推しと好きは違うって何度言えば。
姫路 りしゅう
だから推しと好きは違うんだって
推しは、魔法だ。
推しはいつでもあたしのそばにいてくれる。
どれだけ悲しいことがあっても、写真を眺めるだけで少しだけ元気にしてくれる回復魔法であり、これから頑張らなきゃいけないときに勇気づけてくれるバフ魔法でもある。
さすがに推しは攻撃魔法にはならないか、と思ったけれど、解釈違いや同担拒否、貢いだ金額でのマウントの取り合いなど、推しで人を殴るような人がいることを考えると、推しは攻撃も回復もバフもできる最強の魔法だと言えるかもしれない。
あたしの推しはかなりアングラでマイナーなので、ファン同士の醜い争いがなくて平和だ。
かつてとあるグループを推していた頃は、その人たちが人気になっていくにつれてSNSのブロック欄が増えていったものだった。
ファンが自我を持つな。
ファン同士で気持ち悪い馴れ合いをするな。
公式に凸するな!
と、過去を思い出しているとお腹が痛くなってきたのでいったん手帳型スマホケースを開く。
左側に推しの顔、待ち受け画面も推しの顔。ふふ。思わず笑みが溢れた。
その鋭い目つきに、やや不健康そうな青白い肌。可愛いなあ。
あたしが推しに出会えたのは本当に偶然だった。適当に買った宝くじが当たってしまったような感覚に近い。
たった一枚の写真にあたしは一瞬で心を持っていかれ、この人を推そうと決めたんだった。
「なあ、マジでそれやめてくれん?」
そんな推しタイムでニヤニヤしているあたしに水をさしてきたのは恋人の大貴くん。
同棲してそろそろ一ヶ月が経つんだけど、どうやらあたしの推し活に不満らしい。
「別にあたしがなに見ててもよくない? 大貴くんに迷惑はかけてないと思うけど」
「……」
かなり不満そうな顔をしている。
ううん、なんでだろう。
そりゃ大貴くんに話しかけられているのに無視して推しの顔を見ているとかだったらわかる。
それは推しがどうとかじゃなくて人としてよくないじゃん。
でも、あたしはその辺りを弁えているつもりなんだけどなあ。
同棲する前は、デート中にわざわざ推しを眺めることもあまりなかったので推し活は露見していなかったけれど、一緒に住むようになってからはさすがに隠し通せなかった。
大貴くんは好きなバンドとかはあれど、推しはいないらしい。もったいないね。
そのせいか初めのうちは推し活……といっても写真を眺める程度だよ? ……を見てギョッとした顔をしていた。
そこからしばらくは何も言ってこなかったけれど、最近はまたちょっとずつ物申してくるようになった。
「大貴くんはなにが不満なのよ」
「逆に聞くけど、隣に彼氏がいるのに、別の男の写真を見つめられるのって気分いいと思う?」
「いや、ゴロくんは推しだからそういうのじゃないし」
「その、推しだからってのが意味わかんないって言ってんの。推しってなんなの? 俺からしたら浮気宣言にしか聞こえないんだよな」
その言葉にあたしはカチンときた。
この人は推しをなんだと思ってんの。
「はぁ? そういうなんでも浮気とか恋愛に結びつけるの本当に無理なんだけど。ゴロくんは推し、大貴は恋人。これでなにが不満なの?」
「ふぅん、そういう態度ね。わかった、じゃあこの際言いたかったこと全部言わせてもらうけどさ」
大貴くんはあたしの前に座って右手を広げた。
「まずは質問ね。推しってなにしてくれんの?」
「そりゃ、元気付けてくれたり、ずっとそばで癒してくれるんだよ」
「莉子にとって彼氏ってなに?」
「一緒にいて楽しい人、好きだなって人」
「もう一回聞くね? 推しってなに」
「だから、ずっとそばで癒してくれる人だって!」
そういうと大貴くんは呆れたように両手を広げた。
「だったら推しと付き合えばいいじゃん。推しと付き合えば彼氏はいらなくない? なのに俺と付き合ってるってそれ、妥協してるようにしか見えない」
あたしは両手を机にバン、と叩きつけて怒鳴る。
「そういうのじゃないって何回言えばわかるんだよ!」
「わっかんねえから聞いてるんだよ。教えてくれよ。莉子はさっきから感覚的な話しかしてないんだよ」
「はいはい、なんでも理屈っぽく片付ける頭のいい大貴くんはいいですね。ごめんなさいね、感覚でしか話せない馬鹿で。大貴くんこそもっと頭のいい人と行き合えばいいんじゃないでしょうか」
「だからっ!」
しかしその言葉の続きは放たれず、大貴くんは下を向いて大きく息を吐いた。
「ごめん、悪かった」
あたしはなにに対して謝られたのか全く分からなかったのでそれを無視する。
「莉子、ごめんって」
「別に怒ってないよ」
「……ごめんな、わかった、ちょっと勉強してくるわ」
大貴くんはそのまま自分の部屋に帰っていった。
一人残されたあたしはなんだか悲しくなって、スマホを開いた。
*
「莉子、ちょっといいか?」
数日後。
