『推し活、辞めます!』

misaka

僕は現実を受け入れる

 彼女が笑っている。

 僕の知らない顔で、見たことのない顔で、笑っていた。


 ああ、そうか。


 僕は現実を突き付けられていた。


 僕の抱いていた理想が音を立てて崩れたような気がする。

 彼女に見ていた幻想が、どんどんと消えていく。


 その日、僕は彼女を推すことを辞めた。


…………◆◇◆◇◆◇◆…………


 彼女を初めて見たのは、僕が中学2年生の時だった。


 朝のニュース番組でやっていた、アイドルオーディション番組。

 全国から才能のある女の子を集めて競わせ、アイドルグループを作るという企画だった。


 可愛いとは思ったけれど、一目惚れ、というわけでは無かった。

 極限のプレッシャーの中、汗をかくこともいとわずに必死で踊り、歌い、勉強する彼女”たち”の1人だった。


 そんな認識が変わったのも、何とはない。

 彼女は僕と、地元が同じで、同学年だということを知った時だった。


 自分と同じ年で芸能界に挑戦し、競い合って、勝ち上がっていく彼女。

 対する自分はのうのうと日々を過ごすばかり。

 勉強の方もうまくいかず、四苦八苦していた僕にとって彼女は尊敬できる人物だった。


 まるで、物語の主人公のようだった。


 半年後。

 彼女を含めた5人がグループとなってメジャーデビューを果たした。

 その頃には僕の彼女に対する尊敬は憧れに変わり、応援したい――推してみたいという熱量に変わっていた。


 勇気を出してライブに行ったり、うちわやブロマイドなど、彼女のグッズを買う。

 別に、見返りがあるわけでは無い。

 ただ、彼女が笑って、輝かしいステージで歌い、踊っている。

 それだけで、僕はどこか満たされた気持ちになることが出来た。


 不思議なもので、熱中できる”推し”のある世界は、それ以前と比べると明らかに、色づいて見えた。


 趣味と呼べるものが無かった僕。

 しかし、彼女が好きなものに興味を持つようになってからは、釣りや登山など、今まで気に留めることすらなかったものに目を向け、趣味として自慢できるほどになった。


 そうしてできた趣味の仲間、僕と同じで彼女を推す人々との交流も増えて、なんか最近楽しそうね、などと母親から言われるようにもなった。


 伸び悩んでいた成績も、いつの間にか。

 ――そう、本当にいつの間にか、悩みとも呼べないものになっていて。


 そうして、推しのいる生活を1年近く続けた僕は、無事。

 志望校に合格することが出来たのだった。


 彼女のおかげ。

 今でも間違いなく、そう言い切ることが出来る。


 しかし。


 その高校生活でまさか僕が推し活を止めることになるとは、当時の僕は思いもしなかっただろう。


…………◆◇◆◇◆◇◆…………


 彼女が僕と同じ高校に入学していると知ったのは、本当に偶然だった。

 もちろん彼女が所属する事務所は、その手のプライベートな情報は公表していない。


 僕はてっきり、芸能界に専念すると思っていた。

 そう思えるほどには、彼女のいるグループは人気があったし、忙しそうだった。


 けれども入学式。

 新入生の代表挨拶で舞台に立っていたのは彼女だった。

 押しも押されぬ人気グループのアイドル。

 同級生たちも僕と同じで、最初はイベントか何かだと勘違いしたのではないだろうか。


 学校指定の制服を着て、たどたどしく、それでいて堂々と新入生の代表挨拶をする彼女。

 僕はそれを見ても現実感が無くて、テレビの企画ではないかと、どこか遠くの出来事のように感じていた。


 最初こそ騒動になり、彼女のクラスに人が押し寄せたり、校門にマスコミが押し寄せたりすることもあった。

 それでも学校と、彼女が所属する事務所の厳しい対応。”慣れ”もあって、夏休を前にする頃にはすっかり、彼女は生徒として、日常に取り込まれていた。


 彼女とは違うクラスだった。

 1学年500人以上もいる大きな学校。

