僕らのシブヤ探訪

隠井 迅

今日は渋谷で五時

 令和二年の二月中旬——

 さっぽろ雪まつりへの参加の後、佐藤冬人(ふゆひと)は、春休みを利用して、上京準備という大義名分で、東京に住む兄・秋人(あきひと)の許を訪れていた。

 この間、冬人は、ゲームをしたり、本を読んだり、映像を観たりして一日の大半を過ごして、まさに絵に描いたような〈お宅〉生活を送っていた。

 

 そんな、とある金曜深夜の事である。

 秋人が帰宅したのは、日を跨ぐまさにその直前であった。

「間に合った。リアタイ、ギリギリセーフ」

 リアタイとは、アニメを、TVの放映時間に観る行為のことである。

 秋人は、そのアニメの録画もしているし、配信サイトでも視聴可能なので、あえて、TVの放映時間とピタリ合わせなくとも、アニメを観る事それ自体には、何ら差し障りはない。しかし、問題はそこではないのだ。


 番組が始まると、秋人と冬人の二人兄弟は、互いに感想を述べ合うでもなく、一言すら言葉を発さないまま、アニメを観ながら同時に、PCのキーボードやタブレットをひたすら叩きまくっていた。

 二人がようやく口を開いたのは、次回予告が終わって、CMに入ってからのことである。

「フユ、実況、おつ」

「シューニーも、おつ」

 二人は、アニメと同時にSNSにて、〈実況〉、すなわち、放映と同時に感想を書き込む行為に励んでいたのであった。


「シューニー、あのさ、僕、近いうちにシブヤに行きたいと思っているんだけど……」

「んっ! なんで? あっ、理解。このアニメの、いわゆる〈聖地巡礼〉をしたいのね」

「それもあるんだけれど……」

「んっ?」

 頭の上に疑問符を浮かべている秋人に、冬人は、自分のタブレットで、アニソン・シンガー、〈A・SYUCA(ア・シュカ)〉の新曲「連鎖」のミュージック・ビデオ(MV)を見せてきた。この曲こそが、二人が実況に励んでいた、アニメ『進化論遊戯』のオープニング・ソングなのである。

 その「連鎖」のMVの背景地もまた、アニメの舞台と同じシブヤであったのだ。

 

 さらに、A・SYUCAにとって、シブヤは特別な場所なのである。

 というのも、ファースト・ワンマン・ライヴ、初めて参加したサーキット・フェス、九月の誕生日記念イヴェント、そして、初めての東名阪ツアーにおける東京会場、こうした記念となるライヴの数々が、渋谷のライヴ・ハウスで催されてきたからだ。

 だからであろう、A・SYUCA自身が作詞に携わった「連鎖」の歌詞の二番の歌い出しには、「交差点」や「オーロラヴィジョン」など、世界で最も有名な交差点として知られている、渋谷のスクランブル交差点を想起させるような語彙が用いられているのは。


「なるほど、分かった。お前って影響され易いね、『連鎖』のMVのロケ地がシブヤって話だよね。それなら、俺も一緒に付いて行くわ」

「そんな子供じゃないよ。そろそろ東京にも慣れてきたし、独りでいけるもん」

「ん~~~にゃ。初めてじゃ、お前、渋谷で百パー迷子になるよ」

 さらに反論しようとした冬人を両手で止めながら秋人は言った。

「まあまあ、落ち着けって。俺も行ってみたいって話よ。じゃ、明後日の日曜に行こうぜ」

「シューニー、明日の土曜日でもよくなくない?」

「明日は、渋谷に行く準備として、アニメの渋谷篇の舞台の復習と、ミュージック・ヴィデオを観ながら、地図サイトを参照して、物語の舞台のマッピングをしようぜ」

「そこまで、事前調査する必要あんの?」

「あるよ。じゃないと、ただ行っただけになっちゃうよ」

「分かったよ。シューニー、でさ、日曜は、何時に起きればいいの?」

「五時には渋谷に行きたいかな」

「午後なら、昼くらいに起きればいいか」

「違う違う、そうじゃ、そうじゃない、午前五時だよ」

「あっさあああぁぁぁ、ごじいいいぃぃぃ〜〜〜!!!」

 思わず、冬人は驚きの声を上げてしまったのだった。


               *


「ふわあああぁぁぁ~~~」

 冬人は、マスクの下で欠伸を噛み殺していた。

 秋人と冬人の兄弟が乗っているのは、山手線内回りの始発列車である。この列車に乗るために四時起きを強いられた冬人は、それなりに乗客が多い始発の車両の中で、眠気を振り払うかのように何度も頭を振っていたのだが、そんな冬人に、秋人は、繁華街で〈聖地巡礼〉をする上での幾つかの注意を施したのであった。


「いいか、〈聖地巡礼〉をする時には、ただ物語の舞台になった場所を訪れて、その場をこの目で見て終わりじゃない」

「えっ、他に何かすることあったっけ?」

「お前のポケットに入っている物は何だ?」

「タブレットとデジカメだけど……」

「だろ。そして昨日、映像を見ながらスクショしまくったよな」

「うん。できる限り同じアングルで写真を撮りたいからね」

「眠らない街、シブヤはいつ来ても人が多い。昼も夜もだ。タブレットを見ながら写真を撮っていると前後不覚になって、シブヤでは何度も人にぶつかる可能性大だ。いらぬトラブルに巻き込まれたら、まじで面倒だし、なるべく人通りが少ない時間帯に来るのが鉄則なんだよ。それゆえの早朝訪問なのさ。それに……」

