最推しなんて言えやしない
藤咲 沙久
まだ投稿はしないらしい
「
「さすが
「それな、読めるのと打てるのとは別。でも好き」
発売したばかりのラノベを前に俺たちは頷き合う。早く
大いに盛り上がり特装版の小冊子に触れた辺りで、ふと一条が俺の後ろを覗き込んだ。なんだ、美人の彼女が迎えにきたか?
「ところで秋月。その子は待たせてていいの?」
「え、俺の方? その子って……おお」
「……
心なしか、いつもよりトーンの低いハスキーボイス。ご機嫌斜めな様子の
楠葉のことを忘れていたわけじゃない。でも、楠葉が俺を待ってるとは思っていなかった。会話が終わるのを律儀に待ってたのかお前。ちょっと、罪悪感。
「……ふふ」
突然、一条が小さく笑った。それに対して楠葉がグッと顎を引く。これは警戒体勢に入らせてしまったか。
「なん、やの。なんか笑うことあります?」
「や、
気のせいでなく楠葉が引いている。いやたぶん、一条が悪いというか、これは相性。なんとなく感じる。オタクでありながらコミュ力おばけの一条と、コミュ力欠乏症レベルの楠葉……いわば陽キャと陰キャみたいなもん。受け入れられないのだ、主に楠葉の方が。
ここをどう繋ぐかは俺の手腕に掛かっている、かもしれない。せめて少しでも空気を和らげねば。主に楠葉の方の。
「あー、お前ら初対面だよな! 楠葉、コイツは趣味友の一条
「千、世、くん?」
「……の、ファン。そう、ファンでいてくれてる、うん」
仲間という言葉は飲み込んだ。嘘はついていない。少し正直に話し過ぎそうだっただけ。小説を書いていることは、楠葉自身が隠したがってるから言わない約束だ。今も横から不満げな視線を寄越してくるのが少し恐い。後でプリンでも献上しておこう。
愛想もなく「どーも」とだけ挨拶すると、楠葉はそのまま黙ってしまった。やはりいつもに増して塩対応。なんか初めて会った頃を思い出すな、この感じ。
一条は、なぜかそんな楠葉を興味深げに見てからニッコリ笑った。コミュ力の権化は強い。
「はじめましてだったね、天堂君。中原ゼミの一条です、秋月とは推し活を共にするオタク友達なんだ。もしかして君も小銀ちゃんファン?」
「いえ。ボク、ライトノベルは千世くんのしか読まへんので」
名前を聞いただけでラノベのキャラだってわかってんじゃないか、とは胸の中に留めておく。陽キャが苦手なのはわかるが、どうにも今日の楠葉は刺々しい。これはそろそろ撤退してやるべきか。
一条ももうじき彼女が来ると言うので、考察大会はいったんお開きということになった。写真だけでも美人だった一条の彼女を生で拝んでみたかったが、今日のところは我慢だ。
「あ、彼女と言えば。今度ぜひ取材させてくれ一条。絶対小説のネタになるだろ、天然年上方言彼女。おまけに巨乳」
「ふふ、否定しないし取材も許すから胸元を見るな?」
笑顔のまま不穏な空気を醸し出した一条から逃げるように、俺は楠葉を連れてそそくさと教室を出た。なにやら背後から「仲良くねぇ」と声が飛んできたが、何のことかはわからなかった。
それよりも今の問題は楠葉の膨れっ面だ。棟を出て校門をくぐってもまだ、それはぷっくりとしている。少々子供っぽいが、これはこれで心を開いてくれてる証だと知っているので、そんなに悪い気はしていない。
「今日は
「悪かったよ、夜でいいかと思ってさ」
「だいたい千世くん、人様の彼女さんやのに、胸の話とか失礼やわ。デリカシー足りへんのとちゃう」
「楠葉、なに怒ってんだよ」
「別に怒ってへんもん」
怒ってるヤツの常套句である。何て言ってる場合か。でもあくまで俺と同じ速度で歩き、寮の方へ向かっているのだから、一緒に帰るつもりは満々のようだ。素直なんだかそうじゃないんだか。
「なあ、推し活ってなんなん」
信号待ちで足を止めると、下を向いたままの楠葉がポツリと言った。何を急にと思ったが、たぶん一条が言っていた話だろう。
「ああ、一条とは聖地巡礼とか同人誌イベントとか一緒に行ってんだよ。ほら楠葉は人混苦手だからって、誘っても来なかっただろ?」
