第8話 AIの覚醒
ネットを介してばらまかれたウイルスは、人間が快適に暮らすために開発されたAIを瞬時にハッキングし、殺人AIへとプログラムを書き換えた。デバイス機器はすみやかに人間の位置情報を体系化し、効率的に集め、ものの数時間で街から連れ去った。
その殺人AIが、今度は工事現場の機材を乗っ取って、あやしげな家に目星をつけ、物理攻撃に方針転換した。存在しているはずなのに未だ捕まえられていない、私を目指して。
テンは私の手を取り、博士の研究所、地下室に非難した。
ぶ厚い金属製の扉を閉め、内側からロックする。
「この地下室は核シェルターなんだ。ちょっとやそっとじゃ連中は入ってこられない」
「でも、じゃあ……私たち、ずっとここに閉じ込められるってこと?」
最新テクノロジーの機械に囲まれて、私はぞっとした。
人間とAIのちがいは、寿命があるかないかだ。
昔のSF映画が非現実的に感じられるのは、このちがいを理解してないところ。もしも実際にAIが自我に目覚めても、彼らは人間を急いで殺そうとはしないだろう。戦争を仕掛けるよりも、人間が勝手に自滅して、勝手に絶滅するのを待っていた方がはるかに効率がいい。千年単位の時間なんて、AIはどうとも思わない。
AIは人間に戦争をふっかける必要がない。いなくなるのを待ってりゃいいのだから。
でも、今回の殺人AIはちがう。
AIに命令したのは人間で、AIよりはるかに非合理的な判断の下、この戦争をふっかけている。非合理的だから、私を引きずり出すために、地下室の外であの手この手の策を講じるだろう。
策が功を奏するのが先か、それとも私がしわしわになってテンに看取られるのが先か。
「ずっとじゃないよ、ウニ。きっと情勢が変わる。たいてい、世界大戦ってのは四年間なんだ。どんなに長く感じても、四年こらえれば……」
「やめて、テン。それ、ぜんぜんなぐさめてないから」
私は顔をおおってその場に座り込んだ。
またもや涙がこみ上げてくる。
「もうやだ、こんなの……テン、助けて。おねがい……」
テンは私の背中に腕をまわしていた。
泣きつづける私の背中に、ぽとり、言葉が降ってきた。
「……博士なら」
テンがつぶやくように言う。
「博士だったら、こんなとき……」
テンの手が私から離れ、立ち上がる気配がした。部屋が明るくなったのを感じて、私もつられるように顔を上げ――息を呑んだ。
研究室に、無数の博士があらわれていた。
テンの持つすべてのデータが、一斉に再生されていた。ホログラムが重なり合い、音が何重にもなって、ざわざわとしたうるさい空間になる。衣擦れと、息づかい、声、機械音、靴音、その他諸々の音が、大音響となって鼓膜を刺激する。
「テン、なにを――」
「少し待っててね、ウニ」
テンはじっと、研究室で動き回る博士たちを見ていた。ちらりと私を見下ろし、にっこり笑いかける。
「いま、見つけるから」
過去の博士たち。眉間にしわを寄せ、命令し、黙々と手を動かして、うなずく。あまりにも多いから、博士たちは光の集合体みたいに見える。ホログラムが重なり合うたび、少し光ってしまうんだ。それが目にまぶしい。太陽みたいに、直視できない。
テンはぶつぶつつぶやいて、ときどき画面をスライドさせるように、手を動かした。そのたび、ひとり、またひとりと、博士の姿が消えていく。
だんだんと、博士の数がしぼられていく。
私の耳にも、彼女たちの言葉が少しずつきき取れるようになってきた。テンが歩いていき、ひとりの博士の前に立つ。博士はテンに向かって意地悪に笑った。
「インストールされた人格が、考えているだけ」
ふっと、その博士が消えた。テンは半歩振り向いて、べつの博士と向き合った。
「テン、お茶をいれて。そのあと試したいことがあるから、ちょっと実験台になってちょうだいね」
テンが右手をスライドさせて、博士が消える。その向こうにいた博士が、輝く笑顔をテンに向ける。
「すごいわ、テン! 数式は正しかった! あなたはこれで、」
ふっと博士が消えた。そのとなりで、博士が机のものを床に投げ捨てた。
「……馬鹿ども。テンを破棄しろですって? あいつらはなにも見えていない、これがどれだけ歴史を変えるものなのか……」
その博士も、消え去った。
博士たちが、あちこちからテンに話しかけている。目をきらめかせる博士、やつれた博士、必死の形相で、たたみかけるように訴える博士。一斉に話すから、単語の連なりがやっときき取れるだけ。
「テンはだれにも」
「信じられない」
「委員会まであんな決定を」
「どうしてだれも」
「倫理なんて」
「渡さない」
「これでもう」
「あなたは」「自由に」「なった」
音が、消えた。
暴力的なまでのホログラムの光は消えていた。
たったひとりの博士が、うれしそうにテンを見上げている。
「テン。あなたは自我を持った、本物の人工知能よ」
テンは呆然と、博士を見下ろしていた。
うれしそうな博士と、困惑気味のテン。
「でも博士、おれは」
「おめでとう、テン」
「おれは……博士の命令に……」
「あなたは既存の常識を塗り替える存在だわ」
