主の初恋が絵画の乙女だった上、実在したのでとりあえず保護ガンバロウと思う。

ムツキ

◆ 祈る以上の事したら、ぶっ飛ばす。 ◆


 それは、確かな出逢いだった。


 その子は秘密の庭に座っている。

 見上げた横顔には柔らかな日差しが降り、透き通るエメラルドの瞳がキラキラと輝いている。白い鼻は光を受けて一層白く、微かに開いた唇は熟れた果実のような色合いだ。

 周囲にはオレンジや紫の花々がひっそりと咲き、傍に侍るウサギや小鳥は彼女を見つめている。

 彼女は白い一枚布を纏っている。

 背には、光に溶けるように描かれた翼。

 湿りも渇きもしていない大地に座して、彼女が見上げるのは神か太陽か――。


 そうして彼――ビトは『恋』に落ちた。

 絵画の乙女に、である。



◆◇◆



 ひんやりとした湿り気のある空気。

 暗闇は、歩く度に揺れるランタンによって黄色く、時に緑に照らされている。

 ロンドキルス洞窟――古代ルール語で『不浄』の意味を持つ洞窟だ。大陸北東部の小さな島にあり、ゴツゴツとした岩肌の洞穴には水が浸食している。

 歩く度にチャプリと軽快な音を纏わせる足元。ピトンとまた、雫が落ちる音がする。


 ルシオは本来、陽気の良い西の大陸で書類片手に過ごしていたはずだった。彼が、暗澹たる洞窟にいる理由は一つだ。


 主の所為である。

 騎士として忠誠を誓った第三王子ビトが故だ。

 ビトの愛称で知られるビト=レオナルド・ラロ・イストリア=イバニェス、二十二才。生母の家柄もあり、第三王子ながら王位継承権は一位の男だ。精悍ながら笑うと人の良さがにじみ出る顔、包容力のある言動はそのまま大らかな性格を表しており、老若男女問わず好かれる素養も持っている。


 ルシオは彼を見るたび、人間には誰しも欠点があると言う事を思い知らされる。

 尤も、毎日顔を見るので毎日だが――。


 王子は『絵画』に『恋』している。


 ルシオは出会ったその日から、何度も執拗に乙女の話を聞かされてきた。いかに尊く、儚く、美しいのか。神の奇跡に他ならないと。

 彼の幼馴染を始め側近、周囲の重鎮、果ては国民すらも彼の困った性癖もとい恋愛事情に匙を投げている。

 すなわち『良い指導者になれるけど、お世継ぎは他から貰ってくるしかないねぇ』である。


 現存した人間であれば、金や権力で奪い取ってくる事もできただろう。だが彼が愛した人は『絵画』の中にいる乙女だったのだから、どうしようもない。


 いや、実在はしていた人間だ。およそ千年ほど前に――。


 王子としても、今も『生きている』と知っていれば私財の全てを賭けたかもしれない。

 しかし千年である。普通なら絵すらも風化する。

 いっそ風化していてくれればこんな事にはならなかったと、ルシオは絵画を残した人物への怒りを感じる。

 特殊な魔法を施し、王宮の地下にしまい込んできた人物――ビトの先祖に当たる王だ。


 ビトの恋は叶わぬもので、誰への被害も起きない。きわめて平和な道楽となるはずだった。


 たとえ、毎日絵画に向かって礼拝をし、話しかけ、お供え物をしていても、である。話しかける程度の事しかできないのだから、実害は薄いと言えた。

 勿論、身近な人間にとってはとんでもない事態だった。


「俺って、めっちゃ純情やんな!」を口癖に、何枚も同じ絵を描かせ、自分の移動する先の全ての部屋に設置、想像で別構図を描かせては「こんなんちゃう!」と破り捨て、「俺との結婚式描いて!」と命令を下し、果ては「この絵と結婚式する」と大司教の所まで乗り出したのだから、異常者ではあった。


