僕のアイドル

御角

僕のアイドル

 昼休みの教室はいつも騒がしい。入口を塞いで会話する輩、空いている席を容赦なく占領する女共、スマホのスピーカーで流行りの音楽を流すヤンキー。蝉の声の方がまだ情緒があっていいだろう。

 そんな地獄の隅で耐え忍ぶ僕にとって唯一オアシスとも言える存在、それが「推し」である。と言っても芸能人や二次元のキャラクターなどではなく、いわゆるクラスのアイドル、マドンナというやつだ。

 少し癖のある髪、鈴蘭の髪留め、潤んだ瞳、花のように愛らしい笑顔。彼女が笑うだけで耳障りな騒音もライブの歓声のように聞こえてしまう。遠くから見ているだけで心が癒されていくのを感じる。

「カナメ! 次移動教室だよ」

 友達の呼びかけで彼女は慌てて教室を飛び出し、そして躓いた。が、心配する間も無くすぐに立ち上がり友達を追いかけていった。少しドジっ子なのも推しポイントではあるのだが、彼女はよくこけるのでスカートを覗かれやしないか常に気を張る必要がある。まぁ覗いたところで短パンなのだが。推しを遠巻きに眺めながら僕も静まりかえった教室を後にした。


 放課後、まだ日は長く、全く夕方という感じのしない教室を一人、また一人と去っていく。カナメはどうやら友達とカラオケに行くようだ。まだ明るいといえど寄り道は危険だらけである。推しの安全を守るため、僕はこっそりついていくことにした。

 今日ほど自分の存在感の薄さに感謝することはないだろう。しかし、流石クラスのアイドル、いつのまにかメンバーがかなり増えている。男子も一緒なのが心苦しいが、推しに口出しは無用である。

 結果的に、廊下をランウェイのように歩いていく彼女とそれに続く取り巻き、更に少し離れてしんがりの僕という奇妙な行列が学校から目的地まで続いた。そして皆綺麗に一つの箱に収まった。無論僕一人を残して。


 どれくらい時間が経ったのだろうか、カラオケボックスから取り巻きがぽつりぽつりと帰り始めている。しかし彼女の姿はない。彼女とよく一緒にいる友達が出てきた時、僕は違和感のような、何か不吉なものを感じた。嫌な予感がする。すぐさま自動ドアに滑り込む。隠れて見守ると決めていたのに、どうしても心の不安が拭えなかった。

 とりあえずまずは部屋を見つけなければ、そう思い彼女の声を必死に辿った。片っ端から確認もした。上だ、彼女は上にいる。3階のエレベーターから一番遠い部屋を見た時、彼女は男子と二人きりだった。

 いや、それよりもまず目についたのは床に落ちた短パン、そして制服のリボン。なにより彼女は、僕の推しは押し倒され、口を手で塞がれていた。わからない。この男子はカナメとよく話しているいわば好青年だ。これは、どっちなのだろう。邪魔者は僕の方なのか?

「……す……て」

 迷う僕の耳に微かな振動が伝う

「たす…て……誰か……!」

 彼女は泣いていた。どうやら邪魔者はこの外道のようだ。僕はあらゆる力を振り絞り、電話を落とし、タンバリンを男子にぶつけ、昔流行ったSOSの曲を最大音量で流してやった。男は狼とは本当に上手く言ったものだ。さっきまで火照っていた男子の顔がみるみる青ざめていく。彼女が演奏中止を押す頃には部屋には男のおの字もなかった。

 彼女はきっと怖がるだろう。急に物が落ちたり曲がかかるなんて僕だったら絶対に失神している。店員が様子を見にきたのを確認し、僕は自分の家へ帰ることにした。


 日はすっかり落ちてしまっていて、暗い夜道をとぼとぼと一人帰るのが無性に虚しかった。あと数日で夏休みが来る。そしてお盆が来る。タイムリミットだ。それまでは、迎えが来るまでは一緒にいたかったが彼女に迷惑をかけたくはない。

 推し活は今日で終わりにしよう。未練がないわけではないし、今日の出来事を思うと心配で仕方ないがきっと周りが助けてくれる。ずっと見てきたからわかる。彼女は、カナメは皆のアイドルなのだから。


 月明かりを頼りに家に着くと、ほのかに線香と花の香りがした。誰かが供えてくれたらしい。

 鈴蘭の花。これは、娘の好きな花だ。長年の推し活はどうやら無駄ではなかったらしい。カナメは、愛する娘は僕の推しだ。今も昔も、そして勿論これからも。

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