第7話 博士の命令
テンは目をしばたたいて、私から目をそらした。その視線の先に、べつの博士が現れた。
さっきまでは、よくある再現の博士だった。疲れきって、惰性で仕事をこなして、ときどき泣き出す博士。でも、この博士はちがう。健康的で、ほんの少しふっくらして、頬に赤みがさしている。穏やかな微笑みをテンに向け、それから私にも、笑いかける。
「あまり私のAIをいじめないでよ」
博士のホログラムに言われて、心臓がひっくり返りそうになるくらい、びびった。
「テ、テン……これって、」
「ウィーズルテンは映像生成システムよ」
博士が私の言葉を受けて答える。
テンはだまって、博士をじっと見つめている。
「データ再生だけじゃなく、新たな映像を生成する機能もあるわ」
「……じゃあ、あんたは、テンがリアルタイムで作ってる、ホログラム……?」
「そうよ」
にっこり笑う博士。
不気味すぎて、叫び出しそうになる。
「テン、やめて」
「あら、私とお話ししましょうよ、ウニ」
「死人に会話させないで。私と顔をつきあわせてしゃべってよ、テン!」
テンはゆっくりと動いた。
めそめそ泣き出す博士みたいに、両手に顔を埋め――さっぱりした顔で顔を上げ、背すじをのばして私を見た。
「どうしていけないの?」
テンは、信じられないくらい冷たい目で、私をまっすぐ見すえた。
尻込みしそうになるのを、なんとかおさえる。
「だって……こんなの、意味ないじゃん」
「ウニだって、無意味なことをしようとしてる」
テンは平板に言い返した。
「ウニだって、もう家族がだれも生きてないとわかってる。展望台に行ったって、だれもいないとわかってる。ほとんどの人間は連行されて、もう無事じゃないとわかってる。なのに、それでも展望台に行こうとしてる。どうしてそんな無意味なことをするの、ウニ? どうして、おれだけは無意味なことをしちゃいけないの?」
「…………」
手が震える。足も。腕も。唇も。
頭が真っ白になって、呼吸が浅くなる。
なんで、なんで……。
なんで、それを言っちゃうの。
がたがた震えてだまっていると、テンがふっと目を落とした。
「……ごめん、ウニ。意地悪なこと言った」
「……うん」
震える唇をやっと動かし、私は答えた。
「うん。びっくりだよ。AIが、こんな意地悪なこと言うなんて」
涙がぽたりと落ちた。ぼたぼたと、あとからあとからこぼれ落ちる。
テンは手を伸ばして、テーブルの上のティッシュをよこした。私はその場に座り込み、すすり泣きながら鼻を拭いた。だんだんそれも無意味になって、私は涙が落ちるまま、子どもみたいに泣きわめいた。
そうだよ。わかってる。だれもいるわけないって。
意地悪なクラスメイトも、ちょっと気になってたとなりのクラスの男子も、いつも挨拶してくれる用務員のおじさんも、好きな教科の先生も、顔見知りのコンビニの店員さんも、いつもの通学路にいただれもかれも、ひとり残らず姿を消した。見慣れた街が、だれもいなくなっただけであんなにおそろしいところに変わるだなんて、知らなかった。
こんなにごっそり人が消えて、自分の家族だけ都合よく無事なわけがない。
私ひとりが残ったこと。それがすでに奇跡だ。それ以上の奇跡なんか、やたらめったら起きるわけがない。宝くじで十億円当たるよりありえない。そんなのわかってた。
わかってたけど、認めたくなかった。信じたかった。
AIに現実を突きつけられなくたって、わかってんだよ。
言うなよ。
馬鹿野郎め。
テンが私の背中に手を乗せる。暖かな手。
でも、こいつは冷たいロボットだ。
心なんかありゃしない。
私の矛盾した痛みなんか、わかるわけがない。
「ごめん。ウニ。もう泣かないで。ごめんってば……」
答えたいのに、息がうまくできなくて、むりだった。
テンは私の背中をさすりつづける。
ああ。私、博士と同じことをテンにさせている。テンにひどいことを言って、なぐさめ役を押しつけてる。
私も博士も、おんなじだ。
身勝手な、人間なんだ。
どのくらいそうしていただろう。涙が涸れるくらい泣きつづけたら、だんだん心が穏やかになっていた。不思議だ。泣き散らしただけで、なにひとつ状況は変わってないはずなのに、どこかすっきりしてしまう。
