初体験物語
隠井 迅
いつか
令和三年三月三日——
元号から始まる三のゾロ目の日になるのは、平成三年三月三日以来の事である。
和暦だと分かり難いのだが、西暦に置き直すと、令和三年が二〇二一年、平成三年は一九九一年なので、三のゾロ目は、実に三十年ぶりの事となる。
この一九九一年、つまり、平成三年三月三日・日曜日の雛祭、桃の節句の日の出来事であった。
忘れもしないこの日、既に浪人する事が決定していた私は、都内の大学受験予備校に通うために上京する準備をしながら、気もそぞろにテレビを眺めていた。
ちょうど、三日前の二月二十八日の卒業式の前日に、「わたしの事なんて忘れて、これから受験勉強、頑張って下さいね、先輩」という短文の手紙で、大学入試前に告白した、部活の二個下の後輩に振られてしまった直後でもあったので、東京に持ってゆく荷物の準備も心の整理も全く捗らなかった。
そんな時、平成三年三月三日、この日にデビューした、三人組のアイドル・グループ〈エクレア〉のCMが流れてきたのだ。
そして、下手側、つまり左端に居た〈古河佐喜子(こが・さきこ)〉さん、愛称、〈さっちゃん〉の姿を、一目見た瞬間、私は一瞬で、彼女にオチてしまったのである。
つまるところ、さっちゃんこそが、私の初めての「お気に」、今で言うところの、初めての「おし」となったのである。
一九九〇年代前半だと、もちろん、今、使われている「おし」とか「おす」なんて単語はなく、好きな対象の事を「お気に」と呼んでいた。
今の「おす」って言葉もそうかもしれないのだが、〈好き〉って表現を使うと、気恥ずかしさを覚えてしまうのだ。それに、〈好き〉には、もっと〈特別〉な意味合いが含まれているように、私には思える。だからこそ、昔は、「お気に」って表現が使われ、それが今では「おし」に変わっているのかもしれない。
それから、上京した後の私は、エクレアのイヴェントがあると、それに足繁く通うようになっていた。イヴェント日の勉強は、移動時間とイヴェント開始までの待ち時間にやっていたし、エクレアのイヴェントがない日の受験勉強も、イヴェントで会ったさっちゃんの存在が、私の心の支えになってくれており、私は、辛いはずの浪人時代を乗り切る事ができたのであった。
そして、大学入学後の私は、エクレアの〈おし活〉に、人生を全振りしている、そのような日々送る事になったのである。
*
それは、一九九四年、平成六年の三月五日・土曜日の事であった。
私は、エクレアの〈現場〉で知り合った仲間たちと一緒に、エクレアのイヴェントに参加するために、長野県の白馬スキー場を訪れていた。
この日は、三月三日にグループ結成三周年を迎えた直後のイヴェントだったので、四年目の活動に関して何か発表があるかも、と私たちは期待に胸を膨らませながら、スキー場のイヴェントに参加したのであった。
そして、ミニ・ライヴの直後に、エクレアのリーダーであった、さっちゃんが告げたのが、次のような電撃的な重大発表であった。
「四年目を迎えた、わたしたちエクレアは、今日この日をもって、〈無期限活動休止〉に入ります。
グループ活動休止中に充電して、成長した姿を、〈いつか〉、皆さんにお見せしたい、と思います。
今まで、本当にありがとうございました」
ステージからエクレアが姿を消した後、そこには、私を含め、十数名の、茫然自失したヲタク達だけが取り残されていたのであった。
そして——
あの時、〈お気に〉が口にした「いつか」がやってくる事は二度となく、エクレアの消失をきっかけに、私も、アイドルのイヴェンターを辞めてしまった。
かくして、私の初めての〈おし活〉は終わりを迎えてしまったのである。
*
あのエクレアの電撃発表から三十年近い年月が流れ去っていた。
エクレアの消失以後も、当時、濃い時間を共有していたエクレアのヲタクとの付き合いは,今なお続いていたのだが、年末に、エクレア界隈の忘年会をした際に、さっちゃんがSNSをしているという事を私は知って、とりあえず、そのアカウントをフォローをした。
正月に、さっちゃんが「あけましておめでとうございます」というツイートをしたので、それに対して、年始の挨拶として、「いいね」は〈おし〉たものの、それ以後も、私は、どうしてもリプライをする事ができず、さっちゃんの呟きを読む事だけしかしていなかった。
そして令和三年三月三日——
さっちゃんが、こんな呟きを発したのだ。
「今日、令和三年三月三日に、エクレアは三十回目の誕生日を迎えました。グループが結成されたのが平成三年三月三日、この大切な記念日、皆さんとの出会いに感謝をしながら、真心からのありがとうを」
この呟きを見て、ついに、私は、さっちゃんに初めてのリプライをせざるを得なくなってしまったのである。
「エクレア、お誕生日おめでとうございます。
平成三年三月三日も、令和三年三月三日も、三・三・三のゾロ目ですね」
それから二日後の三月五日の事である。
なんと、さっちゃんから返事が届いたのだ。
「お祝い、ありがとうございます。お気持ち、とっても嬉しいです。
三・三・三の連続って発想、面白いですね。
そして、これからもエクレアを愛し続けてくださいね」
まさかこんな形で、三十年前に、初めて本気で〈好き〉になった〈お気に〉と再会する事ができるなんて、私は思ってもみなかった。
平成六年三月五日のスキー場の電撃発表の時に、さっちゃんが告げた「いつか」とは、まさに、この日、令和三年の三月五日なのかもしれない。
そう、私こと〈ふ〜じん〉は思ったのであった。
〈了〉
注:この物語は虚構であり、たとえモデルがあるにせよ、作品中に登場する人物、団体、名称等は架空存在であり、実在する方々とは無関係でございます。
初体験物語 隠井 迅 @kraijean
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