 僕が日常生活で彼女とすれ違うことなどなかった。


 だからだろう。

 僕は彼女をまだ、推すことが出来ていた。

 ライブにも通うし、グッズだって買う。


 ただ、握手会だけは遠慮した。

 僕も推し活を充実させるために、バイトをしていた。

 そのバイト先に知り合いが来た時の、あの何とも言えない感じ。

 それを彼女に与えたくなかった。


 しかし、推し活の変化と言えばその程度。

 たとえ同級生であっても、何も変わらないじゃないか。

 そう思うようにしていた。


 現実を、見ることができていなかったのだ。


…………◆◇◆◇◆◇◆…………


 1年が経った。

 進級した僕は2年生になった。

 そして、彼女とクラスメイトになった。

 なってしまった。


 授業のグループワークや行事など。

 彼女と直接関わる機会が増える。


 そのたび目にするのは、テレビや雑誌では見ないその笑顔。

 耳にする、僕の名前を呼ぶ、その声。

 男女関係なく、クラスメイト達と分け隔てなく接する姿。


 距離が近くなり、段々と現実が見えて来てしまう。


 推し活を辞める決定打となったのは、文化祭の準備の時だった。


 夏休み期間。

 彼女が主役の劇をすることになり、その練習に僕も参加していた。


 ある日の朝。

 うっかり練習の無い日に学校に来てしまった僕は1人、劇の練習をしていた。


 別にセリフは多くない。

 ただ、独特の発声方法や腹式呼吸など。

 目新しいものが多くて、その練習をしていたのだ。


 あと数回やって、帰りにコンビニで立ち読みでもして帰ろう。

 そう思って台本を見ていた、その時。


 がらりと教室のドアが開く。

 そこには、息を切らした彼女が謝罪の言葉とともに入ってきた。


 どうやら彼女も僕と同様、今日、練習が無いことを知らなかったようだ。

 収録が巻きで終わったから、少しでもみんなと練習したかったのに。

 そう、残念そうに、寂しそうに言った彼女。

 それは僕が制覇しているどの雑誌でも、ドラマでも、見たことが無い表情で。


 当惑する僕に、どうせなら一緒に練習してほしい、と言ってくれた。

 炎天下、少しでも劇を良いものにしようと走ってきたのだろう。

 額に汗をかき、制服を汗で透けさせながら、彼女は笑う。


 アイドルであることなど関係のない、その姿も表情も、僕が知らなかったもの。


 偶像ではない、ありのままの彼女。

 今、そこに、1人の人として彼女がいる。


 そう。

 彼女はアイドルであり、同時に。


 ――僕にとって、1人の魅力的な少女だったのだ。


 顔が赤くなるのを自覚しながら、しどろもどろに応える僕。

 きっと暑さのせいだと言い訳をする。

 そんな僕を見て、彼女が笑っている。

 僕の知らない顔で、見たことのない顔で、笑っている。


 ああ、そうか。


 僕は現実を突き付けられていた。


 僕の抱いていた理想が音を立てて崩れたような気がする。

 彼女に見ていた幻想が、どんどんと消えていく。


 そこにあるのは、僕が彼女を好きだという、その現実だけ。


 彼女を支えたい。応援したい。そばにいたい。


 その願いは、今の僕には分不相応。

 変わらなければならない。

 もう、推すだけではいられない。


 時間の許す限り、嫌な顔1つせず、むしろ笑顔を見せてくれていた彼女。


 校門の前で別れた僕は、雲一つない夏の天に誓う。

 

 いつか彼女に、相応しいと、好きだと言ってもらえるような。

 少なくとも僕自身がそう、自信をもって言えるような人になってみせる!




 その日、僕は彼女を推すことを辞めた。


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『推し活、辞めます!』 misaka @misakaqda

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