不思議な縁結び

冬城ひすい

縁結びのクッキング

「今日も精が出ますね、月城さん」


街外れに小さいけれど威風堂々とした風格を醸し出す赤い鳥居。

そこを横目にするジョギングコースにしていたオレこと月城優姫つきしろゆうきは、その神社の巫女である姫神琴音ひめがみことねに声をかけられる。

毎日同じ時間に同じ場所を通るオレと毎日同じ時間に同じ場所を箒で掃く姫神さんとはもはや恒例のやり取りだった。

オレは汗を拭いつつ、ゆっくりと足を止める。


「おはようございます、姫神さん。今日もお綺麗ですね」

「ふふ、ありがとう。そういう月城さんも汗の滴るいい男の人ですよ」


こんな風に両想いか!と突っ込みたくなるほど甘い言葉の数々は慣れっこだ。

それに相互の恋愛感情はない。

朝に顔を合わせるだけのなんとも表現できない関係性なのである。

姫神さんは箒を持ったまま巫女装束をはためかせ、オレの正面に立つ。


「――今日の夜、例の件をやりましょう。私が手取り足取り教えますので、覚悟していてくださいね」

「ありがとうございます、姫神さん。ただ、誤解を生むような言い方はやめてください……」


当然、オレ以外の人も鳥居の前を過ぎていく。

神聖な神様に使える巫女の姫神さんの発言を聞かれたら、よからぬことが起きそうで内心焦っていた。

そんなオレを見て姫神さんは楽しそうに笑う。


「ふふふ、月城さんは本当に面白い方ですよね。私が石段から落ちそうになったところに飛び込んできたり、毎日神社にお賽銭を入れに来たり。お人よしという言葉はきっと月城さんのためにあるのでしょうね」

