ドアを開けてみませんか?

@pranium

第1話

 変わった話が聞きたいのでしたら、一つだけありますが、聞きますか?


 20年ほど前の正月、私が小学生の時に公民館で餅つきパーティがありました。子供に餅つきの体験をさせて、みんなで食べようというよくある催しですね。


 私は一通り餅つきを楽しんで、公民館の広間で友人の誠二郎と餅を食べていました。


 誠二郎は私の数少ない友人の一人で、非常に頭が良く、思慮深い優しい男でした。小学生にして堅物で偏執的な奴でしたが、私はそんなところに面白みを感じて、よく一緒に遊んでいました。


 誠二郎と餅につける味付けについて談笑していると、近所のおじさんがマジックを披露すると言って、広間の小さなステージで準備をし始めました。誠二郎を誘っておじさんがいるステージに走り、最前列で待機すると、まもなくマジックショーが始まりました。


 今思えば子供だましの簡単なものだったのですが、目の前でマジックを見る機会などそうそうありませんので、その時は誠二郎と夢中ではしゃいだものです。特に彼なんかは、家で勉強ばかりしていたものですから、私以上に喜んでいました。


 あっという間にマジックショーは最終演目となり、おじさんは大きな木の板のようなものを裏から運び出してきました。よく見るとそれは、あの有名などこでもドアのような造形をした、自立式のドアでした。


 その最終演目というのも簡単なものです。ドアの向こう側に机を置き、その上にぬいぐるみを置きます。おじさんがドアを開けてその様子を見せると、今からこのぬいぐるみを消すと言うのです。そして素早くドアを閉め、間髪入れずにすぐに開けると、見事にぬいぐるみだけ消えているのです。


 本当に簡単なものでしょう。机の中にぬいぐるみを落とす細工などをして、タイミングを訓練すれば、わけもないことです。


 しかし私は、その速さと不思議性に大はしゃぎして、おじさんを讃えていました。


 拍手をしながら誠二郎の方を見ると、彼は違っていました。


 彼の眼は輝いており、口をあんぐりと開けて、初めて星空でも見るような顔をしていました。頭の良い彼ですから、そのマジックを残念に思っているのかと思っていましたが、意外にもそうではないようでした。


 私は彼の普段は見せない一面を見て、こいつにも人間らしいところがあるのだなと感心したのを覚えています。


 それから4か月後、六年生になり、私たちは同じクラスになりました。初日に担任から自己紹介を書く紙を配られ、次の日に彼と教室に張り出された自己紹介を見合って、互いの文を笑いあっていました。


 すると、彼の自己紹介に気になる文言がありました。


 趣味を”ドアを開けること”としているのです。


 これはどういうことか、彼に聞いてみました。彼の言い分は次の通りでした。


「ドアを開けるというのはね、見えなかった領域を自分の目で見るということなんだよ。開けないと見えないところを、能動的に見ることができる手段なんだ。さらに、開いているドアを閉めて、また開けなおすとどうなる?先ほどとは違う世界を見ることができると思わないかい?


 え?君は、そこは同じ世界だろって言うのかい?まあもちろんそういう考え方もあるね。ただ、”開けた瞬間”の枠の中の世界が同じだということを、どう証明できようか。その世界を、僕は初めて見るというのに。」


 誠二郎は当然の事を言うかのように、いやに落ち着いていました。


 今の言葉で言えば、あなたは彼のことを中二病かなにかの一時的な陶酔かと思うでしょう。正直なところ、私もそう思っていたかもしれません。もともと変わった人間でしたので、またよく分からんことを言っているのかと、その時はなんとも思っていませんでした。


 小学校を卒業するまで、彼は休み時間のたびに教室を飛び出して、学校中のドアを開閉していました。その異常な行動に周りからは次第に気味悪がられていき、卒業するころには友人は私だけになっていました。


 中学に入ると、彼はドアを開けることにさらにのめりこみました。


 ドアに窓があると開ける前に見えるからと、窓の無いドアにこだわったり、カメラでも置いたらどうかと提案すると、”瞬間を見る”ことが肝要だと断ってきたり。ひたすらに学校中のドアを、3年間でそれぞれ数百回は開けていたと思います。


 こんなことに付き合っている私も友人が限られてしまったので、彼のそばでゲームをしたり、適当な話をしたりしてそれなりの青春を彼と共に過ごしました。意外かもしれませんが、彼はドアを開けること以外普通の優等生でしたので、楽しく交流はできていたのです。


 高校に入ると、誠二郎の趣味はより病的な雰囲気を帯びてきました。中でも私が気になったのは、彼が小遣いで自立式のドアを購入していたことでした。彼曰く、これでどこでも観測ができるということでした。