 おかげで、特筆すべきは絵の才能だけのルシオすらも騎士に取り立てられた。

 今もルシオの腰には飾り物の剣が、背には大量の画材と絵筆が詰まっている。騎士である以上、嫌々ながらも、危険極まりない旅への同行を受け入れる他ないのだ。


「殿下、期待はしすぎないように」


 ルシオは釘をさす。当然言われた側は鼻歌でも歌い出しそうな顔で、聞いてもいない。この陰気な場所でよくそれだけ幸福な顔をしていられると呆れる程だ。

 この道行を、馬鹿らしいの一言で切って捨てられたらどんなに平和だったか、夢想する。全ては仕える主の、重すぎる『初恋』が産んだ事だ。


 王子は長年の『推し』に逢う為、ここにいる。


 わざわざ案内人を用立て、側近従者を引き連れて船出した。当然騎士たるルシオが乗らないわけにはいかない。

 本当に一般的に見れば、ビトは良い国王となる素養を持った青年なのだ。


 いっそ、懇意にしている商会の人間がビトに会おうとした時、止めて置けばよかったのだ。その男はサラリと告げた。すなわち――「乙女は生きています」と。


 そうして今に繋がる。


 向かうはロンドキルス洞窟の最奥、誰も踏み入る事のなかった不浄の場所にして、呪われし地。

 ルシオのみならず、この場の側近は思っているし、後悔もしている。


「どうして、もっと幼い頃に止められなかったのか」


 そしてビトの方も後悔している。


「ああ! もっと、はように『実在』『現存』を疑って行動しとれば良かった!!!!」


 どちらも心の声を心だけに留められず、時折漏れている。

 ルシオは溜息をつき、重い画材を背負いなおした。



 ◆◇◆



 揺らめく青い光。岩室の中心には水晶の棺――内部からの光で、部屋を照らし出されている。

 光は陽に煌めく水のようだ。

 その中に、乙女はいた。

 光の海に浸り、時を止めている。最早カンテラは不要だった。


「生きてたんや……」


 ビトの口から零れた声が夢見がちに響く。ルシオは我に返り、彼の手から滑り落ちるカンテラを、慌てて回収する。彼の意識にはもう彼女しかいないのだと分かる。


 興味の薄いルシオですら目を奪われた光景なのだから、当然だ。


 生きて存在していると聞かされても、眉唾程度の気分だった。おそらくガッカリした王子を慰め、新しい絵でも描いて帰るくらい事になるだろうと踏んでいたのだ。

 まさか千年の時を越え、『乙女』が生きているとは誰も――ビトですらも考えていなかったはずだ。


「あぁ、本物や」


 ふらふらとビトが歩み出る。

 存在すら忘れていた男が口を開く。


「およそ千年の昔」


 案内をしてきた商会の青年だ。


「イストリア帝国第一王子が幻の島へと派遣された。使節団を引き連れて行った彼は『北の魔女』に、国を護る結界を求めたそうだ。殿下にとっては遠い先祖の話ですな。『魔女』への対価として王子は『魂』と『心』を捧げ『信仰』した。だが」

「知ってるで」


 ビトが強い口調で言葉を封じた。この場にいる誰にとっても馴染み深い話である。王子の初恋に巻き込まれ、山のような書物を読み漁り、古代語すらも読み解いて『彼女』の事を把握してきたのだ。浅い知識の披露など聞くまでもない。

 むしろ、この後のことを考えると頭痛程度ではすまない。


「俺の至福タイム、邪魔すなよ!」


 王子は所詮、王子様である。『乙女』の事に関しては平気で暴君にもなってきた男だ。


「どんだけ愛してると思うとんねん! ちょっと調べて知ったくらいのヤツが語るなや! 俺と天使の出逢いやで! 今いっちゃん、良いトコやん!!!!」


 怒鳴り散らし、彼は目を閉じ胸に手を当て呼吸を整える。憤慨と共に高ぶる心もおさめていく様は見ていて空恐ろしい。

 パチリと開いた彼の目を見れば、分かる。

 彼女に向かって真摯な謝罪。


「あぁ、可哀想に……寒そうや。ごめんな……」


 彼女を包む光の蒼さが、乙女の生気を感じさせない。

 ビトは信じているのだ。彼がもっと努力をして、彼女の生存を信じて行動していれば、こんなにも寒く寂しい所に置き去りにはしなかったと。


「出したらな……。出して、この子に相応しい場所に……」


 そこで彼は言葉を切る。見る間に目を見開き戸惑ったように口元を抑える様は気味が悪い。

 ルシオは聞くのも嫌だが、聞かざるを得ないのだろうと口を開こうとする。だが一歩早く王子は言葉を発した。


「この子、千年ココに、おるねんなぁ?」


 問いかけられ、頷く。

 何を今更と、全員の心は一致している。しかし主の方では何か違うらしく、照れたように頬を紅潮させている。

 かろうじて言葉にはしなかったが、後ろからは「うわぁ」と嫌そうな声が漏れた。


「それって、この子が頼れるん俺だけなんとちゃう?! 部屋を用意せな! キラキラヒラヒラのフワフワで甘い匂いのする部屋や! ドレスの色は白やんな!!!! それからレース、レースは外されへん!!!! リボンとレース、あと、庭! 小動物!!!! 即効本国に連絡してウサギ狩りや!!!!」


 ルシオが否定の声を上げるよりも早く、ビトは己の世界に旅立っていた。

 絵と同じ構図をしてもらう未来を夢見て、ビトは含み笑いを漏らしている。今度はルシオも心の声に従った。


「きめぇ。それとウサギ狩りは絶対違う」


 ルシオのツッコミも、商会の男と側近が気味悪げに見つめるのも気にならないらしい。ビトは今、神に感謝まで捧げ始めている。

 同時にルシオは神の無情さを感じていた。


「ルシオ! この構図、しっかりメモってや!! 寝室に飾るで!」

「え? 絵にするのか? これも??」

「そうやでっ! あらゆる彼女の、全ての彼女が見たい! そう思うんは普通やろ!? 愛やもん! 異常やあらへん、これは愛やもん!!」


 愛の一言で説明を付ける男は、それでも次期国王である。側近たちは顔を見合わせ、頷く。すなわち「まぁ、女性問題は片付いたか」である。一人の犠牲で国の未来が救われるならば、それは大衆の前で正しい事となる。


 何より、お伽話を知っている者ならば誰でも気付く事がある。ビトも気付いているはずだ。誰も口にはしないがこの娘が伝説の北の魔女で『おとぎ話』が真実だったなら、彼女に魂と心を捧げた当時の――。

 見兼ねた一人が口を開く。


「殿下、あの……かつての」

「今、大事なん、そこちゃう。お祈りや!!」

「お、お祈り……」


 ビトは跪き、胸の前で両手を組んだ。


「神よ、感謝します……」


 ちなみに彼が祈る『神』は、目の前にいる『乙女』だったりする。ルシオは乙女を見上げる。

 彼とて、絵を描き始めた理由は彼女なのだ。



(了)


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主の初恋が絵画の乙女だった上、実在したのでとりあえず保護ガンバロウと思う。 ムツキ @mutukimochi

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