あなたは私の推しなのです

沢田和早

あなたは私の推しなのです

 二郎は三十才の平凡な会社員。

 平日は真面目に仕事をこなし、土日は街に出てショッピングや外食を楽しんでいる。


「はー、久しぶりに食べたすき焼きはうまかった。疲労回復には牛肉が一番だな」


 遅めの昼食を済ませた後、腹ごなしに通りをぶらつく二郎。その前にひとりの男が立ち塞がった。


「ちょっとすみません。あなた、二郎さんですよね」

「そうだけど、君、誰?」

「私は一郎です。あなたのファンです。あなたは私の推しなのです」

「ファン? 推し?」


 不審に思わずにはいられなかった。二郎は芸能人でも高額納税者でも有名ユーチューバーでもない、ただの会社員である。誰かがファンになってくれるようなことも誰かの推しになるようなことも、絶対にないと断言できるほど平々凡々な男なのだ。


「もしかして宗教の勧誘とかですか。悪いけどそーゆーのは興味ないので」

「そんな人たちと一緒にしないでください。私は本当にあなたのファンなのです」

「ファンなのですと言われても、ボクは君のことなんか見たことも聞いたこともないんだけど」

「当たり前ですよ。俳優や歌手だって自分のファンが誰かなんて知らないでしょう。二郎さんがファンである私のことを知らなくても少しも変じゃありません」


 確かにそうだなと二郎は思った。


「じゃあ、君が私のファンであることは認めるとして、何か御用ですか」

「これを受け取ってください!」


 一郎の両手には内容量一三五mlのミニ缶ビールほどの小箱がのっていた。ご丁寧にリボンまで掛けてある。


「いや、見知らぬ人から理由もなく贈り物をしていただくのは、ちょっと……」


 二郎はやんわりと拒否した。タダより高いものはない。受け取った後で「実はお願いがあるのですが」などと言われたらたまったものではない。しかし一郎は諦めない。


「お願いです。受け取ってください。受け取った後で『実は頼みがあるのですが』なんてことは決して言いませんから。これは純粋に推しであるあなたへのプレゼントなのです」


 それでも二郎は受け取る気にはなれなかった。一郎が手袋をしていたからだ。なぜ手袋をしているのか。それはきっと小箱に指紋を残さないためだ。例えばこの小箱を受け取った後、警察官に職務質問されて小箱の中を調べられ、中から末端価格数百万円の白い粉が出てきたらどうなるだろう。


「違います。この小箱はボクの推し活をしているらしい一郎と名乗る男からプレゼントされたんです。ボクは何も知らないんです」


 と言ったところで小箱から一郎の指紋が検出されなければ警察官は信じてくれないだろう。そこまで妄想した後で二郎は再度断った。


「いや、やっぱり受け取れないよ」

「お願いです。どうしても受け取ってほしいのです」

「そもそもどうしてボクなんだい。ボクと同じような男はたくさんいるじゃないか。ボクを推す理由は何なんだよ」

「夢です。二郎さんのファンになり、推し活として贈り物をするようにという夢のお告げがあったのです」

「夢……そうか。ならば受け取るとしよう」


 二郎の態度が急変した。小箱を受け取るとそのまま上着のポケットに入れた。


「もう用は済んだの」

「はい。ありがとうございます」

「じゃあ、さよなら」


 二郎は歩き出す。一郎は付いてくる。二郎が止まって振り向く。一郎も止まる。再び二郎が歩き出す。一郎も歩き出す。


「どうして付いてくるの」

「しばらくご一緒させてください。お願いです。邪魔になるようなことは決してしませんから」

「なら好きにするといい」


 二郎は歩き続けた。やがてとある書店の前で止まった。しばらくすると書店からひとりの男が出てきた。二郎は少し上ずった声で話し掛けた。


「あの、三郎さんですか」

「そうだけど、君は?」

「私は二郎です。あなたのファンです。あなたは私の推しなのです」

「えっ、いや急にそんなことを言われても」

「急ではありません。実は夢を見たのです。今週の土曜午後二時十五分、書店から出て来る三郎さんのファンになり、推し活としてプレゼントを渡すようにと、夢のお告げがあったのです」


