第6話 ホログラム

 夜になっても、まだドローンは街を徘徊していた。


 私はコンビニで拝借してきた地図のページをやぶってつなげ、目的地までの一枚の地図を作ろうとして、失敗した。どうして本の形になっている地図ってのは、両面印刷なんだろう。ちぎればつなぎ合わせられると思い込んでいたけれど、バラけて意味不明の紙切れになっただけだった。


「ウニはちょっと頭が悪いんだねえ」

 テンに笑って言われても、反論できない。


「というか、空間認識能力が低めなんだね」


「そういうテンは、どうなの。わかりやすい地図作れるような機能、ないの?」


「もちろんあるよ。ほら」


 部屋の中に、ミニサイズの街があらわれた。坂道や建物、公園に生えた木まで再現されていて、御手付峠まで赤いラインで最短ルートがひかれている。


「この坂の上の家がスタート地点。ウニはまず、この道の三番目の角を右に行って、それから五つ目の信号を……」


「待って! 地図じゃわかんないから、道順メモする!」


「ああ。地図読めない人って、そういうことするよねえ。逆にわかりづらくない?」

「いいから、紙とえんぴつ、ちょうだい!」


 テンは、私が背負っていけるように必要物資もリュックに詰めてくれた。食べ物と懐中電灯、方位磁石、ナイフ、防寒具、ライター、ロープ、ティッシュと使い捨てタオル。


「でも、街はほとんど手つかずだからね。なにか必要なものがあったら、コンビニとかで手に入れればいいよ。人の家は入らないほうがいい。自家発電でオール電化の家もあるかもしれないからね。ウニはそういうの、外から見て判断できないだろ」


「私はまだ、あんたがついてきてくれること、期待してるんだけどね、テン」


「ああ、うん。パスワードをきこうか?」

「う……ヒント、ちょうだい」

「ヒントは設定されてないんだけど」

「それくらいいいでしょー!」


 テンは笑ってはぐらかす。泣き落としは通じない。


 感情や共感性(っぽいもの)をプログラムされているとはいえ、結局はAIだ。


「私が展望台に行って、ひとりになったら……また、博士を出すの?」


 なんてことないってふりをしながらきくと、テンは首をかしげて笑った。


「ウニは、質問ばかりだなあ」


 カリンにも、そう思われていたのかもしれない。

 ちょっと思った。





 次の日の朝は、暖炉が燃えさかるログハウスで目を覚ました。


「おはよう、ウニ。この部屋は気に入った?」


 にこやかな顔の、超ダサいセーターを着たテンが私に問いかける。私は顔をしかめた。


「うーん……クリスマスみたいで、いや」

「あ、ツリーがないから?」


 テンが言った瞬間、部屋に巨大なクリスマスツリーがあらわれた。モミの木の香り、ちろちろ揺れるろうそくの火、布のリボン、これでもかとぶら下がっている錆び付いたベル。


 うわ、すごって思った。

 本物のクリスマスツリー、はじめて見た。


 いや、本物じゃないけど。


「消してよ、テン」

「ウニはほんとに、ホログラムがきらいだなあ。おれの存在意義なのに」


 テンは文句を言いながらも、ホログラムを解除した。


 今日も、シャッターは固く閉ざされたまま。


「……まだ、ドローン飛んでる?」


「二、三機だけね。どうやら連行してった数が合わないことに連中も気づいてるみたいだ。ウニ以外にも、隠れおおせた人はいるだろうし」


「ほんと? テン、ほんとに私以外に、逃げ延びてる人、いると思う?」


 布団をはねのけて身を乗り出すと、テンは私をじっと見つめた。


 なにか、私の反応が意外だっていうふうに。


「……なに? だまらないでよ。こわい」

「うん。いや。顔を洗って、着替えなよ。おれ、下で待ってるね」


 テンはくるりときびすを返して下に行ってしまった。

 なぜだか、胸がざわざわする。


「……AIのくせに」

 ああ、やばい。


 博士の口調が移りかけてる。





 下へ行くと、やっぱりテンは博士と向き合ってしゃべっていた。


 げんなりする。

 ずっとここにいたら、私までおかしくなりそう。


「もうだれも、信じられない」

「ねえ博士、おれは? おれのことは信じられる?」

「もう、なにも……」


 博士は泣いていた。めそめそと、みっともなく。


 テンに記録された博士は、出てくるたびに衰弱していってた。どんどんやつれて、ネガティブなことばかり言って……私はぶっちゃけ、博士よりテンが心配だった。あんな状態の博士と四六時中向き合っていたら、テンも心がやられるんじゃないかって。