「それに……」

「人が多くちゃ、背景に余計なものが入り込んで、良い写真が撮れないし、な」


 そして四時四十九分――

 山手線内回りの始発列車は渋谷の二番線ホームに到着し、秋人・冬人のヲタク兄弟は、「渋谷で五時」を体現することになったのである。


 冬人が渋谷駅に降り立ったのはこの日が初めてであった。

 冬人は、落ち着かなさ気に、頻りに周囲に首を振りながら、人波の真ん中に向かって歩き出そうとした。そんな弟をホームの端にまで引っ張ってゆき、秋人は、沢山の下車客をいなし、その流れが過ぎ去るのを待ってから、改札に向かった。


 かくして、秋人と冬人は、早朝から朝にかけてシブヤに滞在し、街が目覚め、人が多くなる前に、可能な限り『進化論遊戯』の舞台地と「連鎖」のMVの背景地を訪れ、タブレットに収められた画像と比較しながら、何百枚もの写真を撮りに撮りまくったのである。


               *


 早朝のシブヤ訪問から戻るや否や、冬人は、そのままリヴィングのソファーの上で眠り込んでしまったのだが、一方、秋人の方は、記憶が薄れる前に、生の印象や考えた事を文章に書き留めておくべく、ワープロ・ソフトを起動させたのであった。

 秋人が最もおしている、〈最推〉のアニソン・シンガーは〈真城綾乃(ましろ・あやの)〉なのだが、アニメ『進化論遊戯』のエンディングは、彼女の楽曲「生きている」なので、秋人は、「生きている」のMVの考察を次のように始めた。


               *


 MVの初めに、曲のタイトルが現れ、その文字が揺らいだ直後、場面はシブヤのビル群へと移り変わる。

 その場面の後背に「丸井」が見え、ザラつく音と映像と共に「109」、続いて、人気が全くない「スクランブル交差点」へ場面が転じ、その横断歩道の手前には一台のスマートフォンが置かれているのに気付く。

 そして、音と映像の揺らぎの直後に、曲のイントロが流れ出し、そこに歌い手である、真城綾乃が出現する。

 MVの全編に渡って、画面の揺らぎという演出が為されているのだが、この揺らぎの多用は、アニメ『進化論遊戯』の物語内容と関連付けられている。


 物語の中で、作中人物たちは、強制的にゲーム世界に入退場させられ、デスゲームに巻き込まれるのだが、MVに多用されている、揺らぎという視覚効果は、ゲームの舞台への〈空間転送〉の象徴になっているように思われる。


 MVの後半において気になるのが、後半の舞台背景になっている工場跡に、等身大の鏡が出てくる点で、その鏡の中に、シブヤの情景が次々に映し出されてゆくのだ。  

 その後、場面は、再びシブヤに移り変わり、スクランブル交差点の横断歩道の端に置かれているスマートフォンの画面には、歌い手の真城の姿が映っているのだ。

 それから、場面が工場跡に戻ると、工場跡の等身大の鏡に真城の姿があり、次の場面転換後のシブヤのスマートフォンの画面には、真城の姿が映り続けている。

 つまり、工場跡の鏡とシブヤのスマフォの演出は、鏡とスマフォの画面が、二つの空間を繋ぐ通路になっていることを意味しているような印象を与えている。


 その上で注意したいのが、MVにおけるシブヤの異様さだ。

 シブヤは、昼夜を問わず人の流れが絶える事のない街だ。それにもかかわらず、MVでは人通りが全くなく、そこに居るのはカラスだけなのだ。


 ここで再び、MVとアニメの物語内容を関連付けてみると、シブヤを舞台にした物語において、このデスゲームに作中人物たちが巻き込まれてゆく時、スマートフォンから鳴り響いた異音によって、ゲームのプレイヤー以外の人々は、シブヤのゲームエリアから強制退去させられる。つまり、MVの中の人気なきシブヤは、『進化論遊戯』の人が居ないシブヤの情景と重なるのだ。


 MVの最終部では、画面の揺らぎと共に、鏡とスマフォの場面が折り重なったかのように、歌い手の真城の空間転移が始まる。

 その転送先は、シブヤか……と思いきや、そうではなく、そこは、太陽と青空の下のどこかの崖の上なのだ。

 太陽は希望の光、この場面は、もしかしたらゲームクリアという〈解放〉を意味しているのかもしれない。


               *


「ハイ、エンター・キー」

 

 ここまでのアニメを全話観直し、MVを繰り返し再生し、それらについてのメモ書きを参照しながら幾度も推敲を重ねた上で、秋人は、アニメ『進化論遊戯』のED「生きている」のMVに関する考察をブログにアップしたのであった。


 自分の〈おし〉であるアニソン・アーティスト真城綾乃と、彼女の新曲「生きている」を、もっともっと世に知らしめるために、ブログを書く事、これこそが、今、秋人が、自分の〈おし〉のためにしている〈推し活〉なのである。



                           〈了〉


注:この物語は虚構であり、たとえモデルがあるにせよ、作品中に登場する人物、団体、名称等は架空存在であり、実在する方々とは無関係でございます。

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僕らのシブヤ探訪 隠井 迅 @kraijean

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