しばらく考えるように眉根を寄せてから、ハッとした表情をする。見ていて面白い。でも青になったから歩こうな、と軽く背を押してやった。楠葉は従順に前進した。
驚きと納得が入り交じったような顔で見上げてくるので、今度は自転車が来てるからなと腕を掴んでやる。お前、俺にしか集中してないだろ楠葉。
「それは、盲点やった……。そんなとこで一条くんが暗躍しとったとは」
「一条はアサシンか何かか」
穏やかな笑顔のまま音もなく駆けてくる一条を想像して、やめた。思ったより似合いすぎてて恐い。さっき彼女の胸について話した時の寒気が、よりリアリティを感じさせた。
俺の馬鹿な考えを知らない楠葉は、まだ少し俯き加減だ。転ばないか足元が気になった。そのうちそこに「ボクには」と小さく、声が零れ落ちる。俺は楠葉の横顔まで視線を上げた。
「ボクには千世くんだけや。千世くんしかおらん。……でも、千世くんはちゃうんやよなぁって。少しだけ悔しいわ」
どこか寂しげにそんなことを言うから、ちょっと顔を覗き込んでみた。すぐさまプイと逸らされる。それでも、頬が膨れたままなのはわかった。
「楠葉……なんだよ、お前もオタク友達欲しかったんだな? それなら今度もっと一条と喋ろうぜ」
「な……っ?! そんなこと言ってへんもん、別に友達とか求めてへんし! だから、だからこれは、や……やき……っ」
「そーかそーか。いやさぁ、無理に人付き合いする必要はないけど、俺なりに心配してたんだよ。良い傾向だな!」
「だーかーらー! もおお、聞いてへんやろ! 千世くんなんか、千世くんなんか……お、お餅や!」
「新手の悪口。というか、なんで一キロ太ったの知ってんだ」
「あほ、知らんわ!!」
ひとしきり騒いだところで、寮の正門に着いた。当たり前だがあっという間だ。ここから二階へ上がった廊下までが楠葉と一緒のルート。いつも通りに下靴を脱ぎ、階段へ足を踏み出すと急にクンッと袖を引っ張られた。
まあ、そうだろうと思ったが楠葉だった。意図まではわからんが。
「……ボクも推し活したい」
「ん? おう、いいと思うぞ」
「ホンマ? 付き
「構わんが具体的に何をどう」
「ボクの推しは千世くんの小説と、千世くんやもん。千世くんと一緒に創作するんが推し活やろ」
「へ……」
一瞬、何と言ったらいいか、物書き心がキュンとした。推し。カクヨム投稿前にも読んでくれて、投稿後にも読んでくれて、楠葉がめちゃくちゃファンでいてくれるのは知ってるつもりだ。それでも底辺作家である俺を、俺の小説を“推し”だと名言されると、こんなに嬉しいものか。
胸の中がじわりと熱い。言葉にされるだけで熱くなる。趣味の範囲とはいえ、やっぱり俺も書き手の端くれだ。……推されて嫌なわけがない。ましてや相手は
「千世くん……?」
さっきまでの怒り顔から一転した、不安げなアーモンドアイが俺を見つめる。不覚にも可愛く思えた。こう、子犬みたいで。男性平均身長を有する相手に失礼だが。
俺も、楠葉の小説が好きだ。文章が、単語が、センスが好きだ。そもそも俺たちは、それがきっかけで友達になったのだから。
(なんか、はずい。顔あっつ……)
俺だってお前を推してる、なんなら最推しだと。それを伝えればいいだけなのに、楠葉がスルリと口にした賛辞はなぜか妙に気恥ずかしく感じた。面白いとか楽しみだとか、普段あんなに言えてるくせに。
「千世くん、どないしたん? そうや、今日同室くん留守やし、ちゃうどええからボクの部屋来てや」
「わ、わかったから」
「楽しみやなぁ。千世くん、一緒にたくさん小説書こな!」
すっかり機嫌の直った楠葉に腕を引かれ、俺は「おう」と答えるしか出来なかった。
でも、まあ。俺の書く小説で楠葉を喜ばせられるなら。ある意味それは、俺にとっても推し活と言えるんじゃないだろうか。だからしばらく、言葉にする代わりで許してもらおう……なんて、な。
最推しなんて言えやしない 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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