地下アイドルだったミレイがアイドルを辞めた理由

澤田慎梧

地下アイドルだったミレイがアイドルを辞めた理由

「ねぇねぇミレイ~。またあのオジサン最前サイゼン来てたよ? 今回も全通ぜんつうじゃん。愛されてるね~」

「あ~うん。いたね……」


 ミコのからかい半分の言葉に、ミレイは苦笑いと共に生返事するしかなかった。


 二人はアイドルグループ「監獄天使ロックンロール」のメンバーだ。

 アイドルと言っても、メディアに多く露出するようなメジャーな存在ではない。ライブ活動を中心とする、いわゆる「地下アイドル」だ。


 そのライブも、ライブハウスのような比較的小規模な場所で行われるのが常で、その分ファンとの距離も近い。ライブ常連のファンならば、メンバーに顔を覚えてもらえることさえある。

 そういった距離の近さからか、とても熱心なファンも多い。ライブツアーの際に全通――つまりライブ全日に通ってくれるファンも少なくなかった。


 地下アイドルの収入はピンキリだ。

 ミレイ達は事務所に所属しているが、固定ギャラは月数万円程度。それ以外は、自分で売ったチケットの枚数や、ライブ前後の物販――グッズや「チェキ」撮影の販売数によるインセンティブがあるくらいだ。

 だから、全通して毎回グッズを買ったりチェキ撮影にお金を払ったりしてくれるような熱心なファンは、生命線とも言える。とてもありがたい存在だ。


 ――そう。ミレイにとって「オジサン」はとてもありがたいファンだった。でも同時に、複雑な思いを抱く相手でもあった。

 何せ相手は、


 ミレイこと美鈴みすずの両親が離婚したのは、まだ彼女が小学校に上がる前のことだった。理由は知らない。母は父について一切を語らず、面会の機会すら訪れないまま、美鈴は大人になっていた。

 母が早くに再婚し、気の合う義父ができたことも手伝い、美鈴自身も実父について口を開くことはなかった。

 けれども、心のどこかでは「いつか会えるといいな」という思いを抱いていた。


 そんな実父と再会したのは、思いもよらぬ場所だった。美鈴がミレイとしてステージに立つようになって、半年ほど経ったあるライブ会場でのことだ。

 最前列で懸命にサイリウムを振り、「ミレイちゃーん!」とコールを送る初老の男性。それが美鈴の実父だった。


 もちろん、最初は気付かなかった。美鈴は残された数少ない写真でしか実父の顔を知らなかったし、年月が経って随分と老けていた。「どこかで見たことがある」程度の認識だった。

 転機が訪れたのは、美鈴がミレイとして始めたSNSを実父がフォローした時だ。「ああ、あのオジサンだ」と何の気なしにプロフィールを見に行った美鈴が目撃したのは、実父の名前だった。


