茉莉花

 泣き疲れて眠った茉莉に鳳子は布団をかぶせていた。腫れた茉莉の顔は真っ赤だった。『依子ちゃん』がいかに彼女を支えていたか。他人事とはいえ胸が痛むのだった。

「硲、やっぱりお前が嫌いだ。こうなる可能性を想定しなかったわけではあるまいに。なぜ子供を任務に出向かせたんだ。そして月を」

 硲はテレビから鳳子へ目を向け少しの間、黙り込んだ。

「茉莉ちゃんは強いよ。ただの中二じゃない。そして月ちゃんはスイス製のアーミーナイフだった」

「今は違うだろ。どんな鋭いナイフだって鈍くはなるだろう。親友を殺して平然としていられる人間がいるものか」

 くっさい例えだ。硲へ対する怒りがやはり湧き上がってくる。部屋の隅でババ抜きをする燕、白狛、仁丸の3人はちらちらと鳳子を見ているようだった。

「どうするんだ。このまま月と茉莉に粛清を続けさせるのか?」

 仁丸がこちらを見て口を開く。

「そこは本人たちの意思によるかな。僕だってそこまで鬼じゃない」

「つっても仁丸くん、あの二人並みにタフな能力者いたっけ?」

 硲がそう言うと仁丸があ、と声をもらす。能力者の人材不足は天下の小野田家でもどうにもならないようだった。そもそも二人とも優秀すぎたのだ。

 できれば粛清を続かせることはしたくない、というのがここにいる全員が思っていることだったろうに......

「あたくし、やりますわ」

「茉莉ちゃん!?」

 見ると寝ていたはずの茉莉が上半身を起こしてた。

「あたくしがやらずに誰がやるのですか!そんなんじゃ依子ちゃんは報われませんわ」

「でも」

「あたくしは大丈夫。問題は月でしょう?」

 茉莉が腕組みをして胸を張って見せる。大丈夫なはずがないのに、と鳳子はため息をついた。虚勢を張るのだけは人一倍上手い。

「あたくしが月を説得してみますわ。無理だと言われたらそれまで。どうかしら」

「任せていいのか?」

 硲がバツが悪そうに肩をすくめてみせた。言葉ではそう言っているものの願ってもない、と顔はほくそんでいる。

「ただし2日いただけませんこと?」

「2日でいいの?曼陀羅の居場所を特定するのはもう少しかかりそうなのに」

「あたくしの手腕をみくびらないでいただけるかしら。じゃあ鳳子さん、さようなら。もう行きますわ」

 茉莉は少しふらつきながら立ち上がる。

「ちょっと、そんな状態で帰ったら」

「大丈夫ですわ。もうあたくしはいないことにされてますから」

 ぼろぼろの白装束に異常な痩せ方。親が気にしないはずがないのだが。何かないか、と焦って鳳子はそこにあったライダースジャケットを茉莉の肩にかけた。

「せめて、これでも着とけ。知らん女に貰った、とでも言っておけば」

 茉莉が振り向いてライダースジャケットに触れた。しばらく呆気に取られていたようだがすぐに笑顔に変わった。

「わかりましたわ。感謝しますわ」

 ツインテールの少女はジャケットをひるがえし池袋の雑踏へ消えていった。その背に背負われたものを思うと、鳳子は心配でならなかったのだ。

 目白の築50年のマンションが茉莉の家だ。見慣れた薄汚れたマンションを見上げても帰ってきた、という思いは湧いてこない。それでも今はこの家が茉莉の我が家であり、ここ以外に帰る場所などないのだ。

 ポストを覗いて大量の郵便物を手に持ってからエレベーターで5階に向かう。503号室のドアの前に立って蚊取り線香の缶から鍵を取り出した。ガバガバセキュリティも良いところだ。どうせこんな部屋に空き巣も何もこないのだが。

 ドアを開け、人の気配のない部屋へ入る。家を出た日の数倍は汚くなっていた。シンクに積まれた洗い物、何日も洗濯していないようなジャケット。テーブルにはカップラーメンの容器やポテトチップスの残骸がいくつか散乱していた。結局、自分は家政婦のようなものだったのか、と実感する。

 茉莉の現在の育ての親は霊媒師として生計を立てている叔母である。


 実の両親は交通事故ですでに死んでいる。茉莉が小学校四年生だった頃の話である。家族—母と父、茉莉と茉莉の弟—で夏休みの旅行へ車で向かったのだった。

 運が悪いとしか言いようがない。猛スピードで走らせていた酔っ払いの車と追突したのだった。一家の車はガードレールを突き破り崖下へ落ちていった。


 加害者である飲酒運転の男は生存。

 そして茉莉以外の家族3人は死亡。


 茉莉はこの世に取り残されたのだ。最も残酷な形で生きることを強制されたのだ。

 家族を失くしてすぐ、茉莉は父の姉である叔母に引き取られた。一族で唯一、能力者として生きている人間だった。茉莉を初めてみたときに発した言葉は、「あんた、持ってるね」。

 当然、引き取った理由も「金になりそうだったから」。叔母は茉莉を霊媒師にさせるために引き取ったのだ。初めの何ヶ月かは霊媒の技術を教えられていたがそれもすぐになくなった。才能がなかった。霊媒師としての才能は絶望的だったのだ。

 今まで冷たかった叔母の態度は今まで以上に冷たくなった。世間一般で言われるはされなかったが叔母は無関心を貫いた。用意されるのは必要最低限のもの。叔母が茉莉のために料理をすることはなかったし家事は全て茉莉に任せきりだった。

 辛いといえば辛かったのかもしれない。でも茉莉にとってはそれが日常だったし当たり前だった。

 

 ほこりの詰まった掃除機を引っ張り出して狭い部屋を行き来する。そろそろ帰ってきてもおかしくない時間だった。

 部屋の掃除をさっさと終わらせタンスの奥から貯金箱を取り出した。実の両親からもらっていたお小遣いはずっとここに貯めていたのだ。


 ふと気配を感じる。

「あんた、帰ってきてたの?」

 紫色の布を腕に巻き付かせた怪しげな格好の中年の女。今日も熱演をしてきたのだろう。濃い化粧は剥がれている。

「近く硲風斗から振り込まれるわ。それからこれは私の3万円。二日間で教えて欲しいことがある」

 叔母は千円札を受け取ってめくっていく。その顔に表情は一切浮かばない。

「それだけ?」

「それだけよ」

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東の都にて 夜坂紀異子 @yomi800kiko

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