 学校が終わると彼はドアを担いで外に運び出し、観測したい景色が見えるところにドアを置くと、それを開けては何が見えたかを記録するのです。


 記録とは何か、ですか?ああ、まだ説明していませんでしたね。


 彼はドアを開けると、その様子や統計を、ノートに記録するのです。1回目は何が見えたかを重点的に記述し、2回目以降は変化したところを重点的に記述します。例えば……、



 〇月〇日 教室

 1回目:机・椅子34個が黒板に向いている。左で●●と■■が話している――。

 2回目:●●の右手が20cmほど上がっているのが見える。右足がドア枠外に移動しているのが見える。チョークが5cmほど右に移動しているのが見える――。

 ……

 104回目: 月の端が窓の左上に見える。5番の机上に埃が見える――。

 ……


 といった感じです。なんとなくは分かっていただけましたか?


 高校にいる間は学校のドア、自宅に帰ると自前のドアを開けて記録する。これが彼の高校生活のほとんどを占めていました。


 高校を卒業すると、誠二郎は自宅に引きこもり、ドアを開けることに没頭しました。彼の両親は高校卒業と同時に亡くなり、それなりの資産もありましたので、彼は誰にも邪魔されず、一日中、あくる日もあくる日も、ドアを開けては記録していました。



 私は東京の四年制大学に進学し、誠二郎とは疎遠になっていました。ずっと誠二郎と共に居たせいか、あまり友達もできず、高校の頃に戻りたいとぼんやり思いながら無難に過ごしていました。


 四回生の4月、私は就活のためいったん地元に戻りました。ある日、ふとした思いつきで、私は誠二郎の家に寄ることにしました。あまり連絡もしていなかったのですが、無性に旧友に会いに行きたくなったのです。


 家のインターホンを押しますが、中から反応はありません。ドアノブをゆっくり回してみると、鍵は開いている様子でした。摺りガラス越しの中の景色は暗闇で、少し気味が悪く思いましたが、私は唯一の友人にどうしても会いたくて、中に入ることにしました。


「おーい誠二郎!隆一だ!入るぞ~。」


 と言いながら、玄関に入ってみると、目の前の廊下には大きな木の板が何枚も直立しています。すぐに、私はそれが大量の自立式のドアであると気づきました。


 記憶を頼りに彼の部屋まで行こうとしますが、家の中はドアであふれていて、迷路を進むかのように迷いながら進むことになりました。


 やっと彼の部屋の前に着いてドアを開けると、そこには生活の痕跡の無い、殺風景な部屋がありました。


 部屋の中心には2つの物体が直立していて、足元にノートが落ちています。直立していたのはクローゼットくらいの大きさがある木の箱。そして、青白くなって立ったまま死んでいる誠二郎でした。


 私が驚いたのは、なにも単に誠二郎が死んでいることだけではありません。この大きい木の箱は、よく見るとドアのついた棺桶のようでした。誠二郎は、右手で棺桶のドアノブを持ってちょうど全開に開いた瞬間のまま、凍り付いたように死んでいるのです。


 彼は極限までやせ細っていて、しかし今にも生き返りそうなほどの生き生きとした喜びの表情を残したまま、固まっていました。


 私は、中に何もない棺桶のドアを開けることに、彼がどれほどの時間を費やしたのか、何回開いたのか、その時の彼の感情はどうだったのか、なぜ死んだのかを想像すると、おぞましさに身を凍らせる思いでした。


 少し経った後、落ち着いて彼の足元のノートを手に取りました。そこには意外にも、いつもの記録は書かれていませんでした。あれほど神経質に記録を取っていた彼がなぜ棺桶の記録を取っていないのかは、今も分かりません。


 そして、代わりにそこには私宛と思われる遺書が書いてありました。


 ―・-・-・-・-・-・-・-・-・-


 隆一へ


 7年間も、ドアの研究に付き合わせて悪かったと思っている。


 お前のおかげで充実した生涯を送ることができた。


 一生の親友のお前に、僕の最後のお願いがある。


 この棺桶に僕を入れて、ドアを8万■千■00回開いてはくれないだろうか。


 お前に何かを残したかったが、僕にはこれ以外何もないのだ。


 今までありがとう。


            誠二郎


 ―・-・-・-・-・-・-・-・-・-




 ……いかがでしたでしょうか。


 これで私の知っている話は終わりになります。


 ここまで聞いてくれたのは、あなたが初めてですよ。さぞかしお優しい方なのでしょうね。


 そうだ。あなたに提案があるのですが、この後、うちでお茶でもしていきませんか。おいしいお菓子を買ったんです。



 あともう一つ、実は、ついに今日で8万■千■00回目なんですよ。


 さあ。車をお出ししますので、うちでドアを開けてみませんか?

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