 妙なことだとはわかってる。テンはAIだ。人格はプログラムで、心はない。


 それでも、博士はやっぱりひどいよ。

 テンのこと、感情の掃きだめにしてる。


「ねえ博士。おれにできることがあったら言って。だれとも関わりたくないなら、そう言ってよ。おれがだれもこの家に入れたりしないから」


「お願い……テン」

「うん、博士」


「この家を、外と断絶して。完全にオフラインにするの。だれも入れないで」

「お安いご用だよ、博士」


 テンはやさしい手つきで博士の肩を抱いた。


 博士は顔をおおって、静かに泣きつづけている。


 ずっとその形のままだったから、声をかけるのはなかなか勇気がいった。


「……テン」

「あ、ウニ。降りてきたんだね」


 テンは、にこっと笑顔で振り返った。


 博士は消える。テンは突然、ひとりになる。


 テンの笑顔が痛々しくて、見ていられない。


「……私を家に入れちゃったのは、大丈夫だったの?」

「なにが?」


 ぽかんとするテン。私はもぞもぞしながら言った。


「だって……博士に、命令されてたんでしょ。この家に、だれも入れるなって」

「ああ……」


 テンは、ちょっと考えるように首をかたむけ、私を見た。


「ウニは、博士と似てるから。なんか、入れちゃった」


 あっけらかんと笑ってそう言う。


「どこが?」

 私はむっとして、テンに詰め寄った。


「私と博士、どこが似てるって言うの?」


 私はたしかに、家族から「とげとげしいから、ウニ」なんて命名されちゃったけど、それは反抗期の、中学生のときのあだ名だ。もう、あけすけに人を悪く言うなんて、いいことでもなんでもないって、わかる歳になった。だいたいそういうのって、すごく気分が悪い。


「そうだなあ」

 テンはふたたび考え込んだ。


 本当は、考えるのにそんなに時間はかからないはずだ。機械なんだから。


 テンはただ、人間らしく見せかけて、人間みたいにふるまっているだけ。


 そう思うのに、心が納得できない。


 私にとってテンは、心を持った、人間に思える。考えて、傷ついて、親に振り回され、助けを求めたいのにうまくできない、弱い子どもに思える。


「ウニと博士の似ているところは……疲れきって、この世にたったひとりって顔して……おれに助けをもとめてきたところ」


 痛い。

 すごく痛いよ、テン。


「……そっか」

 私は言った。


 とりあえず、その場はそれで終わった。




 私たちは無言で朝ごはんを食べ、展望台まで行く作戦をテンと一緒に立てた。


 テンは、歩くのは現実的じゃないと言って、私にバイクの乗り方を教えてくれた。テンが観測できる範囲にカギがついたままの原付バイクが見つかり、そこまでの道のりと、気をつけるべきこと、ガソリンがなくなったらどうすればいいかを話し合った。


 テンが私にあれこれ教えてくれるのは、私がひとりで行かなくちゃいけないからだ。それはいい。たぶん、博士のパスワードを言い当てるのは不可能だから、あきらめもつく。


 だけど……私がいなくなる前に、どうしても片付けておきたいことがある。テンがひとりぼっちになる前に、どうしても言っておきたいことが。


 それを言うタイミングは、昼ごはんを食べたあと、私がトイレから戻ってきたときにやってきた。


 テンは居間にある応接セットのソファに座っていた。そして、当たり前に、向かい側に座って作業をする、博士のホログラムをじっと見ていた。


「ねえ、テン。もういい加減にしよう」


 私はテンのわきに立ち、こぶしをぎゅっとにぎりしめて、きっぱりと言った。


 テンが私を見上げる。


 博士のホログラムは私たちに気づかず、キーボードかなにかをたたいている。


「あんたが人間だったら、まじで心療内科を勧めてるとこだよ、テン。こんなことしても博士は戻ってこないし、あんたにいい影響も与えない。このままじゃ、あんたはほんとに、ポンコツのスクラップになっちゃうよ」


 テンはぽかんとした顔で、私を見て首をかしげた。


「えっと……ウニはなにが言いたいの?」

「博士のホログラムを出すのを、やめようって言ってるの!」


「それは、め……」

「命令じゃないけど、言ったっていいでしょ? あんたが心配なの! そもそもテンが博士のホログラムを出すのは、だれの命令なの? それって、」


 ――自発的な行動、なの?


 突然、とんでもないことに気づいたような気になって、はっとした。


 いや。そんなはずはない。そんな突飛な話があってたまるか。テンの行動はきっと、インストールされた人格の下の行動であって……そうとしか、考えられないでしょ?

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