聖女賛歌
せてぃ
ある一般信徒(少女一三歳)の感想
「うわあぁ、これ、全部そうなの?」
村では決して目にすることのない大勢の人を目の前にして、わたしはそう言っていた。いったいどれほどの人がいるのだろう。千? 万? 『数を数える』ことはお父さんから教わっていたけれど、それは畑仕事のお手伝いに必要な数までで、こんなに多くの数を数えることは、わたしにはできなかった。
「そうだよ。みんな司祭様に会いに来ているのさ」
「でも、今日だけは特別でしょう?」
わたしの隣に立っていたお父さんが言い、その向こうにいるミシャがまた訊ねた。ミシャはわたしと同じ村に住んでいる同じ年の幼馴染みで、同じ女の子だから、姉妹のように育った仲良しだ。癖の強い黒い髪の下で、同じ色の丸い瞳がきらきらと輝いていた。
「今日だけは、特別多いんだよ、だって聖女様の日だから!」
教会が定めた暦の七日の内、聖王陛下を除いた七人の最高司祭様が代わる代わる大聖堂一般礼拝者の前に立ち、直接御言葉を下さる最高司祭謁見。敬虔な信者のお父さんお母さんから話はいつも聞いていたけれど、本当にこんなに大勢の人が集まるとは思ってもみなかった。
「他の方の日が少ないわけではないけどね。でも、シホ様は確かに特別だね。国の外からも、遥か大陸の端からでも、あの方の日に合わせて何日もかけてこの大聖堂に人が押し寄せるそうだよ。わたしたちのようにね」
お父さんがミシャに優しく答えると、ミシャは襷に掛けた小さな鞄から何かを取り出した。それをわたしに見せるように掲げる。
「モカ、持ってきてるでしょう?」
言われて、わたしも彼女と同じように下げた鞄から、彼女と同じものを取り出した。
それは余り布と古びたボタンで作った人形だった。わたしのお母さんが作ってくれた。とても可愛い女の子の人形で、白い衣を着て、頭には教会最高位にあることを示す頭飾りを乗せていた。黄色い染色がされた布を選んで髪の毛にしていたけれど、お母さんは本物はこんなものじゃない、って話していた。もっと、表現できないくらい、輝いているのだ、と。
「シホ様、お綺麗なんだろうなあ……」
ミシャはうっとりとした目で、天空神教最高司祭『聖女』シホ・リリシア様が現れるバルコニーを見つめている。わたしもだ。わたしたちにとってシホ様は、この世にいらしてくださるだけで尊い存在だ。
そんなわたしたちのためなのか、それともお父さんも会いたかったからなのか、遠い道のりを数十日かけて、この神聖王国カレリアの都、シュレスホルンまで連れてきてくれたのだ。
シホ様は、他の最高司祭様たちとは違って、わたしたちに近いと、わたしは勝手に思っていた。畏れ多くて、お父さんやお母さんには言えないけど、ミシャも、もしかしたら他の、わたしたちと同じくらいの年齢の子ども達はみんな、そんな風に思っているかもしれない。
シホ様はいまのわたしたちと同じ、一三歳で教会の高司祭になられた。それまではわたしたちと同じように山間の小さな農村に住む、ごく普通の女の子だったそうだ。当時の最高司祭様が見た神託によって選ばれた奇跡の聖女。でも、だからといって、決して偉ぶったりすることはなく、誰にでも太陽のように温かな笑顔とお声を掛けてくださるという。
わたしたちの住むカレリアは、半年前に隣国から攻められた。その争いの土地に行って、戦場の兵士たちを労い、一緒に戦いもして、攻め寄せた隣国の兵隊を国の外へと押し出した話には、わたしとミシャは何度となく心震わせた。あのシホ様が、そうまでしてこのカレリアの皆を御守りくださったのだ、と。
そして、その後も、シホ様は戦災にあった土地を回って、復興に尽力された。その話も、お父さんやお母さんから聞いては、シホ様の姿を想像して感謝と尊敬の祈りをこの『シホ様人形』に捧げてきた。
そんなシホ様がいま、まさにわたしたちの目の前に現れようとしていた。
「ん、そろそろのようだね」
いつも優しいお父さんの声が、いまは一段と優しくなっているように聞こえた。お父さんが人並みの最前の方に視線をやったすぐ後、どっ、と地鳴りのような歓声がわたしの身体に押し寄せた。
シホ様が、大聖堂のバルコニーに現れたのだ。
「……綺麗」
わたしは呟き、目をそらせなくなっていた。
ミシャとわたしが手にした人形と同じように、最高司祭であることを示す白地に金縁の法衣を着て頭飾りを身に付けたシホ様との距離は遠く、小柄なお姿は大人の人たちの隙間からしか見えなかった。それでも緩く波打つ金色の髪の美しさと、優しい表情は、はっきりわかった。お母さんの言った通りだった。本当に、シホ様は、耀いていた。
大聖堂に詰めかけた人たちの大きな歓声が、わたしと同じくシホ様から目が離せなくなっていることを伝えていた。
「……綺麗だね、モカ」
「本当……綺麗……」
シホ様が御言葉を述べられる。
いまは一七歳になられたシホ様。わたしたちからしたら、少し大人で、こうして信徒に掛けてくださる言葉は、もっと大人で、それなのに、遠くにいる存在に感じないのは、なぜなのだろう。いま、こうして見ているだけで、涙が出てくるほど温かさを感じるのは、なぜなのだろう。
「会いに来て、よかった?」
隣で訊くお父さんの方も向かずに、わたしは一心にシホ様だけを見て、頷いた。手の中のシホ様人形を胸に当てて、ただいつまでも見ていた。それだけで幸せを感じられた。
きっと、この場にいた、全ての人が、同じ気持ちだった。
シホ様、尊い。
聖女賛歌 せてぃ @sethy
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