 最初は何かの偶然かとも思ったが、出身地や生年月日も一致した。間違いなかった。

 そこから、「アイドル」と「ファン」という奇妙な親子の交流が始まった。


『ミレイちゃん、今日も輝いてたよ~!』

『ごめんね、こんなオジサンとツーショットなんて』

『ほらほら! ジャーン! ミレイちゃんのグッズ、全部買っちゃった!』


 実父はミレイが出演するほぼ全てのライブやイベントに通ってくれていた。

 もちろん、自分が父親だとは一切名乗り出ない。あくまでも一ファンとして接してきた。だから、美鈴もミレイとして接した。


 一緒にチェキを撮った。

 カラオケ交流イベントでデュエットをした。

 ファン交流会を兼ねたバスツアーで、初めて一緒に旅行をした。


 全く普通の親子関係ではなかったけれども、ミレイ――いや美鈴と実父との白紙だったアルバムには、いつしか沢山の思い出が刻まれていった。

 嬉しかった。けれども同時に寂しくもあった。

 「アイドル」と「ファン」という役割が無ければ、自分達は思い出を紡ぐこともできないのかと、美鈴は何度も思い悩んだ。


 だから、「オジサン」は「ミレイ」にとって、複雑な思いを抱かざるを得ないファンだった。

 「あちらが他人の振りをしてくれているのだから、こちらもそれに従うべき」とは分かっていても、やはり一度でもいいから「お父さん」と呼びたい。呼んであげたい。

 そんな思いが、美鈴の中で溢れていた。ミレイの殻を破ってしまいそうな程に。


 そしてある日、それが唐突に爆発した。


 とあるツアーの最終日。美鈴はミレイのSNSアカウントから「オジサン」にダイレクトメッセージを送った。

 『ライブが終わった後に、二人きりで会って話したい』と。


 「オジサン」からの返事はなかった。

 それでも美鈴はライブが終わった後、指定した場所で待ち続けた。自分の熱心なファンである「オジサン」ではなく、父親を。

 そして――。


「ごめん、待たせてしまったね……本当は来ないつもりだったんだけど、上手く返事も書けなくて。本当に、ごめん」

「そんな……謝らないで……ください。私が一方的に会いたいなんて言ったから。迷惑だろうって、分かってたのに……」


 はたして、「オジサン」は来てくれた。

 買いあさったライブグッズのはみ出した紙袋もそのままに。

 そんな実父の姿に苦笑いしながらも、美鈴は涙が零れそうになるのを必死に我慢していた。

 上手く言葉が出てこない。一言「お父さん」と呼んであげたいだけなのに。

 そんな美鈴の気持ちを知ってか知らずか、「オジサン」も神妙な顔のまま、口を開かずにいた。


 ――そうして、どれくらいの時間が経った頃か。

 先に口を開いたのは、「オジサン」の方だった。


「こうして会うのは、これで最後にしよう」


 実父から突き付けられた最後通牒に、美鈴の心が震える。

 ――分かっていた。父親があくまでも「アイドル」と「ファン」という役割を演じていたことには、きっと意味があるのだと。普通の親子として会うことができない理由があるのだと、美鈴にも分かっていた。

 けれども、それを受け止め切れるほど美鈴は強くなかった。だから、つい尋ねてしまっていた。


「どうして……?」

「どうしてって、それは……」


 父が言いよどむ。彼が他人の振りを続けてきた理由は、それほど口にするのも憚られるものらしい。

 何となくではあるが、美鈴は両親の離婚にその原因があるのではないかと考えていた。母はそれを教えてくれなかった。遂にそれが明らかになる日がやってきたのだ。


 ――しかし、そんな美鈴の予感とは裏腹に、父の口から飛び出した言葉は予想外のものだった。


の事務所、ファンと直接『繋がる』の禁止でしょ?」

「……へ?」


 「繋がる」というのは、業界用語で個人的に連絡を取り合う仲になることだ。そこから男女の関係になるアイドルとファンもいる為、禁忌とされていることが多い。

 実際、美鈴の所属事務所でも禁止されているが、二人は実の親子だ。直接連絡を取り合うことが問題になる訳もない。

 何故、父がそんなことを言い出したのか、美鈴には全く理解できなかった。


「ミレイちゃん。ミコちゃん達の方が人気があって焦るのは分かるけど、こういうことしちゃダメだよ! オジサンには分かるんだ! ミレイちゃんはこのまま頑張ってれば、武道館も夢じゃないって!」

「……え?」


 熱弁をふるう実父の姿に、美鈴の混乱が増していく。

 この人は一体何を言っているのだろう? と。


「そりゃあね、ファンの中にはアイドルとチョメチョメしたいとか、そういう不逞の輩もいるけどね。オジサンは違うよ! オジサンはミレイちゃんがビッグになってくれれば、それでいいんだ! 推しが華麗に羽ばたいてくれれば!

 今までもね、何人もの推しが羽ばたいていくのを見送ってきたよ! ――まあ、そのせいで奥さんと子供には逃げられちゃったけどね? ハハハッ」

「……」


 美鈴の中で、熱が急激に冷めていった。

 父は「ファン」を演じている訳では無い。とぼけている訳でもない。彼が語っているのは紛れもない「真実」なのだと分かってしまった。


 つまり父は、ミレイが美鈴――自分の娘であるということに、全く気付いていないのだ。


   ***


 その後の記憶が美鈴には無い。

 気付けば事務所の社長に事情を全部ぶちまけて、「グループを抜けたい」「アイドルを辞めたい」と泣きついていた。

 普段は何だかんだと言い訳してアイドル達の要望を聞いてくれない社長も、この時ばかりは美鈴に同情し、それを快諾してくれた。


 そればかりか、すぐにアイドル以外の仕事を回しさえしてくれた。

 丁度ナレーションの仕事が来ていて、そのイメージが美鈴にぴったりだと思っていたらしい。怪我の功名というか、塞翁が馬というか。

 その後、美鈴はナレーションの仕事で頭角を現すようになり、違う芸名で真剣に本職ナレーターを目指すことになった。


 「監獄天使ロックンロール」のメンバーとは今でも時々連絡をとっている。だが、「オジサン」がその後どうなったかは、怖くて聞いていない。

 恐らくは新しい推しを見付けて「推し活」に勤しんでいるのだろうが――美鈴にはもう、関係のない事だった。


(おしまい)

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