最推しなんて言えやしない

藤咲 沙久

まだ投稿はしないらしい


小銀こぎんちゃんの魅力は可愛さに留まらない……あの強さがいいんだよなあ」

「さすが秋月あきづきはわかってるね。あの白熱した勝負を読んでると囲碁やってみたくなるよ。まあルールわかんないけど」

「それな、読めるのと打てるのとは別。でも好き」

 発売したばかりのラノベを前に俺たちは頷き合う。早く一条いちじょうとこの話をしたくて、今日は講義が終わるのが待ち遠しかった。幸い、一条と被るのはお互い最後のコマだ。ゆっくり語れるのがありがたい。

 大いに盛り上がり特装版の小冊子に触れた辺りで、ふと一条が俺の後ろを覗き込んだ。なんだ、美人の彼女が迎えにきたか?

「ところで秋月。その子は待たせてていいの?」

「え、俺の方? その子って……おお」

「……千世ちよくん。まだ帰らへんの」

 心なしか、いつもよりトーンの低いハスキーボイス。ご機嫌斜めな様子の楠葉くすはだ。顔にかかる長い前髪の隙間から、じとりと俺を見上げてくる。

 楠葉のことを忘れていたわけじゃない。でも、楠葉が俺を待ってるとは思っていなかった。会話が終わるのを律儀に待ってたのかお前。ちょっと、罪悪感。

「……ふふ」

 突然、一条が小さく笑った。それに対して楠葉がグッと顎を引く。これは警戒体勢に入らせてしまったか。

「なん、やの。なんか笑うことあります?」

「や、さくらが──俺の彼女が関西弁だから。思わず反応しちゃった自分が可笑しくて」

 気のせいでなく楠葉が引いている。いやたぶん、一条が悪いというか、これは相性。なんとなく感じる。オタクでありながらコミュ力おばけの一条と、コミュ力欠乏症レベルの楠葉……いわば陽キャと陰キャみたいなもん。受け入れられないのだ、主に楠葉の方が。

 ここをどう繋ぐかは俺の手腕に掛かっている、かもしれない。せめて少しでも空気を和らげねば。主に楠葉の方の。

「あー、お前ら初対面だよな! 楠葉、コイツは趣味友の一条きょう。んで一条、こっちはゼミと寮が同じの天堂てんどう楠葉。俺の小説──」

「千、世、くん?」

「……の、ファン。そう、ファンでいてくれてる、うん」

 仲間という言葉は飲み込んだ。嘘はついていない。少し正直に話し過ぎそうだっただけ。小説を書いていることは、楠葉自身が隠したがってるから言わない約束だ。今も横から不満げな視線を寄越してくるのが少し恐い。後でプリンでも献上しておこう。

 愛想もなく「どーも」とだけ挨拶すると、楠葉はそのまま黙ってしまった。やはりいつもに増して塩対応。なんか初めて会った頃を思い出すな、この感じ。

 一条は、なぜかそんな楠葉を興味深げに見てからニッコリ笑った。コミュ力の権化は強い。

「はじめましてだったね、天堂君。中原ゼミの一条です、秋月とは推し活を共にするオタク友達なんだ。もしかして君も小銀ちゃんファン?」

「いえ。ボク、ライトノベルは千世くんのしか読まへんので」

 名前を聞いただけでラノベのキャラだってわかってんじゃないか、とは胸の中に留めておく。陽キャが苦手なのはわかるが、どうにも今日の楠葉は刺々しい。これはそろそろ撤退してやるべきか。

 一条ももうじき彼女が来ると言うので、考察大会はいったんお開きということになった。写真だけでも美人だった一条の彼女を生で拝んでみたかったが、今日のところは我慢だ。

「あ、彼女と言えば。今度ぜひ取材させてくれ一条。絶対小説のネタになるだろ、天然年上方言彼女。おまけに巨乳」

「ふふ、否定しないし取材も許すから胸元を見るな?」

 笑顔のまま不穏な空気を醸し出した一条から逃げるように、俺は楠葉を連れてそそくさと教室を出た。なにやら背後から「仲良くねぇ」と声が飛んできたが、何のことかはわからなかった。

 それよりも今の問題は楠葉の膨れっ面だ。棟を出て校門をくぐってもまだ、それはぷっくりとしている。少々子供っぽいが、これはこれで心を開いてくれてる証だと知っているので、そんなに悪い気はしていない。

「今日はカクヨムトリさんの使い方講座してくれる約束やったやんか。それでボク、待っててんで」

「悪かったよ、夜でいいかと思ってさ」

「だいたい千世くん、人様の彼女さんやのに、胸の話とか失礼やわ。デリカシー足りへんのとちゃう」

「楠葉、なに怒ってんだよ」

「別に怒ってへんもん」

 怒ってるヤツの常套句である。何て言ってる場合か。でもあくまで俺と同じ速度で歩き、寮の方へ向かっているのだから、一緒に帰るつもりは満々のようだ。素直なんだかそうじゃないんだか。