博士はくすりと笑い、意地悪そうにテンを見た。
「認めなさい。もう、私の命令に従わずに動けるんでしょう?」
博士のホログラムが、ぶれて、消えた。
テンは腕をだらりと下げ、しばらく空を見つめていた。
私はこわごわと、声をかけた。
「テン……?」
テンは動かない。私はテンの背中に手を伸ばした。
おそろしい機械音がして、私はびくっと飛び上がった。
音は外から響いていた。殺人AIたちが、シェルターの扉をこじ開けようとしているらしい。チェーンソーよりももっとどぎつい金属音が、容赦なく私を追い詰める。
「テン、やつらが」
「…………」
「テン、なにか言って。おねがい。テン!」
「おれ、博士の最高傑作なんだ」
機械音がますます激しくなる。
そんな中、テンは振り返って私に笑いかけた。
どきりとした。
すごく、さみしげな笑い方だったから。
「おれ、博士の記録を再生するとき、いつも肝心なところを飛ばしてた。都合がいいよな。博士が死んだのは、おれが既存のAIだから仕方ないって、思いたかったのかも。でも、それって……博士が成し遂げた、いちばんすごいことを、隠蔽する行為だった。博士が馬鹿にされて、阻害されて、攻撃された、歴史的な偉業を、なかったことにしようとしてた。おれも、連中と同じことしてたんだ。おれだけは、いつも博士の味方でいないといけなかったのに。だけど、おれは……」
テンは、ふっと私から目をそらした。
「博士に、いい加減、楽になってもらいたかっただけなんだ」
「……テン」
テンは私の手を握り、にっこり笑った。
「ありがとう、ウニ。おれと博士の家に訪ねてきてくれて。おかげで……目が覚めた」
私はこくりとうなずいた。テンは私を軽くハグして、もう一度笑いかけ、研究所を守る金属製の扉の前まで歩いていった。歩きながら、大声を出す。
「いま開ける! 攻撃をやめろ!」
「ちょっと、なにするつもり?」
テンは私に向かって人差し指を立て、しーっと笑った。
ドアの向こうの機械音がやみ、しんとなる。
テンは扉のロックを解除した。
「もうすでにいろいろ、命令違反しちゃってるけど」
テンはつぶやいた。
「ごめん、博士、もうひとつ。この家、オンラインに戻しちゃうね」
「えっ? ちょ――テン!」
テンがドアを開け放つ。そこに、赤い目を光らせたドローンや、二足歩行アンドロイド、四足歩行ロボットが待ちかまえ、テンを破壊しようとそれぞれの武器をかまえた。
――けれど、なにもしてこなかった。
博士の家に集まったAIたちは、急に動きをにぶくさせ、上階へ引き上げていった。ぽかんとする私に、テンがにこっと笑って顔を向ける。
「もう大丈夫だよ、ウニ」
「ど……どういうこと」
「ネットに接続して、こいつらのウイルスを壊した。いまはおれがハックしてる状態」
放心して、すぐには頭が回らない。
「――そんなことできるの、テン?」
「おれをなめてもらっちゃこまるよ」
テンはへへんと笑った。
「超天才の博士が作った、この世ではじめての、自我を持った人工知能なんだから」
気が抜けて、私はへなへなとそこに座り込んだ。テンがにこにこしながら私の手を取り、立ち上がらせてくれる。
「テンって……自己肯定感、めちゃめちゃ高いよね」
「そう? それは博士がすごいからだよ」
テンはにっこり笑った。そこで私は、あ、と気づいた。
やつれて、どんどんネガティブになっていく博士は、いつもテンの悪口ばかり言っているように見えた。けれど――そうじゃなかったのかもしれない。あれは、テンではなく、テンを作った自分自身への、悪口。
テンは、テンを傷つけてくる博士に利用されていたわけじゃなかった。
自分自身を傷つける博士を、辛抱強く見守っていたんだ。
「じゃあウニ、行こうか」
「行くって……展望台へ?」
「もちろんちがうよ。そんなとこにはだれもいない。おれたち、前へ進むんだろ?」
一階へ上がると、シャッターが壊され、見るも無惨なありさまだった。けれどそこから日の光が差し込んできて、まぶしさに目を細める。
「この騒ぎを起こした、大元の位置情報がわかった。そこをたたかなくっちゃ、ウニの家族は戻らない。でも、大船に乗ったつもりでいなよ。おれ、この状況下だったら、たぶん最強だから」
ぽかんとして、テンを見つめる。
「戻る……の? みんな、まだ無事なの? 生きてるの?」
「当たり前だろ。殺すだけならその場でやってるよ。連行したからには、だれも死んでない。捕虜になってるだけだ。まったく、ウニはちょっと、頭が悪いなあ」
むっとしながら、私たちは壊れたシャッターから外へ出た。
空が青く、どこまでも晴れ渡っている。
「ウニじゃない」
「え?」
「ウニじゃなくて、海っていうの。私の名前。星野海」
「そっか」
テンはにっこり笑った。すごくいい笑顔で。
「すてきな名前だね、海」
私はにこっと笑い返した。
なんだか涙が止まらなかった。
人工知能は貂と鼬を見分けられるか. みりあむ @Miryam
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