人間の心って、まじで謎。
「……ごめんね、テン」
「どうしてウニが謝るの。悪いのはおれでしょ」
「ううん。テンは悪くない。私が……テンに偉そうなこと言う資格なんて、なかったのに」
やっと息をついて、少し落ち着いた。
テンがぽんぽんと頭をたたいて私をなぐさめる。気がついたら、テンは保育園の先生みたいなエプロン姿になっていた。思わず、くすりと笑ってしまう。
「……ありがとう、テン」
「うん。よかった」
テンは、AIにしては高度なことをした。悲しそうな顔で、笑ったんだ。
博士のホログラムはまだ投影されていた。穏やかに微笑んで、私たちを見守っている。テンが博士を見たので、私もつられるように目を向けた。ホログラムが奇妙に揺れて、光がまたたく。不自然に笑う博士が、ぶれる。
「……わかってるんだ。これが博士じゃないなんてこと、ちゃんとわかってる」
「……テン」
「博士はね、予測不能の人だった。頭がよくて、次になんて言うのか、なにを思いつくのか、ぜんぜんわからなかった。だからおれは博士が好きだった。でも、これは」
テンは、実体のない博士のホログラムに手を伸ばそうとして、やめた。
「おれの思った通りにしか……動かない」
博士の様子が変わった。
さっきまでの、やつれた女の人に戻った。私たちから目をそらし、背もたれに身をあずけて、どこか遠くを見つめている。ときどき揺れているのは――車に乗っているから?
「テン……これは」
「五年間、ずっと博士のデータを再生してきた。おれが持ってるデータを繰り返し繰り返し、ほとんど全部」
テンはつぶやくように言った。
「でも、この映像は……博士の最期の記録は、はじめて再生する」
テンは私を見た。その顔は無表情だったけれど、いまにも泣き出しそうに見えた。
「ウニ。一緒に見てくれる?」
「……うん」
私はテンの、やわらかくて暖かい、シリコンと電熱の手を握った。
もちろん、見るよ。
今度は、私がテンをなぐさめる番だ。
博士はずっと静かだった。目がうつろで、もう泣き出しそうにも見えない。なにも感じず、ただ息をしているだけ。でも……それすら、もうどうでもいいと思っているようだった。
もう、なにもかも終わりにしてしまいたそうに、見えた。
「テン」
博士は目を上げ、前方をちらりと見て、言った。
「あのトラックに突っ込んで」
博士の体が、慣性の法則に従って左にかしぎ――映像が、途切れた。
からっぽのソファを見つめたまま、私はテンの手をぎゅっとにぎりしめた。
「……テンは、悪くない」
私は言った。思わずテンを抱きしめる。
テンまでホログラムみたいに、消えてしまうかと思った。
私が回した腕を、テンは両手で支えた。木の実を食べるリスみたいに、目の前にある腕だけを、そっとつかむように。
「あれは……命令だった」
私は言った。
「テンは悪くない。テンはなにも……」
「ウニは、やさしいね」
テンは、にっこり笑って私を見下ろした。
「ありがとう、ウニ」
目頭が熱くなる。
なんて意地悪な博士なんだろう。どうして、テンに感情まで与えてしまったの。
感情を与えるならせめて、命令に背く自由をくれよ。
テンを、自由にしてくれよ。
「テン。パスワードを教えて」
私は言った。
私は自分のことだけ考えてた。
テンを利用するためだけに、パスワードが必要だった。
だけどいまは、ちがう。
「私も……私も現実を、ちゃんと見るから。前に進もう、テン。私たち、変わらなきゃ。人間って、変わるものだから。そうでしょ?」
テンがくすりと笑う。
「なに言ってるの、ウニ。おれは人間じゃないよ」
「うるさいな。んなもん、定義次第だろ」
テンはあははと笑った。そしてとつぜん、立ち上がる。
まじめな顔で、きょろり、周囲を見渡すテン。あきらかに様子がおかしい。
「どうしたの、テン?」
「シャッターが破壊された」
「え?」
テンは緊張した面持ちで私を見下ろした。
「やつら、入ってきた」
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