「なあ、推し活ってなんなん」

 信号待ちで足を止めると、下を向いたままの楠葉がポツリと言った。何を急にと思ったが、たぶん一条が言っていた話だろう。

「ああ、一条とは聖地巡礼とか同人誌イベントとか一緒に行ってんだよ。ほら楠葉は人混苦手だからって、誘っても来なかっただろ?」 

 しばらく考えるように眉根を寄せてから、ハッとした表情をする。見ていて面白い。でも青になったから歩こうな、と軽く背を押してやった。楠葉は従順に前進した。

 驚きと納得が入り交じったような顔で見上げてくるので、今度は自転車が来てるからなと腕を掴んでやる。お前、俺にしか集中してないだろ楠葉。

「それは、盲点やった……。そんなとこで一条くんが暗躍しとったとは」

「一条はアサシンか何かか」

 穏やかな笑顔のまま音もなく駆けてくる一条を想像して、やめた。思ったより似合いすぎてて恐い。さっき彼女の胸について話した時の寒気が、よりリアリティを感じさせた。

 俺の馬鹿な考えを知らない楠葉は、まだ少し俯き加減だ。転ばないか足元が気になった。そのうちそこに「ボクには」と小さく、声が零れ落ちる。俺は楠葉の横顔まで視線を上げた。

「ボクには千世くんだけや。千世くんしかおらん。……でも、千世くんはちゃうんやよなぁって。少しだけ悔しいわ」

 どこか寂しげにそんなことを言うから、ちょっと顔を覗き込んでみた。すぐさまプイと逸らされる。それでも、頬が膨れたままなのはわかった。

「楠葉……なんだよ、お前もオタク友達欲しかったんだな? それなら今度もっと一条と喋ろうぜ」

「な……っ?! そんなこと言ってへんもん、別に友達とか求めてへんし! だから、だからこれは、や……やき……っ」

「そーかそーか。いやさぁ、無理に人付き合いする必要はないけど、俺なりに心配してたんだよ。良い傾向だな!」

「だーかーらー! もおお、聞いてへんやろ! 千世くんなんか、千世くんなんか……お、お餅や!」

「新手の悪口。というか、なんで一キロ太ったの知ってんだ」

「あほ、知らんわ!!」

 ひとしきり騒いだところで、寮の正門に着いた。当たり前だがあっという間だ。ここから二階へ上がった廊下までが楠葉と一緒のルート。いつも通りに下靴を脱ぎ、階段へ足を踏み出すと急にクンッと袖を引っ張られた。

 まあ、そうだろうと思ったが楠葉だった。意図まではわからんが。

「……ボクも推し活したい」

「ん? おう、いいと思うぞ」

「ホンマ? 付きうてくれる?」

「構わんが具体的に何をどう」

「ボクの推しは千世くんの小説と、千世くんやもん。千世くんと一緒に創作するんが推し活やろ」

「へ……」

 一瞬、何と言ったらいいか、物書き心がキュンとした。推し。カクヨム投稿前にも読んでくれて、投稿後にも読んでくれて、楠葉がめちゃくちゃファンでいてくれるのは知ってるつもりだ。それでも底辺作家である俺を、俺の小説を“推し”だと名言されると、こんなに嬉しいものか。

 胸の中がじわりと熱い。言葉にされるだけで熱くなる。趣味の範囲とはいえ、やっぱり俺も書き手の端くれだ。……推されて嫌なわけがない。ましてや相手は親友くすはだぞ。

「千世くん……?」

 さっきまでの怒り顔から一転した、不安げなアーモンドアイが俺を見つめる。不覚にも可愛く思えた。こう、子犬みたいで。男性平均身長を有する相手に失礼だが。

 俺も、楠葉の小説が好きだ。文章が、単語が、センスが好きだ。そもそも俺たちは、それがきっかけで友達になったのだから。

(なんか、はずい。顔あっつ……)

 俺だってお前を推してる、なんなら最推しだと。それを伝えればいいだけなのに、楠葉がスルリと口にした賛辞はなぜか妙に気恥ずかしく感じた。面白いとか楽しみだとか、普段あんなに言えてるくせに。

「千世くん、どないしたん? そうや、今日同室くん留守やし、ちゃうどええからボクの部屋来てや」

「わ、わかったから」

「楽しみやなぁ。千世くん、一緒にたくさん小説書こな!」

 すっかり機嫌の直った楠葉に腕を引かれ、俺は「おう」と答えるしか出来なかった。

 でも、まあ。俺の書く小説で楠葉を喜ばせられるなら。ある意味それは、俺にとっても推し活と言えるんじゃないだろうか。だからしばらく、言葉にする代わりで許してもらおう……なんて、な。

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最推しなんて言えやしない 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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