第5話 インストールされた人格の行動

 博士の家のほとんどの部屋はがらんどうで、テンがホログラムを投影して、やっとインテリアが完成するような殺風景な空間ばかりだったけれど、地下室だけはちがった。


 地下室に入るには、ぶ厚い金属製の扉を抜けなければならず、そこが研究室だった。システマチックな機械類やパソコンがこれでもかと並んでいて、素人の私にはどれもこれも使い方がわからない。映画で見かける「なんかすごそうな部屋」ってかんじ。


 ここでテンが作られたらしい。


「研究室には不用意に入らないでね」と、テンは言った。


「博士の大事な研究データが、うっかり破損されたらこまるから」

「そんなこと、しないけど」

「うん、でも、暇ならおれが相手するからね」


 テンが相手をしてくれるっていうのは、もちろん、ウィーズルができることをなんでもしてくれるって意味だ。


 貸してもらった白い服は、テンにリクエストするだけでころころと形を変えた。


 ガーリー、ボーイッシュ、ゆるふわ系、シック、パンクスタイル、スーツ。さらには、コスプレだろうが着物だろうがウエディングドレスだろうが、なんでも思いのまま。


 これはかなり楽しくて、午前中はほとんどこの遊びに費やしてしまい、わりと後悔した。そんなことしてる場合じゃない。だけどテンもめちゃめちゃ楽しんでいたから、つい。


 テンは映像系の娯楽作品をほぼすべてダウンロードしており、過去のニュース映像もたいてい保存していた。ところが、肝心の最新ニュースはひとつも投影できなかった。


「この騒ぎがどのくらいの規模なのか、だれの仕業なのか、ニュースになってないの?」


「うーん。おれにはわからないなあ」

 テンは首をかしげてにこにこ笑った。


「ネットには、しばらく接続してないから」

「しばらくって、どのくらい?」

「五年前から」


 つまり博士が死んでから、ずっとテンは、外界と隔絶されてたってことだ。


 なんでだよってつっこみたいけど、そもそもテンがハックされていないのは、この家がネット接続されてなかったおかげだから、文句は言えない。


 午後は、いかにもセレブな家をすみずみまでチェックした。


 午前中のファッションショーとちがって、こっちは遊びじゃなかった。テンのパスワードがどっかに転がっていないかと、探しまわっていたんだ。


 でも、これはわりと無謀な取り組みだった。


 テンみたいな複雑なAIのパスワードを四桁の数字にする人なんてまずいなし、ホログラムで数回見かけた博士は、どこかにメモを残しておくようなうっかりさんにも見えない。全部で何文字かもわからない、小文字と大文字と数字を組み合わせたかもしれないパスワード……うん、初手降参。


 かといって、テンが出した「秘密の質問」は、ずらずらと並べられた数式で、数学の成績が万年低空飛行の私に解けるはずもなかった。ネットに接続できないから、数学アプリをダウンロードするわけにもいかないし。


 家を歩き回り、ふとテンのいる部屋に戻ると、必ずと言っていいほど博士がいて、何度もびびり散らした。


 三回目に博士を見たとき、私は気づいた。


 テンって、私がいなければ、つねに博士のホログラムを出していたんだろうなって。


 五年間、ずっと。


 博士はけっこう若い女の人で、いつも眉間にしわをよせている。美人ではないけれど、小柄で細身。基本的にテンには目もくれず、座ってキーボードを打っていたり、機械をいじっていたり。それでもときどき、テンにむかって二言三言、なにか言う。たいていはきついお小言で、「それって、テンに失礼じゃないの」とまゆをひそめたくなるような言葉ばかり。


 なのにテンは、いつもうれしそうに受け答えをする。


「あいつらを殺してやりたい」


 とつぜん博士がそう言っているのをきいたときは、ぎょっとした。


 けれどテンは慣れたように「そんなこと言わないで」と笑っている。


「私には、あんたみたいなからくり人形しか、話し相手がいない」

「おれは幸せだよ、博士」


「私も、しょうのないものを作ったものね。人格なんか搭載しなきゃよかった。あんたは失敗作だわ。こんな無意味な開発に、貴重な時間を費やしてしまったなんて……」


 私は空咳をした。テンが私に気づき、博士が消える。


 いつもの流れ。はじめてふたりのやり取りを見てから、すでに五、六回めだ。


「ねえ、テン。その人、あんたの生みの親みたいなものなんでしょ」


 私はとうとう、テンに言った。

 むかむかして、落ち着かなかった。ひと言言ってやりたかったんだ。


「テンには悪いけど、見てていい気しないよ。あんたにひどいことばっかり言って」


 もしもテンが人間だったら、「虐待だ」って言ってるとこだ。


 ところがテンはきょとんとした顔で、私を見つめるばかりだった。


「ああ、博士のこと? ほんとにひどいよねえ」


 そう言いながら、やっぱり笑っている。


 はじめは、データが破損してないか、確認するために再生してるだけかなって思ってた。だけど何度もふたりのやりとりを見ているうち……だんだんうす気味悪くなってきた。


 幻とわかりきっている相手に笑顔で反応を返すテンは、まるで……ぶつぶつ独り言を言う、精神病患者みたい。


「ねえ。博士のホログラムを出すの、もうやめたら?」

「それは命令?」


 どきりとした。テンの声が、ぴりりときつかったから。


「いや……ちがうけど」

「そう。ならよかった」


 テンがにっこり笑う。私は笑い返しながら、内心ではひやひやしていた。


 テンは笑顔なのに、こわかった。


 これ以上怒らせちゃいけない、と、なぜかそう思った。

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