 二郎は三郎の前に内容量一三五mlのミニ缶ビールほどの小箱を差し出した。もちろん先ほど受け取った一郎の小箱とは別のものである。


「夢……そうか。ならば受け取ろう。ところで君の後にいる男は誰?」

「私は二郎さんの推し活をしている一郎という者です。よろしく」

「なるほど。よろしく」


 三郎は小箱を上着のポケットに入れると歩き出した。その後を二郎と一郎も付いていく。しばらく歩いた後、三郎はとある喫茶店の入り口の前で止まった。ひとりの男が出て来た。三郎は少し上ずった声で話し掛けた。


「あの、四郎さんですか」

「そうだけど、君は?」

「私は三郎です。あなたのファンです。あなたは私の推しなのです」


 この後は過去二回と同じ展開なので省略する。これで男たちは四人になった。その後、五郎に会って五人になり、六郎、七郎に会って七人になり、八郎に会ったところで新たな展開がやってきた。


「夢……そうか。ならば受け取ろう。ところでこの七人の中に一郎さんはいるかな」

「はい、一郎は私です」

「おお、あなたですか。実は私はあなたのファンなのです。あなたは私の推しなのです。これ、夢のお告げで言われたあなたへのプレゼントです。受け取ってください」

「あっ、どうも」


 ここに至ってようやく堂々巡りが終わった。少し小腹も空いて来たので、コンビニで菓子と飲料を買い、近くの公園で休むことにした。


「それにしても驚きました。同じ夢を見た人が私の他に七人もいたなんて」


 一郎の言葉に二郎が頷く。


「本当ですね。世の中何があるかわからないものですね」

「実はあんな夢、無視しようと思ったんですよ」


 三郎の言葉に四郎が頷く。


「私もそう思いました。でも不思議と説得力がある夢だったんですよね」

「しかもプレゼントの小箱は八人全員ほとんど同じ大きさじゃないですか」


 五郎の言葉に六郎が頷く。


「これはもう偶然なんてもんじゃないですよね」

「つまり必然ということですか」


 七郎の言葉を聞いて八郎がポケットから小箱を取り出した。


「どうです皆さん、ここでこの小箱を開けてみませんか。何が入っているか気になるでしょう」

「おお、それは名案だ!」


 八郎の提案は全員一致で了承された。リボンを解き、フタを開ける。


「こ、これは!」


 八人全員が一斉に驚きの声を上げた。同じだったのだ。八個の箱の中に入っていたのは全て白く丸い玉だった。

 ただひとつだけ異なっていることがあった。表面に彫られている文字だ。一郎は仁、二郎は義、三郎は礼、四郎は智、五郎は忠、六郎は信、七郎は孝、八郎は悌の文字がそれぞれ彫られている。曲亭馬琴先生もビックリの展開だ。


「この玉は先祖代々我が家に伝わる家宝。皆さんもそうなのでしょう」


 一郎の言葉に全員が頷くと右手に玉を持ち、円陣を組んで中央に八個の玉を集結させた。途端に周囲が暗闇に覆われ、輝きを放ち始めた八個の玉から巨大な白犬が姿を現した。


「よくぞ八個の玉を集めた。我が推しである八人の犬士たちよ」

「あ、あなたは何者ですか」

「我は異界に住む白犬帝国の王、偉大なるワンワン皇帝である。我らの国は危機を迎えている。覇権主義を唱える赤猿帝国の猿どもに蹂躙されているのだ。この窮地を脱するために我はこの世界に八個の白い玉を散らせた。その玉の導きによっておまえたちは集められたのだ。さあ、これより我が異界へ旅立て。そして赤猿帝国の猿どもを蹴散らし、我が白犬帝国に安寧をもたらすのだ」

「え、ええー!」


 突然の展開に開いた口が塞がらない八人。しかしすでに運命は動き始めている。知らぬ間に八人の体は鎧と兜に覆われ、手には太刀が持たされていた。


「む、無理ですよ。雀一匹捕まえたこともないのに、猿を退治しろなんて」

「案ずるな。おまえたちは我が推し。二四時間体制で推し活をしてやるゆえ、大船に乗ったつもりで戦いに励め。さあ、異界へ送るぞ」

「うわー!」


 こうして異界へ送られた八人は、ワンワン皇帝の推し活のおかげで、苦戦しながらもなんとかラスボスの赤猿ウキャキャ皇帝を退治し、無事元の世界へ帰還したということである。

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