推し活は十八切符とともに。

隠井 迅

広島から東京へのイヴェ回し

 三月に入って、遠征系のイヴェンターの〈推し活〉が活性化する時期が訪れた。

 それは、三月一日から、令和四年・春季用の〈十八切符〉の利用が開始となるからである。

 〈十八切符〉、あるいは、ただ単に〈十八〉と呼ばれる事もある、正式名称「青春18きっぷ」という「特別企画乗車券」は、春・夏・冬という年三回、JRから発売されている。

 このお得切符は、例えば、今年の春季ならば、三月一日・火曜日から四月十日・日曜日までが、その利用可能期間で、この期間内ならば、一枚の十八切符で最大五回、JRの普通列車が乗り放題になる。

 十八切符の販売価格は、令和四年現在、一万二千五十円なので、一回あたり二千四百十円という事になる。

 使い方は至って簡単で、その日初めて乗るJRの駅の有人改札口でスタンプを〈おし〉てもらい、あとは、列車を乗り降りする駅で、その日のスタンプが押されている十八切符を、有人改札口で見せるだけ、といった次第である。


 三月四日・午前四時——


 佐藤秋人(あきひと)は、まだ一つもスタンプが押されていない、〈まっさら〉な状態の長方形の切符をポッケに入れると、眠っている弟・冬人を起こさないように注意しながら、下宿の敷居を越えて、藍色の空の下、最寄りのJRの駅に、徒歩で向かったのであった。


 今回の目的地は広島だ。

 東京都内から広島までは、例えば、新幹線の自由席を使った場合、一万八千三百八十円かかる。飛行機の場合、航空会社や購入時期によって価格は異なるのだが、新幹線よりも高額となる。

 最安の交通手段は、いわゆる高速バスになるのだが、これも、バスのタイプや、出発の曜日、あるいは、購入時期によって値段は違ってくるのだが、例えば、秋人が頻繁に利用するピンクのバス会社のホーム・ページを参照してみたところ、三月における東京・広島間の最安値は六千五百円であった。

 普通列車で、東京から広島まで移動した場合、通常期間の運賃は、一万千八百八十円かかるのだが、十八切符利用期間中は、その約五分の一の二千四百十円で済んでしまう。

 つまるところ、〈十八〉が使える期間においては、このお得切符こそが〈最安〉の移動手段になるのだ。


 だが、いかに安かろうが、多くの人が気になるのは、移動時間かもしれない。

 四時に家を出て、五時二十分に東京を発つ東海道線に乗った場合、沼津、豊橋、大垣、米原、姫路、相生、糸崎で、列車を乗り継いでゆくと、二十時五十六分に広島駅に到着できる。

 つまり、家から広島駅まで、およそ十七時間の移動となるのだ。


 かくの如く、時間と肉体への負担という対価を支払っての〈十八〉移動になる分けなのだが、それでも、広島でライヴが待っていると思えば、耐えられないような話ではない。


 この春、アニソン・アーティスト〈A・SYUCA(ア・シュカ)〉の全国九都市を回るライヴ・ハウス・ツアーが行われているのだが、その三本目となる広島公演に参加するために、十八切符を使って十七時間かけて、秋人は広島にやって来たのである。

 〈十八〉を使えば、同日に行ける場所ならば、同じ金額で何処までも征けるので、十八切符が使える時期の〈現場〉は、そこが、仙台でも、名古屋でも大阪でも、無論、広島でも、秋人にとっては、場所の遠近は問題とはならないのだ。


 ライヴ案件が出て、チケットを確保した後、秋人は、できる限り安く移動するための旅程を組む。

 今回の遠征は、三月四日に東京から広島へ〈十八〉で移動し、五日がライヴ、そして六日に、広島から東京へ、同じく〈十八〉で戻る、というのが当初の秋人の予定であった。


 だがしかし、だ。

 三月初め、秋人が最もおしている、アニソン・アーティスト、〈翼葵(つばさ・あおい)〉が出演するイヴェントの情報が、突如、告知されたのだ。

 開催地は東京の豊洲で、開演は十八時四十五分である。


 広島から東京までの、普通列車での移動時間は約十五時間、五時五十分、広島発の始発列車に乗って移動したとしても、有楽町駅への到着は二十一時前後だ。

 二十一時と言ったら、まさにイヴェントの終了時刻である。


 さて、いかにして移動したらよいものか?


 秋人に、〈最推(さいおし)〉が出演する〈現場〉に行かない、という選択肢は、もちろんありはしない。


 この件は、飛行機や新幹線を利用すれば、それで話は終わってしまう問題なのだが、軽率に高額な高速移動手段を使えるのならば、なにも好き好んで肉体に負荷をかける鈍行移動などしたりはしないのだ。

 だから、できるだけ安く済ませるために、知恵を巡らさなければならない。


 広島から東京までの何処かの移動区間で新幹線を利用して、三時間時間を削れるのならば、それがベストなのだが、〈十八〉は特急の利用が許可されていないので、特急券のみを購入しただけでは、新幹線に乗る事はできない。新幹線利用区間の乗車券と特急券を別途、買わなければならないのである。


 当初は、広島発・東京行の夜行バスを使おうか、とも考えたのだが、東京行きのバスは、ライヴが終了してから急いでも、間に合わないような出発時刻であった。


 安く、可能な限り、一円でも安く!


 その結果、思い至った手段が、以下の如きものであった。


 まず、広島から大阪まで、夜行バスを利用して移動する。価格は、クーポンやWEB割引を利用すれば三千七百円で、大阪への到着は五時四十分だ。

 それから、六時台に大阪駅を出発すれば、十八切符を利用しても、十六時半前後には有楽町駅に到着できる。


 十六時半ならば、開演まで二時間の時間的余裕がある。

 もしも、移動中に何等かのアクシデントに見舞われて、列車が遅延したとしても、これならば、十分に間に合う。


 そして今、秋人が乗った列車は掛川を通過した。


 待っててね。〈アオイ〉さん。

 今、〈愛〉に征くよ。


                           〈了〉


注:この物語は虚構であり、たとえモデルがあるにせよ、作品中に登場する人物、団体、名称等は架空存在であり、実在する方々とは無関係でございます。


〈参考資料〉

「青春18きっぷ」、『JR東海』、二〇二二年三月六日閲覧。

「青春18きっぷ検索」、『ジョルダン』、二〇二二年三月六日閲覧。

『WILLER公式』、二〇二二年三月六日閲覧。

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