「オレは困っている人がいたら助けるし、今どき珍しいかもしれないけど神様の存在も信じていますよ」

「そうですか。信心深いのはいいことですよ」


そこで姫神さんは巫女装束の袖元をずらすと、腕時計を見たようだった。


「そろそろ帰って学校の準備をしないといけない時間ではないですか?」

「本当だ。じゃ、また! 今夜よろしくお願いします!」


ぺこりと頭を下げると大急ぎでオレは走り出すのだった。



♢♢♢



その日の夜を迎えた。

オレはあの神社の鳥居の麓で姫神さんを待っていた。


「学校の方、お疲れ様です。そしてこんばんは」

「いえ、姫神さんの方こそ学校と巫女のお仕事、お疲れ様です」


ややもすると姫神さんがとんとんと軽快な音を立てながら、石段を下りてきた。

オレは最後の数段でこけそうになる姫神さんを支える。


「ありがとうございます、月城さん」


その目は悪戯な光を宿していた。

それはある事実を明快に示していた。


「もしかして、今回のはわざとやりました?」

「月城さんなら受け止めてくれると信じていましたから。人の優しさは温かいですね」


そう言うとオレの隣りに並び、歩き出す。

穏やかな夜に月と星の金色の光が淡く差し込んでいる。

気づけばオレが独り暮らしをしているアパートに到着していた。


「ここが月城さんの部屋なんですね。素敵です」

「そうですか? あんまし女子受けする部屋じゃないと思いますけど」


オレの部屋には積み上げられた有名な小説が数冊と、人気アーティストのCDが数枚、その他は適当にダークブラウンに統一した家具しか置かれていない。

可愛いやかっこいいという類の物がほとんどないのだ。


「これは……月城さんは勉強熱心ですね」


台所を見た姫神さんはそこで一冊の料理本を手に取った。

オレは学校でもアルバイトでも、おおむねのことはそつなくこなせる自信があるのだが、どうしても料理だけはできないのだ。

だからこそ、その苦手を克服するべく何度も挑戦してはいるのだが、ダークマターを量産するという不本意な結果に終わっていた。

そこでその話を何気なく姫神さんに話したところ、「おいなりさんでよければ、私が教えられますよ」と言ってくれたので、今夜はそれにチャレンジしてみようと思う。

姫神さんはピンで前髪を、紐で艶やかな黒髪をまとめると石鹸で丁寧に両手を洗浄する。

オレも手を洗い、準備を整える。


「それでは早速、酢飯から作りましょう」


そういうとオレが事前に購入しておいた飯台を水で軽く洗い、炊き立ての白米をよそう。

それから、すし酢に若干の砂糖を加えた調味料をゆっくりと回し入れる。


「匂いは平気ですか?」

「オレは大丈夫ですよ。人によってはきついと感じるかもしれませんが」

「では遠慮なく近くで見ていてください。次は全体に調味料がいきわたるように混ぜ合わせ、頃合いを見て切るように混ぜ方を変えます」


オレは姫神さんのレクチャーを受け、混ぜ手を変わってもらい、作業をこなしていく。


「十分にご飯とすし酢が馴染んだら、これで軽く仰ぎましょう」


姫神さんは小さい団扇をオレに手渡す。


「この工程に意味があるんですか?」

「ありますよ。団扇であおいで余計な水分を飛ばすのです。冷ます意味合いもありますね。もしかして月城さんは、今までこういう一見無意味そうに見える過程を飛ばしたり……したのですね……」


オレのなんとも言えない表情を見て、全てを察してくれたようだ。

確かに、三分炒めて~などの指示は「きりが悪い」ということで五分にしたりしていた。

今ようやくダークマターの原因を知れた気がする。


「さて、いよいよ油揚げですが、そのままだと油分が多いので、さっと茹でましょう。それから中火で適当な時間煮ます。そうすればあとは皮に酢飯を入れて包み込んで完成です!」


オレは姫神さんの指示に従い、人生初めての手料理を完成させるのだった。



♢♢♢



美しいキツネ色のおいなりさんが行列を成している。

オレは感動に打ち震えていた。


「やった……やったぞ! オレは料理に成功したんだ! 本当にありがとうございます! 姫神さん!」

「おめでとうございます。月城さんのお力になれたなら嬉しいです」


ぐううぅぅぅぅううう。

そこでかなり大きめの腹の虫が鳴き声を上げる。


「ふふ、お腹が空いているようですね。早速食べましょう」

「はい! いただきます」

「いただきます」


一つを手に取り、口元に運ぶ。

一口嚙むと舌触りのいい油揚げの食感と食欲を刺激する酢飯の酸味が口内に広がる。

あっという間に平らげてしまったオレは二個三個と食べて、それをじっと見つめる視線に気づく


「月城さん、初めての手料理は美味しいですか……?」

「もちろんです! 美味すぎて頬が落ちそうですよ!」

「ふふ、本当に人は可愛いですね。見ていて飽きることがありません。お代わりはたくさんありますから、焦らないでください」


夢中で頬張るオレに日本茶を注いでくれる。

おいなりと言えば、やはりキツネが最初に思い浮かぶ動物だろうか。


「そういえば、姫神さんは神様ですよね?」

「ふきゅっ……!?」


変な鳴き声と共にいつも落ち着いていた姫神さんが固まる。

次いでポン、とふさふさの柔らかそうな尻尾が背後に現れる。


「……いつから、気づいてました……?」

「最初からですよ。あの神社をランニングコースにしたのは中学に上がったころからです。姫神さんと出会ったのもその初日でしたね。でも、オレは小学生の時も何回かあの神社を訪れたことがあります。あそこはすでに無人の神社だったはず」


だからこそ、急に巫女が現れたことがおかしい。

彼女以外の巫女や宮司は見たことがない。

オレ以外の来訪者と話しているところも今までに一度もなかった。


信心深いオレは、姫神さんをとどのつまり神様かそのお使いだろうと思ったのだ。


「そう、だったんですね……。実は私にとっても誤算だったんですよ? 本当に神様を信じている人にしか私の姿も声も見えないし、聞こえませんから」


尻尾がゆさゆさと横に揺れ、愛らしさが増している。


「あの、ですね……。もしよければ、今度私の祀られている神社においなりさんを備えてくれませんか?」

「ええ、もちろんですよ。姫神さん」

「よかった……。忘れられるのは悲しいですから、たった一人だけ――月城さんだけでも覚えていてくだされば、私は嬉しいんですよ」


そういうと次の瞬間には姫神さんの姿はなかった。



♢♢♢



次の日、変わらずランニングをしていた月城は赤い鳥居を潜り抜け、寂れた社に笹に包んだおいなりさん――”縁結びいなり”を三つ備える。


神様が結んでくれた不思議で優しい縁をおいなりさんに名付けたのだ。


月城はいつかまた、会えることを願ってお賽銭を入れ、その場を後にする。



彼が石段を下ったあと、笹の葉だけが残されていた。

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不思議な縁結び 冬城ひすい @tsukikage210

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