しばらくの間あたしたちには気まずい空気が流れていた。
ベッドはひとつしかないから仕方なく同じベッドで寝るけれど、お互いろくな会話もなく背中合わせに眠っていた。
大貴くんが改まった表情であたしを食卓に誘ったのは、そんなある夜のことだった。
「なに」
「この前の話だけど、まずはごめんな」
だからこの人はなにに対して謝っているんだろう。
あたしはむすっとした表情で頬杖をつく。
「あれからちょっと推しについて勉強してきたんだ。それでだいぶ理解した気になったから、あってるかどうか教えて欲しい」
「いいけど」
大貴くんはクリアファイルの中から数枚の紙を取り出した。どれもプリントアウトしたWebページのようで、一枚目には有名男性アイドルグループ、二枚目には四人組のゲーム実況者の集合写真が写っている。
「そもそも推しって言うのは、アイドルのような顔の整った男性や女性に対して抱く好意のことだと思っていた。でもどうやら、その前提から違ったらしい」
あたしは頷いた。大貴くんの言葉は、言ってしまえばすべて間違えている。
「推す対象はアイドルに限らず、お世辞にもかっこいいとは言えないお笑い芸人やスポーツ選手。新選組とかの遥か昔になくなった人、もっと言えば漫画やアニメのキャラクターまでいるらしいな」
「そうだね。別に人の形をしているとかは関係ないよ」
大貴くんは少しだけ複雑そうな顔で、「やっぱり理解はできても想像は出来ねぇ」と言った。
そのまま男性アイドルグループの写真を指差して言葉を続ける。
「で、例えばこのグループ。俺からしたらドラマでよく見るアイドルの集合写真と、たまに暇つぶしで見る実況者の集合写真だ。まずはメンバー全体をぼんやり認識して、よく見る顔の人を見る。その上でどのグループか認識するっていう感じ。でも、この中に推しがいる人は全く違うように見えるらしいな。まず単推しの人はその人だけが浮き出て見える。もしくは光り輝いて見える」
大貴くんは適当なメンバーに蛍光ペンで丸をつけながらそう言った。
「それはなぜか。これはあくまで俺の予想なんだけど、推しってのはその人にとってもう人間ではないからだ。ある種神さまのような存在。それが推しなんじゃないかって思った。推しは好きというより、信仰に近い」
ふむ。確かに大貴くんのいう感覚に近いかもしれない。
「次に関係性の推し。このメンバーとメンバーがこういう絡みをして云々、という二人の関係性を推す人もいるという。もっと大きな括りになると、そのグループ全体を推す箱推しと呼ばれる推し方になるな。そいつらはもっと簡単で、雰囲気や概念を推している。これも好きというより信仰に近い」
「……」
あたしは手で続きを促した。
「だから、彼氏と推しのどっちが好きなんだっていう問いは完全に的外れ。信仰している神さまがいても、恋愛はするだろ。きっとそういう感覚に近いんだろうなって思ったんだが、どうだ? なんかおかしいところがあったら教えてほしい」
ゆっくりと首を振る。
正直、推しがとか信仰がとかどうでもよかった。
きっと人によって感覚は違うし、推しと付き合いたいっていう人も多い。
でもそれを言うときっと面倒なことになるし、あたしはそっち側ではないので伏せる。
それよりも、ここまでしっかり考えてくれたことが少しだけ嬉しかった。
もし大貴くんに変な趣味があったとして、あたしはきっと、そのことについてなにも言及せず、ただ放っておくだろう。
それがどうだ、大貴くんは数日間かけて理解する努力をしてくれた。
それだけで十分だった。
あたしはただ一言だけ、ありがとうと言った。
*
「ただ一つだけわかんないことがあるんだよな」
「なになに?」
「莉子の推している、ゴロくん? あれはいったい誰なんだ? 有名な俳優でも、実況者でもなさそうだし。そもそも莉子はグッズとかひとつも買っていなくて、一枚の写真しか持っていないよな」
「そうだね」
大貴くんは「どうしてグッズとかは買わないんだ?」と無邪気に聞いてきた。
答えは簡単で、グッズなんて出ていないからだ。
「もしかして、凄くマイナーな人?」
「まあ、そうかもね」
「どうやって見つけたん」
「道を……歩いていたら……かな」
大きく目を見開いて驚かれた。
「は? ん? じゃあゴロくんって一般の人ってこと? 写真はどうしたの?」
「馬鹿じゃないの、さすがに無断で盗撮したりなんかしないよ」
あたしはスマホをとって、検索サイトを開く。
「ここからとってきたんだ」
突き付けたのは、あたしの推しがでかでかと載っているウェブサイト。
警視庁の指名手配犯の一覧が載っているページ。
大貴くんの顔が、さっと青ざめた。
推しと好きは違うって何度言えば。 姫路 りしゅう @uselesstimegs
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