に焼き付ける方に全神経を注いでいた。


 「いや軽っ! 軽すぎてびっくりだわ、その対応!」

 「ちょっとうるさいから黙っててよ……。今ヒロト君が出てるんだから静かにして」


 テレビの音量とさほど負けていない尊臣の声に若干苛立ちを覚えつつ、紗恵は視線をテレビに向けたまま言った。


 「は〜〜〜? 紗恵は俺よりキラッキラしたアイドル様の方が良いと? しかも年下の男の方がお気に召す感じで? 年上の俺なんぞ、とっくにお払い箱ってか?」


 面倒くさいスイッチが入ったな、と思った時には尊臣はもう止まらない。

 けれど、紗恵は尊臣の機嫌の取り方を知っている。


 「そんなこと言ってないでしょ。──もう、嫉妬してるのは分かってるけど、もう少し待って。あと五分…………ううん、一時間」

 「一時間は多すぎだろ、つーか普通は五分でテレビ消すだろ!?」


 そう口では文句を言いつつも、尊臣は紗恵の真後ろに陣取り、紗恵の身体を抱き込むようにして座った。


 「嘘よ、嘘。三十分だけ待ってて。ね?」


 そしたら沢山したい事しましょ、と尊臣の耳元に唇を寄せて囁く。


 「〜〜〜っ、本っ当にこれっきりだからな!」


 何を言われたのか理解が追いつくと、尊臣の耳が赤く色付いた。

 お返しとでもいうのか、尊臣の両手が前に伸びてきてぎゅうと抱きすくめられる。


 少し苦しいが、もうしばらくは推し──ヒロトのことで頭の中をいっぱいにしたい。

 目の前には推しを、すぐ後ろには愛しい温もりに包まれ、紗恵は今日も推しに時間を捧げる。



 ◆◆◆



 「ずっと言おうかと思ってたんだけどな、紗恵」

 「なぁに」


 約束通りきっちり三十分、口を挟むでもなく大人しく待っていた尊臣が、未だ紗恵を腕の中に閉じ込めたまま切り出した。

 神妙な顔をして何事か言おうとしているものだから、癖のある尊臣の頭をわしゃわしゃと撫でる。


 (なんだか猫みたい)


 その行動にキュンとしつつ、尊臣の言葉に耳を傾ける。


 「この前のライブを観るのは良いんだ。そりゃあ俺の担当してる奴らだし、お前がヒロト推しなのも分かる。分かるけど」

 「うん」


 紗恵は一拍二拍と呼吸を置き、相槌を打った。尊臣が何を言いたいのか分かっているからだ。


 「けど、な。俺以上に愛おしそうにヒロトを見るのはやめてくれ! 見ててくっっっそむなしいしイラつくんだ!」


 ぎゅっと握り拳を作り、尊臣がえる。


 「それがいいんじゃないの! あ〜〜〜、可愛いわね、本当! ヒロト君もだけど、おみ君ってばどうしてそんなに可愛いの!?」


 尊臣の魂の叫びとも言える叫びに負けず劣らず、紗恵も声を張り上げる。


 「ええい! 可愛いとか言うなっ!」


 紗恵の彼氏──本郷ほんごう尊臣は、Kiss&Crownのマネージャーをしている。

 メンバーとはデビュー前からの付き合いだからか、はたまた最愛の彼女に熱っぽい視線を向けられるヒロトに腹が立っているだけか。


 特に紗恵の推しアイドルであるヒロトには、男としての敵対心を感じているらしい。

 得も言われぬ愛おしさも合わさって、紗恵は先程よりもぐちゃぐちゃに尊臣の頭を掻き混ぜた。


 「本当のこと言ってるだけなのになぁ」

 「んなこと言われても嬉しかない! あと、どさくさにまぎれて何してんだ!?」


 いつの間にか身体を反転させていた紗恵は、いそいそと尊臣の着ている服を脱がせようと、ジャケットのボタンに手を掛けていた。

 反射的に手首を強く掴まれ、一瞬怯む。


 「え、久々にお身体を拝見しようと」

 「お前なぁ……」


 けれど、すぐに拘束が緩んだことで諦めたのだと瞬時に悟った。

 紗恵はその隙を突き、ジャケットから順に脱がせる。

 ほどなくして、尊臣の引き締まった身体が露わになった。


 「はぁ、今日も私好みの筋肉……」


 すりすりと尊臣の裸体に頬ずりするさまは、傍から見れば変質者のそれだ。


 (彼女だから許されてる、っていうのもあるかもだけど)


 どんなに口では文句を言っていても、尊臣は最終的に紗恵のしたいようにさせている。


 (愛されてるなぁ)


 ふふ、と無意識のうちに笑い声が漏れる。


 「何笑ってんの?」


 ややいぶかしんだ尊臣の声音に、紗恵は顔を上げた。

 ふと紗恵の頭に温もりが触れたかと思うと、くように頭を撫でられる。

 その口調とは裏腹に、頭を撫でる手つきは優しい。


 「ううん。ただ……幸せだなぁって」


 心からの微笑みを、目の前の恋人に向ける。


 「そうか」


 そのままお互い見つめ合っていると、どちらからともなく吹き出した。


 「けど、流石にこの体勢のまま言うことじゃないだろ」

 「いいじゃない、言いたくなったんだから」


 クスクスと可愛らしく笑う紗恵の頬に、尊臣の大きな手の平が触れる。

 キスの予感に紗恵がゆっくりと目を閉じると、それと同じくしてけたたましい着信音が響いた。


 「……携帯鳴ってるけど?」


 尊臣の着ていたジャケット──その内ポケットに入れていたガラケーが、軽快な音楽と共にフルフルと小刻みに振動していた。


 「あー、いや、気のせいだ。お前の幻聴で、何も聞こえてなかった。わかったな?」

 「でも仕事の電話かもしれないじゃない。はい」


 紗恵はそう言うと、のそりと尊臣から退く。ほど近くに投げ捨てたジャケットから尊臣のものである水色のガラケーを取り出し、うんうんとうなっている尊臣に差し出した。

 けれど、一向に尊臣が受け取る気配はない。


 「どうしたのよ、ほら」


 苛立ちから紗恵は半ば無理矢理に、尊臣へガラケーを握らせる。


 「なんで、って……あー、あれだよ」


 尊臣は途端にばつの悪そうな表情で、ガラケーを握っていない方の手で顔を隠した。


 「久々の休みだし、その……から」


 言っているうちに段々と語尾が小さくなり、最後に至っては蚊の鳴くような声だ。


 「なぁに、聞こえないわ」


 ずいと尊臣の口元に、わざと耳を寄せる。


 「だから! 紗恵と一緒に居れないのが嫌なんだよ! 休みが取れたと思ったら仕事ってなぁ……考えるだけで胃が痛い」


 部屋全体に響き渡るほどの声量に少し仰け反りつつも、予想通りの言葉に紗恵の頬が緩む。

 愛おしくなり、今にも男泣きしそうな勢いの尊臣の頭を包み込むように抱き締めた。


 「そう言ってるけど、おみ君ならすぐに終わるでしょ? 大丈夫よ、終わるまで待ってるから」


 ぽんぽんと頭を撫で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


 「……終わったら連絡するから、待ってて」

 お返しのように、尊臣からぎゅうと抱き返される。


 「うん」


 毎日推しのサポートに奮闘する紗恵だけの恋人の腕に包まれ、甘い幸福のなか紗恵は目を閉じた。

 帰ってきたら目一杯甘やかそう、と思いながら。

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